表題作について。
多くの方が指摘する独特の文体はひとまずおくとして、
まず読後感としては森茉莉の『甘い蜜の部屋』のそれに近いような、
ある種の不気味さが感じられた。
いや、不穏さではそのさらに上を行っているというべきか。
別にミステリでもないので、あらすじを書いてしまうと、
『母と幼くして死に別れた娘は、きょうだいもなく同年代の子供と接する機会もとぼしいまま、世間擦れしていない学者の父と濃密な親子関係を築き上げていたが、
とある家政婦が内妻として闖入してくることで父娘の生態系が撹乱されていった結果、娘はやがて家を出、父との関係に生じた捩れは結局解消しなかった。
父の死から更に年月が経ち、老境にさしかかった娘は、記憶の断片から一連の出来事を意味付けしなおし、父との関係性を再確認しようと試みる』
というのがおおよその内容であり、またその内容が文字として現れ出ることになった背景設定として考えられるものだろう。
最終的に父との親密性が他の男たちに勝利する筋立ての森茉莉作品と比べても、
父への幻想が半ば以上損なわれてもそこに還帰せざるをえない老年の娘の姿には
より深刻というか、切実なものが窺えるが、それだけに尋常でない印象もある。
そもそも作品冒頭から察するに上記の再確認の作業に漕ぎつけるまでには随分な時間を要したようであり、
娘のキャラクターからして家政婦や父との間に目に見える諍いはそう無かったとしても、
(むしろそれゆえにこそ)鬱積した感情のわだかまりは相当なものだったと想像されるわけで、
夢幻的な回想のテクストに織り込まれた父への追憶という名の執念とあいまって、
(カバー表紙裏に謳われているような)「夢のように美しい物語」に収まる作品だとはとても思えない。
父が再婚へと傾いていった結果、娘が父との同居を解消するに至る軌跡が、
記憶の断片の連なりとして特異な文体で記述されたのは、
そうすることで、父との絆を辿りなおしたいとの気持ちが本作品の語り手にあったからだと思われる。
あたかもそれをも 『あるままをさらし、たちまちうばわれた、うかつな無防備と反射的なおもいきり、なりゆきのひきうけ、
あるものでしのごうとするいさぎよさあるいはおろかさを、おろかさとわかりながらいつまでもきらいになれない者が、
おなじおろかさをくりかえしつづけたまま死んだ一代まえの者にたむける、共感と苦笑の供花(p.48)』 とするかのように。
父との共有が想定された(そして「常識人」たる後妻には決して入り込めない)
この「おろかさ」こそが、娘にとっての父との親密さの拠り所であり、
文体にも充溢しているものである。
さてここで本作独特の文体の話になるが、これは小説の主題がしからしめたものではなかったか。
一読して印象的な、ひらがなを多用した蜿蜒たるセンテンスは和文の伝統に連なるものとも一応は解釈できるが、
むしろ文体上の最たる特徴としては、日本語らしからぬ受動構文の多用と、
物を主語に立てることによる人物主語の回避をまず挙げることができる
(加えて人物主語がやむを得ない場合でも、修飾部に落とし込んで主節部は物主語とする)。
これによって
「○月×日、娘は重病の父の入院先を初めて訪問したのだが、そのとき数時間親子二人で過ごすことができた」という趣旨は、
『死病者の入院さきが死病者の子にはじめて訪れられた日、(中略)親子だけになれた数じかんがあった(p.54)』
というような、日本語文としては異様な構造を持った(そしていささかならず読みにくい)文へと変換され、
結果として小説内のキャラクターの動作性・能動性は入念に削ぎ落され、
「事態が(動作主との因果関係を閑却された上で)、ただ生じていく」かたちでストーリーは展開することになる。
加えて徹底した換称(言い換え)の使用により直接の名指しを避けることで、
一般人にとっては日常の便宜のために無意識裡の前提となっている
人物や事物の同一性・一貫性、あるいは輪郭の確かさのようなものが曖昧なものとなり、
さらに言えば、名指しによる円滑なコミュニケーションが無効化されることで、
対象を「把握できている」との日常的な思い込みは破砕される。
そこに立ち現れるのは、まさに父娘がなおざりに許し、家政婦には看過できなかった
『未実現の混沌にもがく変態途上の不定形(p.61)』にも似た世界。
しかしこの混沌に互いにまじりあいつつ住まう者たちには、自己と他者を峻別し対象を明確に区切り、
世界に存在する事物を名指しのもたらす通念によって手際よく扱うことはかなわない。
(ちょうど『タミエの花』の少女が学者の男よりも草木のことを「よく知っている」にもかかわらず、
いざそれを問われるとそれらのイメージは霞んで飛散してしまってうまく伝えられず、
結局学名の分類という男の有する知識体系には抗しきれなかったように)
したがって、彼らは主体として自らの未来を能動的に選び取り、運命を切り拓くよりは、
aでもありbでもありえた段階の未定性の豊穣さをひたすら享受するのみで、
世間知に長けた外来者に抵抗するすべを持たなかった。
この弱さに殉じた受動の「おろかさ」こそを、娘は父との関係の綻びの遠因にして、
両者の深い絆の根拠であると、娘は長い懊悩の日々の末に観念するに至ったのだろうか。
後妻に撹乱者としての地位のみを与えつつ父との関係に固着し続けるのは確かに幼稚な心性なのかもしれないが、
(とはいえ最後から再び冒頭に戻ると父娘の密室から脱出する契機が込められているのを感じなくもない)
そこを起点にしてということなのだろうか、
名指された事物を所与として受け入れ活用して要領良く生きる利点を半ば放擲してまでも、
名指しを遁れゆく未定の潜在性というあえかな、しかし分厚い現実の層に傾倒してきた生きざまの凄みというものを、
もはや内容そのものといってよい文体によってまざまざと示された、そんな感想。
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abさんご ハードカバー – 2013/1/22
黒田 夏子
(著)
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購入オプションとあわせ買い
史上最高齢・75歳で芥川賞を受賞した「新人女性作家」のデビュー作。蓮實重彦・東大元総長の絶賛を浴び、「早稲田文学新人賞」を受賞した表題作「abさんご」。全文横書き、かつ固有名詞を一切使わないという日本語の限界に挑んだ超実験小説ながら、その文章には、「昭和」の知的な家庭に生まれたひとりの幼な子が成長し、両親を見送るまでの美しくしなやかな物語が隠されています。ひらがなのやまと言葉を多用した文体には、著者の重ねてきた年輪と、深い国文学への造詣が詰まっています。
著者は、昭和34年に早稲田大学教育学部を卒業後、教員・校正者などとして働きながら、半世紀以上ひたむきに「文学」と向き合ってきました。昭和38年には丹羽文雄が選考委員を務める「読売短編小説賞」に入選します。本書には丹羽から「この作者には素質があるようだ」との選評を引き出した〝幻のデビュー作〟ほか2編も併録します。
しかもその部分は縦書きなので、前からも後ろからも読める「誰も見たことがない」装丁でお送りします。
はたして、著者の「50年かけた小説修行」とはどのようなものだったのでしょうか。その答えは、本書を読んだ読者にしかわかりません。文学の限りない可能性を示す、若々しく成熟した作品をお楽しみください。
著者は、昭和34年に早稲田大学教育学部を卒業後、教員・校正者などとして働きながら、半世紀以上ひたむきに「文学」と向き合ってきました。昭和38年には丹羽文雄が選考委員を務める「読売短編小説賞」に入選します。本書には丹羽から「この作者には素質があるようだ」との選評を引き出した〝幻のデビュー作〟ほか2編も併録します。
しかもその部分は縦書きなので、前からも後ろからも読める「誰も見たことがない」装丁でお送りします。
はたして、著者の「50年かけた小説修行」とはどのようなものだったのでしょうか。その答えは、本書を読んだ読者にしかわかりません。文学の限りない可能性を示す、若々しく成熟した作品をお楽しみください。
- 本の長さ128ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2013/1/22
- 寸法13.72 x 1.78 x 19.05 cm
- ISBN-104163820000
- ISBN-13978-4163820002
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2013/1/22)
- 発売日 : 2013/1/22
- 言語 : 日本語
- ハードカバー : 128ページ
- ISBN-10 : 4163820000
- ISBN-13 : 978-4163820002
- 寸法 : 13.72 x 1.78 x 19.05 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 115,153位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,972位日本文学
- - 26,502位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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黒田 夏子(くろだ なつこ)
1937年東京生まれ。早稲田大学教育学部国語国文科卒業。教員・事務員・校正者などを経て、2012年「abさんご」で第24回早稲田文学新人賞を受賞しデビュー。同作品で第148回芥川賞受賞。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年4月8日に日本でレビュー済み
2020年8月25日に日本でレビュー済み
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読みずらい。高邁な意図があるようだが、それはお好きに。
何も伝わってこない。不思議な歪んだ家族構成なのでしょうが。
「美しい日本語の再発見」というような評者もいましたが、専門家間でお好きにどうぞ。行きつく所は袋小路かと思います。
何も伝わってこない。不思議な歪んだ家族構成なのでしょうが。
「美しい日本語の再発見」というような評者もいましたが、専門家間でお好きにどうぞ。行きつく所は袋小路かと思います。
2018年9月13日に日本でレビュー済み
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自分がバカなのかもしれないと思わされる。わりと読書は好きだけど、この本はちょっとイミフすぎる。
2021年1月28日に日本でレビュー済み
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以前、「abさんご」がひらがなばかりで読みづらく、読むのをあきらめたことがあります。
改めてkindle版で読んでみたら、なぜかすらすら読めました。かつて諦めたことを後悔するほど楽しい読書になりました。
主人公の心情などは全く書かれていなくても、情景が目に浮かぶような描写(お屋敷の書斎の様子や人形の家の描写にときめきました)により、懐かしさや切なさ、喪失感のようなものまでこみあげてくるようです。自然にこどもの目線まで降りた感覚で読みましたが、受け入れがたい状況においても、その成り行きをただ静かに見つめて淡々と日々を生きてゆくという冷静さと健気さがあります。横書きで、句点の代わりにピリオドを打つという文体のこだわりもこの作品にはよくあっていると思いました。黒田さんの他の作品が是非読みたいです。
他の作品も読めるとうっかり勘違いして購入しましたが、kindle版には他の短編が収録されておらず、残念でした。ご注意ください。
改めてkindle版で読んでみたら、なぜかすらすら読めました。かつて諦めたことを後悔するほど楽しい読書になりました。
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2013年2月14日に日本でレビュー済み
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75歳という芥川賞史上最高齢受賞ということで、大きな話題となり、毒舌評論家の斎藤美奈子が、ノミネート中から読まないと損をしますというので、読んでみた。アマゾンの紹介では、二つの書庫と巻き貝状の小べやのある「昭和」の家庭で育ったひとり児の運命とある。
難しそうだが短編だし、何とかなろうと思った。最初は早稲田文学新人賞での「早稲田文学」にしようか「文芸春秋」にしようかと迷ったが、いずれも雑誌では当然他のものも含まれる。値段的に同じくらいならと、初期作品も載る芥川賞前発行の単行本とした。
傘や蚊帳を「天からふるものをしのぐどうぐ」とか「へやの中のへやのようなやわらかい檻」と書いているというのだが、全部そうかと思ったら、これは意外に少なかった。だがどうも筋がはっきり分らない。アマゾンのレビユーでも今日現在19件だが、良いというのと分らないとが両極だ。
何回か繰り返し読めば良さが分るのかもしれないが、それほどの気は今の所起こらない。ただ独特の文章は読んでいて快く、よく分らないのから来る不快さといい勝負かなと思った。ということで他のレビュアーのように挫折とまでは行かないが、それに近い読後感である。
ところで横書きで左から始まったこの作に較べ、併録されている初期3作「毬、タミエの花、虹」は右からの縦書きで、至極全うな作品だ。タミエという女の子を描いたもので、どれもとても面白く、特に「タミエの花」は哀感のある好い小品だ。出版されているのはこの他に「累成体明寂」があるらしいが、見出しでも「abさんご」様のものらしい。分りやすい作品からここに到る、長い道程が作者にはあった訳だ。
難しそうだが短編だし、何とかなろうと思った。最初は早稲田文学新人賞での「早稲田文学」にしようか「文芸春秋」にしようかと迷ったが、いずれも雑誌では当然他のものも含まれる。値段的に同じくらいならと、初期作品も載る芥川賞前発行の単行本とした。
傘や蚊帳を「天からふるものをしのぐどうぐ」とか「へやの中のへやのようなやわらかい檻」と書いているというのだが、全部そうかと思ったら、これは意外に少なかった。だがどうも筋がはっきり分らない。アマゾンのレビユーでも今日現在19件だが、良いというのと分らないとが両極だ。
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2013年3月17日に日本でレビュー済み
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追憶の情景の静謐さも好みなのですが、物語として読みますと、ことに常に卑しい闖入者として描かれるのみの父の内縁妻となる使用人が登場してからは、人間の見方が家を出た時の娘のまま成長しなかった語り手の怨み語りのようで、文の技巧は素晴らしいけれど、手渡された話の中身はあまりに薄いと感じます。
文春の選評も読みましたが、川上弘美さんがわずかに触れた以外、内容について語っている選考委員がいないことに、奇異な感じがします。
著者はインタビューでテーマや物語はないようなものと語っていますが、中身が足りないことへのカモフラージュのようにも響き作家としての甘えを感じました。
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著者はインタビューでテーマや物語はないようなものと語っていますが、中身が足りないことへのカモフラージュのようにも響き作家としての甘えを感じました。
2013年3月6日に日本でレビュー済み
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文字を読んでいるのか、それとも、ゆらゆらと伸び縮みするくらげの群れのやや濁った水槽を眺めているのか、わからなくなってしまう。墨の乾かない山水画、母の胎での浮遊、あの世、蛍の点滅・・・そんな感じです。
ひらがながたようされぶんせつとぶんせつがわかりにくい。しかし、そこから意味深な誤読や多重性が生まれます。たとえば、「傘を持って行かなかったので、ぼくは夕立でびしょ濡れになった」とではなく、下手な模倣をしてみるなら、「ゆうだちでびしょぬれになった者は、でがけの天気予報にもかかわらず、いやただめんどうであったせいか、かさをもっていかなかったことをたいしてこうかいしているわけでもなかった」というような書き方がされています。
これらは、ひとつは、文節的な知を混沌におしもどそうとしているのでしょうか。一緒に収められている半世紀前の小品、「タミエの花」で、タミエは花に自由に名前をつけることを楽しんでおり、「みんなに知られ名づけられ、絵だの写真だのにうつされ、また、男の頭の上に浮いている複雑な地図の中で、アヤメ科だのラン科だのと定められるなどとは到底許しがたい」(三二頁)と思うのです。「単に感覚的博識ともいうべき己れの世界に比べて、男の世界には地図があり帳面があり、みんなとの協定みんなの支持があるという堅固を確実を安定を、ひしひしと感じさせられて来たタミエ」(三三頁)。「abさんご」はまさに「感覚的博識ともいうべき己れの世界」ではないでしょうか。
この世界の風景や出来事は簡単に分節化できるものではありません。「その花の形は、確かにタミエには見えながら、つきつめられれば総て朧げに眇(びょう)として、花びらの数も斑の色も、こうとはっきり言葉にならない」(三四頁)と作者は五十年前に書いています。
なんかい、ふめいりょう、にじみ。作者が言葉を滲ませる、そのわけは、同じくこの本に収められている十ページ足らずの五十年前の作品、「虹」にあるのかも知れないと思いました。最後の場面にはおどろきました。そこには、タミエが虹を見た記憶を持たないわけがあります。
もっとも、いっせいきのはんぶんがすぎ、「abさんご」の最終段落を読むと、にじみは、暗い記憶の隠ぺいではなくなり、一つの意味や事柄にとらわれず、あらゆるありようをかさねあわせる達観となったのだと思いました。
ひらがながたようされぶんせつとぶんせつがわかりにくい。しかし、そこから意味深な誤読や多重性が生まれます。たとえば、「傘を持って行かなかったので、ぼくは夕立でびしょ濡れになった」とではなく、下手な模倣をしてみるなら、「ゆうだちでびしょぬれになった者は、でがけの天気予報にもかかわらず、いやただめんどうであったせいか、かさをもっていかなかったことをたいしてこうかいしているわけでもなかった」というような書き方がされています。
これらは、ひとつは、文節的な知を混沌におしもどそうとしているのでしょうか。一緒に収められている半世紀前の小品、「タミエの花」で、タミエは花に自由に名前をつけることを楽しんでおり、「みんなに知られ名づけられ、絵だの写真だのにうつされ、また、男の頭の上に浮いている複雑な地図の中で、アヤメ科だのラン科だのと定められるなどとは到底許しがたい」(三二頁)と思うのです。「単に感覚的博識ともいうべき己れの世界に比べて、男の世界には地図があり帳面があり、みんなとの協定みんなの支持があるという堅固を確実を安定を、ひしひしと感じさせられて来たタミエ」(三三頁)。「abさんご」はまさに「感覚的博識ともいうべき己れの世界」ではないでしょうか。
この世界の風景や出来事は簡単に分節化できるものではありません。「その花の形は、確かにタミエには見えながら、つきつめられれば総て朧げに眇(びょう)として、花びらの数も斑の色も、こうとはっきり言葉にならない」(三四頁)と作者は五十年前に書いています。
なんかい、ふめいりょう、にじみ。作者が言葉を滲ませる、そのわけは、同じくこの本に収められている十ページ足らずの五十年前の作品、「虹」にあるのかも知れないと思いました。最後の場面にはおどろきました。そこには、タミエが虹を見た記憶を持たないわけがあります。
もっとも、いっせいきのはんぶんがすぎ、「abさんご」の最終段落を読むと、にじみは、暗い記憶の隠ぺいではなくなり、一つの意味や事柄にとらわれず、あらゆるありようをかさねあわせる達観となったのだと思いました。
2020年2月1日に日本でレビュー済み
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高名な作家を含めてこの作品を高く評価する人たちがいるので、理解しようと努めて丁寧に読んでみたが、それでも私はこの作品を良いと思わない。
第一に表現。この独特の表現(作者が気に入らない言葉を避けたということらしい)は、必然性がないうえに、美しくもないと思う。言葉は読み手に何事かを伝えるためのものであるとすれば、この作品の表現はあえてその役割を捨てている。
第二に内容。この作品を読んで印象に残るのは、主人公(≒著者)の父親に対する愛情とその後妻に対する拒絶感である。後妻に対しては侮蔑、憎しみすら感じる。その理由は語られない。感受性豊かな主人公の魂が何かを感じたのであろうが、そこを語らないで小説が成り立つだろうか。
芥川賞の選評をみて驚いた。賛否両論、喧々諤諤の議論があったのだろうと勝手に思っていたのだが、全員が口を揃えて絶賛している。これはおかしいよね。この作を絶賛していた蓮實重彦に遠慮したか? まさかとは思うが、もしそうだとしたら作家は思ったほど自由な人達ではないのだな。
第一に表現。この独特の表現(作者が気に入らない言葉を避けたということらしい)は、必然性がないうえに、美しくもないと思う。言葉は読み手に何事かを伝えるためのものであるとすれば、この作品の表現はあえてその役割を捨てている。
第二に内容。この作品を読んで印象に残るのは、主人公(≒著者)の父親に対する愛情とその後妻に対する拒絶感である。後妻に対しては侮蔑、憎しみすら感じる。その理由は語られない。感受性豊かな主人公の魂が何かを感じたのであろうが、そこを語らないで小説が成り立つだろうか。
芥川賞の選評をみて驚いた。賛否両論、喧々諤諤の議論があったのだろうと勝手に思っていたのだが、全員が口を揃えて絶賛している。これはおかしいよね。この作を絶賛していた蓮實重彦に遠慮したか? まさかとは思うが、もしそうだとしたら作家は思ったほど自由な人達ではないのだな。