第Ⅳ「結婚というタフなビジネス」の章は、『ワイルドフェル・ホールの住人』を除いて私も作品をほとんど読んでいるので、著者が私とは大いに違った「読み」しているところがとても面白かった。著者は、「結婚というのは財産や相続のための制度であり、愛は関係なく、支配の道具である」(p212)と考えるので、オースティンやブロンデ姉妹、ジョージ・エリオット『ミドル・マーチ』などを、結婚制度批判という視点から読み解く。「結婚」とは、現代の就職と同じく、女性が生計を立てて生きていくための制度であり、男性支配の下における女性の「タフなビジネス」であるというのは、レヴィストロースが結婚を家父長制下の父たちによる「娘の贈与と交換」と規定したことからも分るように、まぎれもない歴史的真理である。しかし、「愛は関係なく」と著者が言い切っているのは私には異論があり、少なくとも、オースティンから『ミドル・マーチ』に至る女性作家による恋愛/結婚小説は、結婚の中核には愛がなければならない、と強く主張し、結婚の内実を変えようと苦闘する物語であると私は読んできた。英文学者の鈴木美津子『ルソーを読む英国作家たち』によれば、18世紀末から19世紀イギリスに女性作家が大量に誕生したのは、ルソー『新エロイーズ』への女性たちの応答責任である。鈴木の本はオースティンで終わっているが、オースティンから『ミドル・マーチ』までも同様に『新エロイーズ』の余波であると私は考えてきた。女性は自分が結婚相手を選び、自分が好きな人と結婚するのでなければ、決して結婚で幸福になることはできない、というのが『新エロイーズ』の主題である。
たしかに、『ジェイン・エア』や『ミドル・マーチ』に北村が指摘する点は非常に鋭く、教えられる点が多々あるが、しかしヒロインたちが最後に結婚するのは、男性(=夫)の立場が支配的でなくなったところに結婚という「達成」を受け入れた、と捉えるのはどうなのだろうか? 『ジェイン・エア』があれほど感動的で崇高とさえ感じられるのは、ジェインが愛の主体として成長し、自己を完成し、最愛の人ロチェスターと結婚するからであって、自分に遺産が手に入り障碍者となったロチェスターが支配的でなくなったから結婚を受け入れたのではない。ブレイク『最小の結婚』が主張するように、結婚の核にはたしかに愛だけではなく、ケアが存在する。ジェインの結婚は、愛とケアをもっとも深く結びつけたところにその輝きがあり、キリスト教の用語で言えば、エロスとアガペーを深く統合している。ロチェスターはヒースクリフと同様、どこか野性的な男性の魅力があり、ジェインがインテリのシン・ジョンの求愛を振ってロチェスターを選ぶのも、キャサリンと同様、彼女はエロス的な愛を優先するからで、そこにジェインの愛の主体としての女性性の完成を見ることができる。「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」というのは、言葉で言うのは簡単だが、実際の男女関係においてそれを完全現実態にするのは非常に困難であり、『新エロイーズ』から『ミドル・マーチ』に至る文学作品は、恋愛と結婚を統合しようとする苦闘の物語であると言えよう。「結婚はタフなビジネスだ」という著者の理解は、オースティンにはかなり妥当するが、『ジェイン・エア』や『ミドル・マーチ』はちょっと違うのではないか、というのが私の意見。
あと、『ミドル・マーチ』の読みや、『エマ』の原作と映画の比較などは、とても面白い。ドロシアというヒロインには、他のどの小説のヒロインとも違う不思議な魅力を感じていたが、著者は、「うぶな文科系こじらせ女子が一見賢くて自分より知識がありそうなおじさまについコロっといってしまう痛々しい様子を、おそらく文学史上最も生き生きと描写した作品」だと言う。なるほど、合点がいく。ひょっとして、ジョージ・エリオット自身がこのような「文科系こじらせ女子」だったのではないかと想像してしまう。何しろ彼女は、スピノザやフォイエルバッハに傾倒した女性なのだから。そして、『エマ』の1996年と2020年の映画版の違いの分析もいい。エマの魅力が「いけすかないヒロイン」にあることも納得。ドロシアもエマも私の「推し」なのだが、その深い魅力が北村に言われて初めて分かった気がする。
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お嬢さんと嘘と男たちのデス・ロード ジェンダー・フェミニズム批評入門 単行本 – 2022/6/29
北村 紗衣
(著)
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貞淑という悪徳、“不真面目な”ヒロインたち、
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結婚というタフなビジネス……
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閉塞する現代社会を解きほぐす、鮮烈な最新批評集!
- 本の長さ288ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2022/6/29
- 寸法13.2 x 2.1 x 19 cm
- ISBN-104163915605
- ISBN-13978-4163915609
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出版社より
登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2022/6/29)
- 発売日 : 2022/6/29
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 288ページ
- ISBN-10 : 4163915605
- ISBN-13 : 978-4163915609
- 寸法 : 13.2 x 2.1 x 19 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 198,285位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。東京大学で学士号及び修士号を取得後、2013年にキングズ・カレッジ・ロンドンにて博士課程を修了。専門はシェイクスピア、舞台芸術史、観客研究、フェミニスト批評。著書に『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち──近世の観劇と読書』 (白水社、2018)、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か――不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』(書誌侃侃房、2019)、『不真面目な批評家、文学・文化の英語をマジメに語る――シェイクスピアはなぜ「儲かる」のか?』『不真面目な批評家、文学・文化の英語をマジメに語る 2 シェイクスピア、クイーン、SHERLOCK etc. 古典から最新エンタメまで!』(共にアルク、2020)、訳書にキャトリン・モラン『女になる方法 ―ロックンロールな13歳のフェミニスト成長記』(青土社、2018)、など。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年3月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は面白く分かり易いと思います。
ただ男性差別が強い(男性嫌悪)と感じてしまう文章があるのでそこは気になります。
しかし著者の経歴(立場)を見ると仕方ないのかなと思います→逆にある意味分かり易いかも知れません。
本の内容的には特にこれ!と言った物は無いですが著者のファンならオススメです!
ただ男性差別が強い(男性嫌悪)と感じてしまう文章があるのでそこは気になります。
しかし著者の経歴(立場)を見ると仕方ないのかなと思います→逆にある意味分かり易いかも知れません。
本の内容的には特にこれ!と言った物は無いですが著者のファンならオススメです!
2022年7月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
入門とあるだけに比較的軽く読めます。ジェンダー問題のとっかかりに良いのではないでしょうか。
2023年3月18日に日本でレビュー済み
フェミニズムやフェミニズム批評の本というと、家父長制やら有害な男性性、ホモソーシャルやらミソジニー、性道徳の二重基準などあれこれいつもよくある指摘や指導を受けるのではないかと身がまえてしまい、男の読者はなんとなく手を出しにくいところがなくもありません。
が、著者には、フェミニズムに限らず ~イズムや ~イストにときにつきものの教条主義的で硬直した構えはなく、本書では文献や典拠、データがきちんと押さえられた上で軽やかにして聡明そしてたいへん風通しのよい批評が展開されています。
見落としでなければ、上で挙げたような用語も頻繁には、というかほとんど出てきません(「有害な男らしさ」、「家父長制」などがほんの少々)。
もとより著者がいうほどには、あるいは著者が意識するほどには、その批評スタンスはフェミニズム一辺倒ではないともいえます(いま「一辺倒ではない」と書きましたが、本書あとがきにあることばを使えば、著者がいうほどには、「ワン・トリック・ポニー」ではない、になるのかもしれませんし、日本の昔の言い方では、「金太郎アメ」ではない、といえます)。
あるいは本書は、フェミニズム用語が生硬なまま適用されたり駆使されただけの個性のない観念的な批評にはなっていないということです。
あえて挑発的な姿勢、まあそうでもしないと男は分からないからということなのでしょうが、「下品上等」とばかりにときにえげつなくもある物言いで問題を提示し、そしてそれがひとつの”芸”にまでなってしまった上野(千鶴子)さんのような前の世代とはちがうタイプのフェミニストがここに現れたというべきでしょうか。
(一部の男がときに女性にたいして「ババア」や「おばさん」などと蔑称的な呼び方をするので、上野さんなどやはり一部フェミニストが「オヤジ」とか「ジジイ」という言い方でそれに対抗するというような場面を(とりわけツィッターなどで)見かけますが、女性だから上品になれというのではなく、バカな男にたいしてみずからもいっしょになって自分の品位を下げるようなことをしなくても、とこちらは思うばかりなのですが。
本書の著者は「文科系おじさま」とか「マンスプレイニングおじちゃま」と書いていて、もちろんおちょくっているのでしょうけれど、ちょっと笑ってしまいました。過剰な丁寧さは逆に皮肉になるというわけです。本文初出時における掲載媒体(新潮社「yom yom」)の関係もあったのかもしれませんが、あえてのそこでのそういう言葉の選び、また言語感覚は、やはり著者がレトリックが深くかかわる文学をやっていればこそのものなのでしょうか。ただし、レトリックというのは、それをいつどこで何にどう用いるかが問題で、いつでもどこでも「おじさま」「おじちゃま」といえばいい、と評者はいいたいわけではありませんので、念のため)
著者はしかも、文学研究者ながら古典・正典を批評するのに変なタブー意識もありません。
ジュリエットは性欲を抱いていたのでロミオと早くセックスがしたかった、だからこそロミオにスピード婚を迫ったのだという著者のシェイクスピアの読みなど、面白いという以上にあっけにとられたしだい。
(こういう読みの自在さは、著者の資質ということもあるのかもしれませんが、著者がシェイクスピア研究者でありながら、きまじめな勉強家にして優等生タイプが多い(と思える)英文出身ではなく、ディシプリン横断的でわりと学問的に自由な雰囲気の(と思える)表象出身ということも関係しているのかもしれません。というより、元の資質があってこそ著者は表象に進んだのかもしれませんが)
まあでも、ジュリエットはようやく14歳になろうとしている年頃だったのだけれど、ありといえばありなのかな、性欲…
また、本書ではジョージ・エリオットの傑作長篇『ミドルマーチ』(1871-72)についても短く論じられています。
小説に登場するカップル(1)ドロシア(女)とカソーボン(男)/ラディスロー(男)、(2)メアリー(女)とフレッド(男)については著者の読み方にほとんど異論はありません。
ただ評者にはラディスローもフレッドも物語の上で人物的魅力はないしダメンズにしか見えません。
しかもカソーボンが、著者いうところの、ドロシアのような「うぶな文科系こじらせ女子」がコロッといってしまう一見知的にみえる「文科系おじさま」だとしたら、ラディスローはこちらはこちらでまた女子がコロッといってしまう(現代でいえば夢を追うミュージシャンや一見無職っぽくも見える美術アーティストなどの)いわば芸術系お兄さんではないのでしょうかねえ。
というわけで、小説家はその後ラディスローを人間的に成長させてはいるものの、はてさて思慮深く聡明なドロシア(そしてメアリーもそういう女性)の、しかし男を見る目は如何?
カソーボンであれラディスローであれ、彼を理解し助けられるのは、あるいは彼を”男”にしてやれるのは自分しかいないとばかりに、そこに自分の存在価値を見いだそうとするしっかり者のドロシア、どうもダメンズウォーカーの気(け)がありそうなんですが…
(…とこんなふうに偉そうに書いていると、作中ドロシアばかりか、人間性においてドロシアとは正反対ともいえるロザモンドもラディスローにコロッといってしまっているように(さらには女性読者もラディスローにコロッといってしまう?)、ダメンズというのはしかしじつはモテ男、ラディスローに人物的魅力がないと言う男は非モテのやっかみと、たちまち著者のようなフェミニストから切り返されるかな?あるいは、ダメンズというレッテルを貼ろうとするのはこちらのほうが男性的規範を意識しすぎているということになるのかな?)
いっぽう(3)ロザモンド(女)とリドゲイト(男)のカップルおよびその結婚(生活)について著者はフェミニズム批評でもってどう捉えるのか、(1)、(2)とタイプの異なるカップルだけに、言及がなかったのが残念です。
が、著者には、フェミニズムに限らず ~イズムや ~イストにときにつきものの教条主義的で硬直した構えはなく、本書では文献や典拠、データがきちんと押さえられた上で軽やかにして聡明そしてたいへん風通しのよい批評が展開されています。
見落としでなければ、上で挙げたような用語も頻繁には、というかほとんど出てきません(「有害な男らしさ」、「家父長制」などがほんの少々)。
もとより著者がいうほどには、あるいは著者が意識するほどには、その批評スタンスはフェミニズム一辺倒ではないともいえます(いま「一辺倒ではない」と書きましたが、本書あとがきにあることばを使えば、著者がいうほどには、「ワン・トリック・ポニー」ではない、になるのかもしれませんし、日本の昔の言い方では、「金太郎アメ」ではない、といえます)。
あるいは本書は、フェミニズム用語が生硬なまま適用されたり駆使されただけの個性のない観念的な批評にはなっていないということです。
あえて挑発的な姿勢、まあそうでもしないと男は分からないからということなのでしょうが、「下品上等」とばかりにときにえげつなくもある物言いで問題を提示し、そしてそれがひとつの”芸”にまでなってしまった上野(千鶴子)さんのような前の世代とはちがうタイプのフェミニストがここに現れたというべきでしょうか。
(一部の男がときに女性にたいして「ババア」や「おばさん」などと蔑称的な呼び方をするので、上野さんなどやはり一部フェミニストが「オヤジ」とか「ジジイ」という言い方でそれに対抗するというような場面を(とりわけツィッターなどで)見かけますが、女性だから上品になれというのではなく、バカな男にたいしてみずからもいっしょになって自分の品位を下げるようなことをしなくても、とこちらは思うばかりなのですが。
本書の著者は「文科系おじさま」とか「マンスプレイニングおじちゃま」と書いていて、もちろんおちょくっているのでしょうけれど、ちょっと笑ってしまいました。過剰な丁寧さは逆に皮肉になるというわけです。本文初出時における掲載媒体(新潮社「yom yom」)の関係もあったのかもしれませんが、あえてのそこでのそういう言葉の選び、また言語感覚は、やはり著者がレトリックが深くかかわる文学をやっていればこそのものなのでしょうか。ただし、レトリックというのは、それをいつどこで何にどう用いるかが問題で、いつでもどこでも「おじさま」「おじちゃま」といえばいい、と評者はいいたいわけではありませんので、念のため)
著者はしかも、文学研究者ながら古典・正典を批評するのに変なタブー意識もありません。
ジュリエットは性欲を抱いていたのでロミオと早くセックスがしたかった、だからこそロミオにスピード婚を迫ったのだという著者のシェイクスピアの読みなど、面白いという以上にあっけにとられたしだい。
(こういう読みの自在さは、著者の資質ということもあるのかもしれませんが、著者がシェイクスピア研究者でありながら、きまじめな勉強家にして優等生タイプが多い(と思える)英文出身ではなく、ディシプリン横断的でわりと学問的に自由な雰囲気の(と思える)表象出身ということも関係しているのかもしれません。というより、元の資質があってこそ著者は表象に進んだのかもしれませんが)
まあでも、ジュリエットはようやく14歳になろうとしている年頃だったのだけれど、ありといえばありなのかな、性欲…
また、本書ではジョージ・エリオットの傑作長篇『ミドルマーチ』(1871-72)についても短く論じられています。
小説に登場するカップル(1)ドロシア(女)とカソーボン(男)/ラディスロー(男)、(2)メアリー(女)とフレッド(男)については著者の読み方にほとんど異論はありません。
ただ評者にはラディスローもフレッドも物語の上で人物的魅力はないしダメンズにしか見えません。
しかもカソーボンが、著者いうところの、ドロシアのような「うぶな文科系こじらせ女子」がコロッといってしまう一見知的にみえる「文科系おじさま」だとしたら、ラディスローはこちらはこちらでまた女子がコロッといってしまう(現代でいえば夢を追うミュージシャンや一見無職っぽくも見える美術アーティストなどの)いわば芸術系お兄さんではないのでしょうかねえ。
というわけで、小説家はその後ラディスローを人間的に成長させてはいるものの、はてさて思慮深く聡明なドロシア(そしてメアリーもそういう女性)の、しかし男を見る目は如何?
カソーボンであれラディスローであれ、彼を理解し助けられるのは、あるいは彼を”男”にしてやれるのは自分しかいないとばかりに、そこに自分の存在価値を見いだそうとするしっかり者のドロシア、どうもダメンズウォーカーの気(け)がありそうなんですが…
(…とこんなふうに偉そうに書いていると、作中ドロシアばかりか、人間性においてドロシアとは正反対ともいえるロザモンドもラディスローにコロッといってしまっているように(さらには女性読者もラディスローにコロッといってしまう?)、ダメンズというのはしかしじつはモテ男、ラディスローに人物的魅力がないと言う男は非モテのやっかみと、たちまち著者のようなフェミニストから切り返されるかな?あるいは、ダメンズというレッテルを貼ろうとするのはこちらのほうが男性的規範を意識しすぎているということになるのかな?)
いっぽう(3)ロザモンド(女)とリドゲイト(男)のカップルおよびその結婚(生活)について著者はフェミニズム批評でもってどう捉えるのか、(1)、(2)とタイプの異なるカップルだけに、言及がなかったのが残念です。
2024年5月11日に日本でレビュー済み
とても煽動家気質であり、それを意識的に利用している。
自分の頭で判断できない人はこの本を信用するのではなく、読み飛ばすべきだ。
著者の意見にたやすく賛同してはいけない。
自分の頭で判断できない人はこの本を信用するのではなく、読み飛ばすべきだ。
著者の意見にたやすく賛同してはいけない。
2022年10月16日に日本でレビュー済み
著者が冒頭で述べているように本作は、これまでのアルバムに収録されていなかった曲を集めたアルバム、つまり裏ベスト的立ち位置である。
これまで著者が雑誌や映画パンフレット等に寄稿した、数多のフェミニスト批評を集めたというわけだ。
批評対象となるのは、「マッドマックス」、「パルプフィクション」、「スター・ウォーズ」といった映画から、ジェーン・オースティンを筆頭とした英文学まで非常に幅広い。
手掛ける批評の数もさることながら、一つ一つの批評が的確で何より読んでいて面白いのが著者最大の魅力であり、本作に収録された批評でもそれは健在だ。
「マッドマックス」からはケアと癒しに目覚める男性を、タランティーノ作品からは男らしさの虚構性を見出していく、その着眼点と読解力には舌を巻くばかり。
そうした作品たちに対する批評を通して、私たちが知らぬ間に身に着けてしまっている偏見や抑圧が炙り出されていく。
好きな服を着ればいいと頭では分かっているにもかかわらず、躊躇してしまうのはなぜか。
有徴と無徴から見える(「作家」、「女流作家」という言葉があるように)、男性がデフォルトで女性は例外であるという今なお蔓延る性差別。
「マンスプレイング」や「セクハラ」という言葉の誕生。(一語でその現象を指せるようになることの重要性。)
本作はこうした事例を基に、私たちが檻に囚われてしまっている現状を明らかにしてくれる。
著者が述べていたように、「今、自分の考えが周りの人にどう評価されるかではなく、未来の人がどう思うかを考える。」ことこそが、そうした檻から脱却する唯一の方法なのではないだろうか。
これまで著者が雑誌や映画パンフレット等に寄稿した、数多のフェミニスト批評を集めたというわけだ。
批評対象となるのは、「マッドマックス」、「パルプフィクション」、「スター・ウォーズ」といった映画から、ジェーン・オースティンを筆頭とした英文学まで非常に幅広い。
手掛ける批評の数もさることながら、一つ一つの批評が的確で何より読んでいて面白いのが著者最大の魅力であり、本作に収録された批評でもそれは健在だ。
「マッドマックス」からはケアと癒しに目覚める男性を、タランティーノ作品からは男らしさの虚構性を見出していく、その着眼点と読解力には舌を巻くばかり。
そうした作品たちに対する批評を通して、私たちが知らぬ間に身に着けてしまっている偏見や抑圧が炙り出されていく。
好きな服を着ればいいと頭では分かっているにもかかわらず、躊躇してしまうのはなぜか。
有徴と無徴から見える(「作家」、「女流作家」という言葉があるように)、男性がデフォルトで女性は例外であるという今なお蔓延る性差別。
「マンスプレイング」や「セクハラ」という言葉の誕生。(一語でその現象を指せるようになることの重要性。)
本作はこうした事例を基に、私たちが檻に囚われてしまっている現状を明らかにしてくれる。
著者が述べていたように、「今、自分の考えが周りの人にどう評価されるかではなく、未来の人がどう思うかを考える。」ことこそが、そうした檻から脱却する唯一の方法なのではないだろうか。