- Amazon.co.jp ・本 (136ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309208633
感想・レビュー・書評
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ウクライナ東部・ハリコフ(ハルキウ)に一家五人と犬一匹で住んでいた著者が、2022年2月24日早朝5時30分、突然の爆撃音で目覚めたところから始まる避難生活が描かれた作品。その日から8日間地下壕で暮らし、9日目に母親と夫を残しブルガリアに脱出するまでを、絵日記として記録されている。
ロシアがウクライナに侵攻した理由は、『ウクライナをナチズムから解放し、浄化する』ためだと主張した、らしい。この作品を読むまで、こんなことも知らなかった自分が、とても恥ずかしい。
巻末の解説でロシア語監修者の奈倉有里氏は、この作品は著者の母語であるロシア語で書かれている、と教えてくれる。ウクライナという国ではもともと、ウクライナ語話者とロシア語話者が共存しており、徐々にウクライナ語を母語化する政策がとられていたそうだ、
著者同様、ロシア語を母語とするウクライナの人々のロシア侵攻による苦悩は想像できないほどだが、この作品は抑制のきいた温かい眼差しの文章と絵で出来ているため、悲惨さはそれほど感じられない。
表紙の絵とは異なり、内容は刺激の少ない優しいものなので、いろいろな人に読んでもらいたい、と思った。
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2022年2月24日、ロシアのウクライナ軍事侵攻によって多くの人々が家を失い、家族を失い、街を失い、難民となった。ウクライナの成人男性は、戒厳令と総動員令により国外に出られなくなり、女性は夫を残したまま、子供を抱えて避難するほか道はなかった。・・・ハリコフ(ハルキウ)の街で、家族と平穏に暮らしていた画家のオリガ・グレベンニク(1986- )は、開戦から9日目に2人の子供を連れて、リヴォフ(リヴィウ)の街で夫を別れ、ワルシャワ、そしてブルガリアへと逃れるなか、戦争に立ち向かい、生きるために創作活動を続けること、文章と絵に持てる力の全てを注ぐことを決意し、ウクライナに残った年老いた母親や夫と共に暮らせる日を待ち続けている・・・ 「戦争に勝者はいない。そこにあるのは血、破壊、そして私たちの一人ひとりの心の中に出来た穴だけだ・・・いま私は国籍や民族を問わず、私を助けてくれる人たちと共にいる。彼らには〝力〟がある。 戦争が終わり、そういう力を持った人たちは生き残っていくだろう」(著者の序文より抜粋)
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ある朝突然破壊された日常、未来。
家と地下を往復する生活。
戦禍から逃れるため着の身着のままで乗り込む列車。
家族との別離。戦地に残った家族親類への絶えない心配。
鉛筆で描かれたそれが、まさに現在進行中の出来事という事に改めて震撼する。 -
ウクライナの絵本作家(イラストレーター、アーティスト)であるオリガ・グレベンニクさんが、ロシアによるウクライナへの侵攻の端緒から、自身が国外に脱出するまでを綴った絵日記。
ロシア語で書かれた文章(読めない!)、鉛筆のみで描かれた粗いスケッチを写真に撮りデジタル送信されたものを韓国語に翻訳し出版、本書はそれを基に日本語訳したものだそうだ。
幸いなことにあまり大きな被害はないまま国外に逃れることができたが、彼女の母と夫は国内に留まっている。リアルすぎて言葉を喪う。 -
2022年2月24日ロシアによるウクライナ侵攻
本書は、ウクライナ北東部のロシア国境にほど近い都市ハルキウ在住のアーティスト、オリガ•グレベンニクさんが、侵攻直後から2週間の自身の体験を綴ったものです。
オリガさんは、ハルキウでの数日の生活の後、ウクライナ西部のリヴィウ、そしてワルシャワ、ソフィアへ、幼い子ども2人と避難していきます。
本書では、オリガさんの当時の日記であり、その時の鉛筆による文章とスケッチがそのまま掲載されています。
その筆跡や文章、絵には直接的には過度に感情を揺さぶるような大げさなものはありません。
(絶望、と書かれた絵にすら、正直なところタイトルと文脈がなければ絶望を読み取ることは困難です。)
ただ、地下室生活、爆撃による街の破壊、親•祖父母らとの別れ、夫との別れなど、オリガさんの体験は事実として圧倒的です。
どうしたって伝わってくる不安、悲しみ、恐怖。
そして生まれ育った街、家族、子ども達への暖かな愛。
戦争反対と叫ぶことが本書の目的とオリガさんは言います。
そういう本はもちろんたくさんありますが、本書には他の同様の本と大きく違う点があります。
それは、誰かや何かを憎み悪くいう言葉や文章、表現が、本書では一言も、全く、存在しないということです。
文章量としてはおそらく文庫本10ページ分もないくらいですが、きっと多くの人の心に残る一冊になると思います。 -
ウクライナ信仰が起きた時、彼女はそこにいた。
画家、絵本作家であり、妻であり、母である作者。
彼女は、自分に起きたこと、家族に起きたこと、今あることを、えんぴつでスケッチして、日記に書いた。
それは今ライブで起きていること。
だから物語としてまとまっている話ではない。
しかし、それはリアルでライブ。
今、彼女はブルガリアに避難してきている。
愛犬と二人の子供と共に。
夫は、ウクライナ国内に残っている(全てのウクライナ男性は、国外に出られない)。
彼女の母親は、ウクライナ国内に残っている(老人、家族は身軽に動けない)。
それを知ること、それを感じることのために、本書を手に取った。 -
ウクライナに住むある家族の日々が、鉛筆画で描かれている。
自分たちの住む国や地域が、ある日戦争になったら…と考えさせられた。
辛いことがあっても、生きていくしかないのだ。 -
ウクライナ人の作者(ロシア語話者)が、勃発したウクライナ戦争とそれをうけての避難の様子を、鉛筆一本で書き記した日記です。
「読み物」として整理されているわけではなく、事実を切り抜いた簡潔な文章と、ラフなスケッチで描かれる避難生活の日々が、戦争という大きな流れに翻弄されるリアリティを強調しています。
「非日常」が「日常」になってゆく様子、悲しみや不安を抱えながらも新しい生活に順応していく子供たちの様子を見ると、(少なくとも兵士たちや巻き込まれた市民たちは決して望んでいなかったのに)戦争が起きた、という事態の異常さに胸が痛みます。
日本が戦争を経験してからもうすぐ80年が経過しようとしています。当時のことを記憶している方々も多くが鬼籍に入られ、「戦争」という事態の異常さ・悲惨さはすでに他人事になってしまっています。
その中で、現代に再び起こった戦争について、遠く離れた異国「ニュース」ではなく、地球全体で止めなければならないことだと強く意識することが必要なのだと思います。
核兵器をはじめとする武力に裏付けられた「平和」は決して真の平和ではありません。非武装中立・非武装平和というのは絵空事かもしれませんが、それでも「理想を求めて何ができるのか」を考えることは決して無意味ではないと思います。