- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106039010
作品紹介・あらすじ
なぜ日本の中心都市から脱落したのか――異色の京都論! 「空襲がなかったから古い町並みが残る」「京料理は伝統的和食の代表」「職住一致が空洞化を防いだ」「魅力的景観は厳しい保護策のおかげ」――これらの印象論は本当に正しいのか? 地元の「洛中」礼賛一辺倒に疑問を持つ京大出身の経済学者が、「千年の都」が辿った特異な近現代の軌跡を、統計データを駆使して分析する。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
我が故郷、京都の都市問題を応用経済学者が様ざなな統計、豊富なグラフ、図形化により興味深く、解り易く分析、展開する。都市行動経済学として、京都に限らず普遍的に現代都市の在り方を説く好書。個人的には、真に実家のあった京都都心の「田の字地区」(堀川ー河原町&丸太町ー五条)、祇園祭等。古都の町衆文化を支える西陣や室町の中小企業主や最近移り住んだマンション属等のあり様と一方では「南西回廊」と名付けてた新興産業地域の大企業の実態、将来性等を数値分析に裏付け解説する興味深い一冊。「京都、どうする!」
-
<目次>
序章
第1章 京都の経済地理
第2章 京都の町と社会
第3章 京都の町の変容と人口移動
第4章 ゆりかご都市京都
第5章 住む町京都
第6章 観る町京都
終章
<内容>
ハードな京都本。経済学のテクニックを使って、近代以降都市化に失敗した京都を分析し、一般的な京都の幻想を打ち砕く。田の字地区(上京・下京区)の新たな都市改造がない限り、京都の近代化はなしえないという。またそのための交通問題の提案もされている(高速の市内乗り入れ・環状型地下鉄)。外から見る京都の良さは欠点であり、住む人の発想の転換が必要なのだ。 -
東2法経図・6F開架:332.16A/A71k//K
-
幼少期を京都で過ごし、その後京都府南部へ移り、「京都」の人と洛外の人に囲まれて育った私は、京都への少しばかりの理解と呪縛めいた京都への憧れを持っていると自負しています。
その私からすると、京都の姿を近代史から紐解きよく描き出されている著作だと感じました。
また、後半の著者の提言はかなり挑戦的であり、かつ的確であると感じました。
産業界でのキャリアを歩みつつある私も、本当は京都に住みたいけども、働く口は南西回廊にはある一方、都心ではとても限定的と感じており、その点本著の論旨を実感を持って理解できたと思います。
一方、路地の整理を始めとした区画整備について、これが京都らしさと思い込んでいる部分もあり、洛外の私ですら抵抗を感じる部分があります。
産業都市を目指すのかは
-
京都は古都として語られることが多い。現在の京都の成立過程についても、第二次世界大戦で大規模な空襲を受けなかったこと、伝統産業が戦後の京都での製造業の起業の基盤となったことなどが、定説としてよく語られる。
筆者は研究者として長く京都に暮らす中で、そのような歴史的町並みや伝統産業だけで語られる京都が、現代に生きる都市としての京都の実相を捉えていないのではないかと感じていた。そして、人口動態、産業用地や住宅地の開発動向、京都における起業など、都市経済学の視点から、主に近代以降の京都の歩みを振り返ることで、これまで語られることが少なかった京都の姿を描き出している。
一般的に京都の中心部として認識されることの多い田の字地区(北は御池、南は五条、東は河原町、西は堀川の各通りで囲まれた地区)は、伝統産業を中心とした町衆の影響力が大きい地域であり、歴史を通じてこの地域が京都の都心を形成してきた。
京都が現在の姿になっているのは様々な面でこの地区が「あまり変化しなかった」からである。筆者は、祇園祭の山鉾巡行、両側町や元学区など、歴史を通じてこの地区のコミュニティが様々な形で強化されてきたことを説明している。
このことは人口動態からも見えてくる。京都の都心は明治から1960年代に至るまで、伝統産業の職人層と、明治以降に加わった研究者などが、職住近接の形で暮らす都市であり続けた。その後、バブル期にかけて伝統産業が衰退することで職工関連の人口が減少し、バブル後の都心回帰においても、都心における住宅供給がそれほど多くなかったことから、人口が回復したとは言えない。
さらに、京都盆地を取り囲む山麓の多くが風致地区に指定され、さらに東京や大阪のような郊外の鉄道・道路網が十分に整備されなかったことで、郊外住宅地の発展も見られなかった。社会的人口移動の面でも、京都は大学都市として全国でも有数の若者の流入人口を持っているが、大学卒業生の地元就職率は主要な都市では最も低い水準にあり、人口流入の機会を活かすことができていない。
土地利用の面では、京都では1990年代に西陣などの伝統産業の衰退によりそれらの工場がマンションに建て替えられるといった形でマンション開発ブームが起こった。しかし、高さ規制などの影響もあり開発された住宅床面積はそれほど多くなく、さらに2010年代以降に起こったホテル開発ブームにより、それらの少ない住宅開発の機会もホテル開発へと向かうこととなった。
京都ではオフィスの開発も非常に少ないため、結果として京都はホテル開発によって他の用途の開発は大きく抑制される形となっている。結果として京都は建物の更新が非常に少なく、そのことが都心への新たな人の定着を抑制する結果となっている。
京都は産業の面でも、都心の変化の緩やかさが現在の都市のあり方に大きく影響している。都心部は、西陣や友禅に代表される繊維産業が中心的な産業である。そして京都は明治期から戦後1960年代に至るまで、この産業の比率が高かった。これは、化学や鉄鋼など戦後の高度成長を支える産業が京都では育たなかったことの裏返しである。
一方、戦後に京都で生まれた企業群であるニデック、村田製作所、京セラ、島田製作所、オムロンといった会社は、いずれも京都駅の南側から淀川方面の、いわゆる南西回廊と呼ばれる地域に立地している。この地域は、建築に関する規制も京都の町衆の影響力も比較的弱く、戦後、住工商の混在した土地利用で発展した。京都における起業はこの地域に集中しており、京都の都心は東京の都心三区のようなイノベーションの現場にはならなかった。
さらに京都においては、この南西回廊地区に立地した企業も成長するにしたがって京都以外に主要な製造拠点や研究開発拠点を移しており、本社が残ってはいても京都にその中心的な企業活動の拠点を置いているところはほとんどないという。
京都が伝統工業の職人の蓄積によって新たな企業を生んだということが言われるが、実際には京都の起業の現場と伝統産業の集積地はあまり関係が深くないということが分かる。また、南西回廊地区が大阪方面との連携により工業地帯として発展することもなかった。これは物流ネットワークの整備や労働者の住宅の集積が弱かったということも背景にあるであろう。
以上のように、京都は近代以降に十分な産業の蓄積を形成できず、逆に伝統的な繊維産業の衰退により産業都市としての地位は低い状態にとどまっている。このことは、京都が、若者が就職し家族を育てる都市になっていないことの要因になっている。
京都が現在世界的にリードしている領域と言えば観光であろう。古くから京都を訪れる人は多かったが、特に2000年代以降のインバウンドの拡大においても、京都はその新たな市場を着実に取り込み、来訪者を増加させた。これに伴い、2000年代以降の京都の土地利用は観光関連、特にホテルの開発が急増している。
しかしこのことが京都の持続的な発展に寄与するかというと、この点は不透明である。筆者は京都の観光都市化がその他の土地利用の機能更新を抑制する可能性を指摘している。また観光産業自体もインバウンド向けの高級ホテルにシフトしており、地域への消費還元などの効果はあまり期待できない。筆者は京都のプライベートビーチ化として懸念している。また、景観を中心とする京都の価値は、建築規制という形で京都に社会的費用を負担させている。国内外から京都を訪れる旅行者はこの費用を直接負担することはないが、京都の産業政策を考える上でこのことはあまり意識されていない。
このように、近代以降の京都は中心部の土地利用や人口の変化が乏しく、郊外にも十分な交通ネットワークや住宅、産業の拠点の形成がなされなかったことで、成長や産業構造の転換の機会を逃したまま現在に至っている。京都が古都として取り上げられる一つの背景にはこのようなあまり変わらなかった京都ということがある。
筆者は、本書の最後で京都の今後を考える上でのいくつかの提言をしている。その中心となるのはやはり田の字地区の機能更新を進めることである。筆者は、田の字地区を特別扱いするのはやめ、自動車交通の利便性、家族世帯が暮らすことができる住環境の整備、若者世代にも魅力ある就業機会の提供を実現するための都市整備を進めることを説いている。
具体的には、街路拡幅を含む区画整理の実行、南北をつなぐ高速自動車道の整備、さらには環状地下鉄などの基幹交通インフラの整備である。これらは、他の都市では明治以降、城下町の土地利用転換や戦災復興などさまざまな機会をとらえて推進されてきたことであるが、京都では十分に行われてはこなかった。
これらの機能更新が行われることで京都の風景は大きく変わる可能性がある。筆者自身もこのような政策には賛否両論があるということを認めている。しかし、京都が現在の都市構造や土地利用を維持したまま自動車交通の抑制、町家の有効活用などで都市の活力を維持していこうとするならば、京都は緩やかにその活力を衰退させながら、「古都」として静かな地方都市になっていくのではないかと筆者は危惧している。また、歴史的景観が有名な他の都市においても、古くからの町家や通りが残るのは一部の地区に集中しており、それらの地区を重点的に保存することで、観光都市としての魅力を十分に発揮できている例が多い。
このような土地利用転換、都市構造転換を実現するためには、政治的にも強力な推進力が求められるため、実現には非常な困難が伴う。しかし、観光需要による収入に依存し、生活環境や産業の基盤を徐々に失いつつある現状から脱却するためには、このような方向転換が必須であると筆者は考えている。
観光で訪れる京都と、住み、働くという生活の場としての京都は、全く異なる姿を持っている。本書ではその姿を統計データも交えながら経済学の視点で明らかにしており、京都という都市の現状について、新たな理解を得ることができた。
筆者の専門は労働経済学であるというが、都市経済学や人口学など他の領域の知見も取り込み、幅の広い視点で都市のあり方を考察しているという点でも、筆者の取組みには敬意を表したいと感じた。
京都の都市政策を語るとなるとどうしても印象論や情緒的な議論が強くなってしまうことが多いが、そのような中で敢えて京都の産業都市、生活都市としての弱点を指摘し、大胆な政策提言をしているという点が、この本の意義であると思う。 -
好きな京都を「産業都市」という珍しい視点から分析した本。せっかく面白いテーマなのに、大学教授が書く典型的な読みやすさ未考慮の論文のような構成。オープンデータを使って分析していることは客観的で信頼に足ると思うが、どうしても結論に向かう時に回りくどくなるので、文章力が問われる。この力が弱すぎてなかなか読み進めることができず。元より私のような読者は想定していないのかもしれないが。