素晴らしい一冊です。
映画も観ましたが、アフリカに行ってみたい。サファリはきっと人間を変えますね。今の時代、狩猟は無理だけどね。
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アフリカの日々 (河出文庫 テ 9-1) 文庫 – 2018/8/4
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澄みきった大気のなか、北欧の高貴な魂によって綴られる、大地と動物と男と女の豊かな交歓。20世紀エッセイ=文学の金字塔。
- 本の長さ528ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2018/8/4
- 寸法10.9 x 2.1 x 15 cm
- ISBN-104309464777
- ISBN-13978-4309464770
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商品の説明
著者について
イサク・ディネセン
1885年デンマーク生まれ。本名カレン・ブリクセン。1914年にアフリカに渡り17年間農園を経営する。帰国後、本書のほか、『七つのゴシック物語』『バベットの晩餐会』など、物語性豊かな名作を遺した。
1885年デンマーク生まれ。本名カレン・ブリクセン。1914年にアフリカに渡り17年間農園を経営する。帰国後、本書のほか、『七つのゴシック物語』『バベットの晩餐会』など、物語性豊かな名作を遺した。
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2018/8/4)
- 発売日 : 2018/8/4
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 528ページ
- ISBN-10 : 4309464777
- ISBN-13 : 978-4309464770
- 寸法 : 10.9 x 2.1 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 273,323位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年1月11日に日本でレビュー済み
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日中、映画をやっていたので、原作を読みました。アフリカの美しい日々を過ごした後、身辺を片し母国に帰る。
ワガママなハンターの男性と余生を過ごすよりも、稀に見るストーリーテラーとして過ごした晩年は彼女には幸せだったのではないでしょうか?
ワガママなハンターの男性と余生を過ごすよりも、稀に見るストーリーテラーとして過ごした晩年は彼女には幸せだったのではないでしょうか?
2022年10月16日に日本でレビュー済み
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土煙を舞い上げて走るバッファローの群れ、暗闇でランプに照らし出される眼前のライオン、
隊列を組んで遠くから歩いてきて再び遠くへ去っていくマサイ族の戦士たち、
夥しい死骸の轍ができるほどの蝗害、といった数々の描写が鮮明に記憶に残ります。
植民地や、白人黒人、宗教の事柄は置いておいて、この本にどっぷり浸れます。
著者の一番身近に起きていた自分に降りかかるあれこれを、
普通ならネタにしていかに自分が苦しんだか心情の吐露や憂鬱な描写で
ページ数を増やしそうなものだけど、それらの事柄には触れずに黙々と
そしてポジティブな視線でアフリカを書き上げていくスタイルに感銘を受けました。
体験した日々を回想して書きたくて止まらないんだという気持ちが伝わってきました。
読むのにとても時間がかかるけど、たくさんの感動や興奮に出会える素晴らしい作品でした。
隊列を組んで遠くから歩いてきて再び遠くへ去っていくマサイ族の戦士たち、
夥しい死骸の轍ができるほどの蝗害、といった数々の描写が鮮明に記憶に残ります。
植民地や、白人黒人、宗教の事柄は置いておいて、この本にどっぷり浸れます。
著者の一番身近に起きていた自分に降りかかるあれこれを、
普通ならネタにしていかに自分が苦しんだか心情の吐露や憂鬱な描写で
ページ数を増やしそうなものだけど、それらの事柄には触れずに黙々と
そしてポジティブな視線でアフリカを書き上げていくスタイルに感銘を受けました。
体験した日々を回想して書きたくて止まらないんだという気持ちが伝わってきました。
読むのにとても時間がかかるけど、たくさんの感動や興奮に出会える素晴らしい作品でした。
2022年8月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は著者の全執筆史においてはもちろん、西欧系文化の中の全文学史においても他に類書のないユニークな著作だ。1914年から1931年にかけての、ケニアにおけるコーヒープランテーションの失敗記だけれども、当地のアフリカ人およびアフリカ文化との具体的な遭遇がリアルに、そして愛情に満ちて肯定的に語られる。そんな本これまであったか?なかった!、という意味でユニークなのだ。西欧系文化は今や大反省を迫られているけど、自然観の基本的な相違など、その反省に役に立つ重要な観点がごろごろしている。必読の書と呼んでも、過言ではない。
2005年9月2日に日本でレビュー済み
その日その日の出来事を淡々と描写したような小説,特に大きな盛り上がりはない。けれど,どこまで読んでも飽きない。描写されたアフリカの風景や人々の動きを思い浮かべると,リラックスして,心が洗われるようです。著者の感性と描写力の素晴らしさでしょう。
少しばかりヨーロッパ優位の考え方がチラホラ気になって,★一つ減。
少しばかりヨーロッパ優位の考え方がチラホラ気になって,★一つ減。
2018年8月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書を読むきっかけが映画からでない人は稀だろう。巨匠シドニー・ポラック監督の手になる〚愛と悲しみの果て〛(1985年、翌年アカデミー賞作品賞など7賞受賞)と題された映画が映し出す、雄大なアフリカの光景は忘れ難いものだった。
映画は、1913年主人公のデンマークの上流階級に属するカレン・ディーネセン(メリル・ストリープ)が、フィンランドのブロア・ブリクセン男爵と結婚し、英領東アフリカ(ケニア)でコーヒー農園を経営するところから始まる。サファリに夢中な夫は家に居つかず、さらに不実な夫から梅毒をうつされる。カレンは帰国して3年の治療を余儀なくされ、農園に帰った後夫と別居、やがて離婚する。
女領主カレンは様々な白人移植者と親交を結ぶが、特にデニス・フィンチ・ハットン(ロバート・レッドフォード)と親密になっていく。デニスはイギリス貴族社会で育った教養ある放浪者で、英国での地位や所有より、アフリカの地でマサイ人のように自由で素朴に生きてゆく方を好む人物である。カレンは、デニスは手に入れることも手なずけることもできない人物だ、と知る。
カレンは、領地民であるキクユ族の一族を保護し、病気やけがの治療を施したり、子供たちのために学校を作ったりする。だがそんなロマンティックな彼女の生き方と、農場経営というリアリスティックな仕事はうまく両立しない。やがて経営は破綻し、彼女はすべてを売り払って帰国せざるを得なくなるが、自家用機で港まで送ると約束したデニスは、当日迎えに来る途中に墜落事故で亡くなってしまう。カレンは二人が好きだった丘にデニスを葬り、独り帰国する―と言う自伝的なドラマである。
本書があまりに映画と違うので驚いた。夫の登場は、終段になって、「第一次世界大戦がはじまったとき、私の夫と農園助手のスエ―デン人二人は、志願兵としてドイツ領との境界線地帯に派遣された」と述べる一か所のみ。梅毒の件などは完全に削除されている。後書きによれば、彼女の死後に出版された伝記 があるそうで、映画制作者はそれらも参考にしたと思われる。ドラマは映画に任せて、ここでは「彼女のアフリカ」を見たい。
繰り返すが本書には物語的な筋立ては何もない。日記体小説と呼ぶのが相応しい作りである。真の主人公はアフリカの大地。語り手である作者(現地人からはムサブ=白人、ソマリ族の「執事」フェラからはメンサヒブ=奥様、親しい友人からはタンネ=愛称、と呼ばれる)を通して、彼女が見る風景や人物が浮き彫りにされてゆくのだが、その描写が素晴らしい。どこを読んでも自分もアフリカの大地に立っているような錯覚すら覚える。
例えば、冒頭の赤道から百マイル南の海抜六千フィートにある彼女の農園の記述。「この土地の地理的位置と高度が結びついて、世界中でも類を見ない風景を作り出している。油っ気やゆとりはどこにも見あたらない。それは六千フィートまで蒸留されたアフリカ、つまりこの大陸の、純度の高いエッセンスのようなものだ。すべてが焼き乾いていて、素焼きのやきものの色をしている」、と原文の切れは抜群だ。
The geographical position and the height of the land combined to create a landscape that had not its like in all the land. There was no fat on it and no luxuriance anywhere; it was Africa distilled up through six thousand feet, like the strong and refined essence of continent. The colours were dry and burnt, like the colours in pottery.
所有地は六千エーカー(新潟県の約2倍弱)あり、一千エーカーが現地人用の借地だった。借地料として月給12シリングで年に180日の労働が課されていたが、彼らの大部分は昔からの住民で、カレンこそが「一種の高級借地人」だとみなしていたらしい。禁猟区を挟んでマサイ族保護区と隣接しているが、遊牧民のマサイは彼女たちがそこで狩猟してもことを荒立てない。その他に主に商業に従事しているソマリ族がいる。互いに疎遠だが、彼女の家の前の芝生の広場はしばしば彼らの催場になる。
カレンの時代、ケニアの白人移住者は僅かで、彼らの西洋的生活は、黒人にとっては、見習うべきと言うよりは奇怪な風習と受け取られていた。反対に彼女は最初の何週間かの暮らしで、アフリカの人たちに強い愛情を覚える。「それは強力な感情で、あらゆる年齢層の人々を男女ともに当惑させる態のものだった」。キクユ族の人々が彼女を「象徴」とみなしているらしいことにも気付く。日本人には象徴天皇を考えれば理解しやすいだろう。日常生活の上で彼らは自律しており、カレンはまったく当てにされていないが、日照りやイナゴの大群の襲来などの大災害発生を、彼らが「自己卑下とあきらめ」の心をもって受け入れようとしている時に、彼女がともに無力さを嘆き悲しむのを見て安心を得ているらしいのだ。共感は権威からではなく連帯からくる。
カレンとデニスが小型機で空中散歩をした時の村の長老の言葉が面白い。彼は二人が空高く昇って神に会えたかと聞き、否定すると、「それでは何のためにあんなに高く昇るのかわかりませんな」と述べる。デニスは言う。「このアフリカと言う大陸には、我々に対する痛烈な当てこすりみたいな感じがあるね」。浅薄な文明が強烈な太陽に一枚一枚と剥ぎ取られていくようだ。
カレンはスワヒリ語を少し理解できるが、複雑な会話はフェラを通さなければならない。キクユ族は寡黙である。だが情の交換が不可能というわけでは決してない。帰国が迫ったある日、重い荷を背負った老女と出会う。これまで口をきいたこともなく名前も知らない。道の真ん中でカレンの行く手を阻むように立ち止まった老女は、彼女の顔をまじまじと見たまま「泣き出した。頬を伝わって涙が流れる。平原にいる牝牛が突然放尿するのに似ていた。老女も私も一言も言葉を交わさなかった」。これ以上に情のこもった別れのシーンはあるだろうか。
手放した土地は細分化され、首都ナイロビの郊外都市に再開発されるらしい。キクユ族も土地を離れなければならない。全員一緒に移住したいという一族のためにカレンは「もともとここは彼らの土地だった」と全力を尽くし、かなえられる。出発の日、カレンは「ひとつ奇妙なことを学んだ」と記す。18年に及んだアフリカ生活がこんな風に終わるとは全く予想もしてなかったが、それは起こるのだ。「こうした事態を潜り抜けた人びとは、ある意味では死をくぐりぬけたということができよう。それは体験の領域内にとどまりながら、しかも想像の枠を超えた道なのだ」と。アフリカ太地の営みに比べたら、人間の営みなど微々たるものに過ぎない。
これらはすべてカレンの感想である。黒人の目には違うように映るかもしれない。彼女がいくら尽力しても、彼等に取って白人は侵略者で簒奪者だろう。カレンも「農場主」という地位を捨ててはこの土地に根を下ろせない。それでも理想主義で無私な彼女の行動は、「他者」である白人が与えたステレオタイプな見方を少しは変えたかもしれないと思いたい。ここに書かれている内容は、自伝小説をはるかに超える地平を持つ。カレンは壮大な「アフリカン・サーガ」を編んだとする訳者評は正しい。
1885年生まれのカレン・ブリクセンが結婚して、アフリカに移住したのは1914年、28歳の年である。矢折れ刀尽きて帰国したのが1931年、41歳になっていた。離婚後も「ブリクセン男爵夫人」の称号を捨てなかった。訳者は、男爵から性病を譲られた以上、貴族の称号の方も持ち続けようと思ったのではないか、と書いている。帰国後3年目から執筆をはじめ、本書〚アフリカの日々 Out of Africa〛は1937-38年にかけて発行された。これが大評判となり、デンマークの国民作家と崇められた。1954年にはノーベル賞をヘミングウェイと競い、57年にはカミユと競っている。過酷な梅毒治療後は体調がすぐれず、帰国後に2度の手術を受けた。1962年死亡。享年77歳。執筆時間が少なかったので著作は少ないが、どれも珠玉な味わいを持つとされる。ぜひ読んでみたい。
映画は、1913年主人公のデンマークの上流階級に属するカレン・ディーネセン(メリル・ストリープ)が、フィンランドのブロア・ブリクセン男爵と結婚し、英領東アフリカ(ケニア)でコーヒー農園を経営するところから始まる。サファリに夢中な夫は家に居つかず、さらに不実な夫から梅毒をうつされる。カレンは帰国して3年の治療を余儀なくされ、農園に帰った後夫と別居、やがて離婚する。
女領主カレンは様々な白人移植者と親交を結ぶが、特にデニス・フィンチ・ハットン(ロバート・レッドフォード)と親密になっていく。デニスはイギリス貴族社会で育った教養ある放浪者で、英国での地位や所有より、アフリカの地でマサイ人のように自由で素朴に生きてゆく方を好む人物である。カレンは、デニスは手に入れることも手なずけることもできない人物だ、と知る。
カレンは、領地民であるキクユ族の一族を保護し、病気やけがの治療を施したり、子供たちのために学校を作ったりする。だがそんなロマンティックな彼女の生き方と、農場経営というリアリスティックな仕事はうまく両立しない。やがて経営は破綻し、彼女はすべてを売り払って帰国せざるを得なくなるが、自家用機で港まで送ると約束したデニスは、当日迎えに来る途中に墜落事故で亡くなってしまう。カレンは二人が好きだった丘にデニスを葬り、独り帰国する―と言う自伝的なドラマである。
本書があまりに映画と違うので驚いた。夫の登場は、終段になって、「第一次世界大戦がはじまったとき、私の夫と農園助手のスエ―デン人二人は、志願兵としてドイツ領との境界線地帯に派遣された」と述べる一か所のみ。梅毒の件などは完全に削除されている。後書きによれば、彼女の死後に出版された伝記 があるそうで、映画制作者はそれらも参考にしたと思われる。ドラマは映画に任せて、ここでは「彼女のアフリカ」を見たい。
繰り返すが本書には物語的な筋立ては何もない。日記体小説と呼ぶのが相応しい作りである。真の主人公はアフリカの大地。語り手である作者(現地人からはムサブ=白人、ソマリ族の「執事」フェラからはメンサヒブ=奥様、親しい友人からはタンネ=愛称、と呼ばれる)を通して、彼女が見る風景や人物が浮き彫りにされてゆくのだが、その描写が素晴らしい。どこを読んでも自分もアフリカの大地に立っているような錯覚すら覚える。
例えば、冒頭の赤道から百マイル南の海抜六千フィートにある彼女の農園の記述。「この土地の地理的位置と高度が結びついて、世界中でも類を見ない風景を作り出している。油っ気やゆとりはどこにも見あたらない。それは六千フィートまで蒸留されたアフリカ、つまりこの大陸の、純度の高いエッセンスのようなものだ。すべてが焼き乾いていて、素焼きのやきものの色をしている」、と原文の切れは抜群だ。
The geographical position and the height of the land combined to create a landscape that had not its like in all the land. There was no fat on it and no luxuriance anywhere; it was Africa distilled up through six thousand feet, like the strong and refined essence of continent. The colours were dry and burnt, like the colours in pottery.
所有地は六千エーカー(新潟県の約2倍弱)あり、一千エーカーが現地人用の借地だった。借地料として月給12シリングで年に180日の労働が課されていたが、彼らの大部分は昔からの住民で、カレンこそが「一種の高級借地人」だとみなしていたらしい。禁猟区を挟んでマサイ族保護区と隣接しているが、遊牧民のマサイは彼女たちがそこで狩猟してもことを荒立てない。その他に主に商業に従事しているソマリ族がいる。互いに疎遠だが、彼女の家の前の芝生の広場はしばしば彼らの催場になる。
カレンの時代、ケニアの白人移住者は僅かで、彼らの西洋的生活は、黒人にとっては、見習うべきと言うよりは奇怪な風習と受け取られていた。反対に彼女は最初の何週間かの暮らしで、アフリカの人たちに強い愛情を覚える。「それは強力な感情で、あらゆる年齢層の人々を男女ともに当惑させる態のものだった」。キクユ族の人々が彼女を「象徴」とみなしているらしいことにも気付く。日本人には象徴天皇を考えれば理解しやすいだろう。日常生活の上で彼らは自律しており、カレンはまったく当てにされていないが、日照りやイナゴの大群の襲来などの大災害発生を、彼らが「自己卑下とあきらめ」の心をもって受け入れようとしている時に、彼女がともに無力さを嘆き悲しむのを見て安心を得ているらしいのだ。共感は権威からではなく連帯からくる。
カレンとデニスが小型機で空中散歩をした時の村の長老の言葉が面白い。彼は二人が空高く昇って神に会えたかと聞き、否定すると、「それでは何のためにあんなに高く昇るのかわかりませんな」と述べる。デニスは言う。「このアフリカと言う大陸には、我々に対する痛烈な当てこすりみたいな感じがあるね」。浅薄な文明が強烈な太陽に一枚一枚と剥ぎ取られていくようだ。
カレンはスワヒリ語を少し理解できるが、複雑な会話はフェラを通さなければならない。キクユ族は寡黙である。だが情の交換が不可能というわけでは決してない。帰国が迫ったある日、重い荷を背負った老女と出会う。これまで口をきいたこともなく名前も知らない。道の真ん中でカレンの行く手を阻むように立ち止まった老女は、彼女の顔をまじまじと見たまま「泣き出した。頬を伝わって涙が流れる。平原にいる牝牛が突然放尿するのに似ていた。老女も私も一言も言葉を交わさなかった」。これ以上に情のこもった別れのシーンはあるだろうか。
手放した土地は細分化され、首都ナイロビの郊外都市に再開発されるらしい。キクユ族も土地を離れなければならない。全員一緒に移住したいという一族のためにカレンは「もともとここは彼らの土地だった」と全力を尽くし、かなえられる。出発の日、カレンは「ひとつ奇妙なことを学んだ」と記す。18年に及んだアフリカ生活がこんな風に終わるとは全く予想もしてなかったが、それは起こるのだ。「こうした事態を潜り抜けた人びとは、ある意味では死をくぐりぬけたということができよう。それは体験の領域内にとどまりながら、しかも想像の枠を超えた道なのだ」と。アフリカ太地の営みに比べたら、人間の営みなど微々たるものに過ぎない。
これらはすべてカレンの感想である。黒人の目には違うように映るかもしれない。彼女がいくら尽力しても、彼等に取って白人は侵略者で簒奪者だろう。カレンも「農場主」という地位を捨ててはこの土地に根を下ろせない。それでも理想主義で無私な彼女の行動は、「他者」である白人が与えたステレオタイプな見方を少しは変えたかもしれないと思いたい。ここに書かれている内容は、自伝小説をはるかに超える地平を持つ。カレンは壮大な「アフリカン・サーガ」を編んだとする訳者評は正しい。
1885年生まれのカレン・ブリクセンが結婚して、アフリカに移住したのは1914年、28歳の年である。矢折れ刀尽きて帰国したのが1931年、41歳になっていた。離婚後も「ブリクセン男爵夫人」の称号を捨てなかった。訳者は、男爵から性病を譲られた以上、貴族の称号の方も持ち続けようと思ったのではないか、と書いている。帰国後3年目から執筆をはじめ、本書〚アフリカの日々 Out of Africa〛は1937-38年にかけて発行された。これが大評判となり、デンマークの国民作家と崇められた。1954年にはノーベル賞をヘミングウェイと競い、57年にはカミユと競っている。過酷な梅毒治療後は体調がすぐれず、帰国後に2度の手術を受けた。1962年死亡。享年77歳。執筆時間が少なかったので著作は少ないが、どれも珠玉な味わいを持つとされる。ぜひ読んでみたい。
2016年11月30日に日本でレビュー済み
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アフリカへ渡って農場を経営する女性の話。
好きな本はと言われて一番に挙げる作品。
マサイ族がはねたり、ライオンの皮を剥いだり、女性が牛数十頭で取引されたり、親友の乗る飛行機が落ちたり。ライブ感があり、やさしさがある。
本当に愛するものは、遠くにありて想うときが一番美しいのだ。
この物語を書きながら、彼女はどんな気持ちだったのだろう。アフリカの日々を思い出しながら一人で生きるヨーロッパは。
好きな本はと言われて一番に挙げる作品。
マサイ族がはねたり、ライオンの皮を剥いだり、女性が牛数十頭で取引されたり、親友の乗る飛行機が落ちたり。ライブ感があり、やさしさがある。
本当に愛するものは、遠くにありて想うときが一番美しいのだ。
この物語を書きながら、彼女はどんな気持ちだったのだろう。アフリカの日々を思い出しながら一人で生きるヨーロッパは。
2017年5月24日に日本でレビュー済み
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詩的な表現ながらアフリカの情景や動物達の動きを適切に捉えていて魅了される文章です。人物の描写も的確で分かりやすく初めて読む作家でしたが引き込まれました。