表題についての答えは、何度も著者は書いている通り、その犯人を激しく憎むだろうし死刑判決が出なければ自分で殺したいと思うかもしれない、だ。
だけど、著者も含め、多くの人々は被害者遺族ではないし、第3者が遺族の気持ちを想うことと、恨みや憎悪を共有する事は絶対同じではない、想うことと一体化することは違うし、そもそも深い悲しみや絶望、守ってやれなかったと自分を責める罪の意識や底知れない虚無を共有して一体化などできない、被害者と加害者の人権も対立権利ではない。
本書は『経』でのコラム6年分を集めたものなので、殺刑に関してのみ書かれた本ではない。
殺刑について知りたければ、著者と賛成論者の藤井誠二の対談である『死刑のある国ニッポン』を読めば良い。
殺刑反対者と森をバッシングする者は、本書でも言及される福岡事件・御殿場事件などの冤罪には口をつぐむ。
叫びたし 寒満月の割れるほど
との冤罪のまま共犯者とされ、吊るされ、殺された西武雄の独房での句に何と答えれば良いのかと森は悩む。
俺も末端で舞鶴事件などを支援しているので言えるが、冤罪支援者も自分の市民としての業に気付き、悩みつつ支援している。
色々な犯罪の被害者とも会っているが、そのような場に、森を叩いているような人々はどれほど参加しているのだろうか?
韓国や中国・日本だけが、森が叩かれているような匿名掲示板的サイトが成立しているようだ。
欧米では、匿名の情報に価値を見出さないので、このようなサイトは殆ど定着しないらしい。
本書で取り上げられているのは、領土問題、在特会、動物愛護センターでの殺処分、イルカ漁と食肉について命が肉になるということ、タイガーマスク騒動やタマちゃんでの善意の陶酔、ハンセン病療養所、『3・11』撮影とフクイチ、ウサマ=ビンラディンを裁判にかけず殺す事で真相解明できなくなった、改憲、スリッパの底面と履く面を重ね合わす馴致、印章文化、オウム、共和国(北朝鮮)、モアイ、原発などなど。
特に、オウムや連合赤軍、ナチス、共和国コメントでの目上の人や肩書きに対してほぼ必ずつける「ニム(さま)」を『首領さま』の時だけ過大に訳し、「偉大なる首領さま」とし、それがハングル話者にも分からないようにボイス・オーバー(吹き替え)する、主体思想にマインドコントロールされているとの文脈が成り立つならば、こちらは資本主義や民主主義に(洗脳)されているとの文脈も成り立つ、そうではなく、どちらのマインドコントロールがより多くの人を傷つけず、幸せにするかを考える事が大切、などを使って、中枢の意思を過剰に忖度する周辺、その周辺の意思を過剰に忖度する中枢、大勢の時には善意による止められない暴走を書く。
渾身の作で、その後1年も他の本を上梓できなかった『A3』に書かれた内容が知ってもらえない話や後述するノルウェーの刑事司法や人々の穏やかさについて、森が悩みを吐露している文章も叩かれる要素なのだろう。
それが、脊髄反射的にでも断言してしまう私にとっては、精神安定薬にもなっているし、『撫順の奇蹟を受け継ぐ会』のシンポジウムでの絵鳩毅氏による、自身が半狂乱になって少年の中国人捕虜を突き殺し、シベリアのラーゲリ(収容所)での取り調べで、「大隊長の命令だったのだから自分に責任はないと考えていた。だからこそ平気で話すことができました。」という、アイヒマンと被る話や、「もしも同じような状況になったらどうするか」との会場からの質問への「私はまた、同じようにするでしょう。 皆さんもそうです。 それが戦争です。」と、辛く苦しそうに振り絞った回答に、悩まない人はいないのではないか?
森が悩んだノルウェーの刑事司法について触れる。
刑罰の最高刑が禁固21年で、法務官僚は、「(厳罰化が進まないのは)犯罪者に与えるべきは苦しみではない、良好な環境と愛情、そして正しい教育だ。 サイコパスに罰を与えても意味はない。 治療しなければならない。」、「(出所後に住まいや仕事が提供される事について)社会の一員として再び迎え入れることが大切で、国民はそれをわかっている。」、「70年代前半までは今より治安が悪く、厳罰が当たり前だったが、ニルス=クリスティ(犯罪学者)の提言で、刑事罰を寛容化したら、治安がよくなり、それを繰り返した。 理念や理想だけでなく、実際に利があったので、寛容化を選択した。」としている。
クリスティーも刑務所内を歩く森に「世界中の刑務所を視察したが、モンスターに会った事が1度もないので、いたら教えてくれ。」と言う。
修復的司法も進んでいて、裁判前には、一般市民立会いの下に加害者・被害者・遺族が話し合い、和解を模索する対立調停委員会もある。
11年にオスロでテロが起きた時、世論は変わるかと思ったが、被害者も遺族も政治家も首相も「暴力が勝利してはならない。 不安や憎しみ、怒りに盲目になってはならない。 それこそが彼らの望む事だから。」、「テロに対する報復として、民主主義を強化する。」と、厳罰や死刑復活でなく、民主主義と人道主義の推進を望み、なぜこのような犯行に至ったのかの研究が始まった。
勿論、怒りはなかったわけではない。
イスラム過激派の犯行と推測された時期には、肌が黒いというだけで罵声を浴びせられた人たちもいたし、加害者の初出廷の際には、多数の人がオスロ地裁に集まり、怒りを見せずには気がすまないという雰囲気が満ち満ちていた。
だからこそ首相はメッセージを発し、イスラム系の人々とモスクで、「多様性は花開く」と語った。
殺戮現場に加害者の母親が花を捧げに来た際も、遺族たちは静かにそれを見守り、新聞のインタビューを受け、静かに去った。
加害者が何を考えていたかもあげておく。
ネット上の1500ページの「マニュフェスト」には、学ぶべき国として多文化主義を取っておらず、イスラム系移民が少ない日本を高く評価し、会ってみたい人物の一人として麻生元首相の名前も挙げていた。
もう一つ笑い話として、07年12月8日バーレーンの首都マナマでの安全保障に関する国際会議の席上での「イランを批判するアメリカは、なぜ同じように核兵器を持つイスラエルを批判しないのか?」に対するゲーツ国防長官の「イスラエルはテロリストを養成していないし、周辺国を転覆しようとしたこともない。」との失笑を呼んだ回答もあげておく。
日本国憲法公布の約4ヶ月前である46年6月28日。
衆院本会議で野坂参三は、憲法草案の9条を示しながら、「侵略の戦争は正しくないが、侵略された国が自国を守るための戦争は正しい」との趣旨で質問し、これに対して吉田茂首相は、「近年の戦争の多くが国家防衛権の名において行われたことは顕著なる事実であり、正当防衛や国家の防衛権による戦争を認めるということは、戦争を誘発する有害な考えである」と一蹴した。
記録ではこのときの吉田の答弁に、議事堂では与野党の議員から大きな拍手が響いたという。
かつて、日本の国会でもこのような政府答弁がなされていたのだ・・・
訂正:この島で最も見晴らしのよい小高い丘(中略)丘の上には石を積み上げた慰霊碑「風の舞」が建立されている。(中略)青松園の収容者たちの骨の一部は、この「風の舞」に納められる。(P107〜8)について。
小高い丘にあるのは、納骨堂。
「風の舞」は、海岸沿いの火葬場の隣にあり、納骨堂の骨壷収容以外の骨が納められる。
つまり、骨壷よりも「風の舞」の方が大部分となる。
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「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい―――正義という共同幻想がもたらす本当の危機 Luggage – 2013/8/23
森 達也
(著)
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購入オプションとあわせ買い
「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」
「被害者遺族の気持ちを考えたことがあるのか」
「自分の身内が殺されてから言え」
今、この国ではこんな叫び声があちこちから聞こえてくる。
でも、そう叫んでいる人たちは、本当に被害者遺族の気持ちがわかると言えるのか?
本当にその気持ちを共有していると胸を張れるのか?
もし、そう言い切れるのなら、それこそ不遜だと思う。
被害者遺族の思いを想像することは大切だ。
でも、もっと大切なことは、自分の想像など遺族の思いには絶対に及ばないと気づくことだ。
被害者遺族の深い悲しみや絶望、自分を責める罪の意識や底知れない虚無。
これを当事者でもない者がリアルに共有することなどできない。
「被害者遺族の気持ちを考えたことがあるのか」と叫ぶ人たちは、
恨みや憎悪などの応報感情だけを共有しながら、一体化したかのような錯覚に陥っているだけだ。
そうした叫び声を上げる人たちを突き動かすのは、「自分たちは正義だ」という善意だ。
だから、そこには何のためらいも躊躇もない。
だって自分たちは「正義」なのだから。
だからこそ、そうした意識が集合体となり、「この社会を脅かすものを駆逐しなければならない」という民意が形成される。
その結果、この国では厳罰化が進み、さらには中国、韓国を仮想敵国とする強い自衛意識が生まれている。
「正義」という名の共同幻想を駆動力にしながら、加速度的に集団化が進んでいる。
危機を叫ぶメディアや政治家に煽られながら、社会の異物や仮想敵を探し続けている。
韓国、中国との関係が悪化する中、参院選では改憲を唱える自民党が圧勝した。
この国は今、どこへ向かおうとしているのか。
取り返しのつかない事態を避けるため、今何ができるのか。
「被害者遺族の気持ちを考えたことがあるのか」
「自分の身内が殺されてから言え」
今、この国ではこんな叫び声があちこちから聞こえてくる。
でも、そう叫んでいる人たちは、本当に被害者遺族の気持ちがわかると言えるのか?
本当にその気持ちを共有していると胸を張れるのか?
もし、そう言い切れるのなら、それこそ不遜だと思う。
被害者遺族の思いを想像することは大切だ。
でも、もっと大切なことは、自分の想像など遺族の思いには絶対に及ばないと気づくことだ。
被害者遺族の深い悲しみや絶望、自分を責める罪の意識や底知れない虚無。
これを当事者でもない者がリアルに共有することなどできない。
「被害者遺族の気持ちを考えたことがあるのか」と叫ぶ人たちは、
恨みや憎悪などの応報感情だけを共有しながら、一体化したかのような錯覚に陥っているだけだ。
そうした叫び声を上げる人たちを突き動かすのは、「自分たちは正義だ」という善意だ。
だから、そこには何のためらいも躊躇もない。
だって自分たちは「正義」なのだから。
だからこそ、そうした意識が集合体となり、「この社会を脅かすものを駆逐しなければならない」という民意が形成される。
その結果、この国では厳罰化が進み、さらには中国、韓国を仮想敵国とする強い自衛意識が生まれている。
「正義」という名の共同幻想を駆動力にしながら、加速度的に集団化が進んでいる。
危機を叫ぶメディアや政治家に煽られながら、社会の異物や仮想敵を探し続けている。
韓国、中国との関係が悪化する中、参院選では改憲を唱える自民党が圧勝した。
この国は今、どこへ向かおうとしているのか。
取り返しのつかない事態を避けるため、今何ができるのか。
- 本の長さ384ページ
- 言語日本語
- 出版社ダイヤモンド社
- 発売日2013/8/23
- 寸法27.94 x 83.82 x 60.96 cm
- ISBN-104478006830
- ISBN-13978-4478006832
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商品の説明
著者について
映画監督、作家。
1956年、広島県呉市生まれ。テレビ・ドキュメンタリー作品を多く制作。
98年、オウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタリー映画「A」を公開、ベルリン映画祭に正式招待され、海外でも高い評価を受ける。
2001年、映画「A2」を公開し、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞する。
11年、『A3』(集英社インターナショナル)で講談社ノンフィクション賞を受賞。
現在は映像・活字双方から独自の世界を構築している。明治大学情報コミュニケーション学部特任教授。
著書に『オカルト』(角川書店)、『虚実亭日乗』(紀伊國屋書店)、『A3』(集英社文庫)、『死刑』(角川文庫)、『東京番外地』(新潮文庫)、『ぼくの歌・みんなの歌』(講談社)など多数。
1956年、広島県呉市生まれ。テレビ・ドキュメンタリー作品を多く制作。
98年、オウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタリー映画「A」を公開、ベルリン映画祭に正式招待され、海外でも高い評価を受ける。
2001年、映画「A2」を公開し、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞する。
11年、『A3』(集英社インターナショナル)で講談社ノンフィクション賞を受賞。
現在は映像・活字双方から独自の世界を構築している。明治大学情報コミュニケーション学部特任教授。
著書に『オカルト』(角川書店)、『虚実亭日乗』(紀伊國屋書店)、『A3』(集英社文庫)、『死刑』(角川文庫)、『東京番外地』(新潮文庫)、『ぼくの歌・みんなの歌』(講談社)など多数。
登録情報
- 出版社 : ダイヤモンド社 (2013/8/23)
- 発売日 : 2013/8/23
- 言語 : 日本語
- Luggage : 384ページ
- ISBN-10 : 4478006830
- ISBN-13 : 978-4478006832
- 寸法 : 27.94 x 83.82 x 60.96 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 470,565位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,959位コミュニティ (本)
- - 81,929位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
広島県生まれ。映画監督、作家。1998年にドキュメンタリー映画『A』を発表。2001年、続編の『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『極私的メディア論』(ISBN-10:4904795075)が刊行された当時に掲載されていたものです)
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年11月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新聞に書評入りで紹介されていたので、書評を読むことなく、タイトルだけで購入してしまいました。
私は、このタイトルで1冊の本ができているものと思い込み、読み始めて唖然としました。
最初の思いは、「編集者に騙された」の一言です。
380頁中、このタイトルで書かれているのは、6頁だけです。
短編集でもよく使われる手法なのですが、タイトルを2作目に持ってきています。
この本は、雑誌に載せたコラムを6年間分まとめただけのものですが、
著者の意見の8割以上は、納得のいくものでした。
この本を読んで、初めて著者の存在を知りましたが、
今まで私が見落としていたのか、記憶には残っていませんでした。
森氏は、ドキュメンタリー映画の監督であって、この本だけでは作家とは認められません。
かといって、他の著作を読みたいとは思いませんが、今後は、コメンテイターとして
マスコミに登場することもあるでしょうから、注目していきたいと思っています。
私は、このタイトルで1冊の本ができているものと思い込み、読み始めて唖然としました。
最初の思いは、「編集者に騙された」の一言です。
380頁中、このタイトルで書かれているのは、6頁だけです。
短編集でもよく使われる手法なのですが、タイトルを2作目に持ってきています。
この本は、雑誌に載せたコラムを6年間分まとめただけのものですが、
著者の意見の8割以上は、納得のいくものでした。
この本を読んで、初めて著者の存在を知りましたが、
今まで私が見落としていたのか、記憶には残っていませんでした。
森氏は、ドキュメンタリー映画の監督であって、この本だけでは作家とは認められません。
かといって、他の著作を読みたいとは思いませんが、今後は、コメンテイターとして
マスコミに登場することもあるでしょうから、注目していきたいと思っています。
2021年4月17日に日本でレビュー済み
「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい
というタイトルに惹かれて読みました。
たしかに、ステレオタイプでこういう反論をする人がいるものです。しかし、そんなことを言うのなら、
「あなたの子どもや、親が、だれかを殺しても同じことが言えるのか」
と問いたいものです。
というタイトルに惹かれて読みました。
たしかに、ステレオタイプでこういう反論をする人がいるものです。しかし、そんなことを言うのなら、
「あなたの子どもや、親が、だれかを殺しても同じことが言えるのか」
と問いたいものです。
2015年6月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
真実という情報は、政治的に権力を持つ者によって都合の良いようにいとも簡単に操作がなされる事に我々は無頓着になりすぎている。 その事に対する警鐘の書である。
2015年7月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
よみやすく、ひとつひとつ頷けることばかり。いろいろ考えさせられました。是非お勧めしたいです。
2013年10月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分は、現状に於いて死刑制度は維持すべきだと思っているし
隣国につけこまれないよう防衛力や交渉力を強化しなければならないという考えを持っているが
最近、感じる「気持ち悪さ」について森氏も同じように感じて
それを共同幻想論の観点から平易な文章で書かれているということに興味を持って読んでみた。
著者の本は初めて読んでみたのだが、考えることが大切なのだという感想を持った。
深く考えず、物事を多面的に見ること無く、分かりやすい大きな文字だけを
自分に都合良く解釈し、無責任に他人を誹謗する人は、読んでも分からないだろうから
読まぬ方が良い。
異なる考えを持つ人にこそおすすめしたい。
隣国につけこまれないよう防衛力や交渉力を強化しなければならないという考えを持っているが
最近、感じる「気持ち悪さ」について森氏も同じように感じて
それを共同幻想論の観点から平易な文章で書かれているということに興味を持って読んでみた。
著者の本は初めて読んでみたのだが、考えることが大切なのだという感想を持った。
深く考えず、物事を多面的に見ること無く、分かりやすい大きな文字だけを
自分に都合良く解釈し、無責任に他人を誹謗する人は、読んでも分からないだろうから
読まぬ方が良い。
異なる考えを持つ人にこそおすすめしたい。
2014年2月8日に日本でレビュー済み
「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に「あなたは被害者遺族ではない」などという印象的な表現で「ちょっと待て,少し考えてみろ」と呼びかける森氏の姿勢は貴重なものだと考える。関係者の心情や境遇は尊重されるべきものではあるが,すべてではない。社会全体としての冷静な判断を欠いては大きな間違いを招きかねない。
しかし,読んでいくうちに辟易となる。氏には確かに独創性があり,ある程度の論理的な思考力と人を動かす表現力を持っていると思うが,チープな志が透けて見えるのだ。論理展開と関係なく論争相手の極端な言動など(ネット上の言葉や「ヒステリックに激昂」との決めつけ)をとりだして貶めることにどんな意味があるのだろうか。何か,うまいことを言って受けたい,味方を集めたい,論争相手に勝ちたいという,つまらない志が透けて見える。
もっともがっかりしたのは「タイガーマスク運動」などの善意に対して「違和感」「薄気味悪い」などと否定的な表現を行ったことだ。そのようなことは,社会的に影響力がある人間が言うべきことではないこともわからないくらい氏は「甘やかされた子ども」なのだろうか。ランドセル寄付を受ける子どもと対比してアフリカの子どもを出すくだりでは,「あなたは飢餓に苦しむ子どもではない」と突っ込みたくなる。
しかし,読んでいくうちに辟易となる。氏には確かに独創性があり,ある程度の論理的な思考力と人を動かす表現力を持っていると思うが,チープな志が透けて見えるのだ。論理展開と関係なく論争相手の極端な言動など(ネット上の言葉や「ヒステリックに激昂」との決めつけ)をとりだして貶めることにどんな意味があるのだろうか。何か,うまいことを言って受けたい,味方を集めたい,論争相手に勝ちたいという,つまらない志が透けて見える。
もっともがっかりしたのは「タイガーマスク運動」などの善意に対して「違和感」「薄気味悪い」などと否定的な表現を行ったことだ。そのようなことは,社会的に影響力がある人間が言うべきことではないこともわからないくらい氏は「甘やかされた子ども」なのだろうか。ランドセル寄付を受ける子どもと対比してアフリカの子どもを出すくだりでは,「あなたは飢餓に苦しむ子どもではない」と突っ込みたくなる。
2014年10月24日に日本でレビュー済み
「自分の子供を殺されても同じことが言えるのか?」と説く人に対し、
著者はこう言う。
「あなたは遺族ではない。当事者ではないのだから口出しすべきでない」
しかし、この世には同情や共感を含む感情は本当に不要だろうか。
著者が言うことをこの世の他の事例に当てはめれば、つまりこうなる
「格差社会を正せと主張するからには、自分が貧困層でなければならない。」
「女性の人権を守れと主張するからには、自分が女性でなければならない。」
「黒人差別をなくせと主張するからには、自分が黒人でなければならない。」
果たして本当にそうなのだろうか。
「黒人差別される黒人には共感しても良いが、無差別殺人で遊び殺された子供の親には共感してはいけない」とでも言うのだろうか。
ところで、
死刑判決が下った時にテレビや新聞で遺族のインタビューが流れることが多いが、その際に遺族は何と言っているか…セリフに耳を傾けたことはあるだろうか。
答えは99%「然るべき判決が下されて本当に良かったと思います」である。
これで分かる通り、遺族は死刑判決を望んでいるのである。
後半ページでは
戦争反対、と著者は言う。
それならば私は問う。
「戦争で死んだ人の遺族には共感し、これからも戦争は繰り返してはならないが、
無差別殺人で遊び殺された子供の親には共感してはならない」と言うのか…?
この世は共感で成り立っている部分もあると私は思う。
当事者の気持ちになり、理不尽に対し共に怒ることも時には必要である。
私は戦争を知らない時代に生まれてきたが、
戦争の時代に生きた人々の悲しみや苦しみを想像し、共感するからこそ戦争に反対できるのではないのか。
共感も同情も、想像力もない世界で、どう戦争に反対するというのだろうか。
感情を完全に省いた客観性なんてものはこの世に存在しない。
冤罪が疑われる事件の再捜査だって、多くの第三者の署名によって実現することもある。
それを忘れてはならない。
なぜ死刑制度を支持する人が多いのか、もう少し考えてから書いたほうがいい。
もしもこの世に無罪と死刑しかないというのなら、この著者の言い分は正しいかもしれない
しかし、この日本には無罪もあれば懲役10年もある。無期懲役もある。少年法もある。
多段階でいくらでも量刑を調節できる画期的なシステムが備わっている。
優しすぎるくらいだ。
そして、このシステムを取り入れている我が国の治安は決して悪い方には向かっていない。
日本は全世界で6番目に殺人の少ないで国である。
十分な結果が出ていると言える。現状維持が正解ということだ。
よってこの本は、著者の過剰な強迫観念が生み出したパラノイア本である。
「警鐘」などと言ったところで、正論が言えていなければただのノイズである。
私のような小市民にツッコミを言われているような未熟な著者が書く文章など間に受けてはなりません。
目立ってる人が愚かな文章を書くと、同じ主張をする人全員が間違っていると思われることは不可避です。
著者はこう言う。
「あなたは遺族ではない。当事者ではないのだから口出しすべきでない」
しかし、この世には同情や共感を含む感情は本当に不要だろうか。
著者が言うことをこの世の他の事例に当てはめれば、つまりこうなる
「格差社会を正せと主張するからには、自分が貧困層でなければならない。」
「女性の人権を守れと主張するからには、自分が女性でなければならない。」
「黒人差別をなくせと主張するからには、自分が黒人でなければならない。」
果たして本当にそうなのだろうか。
「黒人差別される黒人には共感しても良いが、無差別殺人で遊び殺された子供の親には共感してはいけない」とでも言うのだろうか。
ところで、
死刑判決が下った時にテレビや新聞で遺族のインタビューが流れることが多いが、その際に遺族は何と言っているか…セリフに耳を傾けたことはあるだろうか。
答えは99%「然るべき判決が下されて本当に良かったと思います」である。
これで分かる通り、遺族は死刑判決を望んでいるのである。
後半ページでは
戦争反対、と著者は言う。
それならば私は問う。
「戦争で死んだ人の遺族には共感し、これからも戦争は繰り返してはならないが、
無差別殺人で遊び殺された子供の親には共感してはならない」と言うのか…?
この世は共感で成り立っている部分もあると私は思う。
当事者の気持ちになり、理不尽に対し共に怒ることも時には必要である。
私は戦争を知らない時代に生まれてきたが、
戦争の時代に生きた人々の悲しみや苦しみを想像し、共感するからこそ戦争に反対できるのではないのか。
共感も同情も、想像力もない世界で、どう戦争に反対するというのだろうか。
感情を完全に省いた客観性なんてものはこの世に存在しない。
冤罪が疑われる事件の再捜査だって、多くの第三者の署名によって実現することもある。
それを忘れてはならない。
なぜ死刑制度を支持する人が多いのか、もう少し考えてから書いたほうがいい。
もしもこの世に無罪と死刑しかないというのなら、この著者の言い分は正しいかもしれない
しかし、この日本には無罪もあれば懲役10年もある。無期懲役もある。少年法もある。
多段階でいくらでも量刑を調節できる画期的なシステムが備わっている。
優しすぎるくらいだ。
そして、このシステムを取り入れている我が国の治安は決して悪い方には向かっていない。
日本は全世界で6番目に殺人の少ないで国である。
十分な結果が出ていると言える。現状維持が正解ということだ。
よってこの本は、著者の過剰な強迫観念が生み出したパラノイア本である。
「警鐘」などと言ったところで、正論が言えていなければただのノイズである。
私のような小市民にツッコミを言われているような未熟な著者が書く文章など間に受けてはなりません。
目立ってる人が愚かな文章を書くと、同じ主張をする人全員が間違っていると思われることは不可避です。