まさかとは思いましたが虫が挟まってました笑
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社会を変えるには (講談社現代新書) 新書 – 2012/8/17
小熊 英二
(著)
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〈私はしばしば、「デモをやって何か変わるんですか?」と聞かれました。「デモより投票をしたほうがいいんじゃないですか」「政党を組織しないと力にならないんじゃないですか」「ただの自己満足じゃないですか」と言われたりしたこともあります。しかし、そもそも社会を変えるというのはどういうことでしょうか。〉(「はじめに」より)
いま日本でおきていることは、どういうことか? 社会を変えるというのは、どういうことなのか? 歴史的、社会構造的、思想的に考え、社会運動の新しい可能性を探る大型の論考です。
いま日本でおきていることは、どういうことか? 社会を変えるというのは、どういうことなのか? 歴史的、社会構造的、思想的に考え、社会運動の新しい可能性を探る大型の論考です。
- ISBN-104062881683
- ISBN-13978-4062881685
- 出版社講談社
- 発売日2012/8/17
- 言語日本語
- 寸法10.7 x 2.1 x 17.3 cm
- 本の長さ520ページ
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2012/8/17)
- 発売日 : 2012/8/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 520ページ
- ISBN-10 : 4062881683
- ISBN-13 : 978-4062881685
- 寸法 : 10.7 x 2.1 x 17.3 cm
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2024年2月5日に日本でレビュー済み
小熊英二(1962年~)氏は、東大農学部卒、岩波書店勤務、東大大学院総合文化研究科博士課程修了、慶大総合政策学部専任講師・助教授を経て、同教授。専攻は歴史社会学、相関社会科学。『社会を変えるには』は新書大賞(2013年)を受賞。その他、サントリー学芸賞、毎日出版文化賞、小林秀雄賞等を受賞。
本書は、20世紀に入り、社会を変えたい、と思いながら、実際には変えられると思えない、或いは、そもそもどうしたら「社会を変える」ことになるのかわからない人が増える中で、「社会を変える」とはどういうことなのかを、歴史的、社会構造的、思想的に説いたものである。
具体的には、日本社会の現状(第1章)、社会の変化につれて、社会運動がどう変わってきたか(第2章)、戦後日本の社会運動の歴史(第3章)、古代ギリシャの民主主義(第4章)、近代自由民主主義とその限界(第5章)、現代思想における民主主義(第6章)、社会運動に関する様々な理論と、「社会を変えるには」どうすればいいのか(第7章)、という構成となっており、新書にしては珍しい500頁の大部である。
著者は、「この本は社会運動と対話民主制を薦めている」と要約し、それを「正解」として盲目的に従うことはしないで欲しい(その理由は、本書の中で繰り返し出てくる)と書いているのだが、備忘のために、私なりの理解をシンプルにまとめると以下である。(歴史や思想については省く)
◆工業化社会からポスト工業化社会への移行(欧米では1960~70年代、日本では1990年代後半)に伴って、「労働者」や「農民」のような階級、或いは「若者」や「女性」といったカテゴリーが社会運動の主体とならなくなった。
◆古代ギリシャの直接民主主義では、全員が議論に参加し、盛り上がることによって、「みんな」や「われわれ」が決めたという納得感を得ていた。
◆近現代の、代議制による自由民主主義においては、個人が自由になったことと裏腹に、上記のようなカテゴリーの枠が希薄化し、自分たちは「ないがしろにされている」、「居場所がない」、「代表されていない」と考える人が増えてきた。
◆こうした状況を打開するためには、個人が自ら対話をする機会(社会運動など)に参加し、新しい「われわれ」を作り出す努力をするしかない。そのために、政府や専門家がするべきことは、個人が(対話)力をつける機会を作って手助けをすることである。そして、それこそが「社会を変える」ことなのである。
◆民主主義の原点は、参加者みんなが生き生きとして、思わず参加したくなる「まつりごと」である。そこにおいて、人は、自分個人を超えたものを代表していると思い、それとつながっていると感じることができる。
2012年に本書が出版されてから10年以上が経つが、今日では、著者の望んだ方向とはむしろ逆に、考えることも、異なる意見を持つ人と対話をすることもない人々が増え、それを扇動するポピュリスト政治家が、世界を席巻している。(日本とて例外ではない)
チャーチルは、第二次世界大戦終結直後に、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」と語り、事実、自由民主主義は、ファシズムにも社会主義にも打ち勝ってきたはずなのに。。。
著者の次の言葉を改めて心に刻みたいと思う。「社会を変えるには、あなたが変わること。あなたが変わるには、あなたが動くこと。言い古された言葉のようですが、いまではそのことの意味が、新しく活かしなおされる時代になってきつつあるのです。」
(2024年2月了)
本書は、20世紀に入り、社会を変えたい、と思いながら、実際には変えられると思えない、或いは、そもそもどうしたら「社会を変える」ことになるのかわからない人が増える中で、「社会を変える」とはどういうことなのかを、歴史的、社会構造的、思想的に説いたものである。
具体的には、日本社会の現状(第1章)、社会の変化につれて、社会運動がどう変わってきたか(第2章)、戦後日本の社会運動の歴史(第3章)、古代ギリシャの民主主義(第4章)、近代自由民主主義とその限界(第5章)、現代思想における民主主義(第6章)、社会運動に関する様々な理論と、「社会を変えるには」どうすればいいのか(第7章)、という構成となっており、新書にしては珍しい500頁の大部である。
著者は、「この本は社会運動と対話民主制を薦めている」と要約し、それを「正解」として盲目的に従うことはしないで欲しい(その理由は、本書の中で繰り返し出てくる)と書いているのだが、備忘のために、私なりの理解をシンプルにまとめると以下である。(歴史や思想については省く)
◆工業化社会からポスト工業化社会への移行(欧米では1960~70年代、日本では1990年代後半)に伴って、「労働者」や「農民」のような階級、或いは「若者」や「女性」といったカテゴリーが社会運動の主体とならなくなった。
◆古代ギリシャの直接民主主義では、全員が議論に参加し、盛り上がることによって、「みんな」や「われわれ」が決めたという納得感を得ていた。
◆近現代の、代議制による自由民主主義においては、個人が自由になったことと裏腹に、上記のようなカテゴリーの枠が希薄化し、自分たちは「ないがしろにされている」、「居場所がない」、「代表されていない」と考える人が増えてきた。
◆こうした状況を打開するためには、個人が自ら対話をする機会(社会運動など)に参加し、新しい「われわれ」を作り出す努力をするしかない。そのために、政府や専門家がするべきことは、個人が(対話)力をつける機会を作って手助けをすることである。そして、それこそが「社会を変える」ことなのである。
◆民主主義の原点は、参加者みんなが生き生きとして、思わず参加したくなる「まつりごと」である。そこにおいて、人は、自分個人を超えたものを代表していると思い、それとつながっていると感じることができる。
2012年に本書が出版されてから10年以上が経つが、今日では、著者の望んだ方向とはむしろ逆に、考えることも、異なる意見を持つ人と対話をすることもない人々が増え、それを扇動するポピュリスト政治家が、世界を席巻している。(日本とて例外ではない)
チャーチルは、第二次世界大戦終結直後に、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」と語り、事実、自由民主主義は、ファシズムにも社会主義にも打ち勝ってきたはずなのに。。。
著者の次の言葉を改めて心に刻みたいと思う。「社会を変えるには、あなたが変わること。あなたが変わるには、あなたが動くこと。言い古された言葉のようですが、いまではそのことの意味が、新しく活かしなおされる時代になってきつつあるのです。」
(2024年2月了)
2013年5月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小熊さんと二歳しか変わらないぼくは、1960年から80年まで、社会の出来事、政治、新聞、ニュースにはほとんど興味を持たずに過ごしました。しかし、本書により、生まれてから二十年間の社会と政治の動き、あるいは、全共闘、新左翼、浅間山荘など、聞いたことはある単語の意味の基本的な情報を知ることができました。
80年から2013年までは、ぼくも政治や社会運動に興味を持ち、それなりに読んだり、少し参加したりもしてきました。けれども、この時代についても、同年代の小熊さんがどのように感じ、分析していたかを読むことで、ぼくの中で断片的だったいくつかのことがつながって線になったり、あらたな意味を持つものになったりしました。
そういう意味で、ぼくの生きてきた52年間の社会と政治をあらたな角度で眺めることができ、とても楽しむことができました。
本書には戦後日本の政治や社会運動と並んで、プラトンからデカルト、ルソー、スミス、ベンサム、跳んで、現代のギデンズにいたる、政治についての考え方の変遷と共通課題についても、簡略ではありますが、わかりやすく述べられています。
さて、肝心の「社会を変える」方法(?)ですが、小熊さんは、まず、共同体のメンバーに、これは「われわれ」の政治だ、という意識がもたれることが必要だと指摘します。けれども、現代は「村」あるいは「労働者」などという形の「われわれ」は構成されにくいので、対話によっておたがいが変わりながら、あたらしく「われわれ」を作るしかない、と言います。
また、代議制によってももはや「われわれ」は形成されないので、集会やデモなど、直接民主主義の力によって、「われわれ」を生み出し、社会を変えていく方法を提示しています。
その際、重要なことは、集会やデモ、学習会などの参加者の中では、決定権は誰かに独占されず、分権、あるいは、共有にされるべきだと言います。自分の意見が反映すれば、参加や関心や学習の意識が促され、力がつく、と小熊さんは指摘します。
さらに、小熊さんは、首相や官僚も含め、現代の誰もが「誰も自分の言うことを聞いてくれない」「自分はないがしろにされている」という感覚を持っていると指摘し、これを変えることが、誰にとっても「社会を変える」ことになる、と述べています。
集会やデモなどが盛り上がれば、個人を超えた「われわれ」が作られる、コンサートなどの一体感と似ているが、全員が平等に参加することが違う、ともあります。
「自分たちが、自分個人を超えたものを「代表」していると思えるとき、それとつながっていると感じられるときは、人は生き生きとします」と。しかし、ポピュリズムのそれか、それとも、市民参加や社会運動のそれか、という選択が重要であると。
あとがきには、対話をすれば、対話ができる社会、対話ができる関係が作れ、参加をすれば、参加できる社会、参加できる自分ができる、とあります。
とすれば、この本が書かれ、読まれれば・・・どういうことが期待されるのでしょうか。
ぼくの属するギルドの人間関係、権力関係などには、参加しよう、変えようとすれば、できるのではないか、という気になってきました。
日本社会についても、Facebookなどを対話的に利用しつつ、「われわれ」を形成し、「われわれの作りたい社会」を共有する可能性も模索する価値はあるかとも思いました。
80年から2013年までは、ぼくも政治や社会運動に興味を持ち、それなりに読んだり、少し参加したりもしてきました。けれども、この時代についても、同年代の小熊さんがどのように感じ、分析していたかを読むことで、ぼくの中で断片的だったいくつかのことがつながって線になったり、あらたな意味を持つものになったりしました。
そういう意味で、ぼくの生きてきた52年間の社会と政治をあらたな角度で眺めることができ、とても楽しむことができました。
本書には戦後日本の政治や社会運動と並んで、プラトンからデカルト、ルソー、スミス、ベンサム、跳んで、現代のギデンズにいたる、政治についての考え方の変遷と共通課題についても、簡略ではありますが、わかりやすく述べられています。
さて、肝心の「社会を変える」方法(?)ですが、小熊さんは、まず、共同体のメンバーに、これは「われわれ」の政治だ、という意識がもたれることが必要だと指摘します。けれども、現代は「村」あるいは「労働者」などという形の「われわれ」は構成されにくいので、対話によっておたがいが変わりながら、あたらしく「われわれ」を作るしかない、と言います。
また、代議制によってももはや「われわれ」は形成されないので、集会やデモなど、直接民主主義の力によって、「われわれ」を生み出し、社会を変えていく方法を提示しています。
その際、重要なことは、集会やデモ、学習会などの参加者の中では、決定権は誰かに独占されず、分権、あるいは、共有にされるべきだと言います。自分の意見が反映すれば、参加や関心や学習の意識が促され、力がつく、と小熊さんは指摘します。
さらに、小熊さんは、首相や官僚も含め、現代の誰もが「誰も自分の言うことを聞いてくれない」「自分はないがしろにされている」という感覚を持っていると指摘し、これを変えることが、誰にとっても「社会を変える」ことになる、と述べています。
集会やデモなどが盛り上がれば、個人を超えた「われわれ」が作られる、コンサートなどの一体感と似ているが、全員が平等に参加することが違う、ともあります。
「自分たちが、自分個人を超えたものを「代表」していると思えるとき、それとつながっていると感じられるときは、人は生き生きとします」と。しかし、ポピュリズムのそれか、それとも、市民参加や社会運動のそれか、という選択が重要であると。
あとがきには、対話をすれば、対話ができる社会、対話ができる関係が作れ、参加をすれば、参加できる社会、参加できる自分ができる、とあります。
とすれば、この本が書かれ、読まれれば・・・どういうことが期待されるのでしょうか。
ぼくの属するギルドの人間関係、権力関係などには、参加しよう、変えようとすれば、できるのではないか、という気になってきました。
日本社会についても、Facebookなどを対話的に利用しつつ、「われわれ」を形成し、「われわれの作りたい社会」を共有する可能性も模索する価値はあるかとも思いました。
2018年4月23日に日本でレビュー済み
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通常の新書の約2倍のボリュームがありますが、一読に値する内容だと思います。ただ初版から約6年を経過して、例えば原発についても今次々に再稼働が始まっている現状を見たとき、当時脱原発のデモに数十万人が参加したといわれていますが、その「行動」をした人々は今何を思っているのでしょうか?著者の言うように自信につながっているのでしょうか?この6年間に特定秘密保護法、安保関連法案、共謀罪法案など大きな法案が続々成立し、皮肉なことに社会自体が6年前と大きく変わってしまいました。社会を変えようと動く以上に社会が大きく様変わりし、その波に飲み込まれるのではないかといった不安を覚えるようになっています。著者の言うように社会を変えるにはあなたが変わること、動くこと、その通りなのですが、それを上回るスピードで今の社会が政治が我々を変えないよう、動かさないように管理監視を強めています。自分が変わり行動を起こすことが、犯罪にならないうちに今すぐに行動するしかないということでしょうか。
2018年8月6日に日本でレビュー済み
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面白い本でした。見て沢山のことをわかりました
2013年5月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
社会を変えるには間接民主制ではだめで、反原発デモに代表されるように、直接行動をおこさないと(参加しないと)いけないということを理論的に、しかしわかりやすく説いた本で、運動家のテキストという意図・体裁で書かれている。が、運動家や革命家のような「特別な人」を対象としているのではなく、例えばアメリカでのベトナム反戦デモのように、一般市民誰もが参加できるような運動を念頭にしているようだ。
正直なところ、反原発デモの失敗によって実践書としての本書の魅力は大きく損なわれた。
ただ、この本の価値は理論の後ろ盾となる哲学理論のおさらいをわかりやすく筋道立てている点に尽きるだろう。
しかし、例えば資本や資本論をはしょってポスト工業化社会や全共闘の話を始めていたりと、正直なところ取捨選択が恣意的になっている感は否めなかった。
膨張する「資本」が原発のような安全や環境とトレードオフしても効率的に働くエネルギーを必要としているのであって、そのことはすでにマルクスの時点で指摘されていた。それを論理的に超克するすべを人類はいまだに持たない。
また、共産主義の死や情報の氾濫によって、マルクスの唱えたような「大きな物語」を唱えて(直接行動によって)社会を変えることは、今この世界ではできなくなっている。それをポストモダン状況と呼びます。
これらの前提となる説明を欠いては、読者を恣意的に誘導するものと取られかねないだろう。
ただ、311は確かに時代を少しながら動かした。「今」を映す本として一読する価値はあると思う。
正直なところ、反原発デモの失敗によって実践書としての本書の魅力は大きく損なわれた。
ただ、この本の価値は理論の後ろ盾となる哲学理論のおさらいをわかりやすく筋道立てている点に尽きるだろう。
しかし、例えば資本や資本論をはしょってポスト工業化社会や全共闘の話を始めていたりと、正直なところ取捨選択が恣意的になっている感は否めなかった。
膨張する「資本」が原発のような安全や環境とトレードオフしても効率的に働くエネルギーを必要としているのであって、そのことはすでにマルクスの時点で指摘されていた。それを論理的に超克するすべを人類はいまだに持たない。
また、共産主義の死や情報の氾濫によって、マルクスの唱えたような「大きな物語」を唱えて(直接行動によって)社会を変えることは、今この世界ではできなくなっている。それをポストモダン状況と呼びます。
これらの前提となる説明を欠いては、読者を恣意的に誘導するものと取られかねないだろう。
ただ、311は確かに時代を少しながら動かした。「今」を映す本として一読する価値はあると思う。
2017年8月15日に日本でレビュー済み
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使用感の少ない、大変きれいな本でした。煙草臭や絨毯剤消臭剤の匂いも無く、CSでも気持ちよく読めました。ありがとうございます。本当に。
2016年5月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
団体としての有機体は個人の集まりだが、その有機体は理念を表象しているひとつの実在である。個人は、有機体に入っても、固定化されず、出ていくのも自由。そのことで、有機体は新陳代謝していく。個人の力は限られている。旧来の組織という先入観に縛られない思考と行動が必要と思った。