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おやときどきこども 単行本 – 2020/6/20
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「大人はデフォルトで絶望のくせに、子どもに希望を持てとかほんとダサいし。私はそもそも絶望してないから。私の言ってること、わからないでしょ。」
「正しさ」を手放したところから始まる、
新しい人間関係のあり方をリアルな事例とこれまでにない考察でつづる本。
福岡市のど真ん中で小中高生たち150余名の子どもたちと日々奮闘する著者が、
まさにいまの親子が抱えるリアルな問題を、子どもたち自身の生き生きとした語りを通して描き出します。
私たちはいつのまにか大人になる過程で、子どものころの私の声を失ってしまった。
だから、私はいま目の前にいる子どもと交われないんじゃないかな。
子どもの声を聞いて、もう一度、私の声を取り戻す。
この本には、そのための心で温めたいストーリーが詰まっています。
東浩紀さんの『ゲーム的リアリズムの誕生』、國分功一郎さんの『中動態の世界』、齋藤環さんの『オープンダイアローグとは何か』をはじめ、
平成から令和を代表する人文書を通して、現代の子どもや家族の問題を取り扱っていますので、取っつきにくい専門書の入門編としてもおすすめ。
現代思想を「実装」すると教育はこんなふうになるのか、という臨場感に溢れています。
そして、子どもたちが紡ぎ出すストーリーの奥からは、最果タヒ、米津玄師、マヒトゥ・ザ・ピーポーら、現代のアイコンたちの歌が響いてきます。
【帯文公開! ! 】
●東浩紀(批評家、作家)
鳥羽さんに子どもを託した親は恵まれていると、
ひとりの親として思った。
学習塾でこんな対話が可能ならば、
地域の未来は明るい。
●寺尾紗穂(音楽家、文筆家)
「先生は私に言葉を与えてくれました」
一人の教え子の言葉は、鳥羽さんの教育にかける情熱を伝えるとともに
教師や親、大人たちが、いかに子供の言葉を奪い、
自らも言葉を手放してしまったかを示している。
大切な誰かにきちんと向き合いたいすべての人に薦めたい一冊。
●阿南智史(never young beach)
一度目を瞑って、手のさわりだけであなたを感じられるように。
子が霧の中にいるのと同じように。
- 本の長さ269ページ
- 言語日本語
- 出版社ナナロク社
- 発売日2020/6/20
- 寸法13.3 x 19 x 18.5 cm
- ISBN-104904292944
- ISBN-13978-4904292945
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商品の説明
著者について
【著者プロフィール】
鳥羽和久(とば・かずひさ)
1976年福岡県生まれ。学位は文学修士(日本文学・精神分析)。 大学院在学中に中学生40名を集めて学習塾を開業。
現在は、株式会社寺子屋ネット福岡代表取締役、唐人町寺子屋塾長、及び単位制高校「航空高校唐人町」校長として、小中高生(160名)の学習指導に携わる。
教室の1Fには書店「とらきつね」があり、主催する各種イベントの企画や運営、独自商品の開発等を行う。
著書に『親子の手帖』(鳥影社)など。
http://tojinmachiterakoya.com/torakitune.html
登録情報
- 出版社 : ナナロク社 (2020/6/20)
- 発売日 : 2020/6/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 269ページ
- ISBN-10 : 4904292944
- ISBN-13 : 978-4904292945
- 寸法 : 13.3 x 19 x 18.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 156,946位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 8,154位人文・思想の教育学
- カスタマーレビュー:
著者について
1976年、福岡県生まれ。専門は日本文学・精神分析。
大学院在学中に中学生40名を集めて学習塾を開業。
現在、㈱寺子屋ネット福岡代表取締役、唐人町寺子屋塾長、及び日本航空高校唐人町校校長。
教室で150名超の小中高の生徒を指導する傍ら、
とらきつね(本と文具・食品)の運営や各種イベントの企画、独自商品の開発などに携わる。
著書に『君は君の人生の主役になれ』(筑摩書房)、『親子の手帖 増補版』(鳥影社)、『おやときどきこども』(ナナロク社)、『「推し」の文化論』(晶文社)など。
連載に大和書房「僕らはこうして大人になった」、西日本新聞「こども歳時記」、筑摩書房「十代を生き延びる 安心な僕らのレジスタンス」、晶文社「旅をしても僕はそのまま」など。
教育や現代カルチャーに関する講座、講演も多数(NHKカルチャー「推しの文化論」など)。
朝日新聞EduA相談員。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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あと学校の先生にも読んでほしい。
この本に出てくるダメな親代表みたいな私だけど最後には優しく抱きしめてくれる先生の言葉
救われました。
一生大切にします。ありがとうございます。
塾の面談だからそういう話になるのは自然なのだろうが、そもそも親が子どもに「勉強しなさい」と言うことがどういう意味を持つのか、私は考える。
小学生なら、勉強の習慣をつけるのはしつけの1つかもしれないので、まだ理解できる。しかし中3や高校生に対して「勉強しなさい」と言うことは、本当に子どものためになるのだろうか。
勉強しないで困るのは親ではない。受験に失敗したり学校で落第すれば、困るのは子どもだ。失敗して困って、そこから学ぶのも大切な勉強だ。そういう勉強の機会を奪っていないだろうか。
今は学費さえ払えれば、誰でもどこかの高校や大学に進学できる。受験に失敗したからといって先が閉ざされるわけではない。浪人だってできる。学校で留年したからといって人生がこわれるわけでもない。むしろおとなになってからの失敗の方が、よほど生活や命の危険に関わり得る。それならば大けがにならないうちに「失敗の経験」をしておいた方がいいのではないか。
子どもにとって一番大切なことは、自分の生き方を自分で決め、その生き方で歩いていくための力をつけることだ。勉強はそのための手段にすぎない。
私は今の受験体制がいいとは思わないが、もし高校受験や大学受験を前向きに解釈するなら、「自分の生き方を決めて勝負する練習」として考えるしかないと思う。生徒にもいつもそう話している。自分がどんな高校(大学、社会人)生活を送りたいかを考え、自分にあった志望校を決め、合格するための計画を立てて勉強し、計画がうまく回らなければその都度修正し、途中の苦労やしんどさをしっかり経験しながらのりこえ、最後に自分がつくってきた力で「勝負」し、どんな結果になってもそれを人のせいにしないで自分で受け入れる。そういう経験ができた生徒は、入試の結果がどうであろうと、おとなになるための大切な勉強ができたと思うし、後悔せずに次の場所ですごせるだろう。
私の知っている多くの受験生は、程度の差はあれそういう経験をして卒業していく。そういうときに親や教師(講師)が「勉強しなさい」と言う必要は、基本的にはない。私も塾や学校の生徒に対して、勉強の具体的な指示は出すけれど、勉強しない子どもを叱ることはない。
まわりのおとながするべきことは、子どもが自分の生き方(進路を選ぶ基準や価値観、と言ってもいい)をつくる手助けをし、子どもが現実にあたってもがくのを見守り、子どもが悩んでいたら話を聞き、子どもが望むのなら援助をし(例えば塾に行かせる)、さぼりたくなる子どもを勇気づけることだ。
親は子どもの将来を案じて「勉強しなさい」と言うのかもしれない。たしかに今でもこの国では学歴がパスポートになる。しかしそもそもそういう考え方自体が、学歴差別を容認し助長していることを、少なくない子どもは直感的に感じる。そこで反発して勉強をやめてしまう子も、逆に親に「洗脳」されてできるだけラクに学歴だけを手に入れたいと考える子もいる。私はそれが正常なあり方だとは思わない。
受験勉強が生きるための役に立つとは、言い切れない。入試はどんな建前であろうと、結果的には社会に都合のいい人間を選別する手段である。また多くの入試は採点側の利便を図るためにつくられていて、子どもの学力のごく一面を測るものでしかない。そして入試のために学校や塾で行われる膨大な勉強は、そういう試験で合格点をとるためにある。勉強は本来面白いものだから、そのような歪んだ勉強にでも魅力を感じる子どもはいる。しかし大多数の生徒は、勉強の本来の面白さから引き離されるために勉強しているようなものだ。
勉強しない子どもの背景には、そういう面もある。そのような背景を見ないで子どもに「勉強しなさい」と言っても、子どもは親を味方とは見なさないだろう。
そもそも中高生は思春期であって、親の生き方を客観視し相対化し、親とは違う自分の生き方を考え始める時期だ。おとなになる途中の子どもは散々迷うし悩むし、親に反発することもある。そういう子どもに対する親のあり方は、何かを命令したり押しつけるのではなく、もっと言えば子どもを「わかる」ことでもなく、子どもがおとなになれるように自立を助けることしかない。
たしか斎藤学(精神科医)の本で、「子どもが中学を卒業したら『これからはあなたは居候だから。自分のことは自分で背負いなさい。早く自立してここを出ていけるようになりなさい』と言うべきだ」、というような文章を読んだことがある。この文章は、彼が共依存からくるさまざまなトラブルに対していたことと無関係ではない。自立できない子どもとその親がどんな運命をたどっていくかは、程度の差はあれさまざまな実例が目の前にある。
私は親ではないから、これだけ突き放した書き方ができるのかもしれない。実際に子どもを育ててきた親にとって、子離れはそれなりに大変な作業だろう。ならば親でないおとな(教師や講師)のできることは、親の子離れを手助けすることではないだろうか。
塾や学校のスタッフのするべきことは、学習指導はもちろんだが、子どもがおとなになっていくための手助けであり、そのために親の過剰な介入から子どもを守ることではないかと思う。
もう随分昔になるけれど、私が塾で中高生の三者面談をするときは、事前に生徒と打ち合わせをしていた。
「行きたい高校(大学)とその理由を自分で決めなさい。面談の時にその理由を親の前で堂々と話して、親を納得させなさい。俺は味方になるけど、君が親に説き伏せられたら君の負けだから、親の言うことを聞きなさい」
志望校を自分で決められない受験生は、合格するための意思が薄いという意味で致命的に不利だ。そして先に書いたように、自分の生き方を自分で決めることは、受験勉強より大切な人生の一歩だ。中3なら自分の行きたい高校を考えることくらいできる。おとながするべきなのは、子どもがどれだけ本気なのかを試すことだ。どの高校(大学)に行けば人生がうまくいくかなんて誰にもわからないのだから、後悔しないためには本人が本気で決めるしかない。そして本気で決めて努力しなければ、受験勉強には意味などなくなってしまう。
私は今でも、高校生にはそう話す。しかしそれでも「やりたいことが見つからない。どの大学に行けばいいかわからない」という高校生はたくさんいる。そういう高校生は、本当は一度就職すればいいと思う。将来に希望を見いだせないのは、今のこの国のあり方にも原因があるが、高校生が現実から切り離されているからだ。働くことの意味、お金を稼ぐことの重みがわかったら、受験に対する考え方も変わるだろう。そもそも大学とは勉強したい人が行く場所なので、勉強する気がない人が来たら現場が迷惑するだけだ(今でももう十分迷惑している)。
要するに今の日本の教育は、いくつかの理由で歪んでいる。その1つは学歴差別を土台にした入試制度だ。学校や塾で子どもと向き合う人間は、そのことを意識しなければならないと思う。自分たちがなにがしか差別を助長しているという加害意識がないと、子どものためにと思いながら子どもや誰かを傷つけることになる。
そして勉強が面白くないことと、教育が歪んでいることもつながっている。おとなが子どもの幸せを願うのなら、子どもに勉強しろと言う前に、その勉強がどうあるべきか、本当に子どもの役に立つ勉強とは何かを問い直し、そのような勉強が塾や学校でできるように、行政を変えていくべきだ。そういう視点なしに、おとなが本当に子どもを愛せるとは、私は思わない。できないことの方が多いだろうが、自分たちの置かれた状況を歴史的に見つめ直すだけでも、少しは子どものためになるだろう。
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この本の内容は、正直私にはよくわからない。
筆者が子どもや親に対して誠実であろうとしているのはよくよくわかるのだけど、そこから先が私には読解できない。
私は講師や教師が、親の生き方そのものに踏み込むことにはあまり賛成できない。たとえば私ができるのは、子どもに対してなら「おとなになりなさい。そのためにステップを踏んでいきなさい」親に対しては「子どもがおとなになれるように見守ってあげてください」と言うことだけだ。教育の目標は子どもがおとなとして自立していくことだと私は考える。ここで一致できなければ、親と協力することはできない。
親子の関係だけに限定して言えば、それは完全に家庭の問題であって、第3者はよほどのことがない限り介入できない。1食くらい抜いても死なないし、どれだけ叱ってもそれが親の本気なら否定はできない。それは介入がよくないのではなく、専門家でない人間に家庭内の問題を解決する能力などないという意味だ。
どうしても親が子どもの自立を妨害するとき(それはまれではない)、私は子どもに「とにかく早く自立しよう。そのために作戦を立ててやってみよう」と話す。私自身、親元をどうしても離れたくて、そのために受験勉強をのりきった。一人暮らしが自立ではないけれど、現実問題として親と距離をとるしかない場合も多い。
おそらく筆者と私が最も違うのは、筆者が親を信頼していることだ。そうできる人もいるだろうし、私が未熟なだけかもしれないので、どちらが正しいとか判断はできない。
しかし私は、親でありながら親としてのつとめを果たさない(果たせない)人を何人も知っている。そういう人たちの人生の背景を勉強する機会を持ち、私自身にもそういう要素があるので書くが、「無理にまともな親をする必要はない」のだ。
できないことを無理にしようとするからトラブルが起こるので、親は親の人生とだけ向き合うことがあってもいいのだ。子どもを愛する力がないのなら、社会の力を借りてもいい。共依存で子どもを「愛し殺し」かけたら、子どもを誰かに預けて治療に専念してもいい。
そこまで言わなくても、親が親自身の問題で苦しむのなら、一番重要なのはそれを子どもにまき散らさないことだ。親がしんどいのなら、子どもから一歩距離を置いて、自分のしんどさと向き合うしかない。私はその時に子どもと向き合うことには反対だ。親の問題は親自身が解決するべきなのだ。それを子どもにぶつけることが、多くの場合親子の問題の根幹になっているように感じられるが、そのときは子どもは「避難」するしかないと思う。
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私はむしろ、筆者に聞こえてくる子どもの声や思いをもっとたくさん読みたい。
塾に通う生徒にとって、筆者の存在は人生の中でも大きいものになっているだろう。これだけの労力を使い続けて子どもに貢献している人は少ない。それは子どもも十分感じているだろう。
もちろんこの本の中にも(元)子どもの声はたくさん書かれているが、塾の中で子どもが見せる感情やあり方は、もっと多様なものだろう。私はそういう、学校でも家庭でもない場所での子どもの姿や思いをたくさん読みたい。
私も一応同業なので、学校と塾と家庭で子どもがそれぞれ違う顔を見せていることは知っている。しかし子どもに深くコミットするという点では私は筆者に遠く及ばないので、うらやましいしお手本にもしたい。子どもと深く信頼関係を持ったとき子どもがどんな顔を見せるか、それは教育現場にいる人間にとって最大のヒントになるからだ。
久々に、良い子育て(親育て)本に出会えたと思います。
1ページめくるとぐんぐん引き込まれ、あっという間に読破してしまいました。
柔らかそうな装丁、語り口に反し、なかなか哲学的な本で、読み応えがあります。センセーショナルな子育て本、方法論だけ述べてある本などに右往左往している方は、この本を一読してみることをオススメします。
体験など述べてはあるものの、これが正解!といったことが示されているわけではありません。しかし、著者の考え方、感覚のようなものは述べられており、私には共感できるものでした。
ただ、最後の方になるにつれ、抽象的になりすぎて、果たしてどういった読者層を対象としているのか疑問に思いましたが…遊びと企て、156ページ4行目は、ん?と読み返しました。(笑)
こういうことかと片付けがちなところから、さらに洞察を深める方は初めてであり、初めて自分のモヤモヤに納得ができた内容もあります。洞察の深さについては、著者の育ちを読んで納得です。きっと内省的な方なのだろうと推察します。このような方が、机上でふわふわと考えるにとどまらず、地に足を着けて、現場で子どもに向き合っている、ということに救われる思いです。