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駅路 最後の自画像 単行本 – 2009/12/22
- ISBN-104103204389
- ISBN-13978-4103204381
- 出版社新潮社
- 発売日2009/12/22
- 言語日本語
- 本の長さ158ページ
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2009/12/22)
- 発売日 : 2009/12/22
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 158ページ
- ISBN-10 : 4103204389
- ISBN-13 : 978-4103204381
- Amazon 売れ筋ランキング: - 342,026位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 93,032位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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(1909-1992)小倉市(現・北九州市小倉北区)生れ。給仕、印刷工など種々の職を経て朝日新聞西部本社に入社。41歳で懸賞小説に応募、入選した『西郷札』が直木賞候補となり、1953(昭和28)年、『或る「小倉日記」伝』で芥川賞受賞。1958年の『点と線』は推理小説界に“社会派”の新風を生む。生涯を通じて旺盛な創作活動を展開し、その守備範囲は古代から現代まで多岐に亘った。
(1929-1981)1929(昭和4)年、東京生れ。実践女子専門学校(現実践女子大学)卒。
人気TV番組「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」など数多くの脚本を執筆する。1980年『思い出トランプ』に収録の「花の名前」他2作で直木賞受賞。著書に『父の詫び状』『男どき女どき』など。1981年8月22日、台湾旅行中、飛行機事故で死去。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年2月24日に日本でレビュー済み
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映画見て「原作の方が良かった」とかいう話がありますが、この本で原作/脚本/映像についてよく理解できる。なにしろそれぞれの超一流どころ。もうずいぶん時代が経っておりますが不朽。原作→映像(NHKオンデマ)→脚本の順で楽しむべし。「脚色」のセンス。
2014年1月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
才能ある作家は他人の作品の脚色などやりたがらない。向田もそうだった。しかし清張の短編・「駅路」をNHKから示されて、俄然その気になった。
なぜか。家では威張り散らすが外では家族を守るために、床にはいつくばって働いた学歴のない彼女の父の面影が( 父の詫び状 <新装版> (文春文庫) )、地方の高等商業卒ながらこつこつと地道に務め上げ銀行営業部長まで登りつめた小塚貞一にかぶって見えた。
定年を迎えた小塚は人生の駅路に立っていたが、向田も馬車馬のように走り続けて二十五年目、思いがけなく乳がんを患い初めて立ち止まる。向田自身人生の駅路に立たされていた。
向田は三十過ぎに妻子あるカメラマンと恋におちた。彼女(モデル)が美しいのは無論だけれど、愛人であるプロだけが撮ることのできたドキッとするものが残っている。小説の小塚の趣味は旅行と写真。腕前は相当なもので秘められた愛人とその肢体を撮ったおびただしい数の写真が彼女の下宿で発見される。
清張の作品「駅路」は他人事とは思えず、脚本化を依頼された向田は、この出会いに何か運命的なものを感じたのではなかろうか。
原作と彼女の脚本を読み比べてみる。清張の長編は時に冗長に流れるけれど、「駅路」はいい。簡潔に事件が語られ、それでいて定年を迎えた男の心理が如実に伝わってくる。例えば最後近く、同じように定年が視野に入っている五十近い刑事(役所広司)が若い同僚に言う。
「(ゴーギャンや芸術の世界は別として)普通の人間にも平凡な永い人生を歩き、ある駅路に到着したとき、今まで耐え忍んだ人生を、ここらで解放してもらいたい、気儘な旅に出直したいということにならないかね。まあ、一概には言えないが、家庭というものは、男にとっては忍耐のし通しの場所だからね。小塚氏の気持ちは僕なんかによく分かるよ」
小説は余分な情緒を加えず叙事的な筆致で書き切っている。新聞の事件記事のように。くっきりした白と黒、モノトーンの写真と言っていい。
向田さんはこれにどんな彩色を施しそれぞれの人物像に生々しさを吹き込んだか。読者のお楽しみとする。
私が見たのは当初のNHK作品「最後の自画像」ではなく、フジTV版「駅路」だったが、木村多江演じる、小塚(石坂浩二)を殺してしまった従妹のよし子が殺人の動機を供述するシーン。「八歳年上女の引け目」など、金以外に女が殺人に手を染める時の心情を語らせるくだりには圧倒された。小説では小塚の妻は取り乱さず冷静な女性として簡潔に描かれているだけだが、ドラマでは夫の浮気を知らされ化粧品をガラス戸にたたきつける生々しい女性として現れる。日常の冷静な挙措の下に潜む女の業のようなもの、その落差を十朱幸代がさすがにうまく演じていた。
向田作品は、背景に過ぎない原作の人物群にそれぞれ絶妙なセリフを語らせ、我々は一瞬にしてこれらがどんな境遇の、どんな性格の人物かをさとる。
原作の良さは禁欲的に事件そのものと定年を迎えた中年男の心情にのみ焦点を絞った筆の抑制にあるのだが、向田はこれを解き放ち脇役の人物群を生き生きとよみがえらせ別個の作品を生んだ。しかも原作の良さはいささかも損なわれていない。文豪と脂ののった才女による見事なそして一回きりの共同作業だった。
なぜか。家では威張り散らすが外では家族を守るために、床にはいつくばって働いた学歴のない彼女の父の面影が( 父の詫び状 <新装版> (文春文庫) )、地方の高等商業卒ながらこつこつと地道に務め上げ銀行営業部長まで登りつめた小塚貞一にかぶって見えた。
定年を迎えた小塚は人生の駅路に立っていたが、向田も馬車馬のように走り続けて二十五年目、思いがけなく乳がんを患い初めて立ち止まる。向田自身人生の駅路に立たされていた。
向田は三十過ぎに妻子あるカメラマンと恋におちた。彼女(モデル)が美しいのは無論だけれど、愛人であるプロだけが撮ることのできたドキッとするものが残っている。小説の小塚の趣味は旅行と写真。腕前は相当なもので秘められた愛人とその肢体を撮ったおびただしい数の写真が彼女の下宿で発見される。
清張の作品「駅路」は他人事とは思えず、脚本化を依頼された向田は、この出会いに何か運命的なものを感じたのではなかろうか。
原作と彼女の脚本を読み比べてみる。清張の長編は時に冗長に流れるけれど、「駅路」はいい。簡潔に事件が語られ、それでいて定年を迎えた男の心理が如実に伝わってくる。例えば最後近く、同じように定年が視野に入っている五十近い刑事(役所広司)が若い同僚に言う。
「(ゴーギャンや芸術の世界は別として)普通の人間にも平凡な永い人生を歩き、ある駅路に到着したとき、今まで耐え忍んだ人生を、ここらで解放してもらいたい、気儘な旅に出直したいということにならないかね。まあ、一概には言えないが、家庭というものは、男にとっては忍耐のし通しの場所だからね。小塚氏の気持ちは僕なんかによく分かるよ」
小説は余分な情緒を加えず叙事的な筆致で書き切っている。新聞の事件記事のように。くっきりした白と黒、モノトーンの写真と言っていい。
向田さんはこれにどんな彩色を施しそれぞれの人物像に生々しさを吹き込んだか。読者のお楽しみとする。
私が見たのは当初のNHK作品「最後の自画像」ではなく、フジTV版「駅路」だったが、木村多江演じる、小塚(石坂浩二)を殺してしまった従妹のよし子が殺人の動機を供述するシーン。「八歳年上女の引け目」など、金以外に女が殺人に手を染める時の心情を語らせるくだりには圧倒された。小説では小塚の妻は取り乱さず冷静な女性として簡潔に描かれているだけだが、ドラマでは夫の浮気を知らされ化粧品をガラス戸にたたきつける生々しい女性として現れる。日常の冷静な挙措の下に潜む女の業のようなもの、その落差を十朱幸代がさすがにうまく演じていた。
向田作品は、背景に過ぎない原作の人物群にそれぞれ絶妙なセリフを語らせ、我々は一瞬にしてこれらがどんな境遇の、どんな性格の人物かをさとる。
原作の良さは禁欲的に事件そのものと定年を迎えた中年男の心情にのみ焦点を絞った筆の抑制にあるのだが、向田はこれを解き放ち脇役の人物群を生き生きとよみがえらせ別個の作品を生んだ。しかも原作の良さはいささかも損なわれていない。文豪と脂ののった才女による見事なそして一回きりの共同作業だった。
2015年7月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
作者の思い入れが違うところが面白い。
松本清張さんは事件と男の浅はかさ、向田邦子さんはそんな男を見つめる生きている女を描いています。
もちろん時代は違いますが、今読んでも、気持ちの流れに古さは感じません。
いい作品は生き続けるのですね。
松本清張さんは事件と男の浅はかさ、向田邦子さんはそんな男を見つめる生きている女を描いています。
もちろん時代は違いますが、今読んでも、気持ちの流れに古さは感じません。
いい作品は生き続けるのですね。
2016年1月14日に日本でレビュー済み
「向田邦子は突然あらわれて、すでに名人であった」とは山口瞳の有名な言葉です。その名人向田が巨匠松本清張の原作をベースに脚本を書いた、というだけでも「最後の自画像」はそうとうに贅沢な作品です。
妻(声)「お茶!」
呼 野「おい一郎にな、少し音を(云いかける)」
妻(声)「仕事してないんなら、いいじゃないの。云えばかえって『えこじ』になるわよ」
呼 野「、、、、」
妻(声)「タミ子がバスケット部の合宿行きたいんだって」
呼 野「いくらかかるんだ」
妻(声)「二万円」
呼 野「そっちから出せないのか」
妻(声)「今月はおばあちゃん、一週間も泊まってったのよ」
呼 野「、、、判ったよ」
このシーンを原作に挿入することによって、呼野が仕事としてかかわっていた事件が呼野自身の内に抱える問題と交差し、事件の様相を一変させます。このシーンが挿入されたことによって、本作は「張り込み」に優るとも劣らない名作に仕上がっています。
向田邦子がどのようにしてこの脚本を書いたのか、あるいは書かざるを得なかったかについてもあとがきにそのエピソードの一端が記されています。
妻(声)「お茶!」
呼 野「おい一郎にな、少し音を(云いかける)」
妻(声)「仕事してないんなら、いいじゃないの。云えばかえって『えこじ』になるわよ」
呼 野「、、、、」
妻(声)「タミ子がバスケット部の合宿行きたいんだって」
呼 野「いくらかかるんだ」
妻(声)「二万円」
呼 野「そっちから出せないのか」
妻(声)「今月はおばあちゃん、一週間も泊まってったのよ」
呼 野「、、、判ったよ」
このシーンを原作に挿入することによって、呼野が仕事としてかかわっていた事件が呼野自身の内に抱える問題と交差し、事件の様相を一変させます。このシーンが挿入されたことによって、本作は「張り込み」に優るとも劣らない名作に仕上がっています。
向田邦子がどのようにしてこの脚本を書いたのか、あるいは書かざるを得なかったかについてもあとがきにそのエピソードの一端が記されています。
2017年8月1日に日本でレビュー済み
原作を脚色し、戯曲として舞台・映画・テレビドラマにするというのは、よくあることではありますが、なかなかそれを対比並列させて、読み機会というのはないようです。この一冊はそれを実現させ、加えてその編集の舞台裏まで明かしているというのが、誠に面白い企画です。しかも松本清張の推理小説、しかも短編小説でそれをやったというのが秀逸です。これを長編でやった場合、読者はその比較に疲れてしまうでしょう。しかもドラマ化を担当していたのが創作作品は多く書いても、脚色を嫌った向田邦子にやらせたというのが、尚成功しています。読者は小説と脚本との違いが鮮明に理解出来ます。その意味ではこの小冊子とも言える一冊は良き教科書の役割も果たしています。
原作を大きくふくらませながらも、原作に忠実である、しかし題名は「駅路」から「最後の自画像」に変えている。向田邦子さんの脚本家としての才能を具体的に伺える作品です。同時になるほど或る場合に作家から非難が寄せられる「原作をゆがめる」ということはこういうことなのかという言葉の意味がある程度理解出来る具体例ともなっています。冒頭のNHKプロデューサーと巻末の編集者の言葉を含め、面白く参考になる一冊でした。
原作を大きくふくらませながらも、原作に忠実である、しかし題名は「駅路」から「最後の自画像」に変えている。向田邦子さんの脚本家としての才能を具体的に伺える作品です。同時になるほど或る場合に作家から非難が寄せられる「原作をゆがめる」ということはこういうことなのかという言葉の意味がある程度理解出来る具体例ともなっています。冒頭のNHKプロデューサーと巻末の編集者の言葉を含め、面白く参考になる一冊でした。
2010年5月5日に日本でレビュー済み
この本を読んで一番感じるのは、松本清張もさりながら、向田邦子の脚色の才能の輝きです。
松本清張の「駅路」自身は、人生の終盤で節目に立つ男の感情を見事に描ききった短編です。
馬車馬の様に働いてきた、それは偏に家族の為の人生からの解放を目指した主人公の失踪を描いています。
定年と言う人生の「駅路」に立ち、今までの生活(家族中心の生活)から、自分自身のための生活への転身だったのでしょう。
このあたりは自分自身の定年を迎えての感情からして、良く理解出来ます。
これに、向田邦子は「女性」を加えました。
主人公の隠されていた愛人である福村慶子。
彼女は、妻である小塚百合子の冷たい合理的な性格とは、対照的に描かれます。
それだけでなく、友だちとのちょっとした会話などからも、彼女の置かれている立場や環境が浮かび上がってきます。
その決定的な部分は、主人公との約束の地に、ついに行けなかったことです。
そこにこそこの女性の性格そのものが現れているように思います。
更に、上手いなと思うのが、ゴーギャンの絵と人生の使い方です。
それがとりもなおさず主人公の失踪の動機を如実に表し、読む者の胸に強く訴えかけてきます。
二人の才能のぶつかり合いは、見事としか言いようがありません。
松本清張の「駅路」自身は、人生の終盤で節目に立つ男の感情を見事に描ききった短編です。
馬車馬の様に働いてきた、それは偏に家族の為の人生からの解放を目指した主人公の失踪を描いています。
定年と言う人生の「駅路」に立ち、今までの生活(家族中心の生活)から、自分自身のための生活への転身だったのでしょう。
このあたりは自分自身の定年を迎えての感情からして、良く理解出来ます。
これに、向田邦子は「女性」を加えました。
主人公の隠されていた愛人である福村慶子。
彼女は、妻である小塚百合子の冷たい合理的な性格とは、対照的に描かれます。
それだけでなく、友だちとのちょっとした会話などからも、彼女の置かれている立場や環境が浮かび上がってきます。
その決定的な部分は、主人公との約束の地に、ついに行けなかったことです。
そこにこそこの女性の性格そのものが現れているように思います。
更に、上手いなと思うのが、ゴーギャンの絵と人生の使い方です。
それがとりもなおさず主人公の失踪の動機を如実に表し、読む者の胸に強く訴えかけてきます。
二人の才能のぶつかり合いは、見事としか言いようがありません。
2010年7月10日に日本でレビュー済み
松本清張が原作の短篇を向田邦子が脚色してテレビドラマ化した。本書にはその両方が収録されている。大御所である清張氏の作品をどのように向田邦子が脚色したのか、この両者の読み比べは興味深いし楽しい。
清張氏の短篇「駅路」はリタイアした銀行員が失踪した原因を2人の刑事が捜査する物語だが、仕事一筋で生きていた男が引退後に新しい生活に踏み出そうとした時に遭遇した悲劇を抑えたタッチで描いた余韻を感じさせる作品だ。一方、向田氏は男の立場から描かれた原作に女性側からの視点を付け加えて、原作の余韻を残しながら更に深みのある作品に仕上げており実に見事だ。
また冒頭の元NHKプロデューサーの近藤氏のエピソードと巻末の編集者による解説もよい。
これらがあいまって本書を優れた作品にしている。
清張氏の短篇「駅路」はリタイアした銀行員が失踪した原因を2人の刑事が捜査する物語だが、仕事一筋で生きていた男が引退後に新しい生活に踏み出そうとした時に遭遇した悲劇を抑えたタッチで描いた余韻を感じさせる作品だ。一方、向田氏は男の立場から描かれた原作に女性側からの視点を付け加えて、原作の余韻を残しながら更に深みのある作品に仕上げており実に見事だ。
また冒頭の元NHKプロデューサーの近藤氏のエピソードと巻末の編集者による解説もよい。
これらがあいまって本書を優れた作品にしている。