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万物の黎明 人類史を根本からくつがえす (翻訳) 単行本(ソフトカバー) – 2023/9/21
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『負債論』『ブルシット・ジョブ』のグレーバーの遺作、ついに邦訳。
「ニューヨーク・タイムズ」ベストセラー。
考古学、人類学の画期的な研究成果に基づく新・真・世界史!
私たちの祖先は、自由で平等な無邪気な存在(byルソー)か、凶暴で戦争好きな存在(byホッブズ)として扱われてきた。そして文明とは、本来の自由を犠牲にする(byルソー)か、あるいは人間の卑しい本能を手なずける(byホッブズ)ことによってのみ達成されると教えられてきた。実はこのような言説は、18世紀、アメリカ大陸の先住民の観察者や知識人たちによる、ヨーロッパ社会への強力な批判に対するバックラッシュとして初めて登場したものなのである。
人類の歴史は、これまで語られてきたものと異なり、遊び心と希望に満ちた可能性に溢れていた。
「ニューヨーク・タイムズ」ベストセラー。
考古学、人類学の画期的な研究成果に基づく新・真・世界史!
私たちの祖先は、自由で平等な無邪気な存在(byルソー)か、凶暴で戦争好きな存在(byホッブズ)として扱われてきた。そして文明とは、本来の自由を犠牲にする(byルソー)か、あるいは人間の卑しい本能を手なずける(byホッブズ)ことによってのみ達成されると教えられてきた。実はこのような言説は、18世紀、アメリカ大陸の先住民の観察者や知識人たちによる、ヨーロッパ社会への強力な批判に対するバックラッシュとして初めて登場したものなのである。
人類の歴史は、これまで語られてきたものと異なり、遊び心と希望に満ちた可能性に溢れていた。
- 本の長さ708ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2023/9/21
- 寸法21 x 14.8 x 3.6 cm
- ISBN-104334100597
- ISBN-13978-4334100599
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対象商品: 万物の黎明 人類史を根本からくつがえす (翻訳)
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出版社より
登録情報
- 出版社 : 光文社 (2023/9/21)
- 発売日 : 2023/9/21
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 708ページ
- ISBN-10 : 4334100597
- ISBN-13 : 978-4334100599
- 寸法 : 21 x 14.8 x 3.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 2,143位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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- カスタマーレビュー:
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5 星
グレーバーは遺作も快作だった
なんせ大著(翻訳で本文593ページ)であり、脱線は多いし、扱う話題も多岐に渡るので要約は難しいのですが、「私は今、とんでもない本を読んでいるのではあるまいか」という気分が読み終わるまで続きました。いちばん簡単な要約は「この数十年間に発見された考古学資料から人類学者と考古学者の二人(のDavid)が、人類史を語りなおす」です。その過程で、ユヴァル・ハラリやジャレド・ダイアモンド、スティーブン・ピンカーなどの人気作家が描いてみせる「通説」を片端からひっくり返していく訳ですが、そうした作業の前に我々の人類史観というものが、ルソーの「人類は昔、少人数で幸福に暮らす採集民族だったが、農耕の開始とともに所有が始まり、国家が生まれて人類は不幸になった(実は「失楽園」物語の近代版)」というものか、ホッブスの「人類はもともと互いに争い合う状態だったのが、社会契約によって文明化して都市を築き国家を作った」というものか、どちらかに縛られており、そこから離れて人類史を見直そうという呼びかけから始まります。農耕以前から人類が大規模な集落を作っていたこと、農耕は私有財産の誕生とはなんの関係もなかったし、農耕で不平等が始まった訳でもないこと、階級がみられない都市遺跡も発掘されていることを二人のDavidは示し、南北アメリカ、西南アジア、ヨーロッパ、アフリカ(その他、日本の三内遺跡を含む世界各地)の考古学遺跡や文化人類学の民族誌を比較参照しながら、人類はありとあらゆる社会形態や政治形態を行ったり来たりし続けてきたのだと力説し、狩猟採集民→農耕の開始→都市と国家の発生といった従来の進歩史観(ルソーの場合は堕落史観)がまったく役に立たないことを描き続けます。この大著の中で繰り出される世界各地の考古学資料と民族誌は多岐に渡り、追いかけるだけでも大変なんですが(ほとんどランダムとも思えるほどに、地域や民族が飛び移っていきます)、そこに「アメリカ北東部原住民の情報が刺激になってヨーロッパ啓蒙主義が生まれた」みたいな物議を醸しそうな箇所もあって(実際、この本で一番批判された箇所らしいです)、なかなか一筋縄ではいきません。しかもこの箇所はとても面白く、第2章と第11章で語られる「原住民知識人」カンディアロンクの話だけでも一冊の本になります。そして「そもそも所有とは何なのか」、「自由とは何を意味するのか」「なにをもって平等/不平等というのか」みたいな議論も入ってきて、知の迷路に入り込んだ気分にもさせられます。人類は狩猟採集時代から平等主義で平和な社会もあれば、権威主義で暴力的な社会もあり、人々は様々な社会形態や政治形態を試行錯誤しながら行ったり来たりしながら(農耕も放棄したり、再開したりしながら)、あらゆる可能性を試し続けてきたのだというのが、著者たちの結論であり、我々もまだ実現していない社会の可能性について語ることが可能なのだというのが、この本の含意するところのようです。最後に陳腐ですが、これがデビッド・グレーバーの遺作になったことがつくづく残念です。共著者のウェングローによれば、「三冊以上の続編」が計画されていたとのこと。それらを我々が読む機会は永久に失われました。改めてご冥福をお祈りします。
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上位レビュー、対象国: 日本
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2024年5月3日に日本でレビュー済み
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有史以来の人類史を見直すキッカケを与えてくれた。
2024年5月8日に日本でレビュー済み
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とても面白い内容だった!
本書を通して私が感じたことは、生物として産まれながらに持っている【脳】は昔から非常に高度だったのだという当たり前の事実。
日本史で言うと、縄文時代や弥生時代から現代に向かって、文化や文明•統治機構は進化しているのではなく、縄文時代にすでに高度な仕組みがあった。
その仕組みは、【脳】を端に発するものなのだと感じた!とても刺激的であり、読んでみると、確かに当たり前だよなと感じる書籍である。
本書を通して私が感じたことは、生物として産まれながらに持っている【脳】は昔から非常に高度だったのだという当たり前の事実。
日本史で言うと、縄文時代や弥生時代から現代に向かって、文化や文明•統治機構は進化しているのではなく、縄文時代にすでに高度な仕組みがあった。
その仕組みは、【脳】を端に発するものなのだと感じた!とても刺激的であり、読んでみると、確かに当たり前だよなと感じる書籍である。
2024年2月4日に日本でレビュー済み
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始めから読み始めて10頁も行かず挫折。
次に目次を見て興味ある所から読み始めるもやはり続かず。
なにせ2段組で500ページを超える大著だから当然だが手強い。
しかしこれまでのステレオタイプな歴史観を変えるものとの事で
諦めずに挑戦していく。このレビューも諦めないぞとの気持ちで書いた。
読み終わったら追加報告します。
次に目次を見て興味ある所から読み始めるもやはり続かず。
なにせ2段組で500ページを超える大著だから当然だが手強い。
しかしこれまでのステレオタイプな歴史観を変えるものとの事で
諦めずに挑戦していく。このレビューも諦めないぞとの気持ちで書いた。
読み終わったら追加報告します。
2024年4月23日に日本でレビュー済み
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亡くなってしまったクレーバー先生だけれど、そのダイナミックな構想力と、日本の知識人に欠ける『ユマニスム』が、僕たちに生きる勇気をくれます、この終末に。
2024年1月7日に日本でレビュー済み
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備忘録。最近読んだ本。デビッド・グレーバー+デビッド・ウェングロー「万物の黎明 人類史を根本から覆す」。新刊。643ページ二段組、販売価格5500円の分厚い本書を年末から読みはじめた。約2週間かけて読了したものの、十分理解できた自信は到底ない。読み飛ばすことのできない面白さではあったが、文化人類学者グレーバーと考古学者ウェングローが10年以上かけたという本書には、詳細過ぎる事例や詩的表現(翻訳のためか)も多く、正直読み飛ばした部分もあるが、圧倒的パワーは十二分に伝わってきた。本書の内容をシンプルに言えば、次のようなことだ。
人類の「先史」については文字記録がないこともあり、様々に書かれてる。特に近年は、歴史学者YNハラリ「サピエンス全史」「ホモデウス」、進化心理学者Sピンカー「暴力の人類史」、進化生物学者ジャレドダイアモンド「昨日までの世界」「銃・病原菌・鉄」などが人気だ。こうしたいわば「ビッグヒストリー」に(僕自身を含め)心踊らされた読者も多く、ブームと言っても良いほどだ。しかしグレイバーらは、本当にそうなのか、根拠が薄いのではないかと厳しく批判する。そして、経済学者アダムスミスの「国富論」(1776)、政治学者ホッブズの「リヴァイアサン」(1651)、ルソー「人間不平等起源論」(1755)などの古典まで批判の射程は及ぶ。アダムスミスに対しては「商品貨幣説」(物々交換が携帯可能な貴金属が貨幣へと発展した)に対してグレーバーの前著「負債論」で文化人類学の知見を以て否定している。また「不平等の起源」についても、ホッブスが主張する「万人による万人との闘争状態」が、行政・国家といった機構により回避できるよう進化したという説(右派に好まれるという)、その対極のルソーの主張「かつて狩猟採集の民は上下なく平和に暮らしていたが、農耕牧畜による土地の囲い込み・土地私有・国家の領土争い、国民の社会的格差という不自由な状況が生れた」という説(左派に好まれるという)の両極またはその中間に人類の進化の歴史が位置づけられることが多いという。これらに対しても、それらの根拠の脆弱性について(つまり「物語」に過ぎないのではないかと)指摘する。
こうした「先史への理解」はそもそもなぜ形成されてきたのか。そしてその「物語」はエビデンスに基づいているのだろうか。ハラリ、ピンカー、ダイアモンド、アダムスミス、ルソー、ホッブスらは、人類学者でも考古学者でもなく、先史をピックアップした歴史のトピックと持ち前の想像力で描いたのである。その歴史観(物語)はそれぞれに違いがあるものの大方共通する。つまり、人類は言語を得て、バンドから部族、首長制へと拡大し、宗教により大集団を成す。こうして認知革命・農業革命・産業革命を経て都市や国家を形成し、近代においては革命や戦争を経て、自由・平等といった普遍的価値観を得る、そこで先行した西欧の価値観が全世界へと広がり、現在に至っているといった共通理解だ。しかし本当にそうだろうか。人類の発展の長い歴史の中で、様々なことが起こったはずだが、それを「たまたま」いま世界のイニシアチブを取ることに成功した西欧発の価値観・モノサシで、先史から現代までの時間の流れを「右肩上がりの進化・進歩」として見てるだけではないか。それは非西欧に対する西欧(北米まで拡大)の傲慢ではないのか。そうした「西欧からの視点による人類史」の正当性と正確性を問うているのだ。
そして現在世界で共有されようとしている人類の「ビッグヒストリー」に対して異議を唱え、それらが創造の産物に過ぎないことを、「その道のプロ」である文化人類学者グレーバーと考古学者ウェングローは、これでもかと言うほどの豊富な調査・文献により崩しにかかる(本書の半分以上はそうした具体的事実の記述に費やされている)。様々な非西欧の魅力的な事例が紹介されるが、特に印象深く読んだのは、米先住民の政治家カンディアロンクと、アメリカ大陸の植民地化を進めるフランス人ラオンタンとのやり取りだ。米先住民のカンディアロンクは知性と弁舌に優れ、先住民の価値観を言語化することに長け、その言葉は当時のフランス・欧州(欧州各国語に翻訳された)の知識層に強い影響を与えた。その一節を引用したい。
カンディアロンク「私は6年間、ヨーロッパ社会のありさまを考察してきましたが、彼らの行いが非人間的ではないとは、いまだいささかもおもえません。あなたがたが 「わたしのもの」と「あなたのもの」との区別に固執するかぎり、それに変わるところはない。そう心から考えています。 あなたがたがお金と呼ぶものは、悪魔のなかの悪魔、フランス人の暴君、諸悪の根源、魂の悩みの種、生者の処刑場である、こうわたしは断言します。お金の国に住みながら魂を生き長らえさせることができる、このような考えは、湖の底で命をらえさせることができるという考えとかわるところがありません。お金は、贅沢、淫乱、陰謀、策略、嘘、裏切り、不誠実の父であり、世界のあらゆる悪行の父なのです。 父は子を売り、夫は妻を売り、妻は夫を裏切り、弟は殺し合い、友人は偽り合う。 すべてはお金のためです。このようなありさまをみて、わたしたちウェンダットが銀にふれることもみることも拒否するのがただしくないとはたしていえるでしょうか」
ラオンタンらフランス人は、カンディアロンクに西欧文明の利点を説得しようとしたが、カンディアロングは「フランス人こそウェンダット(先住民の国)の生活様式を取り入れた方がはるかによいと反論したのである。米先住民のほとんどは実際に「個人の自律性と行動の自由を至上の価値として捉え、他者の意志に服従する可能性を最小化するよう生活を組織」していた。それは彼らの統治と自由のバランスに対する知恵の結晶だった。その視点からフランス社会を「本質的に分裂した奴隷たちの社会」と捉えていたのである。この18世紀の出来事がフランスと広く欧州の知識層に揺さぶりをかけた。しかしその反動として「社会進化論」という(ある意味で西欧文明を正当化する)社会の4段階説などが人類の普遍的進化論として急ぎ取り繕われ、カンディアロンクの言説は発展途上の取るに足らぬものとして位置づけられたのである。
そもそも西欧が歴史の表舞台で光を浴びたのは、先史の長さを考えると最近のことと言える。そこには記録に残されていないが多くの試行錯誤により形成された「人類の知恵」の宝庫であることが容易に想像される。西欧史観では現在の自由・平等といった理念(それらも消え去ろうとしているが)は、多くの流された血により手に入ったものとされている。しかし「人間社会とはどのようなものかについて、わたしたちはまったく異なる考えのもとで生活していたこともありえたということなのだから。つまり、膨大な人間の奴隷化、大虐殺、収容所、さらには家父長制や賃労働の体制などがかならずしも存在しなくてもすんだ」かも知れないと著者は言う。歴史に「もし」はないが、これまでの長い人類史、そしてそのほとんどを占める「先史」に対して、西欧史観や現在の世界にどっぷりと浸かってしまった目線からいったん離れ、虚心坦懐に対することの必要性を強く感じさせる。
本書は読むべき、そして様々な読み方のできる一冊だが、チャレンジするならば「訳者あとがき」に各章の趣旨が親切に書かれているので、その構成を頭に入れて読むことをお薦めしたい。俯瞰しないと、途中で最初の内容を忘れてしまうほどの長さなので。
人類の「先史」については文字記録がないこともあり、様々に書かれてる。特に近年は、歴史学者YNハラリ「サピエンス全史」「ホモデウス」、進化心理学者Sピンカー「暴力の人類史」、進化生物学者ジャレドダイアモンド「昨日までの世界」「銃・病原菌・鉄」などが人気だ。こうしたいわば「ビッグヒストリー」に(僕自身を含め)心踊らされた読者も多く、ブームと言っても良いほどだ。しかしグレイバーらは、本当にそうなのか、根拠が薄いのではないかと厳しく批判する。そして、経済学者アダムスミスの「国富論」(1776)、政治学者ホッブズの「リヴァイアサン」(1651)、ルソー「人間不平等起源論」(1755)などの古典まで批判の射程は及ぶ。アダムスミスに対しては「商品貨幣説」(物々交換が携帯可能な貴金属が貨幣へと発展した)に対してグレーバーの前著「負債論」で文化人類学の知見を以て否定している。また「不平等の起源」についても、ホッブスが主張する「万人による万人との闘争状態」が、行政・国家といった機構により回避できるよう進化したという説(右派に好まれるという)、その対極のルソーの主張「かつて狩猟採集の民は上下なく平和に暮らしていたが、農耕牧畜による土地の囲い込み・土地私有・国家の領土争い、国民の社会的格差という不自由な状況が生れた」という説(左派に好まれるという)の両極またはその中間に人類の進化の歴史が位置づけられることが多いという。これらに対しても、それらの根拠の脆弱性について(つまり「物語」に過ぎないのではないかと)指摘する。
こうした「先史への理解」はそもそもなぜ形成されてきたのか。そしてその「物語」はエビデンスに基づいているのだろうか。ハラリ、ピンカー、ダイアモンド、アダムスミス、ルソー、ホッブスらは、人類学者でも考古学者でもなく、先史をピックアップした歴史のトピックと持ち前の想像力で描いたのである。その歴史観(物語)はそれぞれに違いがあるものの大方共通する。つまり、人類は言語を得て、バンドから部族、首長制へと拡大し、宗教により大集団を成す。こうして認知革命・農業革命・産業革命を経て都市や国家を形成し、近代においては革命や戦争を経て、自由・平等といった普遍的価値観を得る、そこで先行した西欧の価値観が全世界へと広がり、現在に至っているといった共通理解だ。しかし本当にそうだろうか。人類の発展の長い歴史の中で、様々なことが起こったはずだが、それを「たまたま」いま世界のイニシアチブを取ることに成功した西欧発の価値観・モノサシで、先史から現代までの時間の流れを「右肩上がりの進化・進歩」として見てるだけではないか。それは非西欧に対する西欧(北米まで拡大)の傲慢ではないのか。そうした「西欧からの視点による人類史」の正当性と正確性を問うているのだ。
そして現在世界で共有されようとしている人類の「ビッグヒストリー」に対して異議を唱え、それらが創造の産物に過ぎないことを、「その道のプロ」である文化人類学者グレーバーと考古学者ウェングローは、これでもかと言うほどの豊富な調査・文献により崩しにかかる(本書の半分以上はそうした具体的事実の記述に費やされている)。様々な非西欧の魅力的な事例が紹介されるが、特に印象深く読んだのは、米先住民の政治家カンディアロンクと、アメリカ大陸の植民地化を進めるフランス人ラオンタンとのやり取りだ。米先住民のカンディアロンクは知性と弁舌に優れ、先住民の価値観を言語化することに長け、その言葉は当時のフランス・欧州(欧州各国語に翻訳された)の知識層に強い影響を与えた。その一節を引用したい。
カンディアロンク「私は6年間、ヨーロッパ社会のありさまを考察してきましたが、彼らの行いが非人間的ではないとは、いまだいささかもおもえません。あなたがたが 「わたしのもの」と「あなたのもの」との区別に固執するかぎり、それに変わるところはない。そう心から考えています。 あなたがたがお金と呼ぶものは、悪魔のなかの悪魔、フランス人の暴君、諸悪の根源、魂の悩みの種、生者の処刑場である、こうわたしは断言します。お金の国に住みながら魂を生き長らえさせることができる、このような考えは、湖の底で命をらえさせることができるという考えとかわるところがありません。お金は、贅沢、淫乱、陰謀、策略、嘘、裏切り、不誠実の父であり、世界のあらゆる悪行の父なのです。 父は子を売り、夫は妻を売り、妻は夫を裏切り、弟は殺し合い、友人は偽り合う。 すべてはお金のためです。このようなありさまをみて、わたしたちウェンダットが銀にふれることもみることも拒否するのがただしくないとはたしていえるでしょうか」
ラオンタンらフランス人は、カンディアロンクに西欧文明の利点を説得しようとしたが、カンディアロングは「フランス人こそウェンダット(先住民の国)の生活様式を取り入れた方がはるかによいと反論したのである。米先住民のほとんどは実際に「個人の自律性と行動の自由を至上の価値として捉え、他者の意志に服従する可能性を最小化するよう生活を組織」していた。それは彼らの統治と自由のバランスに対する知恵の結晶だった。その視点からフランス社会を「本質的に分裂した奴隷たちの社会」と捉えていたのである。この18世紀の出来事がフランスと広く欧州の知識層に揺さぶりをかけた。しかしその反動として「社会進化論」という(ある意味で西欧文明を正当化する)社会の4段階説などが人類の普遍的進化論として急ぎ取り繕われ、カンディアロンクの言説は発展途上の取るに足らぬものとして位置づけられたのである。
そもそも西欧が歴史の表舞台で光を浴びたのは、先史の長さを考えると最近のことと言える。そこには記録に残されていないが多くの試行錯誤により形成された「人類の知恵」の宝庫であることが容易に想像される。西欧史観では現在の自由・平等といった理念(それらも消え去ろうとしているが)は、多くの流された血により手に入ったものとされている。しかし「人間社会とはどのようなものかについて、わたしたちはまったく異なる考えのもとで生活していたこともありえたということなのだから。つまり、膨大な人間の奴隷化、大虐殺、収容所、さらには家父長制や賃労働の体制などがかならずしも存在しなくてもすんだ」かも知れないと著者は言う。歴史に「もし」はないが、これまでの長い人類史、そしてそのほとんどを占める「先史」に対して、西欧史観や現在の世界にどっぷりと浸かってしまった目線からいったん離れ、虚心坦懐に対することの必要性を強く感じさせる。
本書は読むべき、そして様々な読み方のできる一冊だが、チャレンジするならば「訳者あとがき」に各章の趣旨が親切に書かれているので、その構成を頭に入れて読むことをお薦めしたい。俯瞰しないと、途中で最初の内容を忘れてしまうほどの長さなので。
2024年1月21日に日本でレビュー済み
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私たちが頭までどっぷりと浸かっている西欧中心的な歴史観、社会観が、ガラガラと崩れ落ちる体験をした。今2度目の精読をしている。一番の強みは考古学や文化史の事実の見直しに基づいていることだ。社会科学のゲームチェンジャーといえる。既存の学説に依存している権威者には是非論争を起こしてほしい。
2023年10月10日に日本でレビュー済み
狩猟採集から栽培農業への移行に3000年もかかったこと、都市の形成は農耕=権力(この事自体あやしいのだが)とは独立の出来事だったこと、北米先住民に長く”民主的な”政体が存在したことなどを知った。しかし著者自身も作中で反論として予想している疑問、すなわち”結局は農耕、権力、国家が全てを覆い尽くしたのではなかったか”には十分には答えられない。過去には現在とは違うシステムが存在しえていたことは事実だろうと思うが、そのことにactualな意味合いはどの程度あるのだろうか?特にグレーバーは名だたるアナーキスト活動家だっただけに、そこには願望が投影されているのではなかろうか?存命の著者の片割れの方は、政治的立場で学問は揺るがないと断言しているそうだが。
2024年1月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これまで広く語られてきた人類史が、真実ではなく、不吉な政治的含意を持ち、過去を必要以上に退屈にしてしまっていることに異を唱え、もっと希望がありわくわくするストーリーに語り直すことに著者達は成功している。歴史と未来に関心がある方には必読であり、ルソーやホッブズ、フクヤマ、ダイアモンド、ハラリ、ピンカーなどの解毒剤としても有効。大部ではあるが、本好きであれば、本書の目論見と要点をまとめた第一章と丁寧な訳者あとがきにより、全編を全体感を持って読み通せるはずである。