資料として撫順戦犯収容所での日本兵の残虐行為の告白に触れていますが、広中先生は収容所での発言であることに少し注意した方がよいといっているのには好感が持てました。
ベトナム戦争時の米軍による住民の戦略村のように、日本軍は住民を囲い込み、共産軍に物資が渡ったり、交流を持たせないようにしたことに触れられています。塩が共産地区に渡らないようにしたとか。
また、中国人は日本軍による収奪や殺害だけでなく、国民党の軍閥による重税や賦役に苦しめられ、日本軍の侵攻を防ぐために黄河の堤防決壊作戦に苦しめられます。
山西省の閻錫山和平工作についても触れられています。
日中和平で互いに共産軍を倒そうというだけで、両者の思惑は異なり、和平はうまくいきませんでした。
閻錫山と日本軍幹部に翻弄させられた山西省の残留日本兵についても触れられています。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
¥1,012¥1,012 税込
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
¥1,012¥1,012 税込
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
¥682¥682 税込
配送料 ¥257 6月3日-4日にお届け
発送元: 【竜泉BOOKS】365日発送中!お急ぎ便なら翌日or翌々日に届きます! 販売者: 【竜泉BOOKS】365日発送中!お急ぎ便なら翌日or翌々日に届きます!
¥682¥682 税込
配送料 ¥257 6月3日-4日にお届け
発送元: 【竜泉BOOKS】365日発送中!お急ぎ便なら翌日or翌々日に届きます!
販売者: 【竜泉BOOKS】365日発送中!お急ぎ便なら翌日or翌々日に届きます!
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
後期日中戦争 太平洋戦争下の中国戦線 (角川新書) 新書 – 2021/4/9
広中 一成
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,012","priceAmount":1012.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,012","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"n43JtsLJ6zY%2BLk4uUYqdPk0qi7977MP4z1QnwfvL1QvJEaT6hyxhulC4GPOgMOPRO6syzGq%2FUCcJ1JC1PxEyc6FnDX1g0hBQf00gqFIUGN23SLO1NW5LEtCzQkrRJJkIYGfmHQMpyHA%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥682","priceAmount":682.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"682","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"n43JtsLJ6zY%2BLk4uUYqdPk0qi7977MP4LymwpU1mL7B5xNIc2u6%2BC2cwVWLO4QBQlawoywJFM7WUHFNRKxUbwB9A58%2Fti7SlcWke2VRnd7kRvRYyX%2BRMwnX4%2BYEeqL%2Beyi3pmUGaI6DW8%2BmRjVUbgM4vVLGMKaQbj668CiOa3U%2BH0r1YRU%2BefT8yoOW1RhHJ","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
真珠湾攻撃の裏で起きていた、敗北。41年以降の中国戦線の実像を描く!
真珠湾攻撃の裏で起きていた、敗北。
41年12月以降、中国戦線では何が起きていたのか?
気鋭の中国史研究者が空白の戦史を埋める!
日本人は、日中戦争を未だ知らない。
1937年の盧溝橋事件、南京事件や38年の重慶爆撃までは有名だ。
しかし、41年12月の太平洋戦争開戦後、中国戦線で日本軍がどのような作戦を展開していたのかは、対米戦の陰に隠れ、意外な程に知られていない。
主要作戦に従軍し続けた名古屋第三師団の軌跡から、泥沼の戦いとなった中国戦線の実像を描く! 新たな日中戦争史。
■1941年12月~42年1月、手痛い敗北を喫した第二次長沙作戦
■731部隊の細菌戦となった戦場、浙カン作戦
■一方的な勝利となった江南殲滅作戦。その中で起きたもう一つの虐殺・廠窖事件の実相
■毒ガス戦と中国版スターリングラード攻防戦となった常徳殲滅作戦
■補給なき泥沼の戦いとなった一号作戦(大陸打通作戦)
中国戦線は太平洋戦争に引きずり込まれていた!
【目次】
はじめに
第一章 最初の敗北――第二次長沙作戦
第一節 因縁の長沙
第二節 日中両軍の作戦部隊の戦力比較
第三節「天炉」の中へ
第四節 長沙攻略戦
第五節 長沙突入と敗走
第二章 細菌戦の戦場――浙カン作戦
第一節 大本営のプライドをかけた戦い
第二節 敵味方を苦しめた細菌戦
第三章 暴虐の戦場――江南殲滅作戦と廠窖事件
第一節 殲滅作戦
第二節 「太平洋戦争期で最大の虐殺」はあったか
第四章 毒ガス戦の前線――常徳作戦
第一節 明確な戦略なき作戦
第二節 第六戦区主力との戦い
第三節 常徳城の占領
第五章 補給なき泥沼の戦い――一号作戦(大陸打通作戦)
第一節 一号作戦
第二節 湘桂作戦
おわりに
参考文献一覧
真珠湾攻撃の裏で起きていた、敗北。
41年12月以降、中国戦線では何が起きていたのか?
気鋭の中国史研究者が空白の戦史を埋める!
日本人は、日中戦争を未だ知らない。
1937年の盧溝橋事件、南京事件や38年の重慶爆撃までは有名だ。
しかし、41年12月の太平洋戦争開戦後、中国戦線で日本軍がどのような作戦を展開していたのかは、対米戦の陰に隠れ、意外な程に知られていない。
主要作戦に従軍し続けた名古屋第三師団の軌跡から、泥沼の戦いとなった中国戦線の実像を描く! 新たな日中戦争史。
■1941年12月~42年1月、手痛い敗北を喫した第二次長沙作戦
■731部隊の細菌戦となった戦場、浙カン作戦
■一方的な勝利となった江南殲滅作戦。その中で起きたもう一つの虐殺・廠窖事件の実相
■毒ガス戦と中国版スターリングラード攻防戦となった常徳殲滅作戦
■補給なき泥沼の戦いとなった一号作戦(大陸打通作戦)
中国戦線は太平洋戦争に引きずり込まれていた!
【目次】
はじめに
第一章 最初の敗北――第二次長沙作戦
第一節 因縁の長沙
第二節 日中両軍の作戦部隊の戦力比較
第三節「天炉」の中へ
第四節 長沙攻略戦
第五節 長沙突入と敗走
第二章 細菌戦の戦場――浙カン作戦
第一節 大本営のプライドをかけた戦い
第二節 敵味方を苦しめた細菌戦
第三章 暴虐の戦場――江南殲滅作戦と廠窖事件
第一節 殲滅作戦
第二節 「太平洋戦争期で最大の虐殺」はあったか
第四章 毒ガス戦の前線――常徳作戦
第一節 明確な戦略なき作戦
第二節 第六戦区主力との戦い
第三節 常徳城の占領
第五章 補給なき泥沼の戦い――一号作戦(大陸打通作戦)
第一節 一号作戦
第二節 湘桂作戦
おわりに
参考文献一覧
- 本の長さ280ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2021/4/9
- 寸法10.9 x 1.3 x 17.3 cm
- ISBN-104040823664
- ISBN-13978-4040823669
よく一緒に購入されている商品
対象商品: 後期日中戦争 太平洋戦争下の中国戦線 (角川新書)
¥1,012¥1,012
最短で6月3日 月曜日のお届け予定です
残り13点(入荷予定あり)
¥1,056¥1,056
最短で6月3日 月曜日のお届け予定です
在庫あり。
¥968¥968
最短で6月3日 月曜日のお届け予定です
残り5点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
出版社より
商品の説明
著者について
●広中 一成:1978年、愛知県生まれ。2012年、愛知大学大学院中国研究科博士後期課程修了。博士(中国研究)。現在は愛知大学非常勤講師。専門は中国近現代史、日中戦争史、中国傀儡政権史。戦争体験者へのオーラルヒストリーも独自に行っている。著書に『傀儡政権』(角川新書)、『通州事件 日中戦争泥沼化への道』『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』(星海社新書)、『ニセチャイナ 中国傀儡政権 満洲・蒙疆・冀東・臨時・維新・南京』(社会評論社)などがある。
登録情報
- 出版社 : KADOKAWA (2021/4/9)
- 発売日 : 2021/4/9
- 言語 : 日本語
- 新書 : 280ページ
- ISBN-10 : 4040823664
- ISBN-13 : 978-4040823669
- 寸法 : 10.9 x 1.3 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 31,084位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 58位地方別日本史の本
- - 63位角川新書
- - 63位日本史ノンフィクション
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
1978年愛知県生まれ。愛知学院大学文学部歴史学科准教授。2012年愛知大学大学院中国研究科博士後期課程修了。博士(中国研究)。専門は中国近現代史、日中戦争史。著書に『後期日中戦争 太平洋戦争下の中国戦線』(角川新書)、『通州事件 日中戦争泥沼化への道』(星海社新書)、『冀東政権と日中関係』(汲古書院)など。Twitter: @hironakaisseis1
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2024年3月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2024年4月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
太平洋戦争で中国戦線はどんなだったのか、誰と戦っていたのか。私はほとんど知らなかった。日本兵たちの悲惨な体験やBC級戦犯たちの本は読んでいたので無意識のうちに加害者=陸軍首脳、被害者=日本兵、という図式が頭の中に出来上がっていた。しかし食糧は現地調達という方針があった以上、彼らは中国民衆に乱暴し虐待し殺害し略奪を繰り返さざるを得なかったのは当然のこと。いかに多くの住民を苦しめたことか。被害者だと思っていた日本兵もやっぱり加害者だったことを思う。広い中国大陸で、面でなく点の戦争を繰り返す、もぐら叩きのような戦争にどんな目的ビジョンがあったのか。愚かな戦争をしたものだとつくづく思いました。
2021年4月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これまで、一味違う(失礼ご容赦)または斬新な視点の日中戦争関連書を書かれてきた広中一成氏の新作新書。
今回は「後期日中戦争」である。馴染みのない用語だが、太平洋戦争開始後の日中戦争をさす。
あとがきによると、友人と会話していて、太平洋戦争時の日中戦争について聞かれて、うまく答えられなかったことが、本テーマに取り組むきっかけとのことである。
文献、成書を調べると、日中戦争序盤についての記述、考察は詳細になされていても、太平洋戦争開始後の日中戦争の部分は簡単に終わってしまっている。
だが、それでは日中戦争の全体像を知ることができない。著者は後期日中戦争の研究の方法として、開戦から終戦まで中国戦線で戦った第三師団(名古屋第三師団)に注目する。第三師団は第11軍の主力部隊である。この第三師団の歩みをたどり、旧第三師団兵士にインタビューして、体験を詳細に語ってもらい、日本と中国の残存文献を探索していく。
概要
第一章 第二次長沙作戦・・1941年12月~1942年1月 当初の目的は香港作戦の陽動作戦。指揮官阿南惟幾中将。中国側の「天炉」誘い込み戦法にはまり、戦死者1591人を出して敗北。
第二章 浙かん作戦・・1942年5月~8月 ドーリットル空襲後、再空襲予防のために、浙江省の中国軍飛行場を破壊するのが目的で、目的は達成。731部隊が考案したペスト菌蚤が投下されるなど、細菌兵器が使用されて現地住民を苦しめ、日本軍にも戦病者が多かった。
第三章 江南殲滅作戦と廠窖事件・・1943年5月。目的は、江南地域の中国野戦軍の撃滅。日本の記録では、戦闘により1万3067人を撃滅し、目的を達成。中国人生存者の証言等により、廠窖の住民と兵士3万人が虐殺される廠窖事件が起きたとされている。
第四章 常徳殲滅作戦・・1943年11月~12月。目的は重慶に向かう重要通過点の常徳中国軍の殲滅とビルマ反攻の牽制。中国にとってはスターリングラード攻防戦。日本軍は毒ガスまで使用し勝利。
第五章 一号作戦・・1944年4月~12月。最後の大作戦。目的は最終的に中国軍飛行場の破壊となる。目的は達成されたが、さらに奥地から日本本土爆撃機が飛び立っていて、戦局の劣勢は打開できなかった。
私的感想
〇斬新な視点の、一味違う、日中戦争史と思う。
〇叙述も大変にうまい。まず、作戦計画の背景、目的について書き、作戦計画、作戦部隊、戦力を具体的に、比較的詳細に記載する。現実に行われた作戦については、主として兵士の視点から、その奮闘死闘、困難苦難を描き、兵士に感情移入できる構成になっている。これに指揮官の意図、中国側の応戦が加わっていき、作戦の結末に至る。
〇日中戦争の汚点の細菌兵器、毒ガス、大虐殺についてもきちんと書かれている。しかし、第三師団がこれらに関わったかどうかについては、やや微妙な叙述になっている。
細菌兵器については、日本軍が蒔いた細菌に自ら苦しめられた被害の面が強調されている感じ。加害者面は、「第13軍は・・撤退する地域に細菌をばら撒いた」とあるが、第11軍については明確な記載はない。
浙かん作戦での毒ガス使用については、第三師団が毒ガス弾を持っていた可能性が高いとしながらも、使用については分からないとする。
浙かん作戦の際の廠窖での大虐殺については、大虐殺があったのなら、第三師団の支隊がその主体となってしまうが、日本側にはそういう記録はなく、規模については再検討を要するとする。
常徳殲滅作戦での毒ガス兵器を使ったのは応援部隊で、第三師団はその影響に苦しんでいる。
〇後期日中戦争の特徴は、太平洋戦線の展開に大きく影響を受けながら立案・実施されていたことという著者の結論はよく理解できた。
〇しかし、後期日中戦争が混迷した理由、日中戦争に敗れた理由、日中戦争の目的についての著者の見解は、結論だけに終わっている感もある。
〇もう少し膨らませて、もう少し厚めに論じてほしかったとも思うが、そちらにあまり頁数を割くと、抽象的な議論になって、リアルな戦場から離れていく感もある。これで十分かもしれない。
今回は「後期日中戦争」である。馴染みのない用語だが、太平洋戦争開始後の日中戦争をさす。
あとがきによると、友人と会話していて、太平洋戦争時の日中戦争について聞かれて、うまく答えられなかったことが、本テーマに取り組むきっかけとのことである。
文献、成書を調べると、日中戦争序盤についての記述、考察は詳細になされていても、太平洋戦争開始後の日中戦争の部分は簡単に終わってしまっている。
だが、それでは日中戦争の全体像を知ることができない。著者は後期日中戦争の研究の方法として、開戦から終戦まで中国戦線で戦った第三師団(名古屋第三師団)に注目する。第三師団は第11軍の主力部隊である。この第三師団の歩みをたどり、旧第三師団兵士にインタビューして、体験を詳細に語ってもらい、日本と中国の残存文献を探索していく。
概要
第一章 第二次長沙作戦・・1941年12月~1942年1月 当初の目的は香港作戦の陽動作戦。指揮官阿南惟幾中将。中国側の「天炉」誘い込み戦法にはまり、戦死者1591人を出して敗北。
第二章 浙かん作戦・・1942年5月~8月 ドーリットル空襲後、再空襲予防のために、浙江省の中国軍飛行場を破壊するのが目的で、目的は達成。731部隊が考案したペスト菌蚤が投下されるなど、細菌兵器が使用されて現地住民を苦しめ、日本軍にも戦病者が多かった。
第三章 江南殲滅作戦と廠窖事件・・1943年5月。目的は、江南地域の中国野戦軍の撃滅。日本の記録では、戦闘により1万3067人を撃滅し、目的を達成。中国人生存者の証言等により、廠窖の住民と兵士3万人が虐殺される廠窖事件が起きたとされている。
第四章 常徳殲滅作戦・・1943年11月~12月。目的は重慶に向かう重要通過点の常徳中国軍の殲滅とビルマ反攻の牽制。中国にとってはスターリングラード攻防戦。日本軍は毒ガスまで使用し勝利。
第五章 一号作戦・・1944年4月~12月。最後の大作戦。目的は最終的に中国軍飛行場の破壊となる。目的は達成されたが、さらに奥地から日本本土爆撃機が飛び立っていて、戦局の劣勢は打開できなかった。
私的感想
〇斬新な視点の、一味違う、日中戦争史と思う。
〇叙述も大変にうまい。まず、作戦計画の背景、目的について書き、作戦計画、作戦部隊、戦力を具体的に、比較的詳細に記載する。現実に行われた作戦については、主として兵士の視点から、その奮闘死闘、困難苦難を描き、兵士に感情移入できる構成になっている。これに指揮官の意図、中国側の応戦が加わっていき、作戦の結末に至る。
〇日中戦争の汚点の細菌兵器、毒ガス、大虐殺についてもきちんと書かれている。しかし、第三師団がこれらに関わったかどうかについては、やや微妙な叙述になっている。
細菌兵器については、日本軍が蒔いた細菌に自ら苦しめられた被害の面が強調されている感じ。加害者面は、「第13軍は・・撤退する地域に細菌をばら撒いた」とあるが、第11軍については明確な記載はない。
浙かん作戦での毒ガス使用については、第三師団が毒ガス弾を持っていた可能性が高いとしながらも、使用については分からないとする。
浙かん作戦の際の廠窖での大虐殺については、大虐殺があったのなら、第三師団の支隊がその主体となってしまうが、日本側にはそういう記録はなく、規模については再検討を要するとする。
常徳殲滅作戦での毒ガス兵器を使ったのは応援部隊で、第三師団はその影響に苦しんでいる。
〇後期日中戦争の特徴は、太平洋戦線の展開に大きく影響を受けながら立案・実施されていたことという著者の結論はよく理解できた。
〇しかし、後期日中戦争が混迷した理由、日中戦争に敗れた理由、日中戦争の目的についての著者の見解は、結論だけに終わっている感もある。
〇もう少し膨らませて、もう少し厚めに論じてほしかったとも思うが、そちらにあまり頁数を割くと、抽象的な議論になって、リアルな戦場から離れていく感もある。これで十分かもしれない。
2022年5月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
期待していた内容と違っていた・・・
2021年4月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
なぜ日中戦争に勝てなかったのか?
日清戦争に勝ち
日露戦争にも負けなかった日本が、
日中戦争には、負けなかったものの、
勝てなかった。
それはなぜなのか?
勝てなかっただけでなく
最終的には中国によって武装解除された。
つまり負けたのだが、それはなぜなのか?
その一因が、"大東亜戦争"="アジア太平洋戦争"下における中国戦線で、徒な消耗があったからだ-と知った。
では、徒な消耗をなぜしてしまったのか?
日本軍が"二本軍"と揶揄されるほどに
指揮系統の一元化がなされてなかったこと、
ここに原因する-と具体的に知った。
例えば、真珠湾攻撃から半月後、第二次長沙作戦が実施された。作戦の主体は阿南惟幾麾下の第11軍、作戦開始は12月25日、クリスマス。しかし作戦の目的は長沙を攻撃占領することにはなく、第23軍が主体の香港攻撃を側面支援することにあった。主役でなく脇役という役回りだった。だから第一次長沙作戦に比べ、兵力も軍装も兵站も少なかった。小銃弾は兵士一人当たり120発、砲は通常の半分、食糧は二日分。不足は現地徴発、つまり略奪で賄う。幸い、香港のイギリス軍が早目に降伏した。だから側面支援は必要なくなり、略奪など酷いことしなくてよくなった。ところが阿南司令官は、作戦中止命令を出さなかった。11軍の参謀や師団長達の慎重方針を押し切り、作戦を続行させたのだ。
兵は全力で戦った。川幅200メートル、水深150センチの汨水に、風雪に冷え切った汨水に、軍装を解くことなく飛び込み、増水した川の水が首元まで迫るなか、敵の弾丸雨霰の中、銃剣弾薬を頭上に捧げて、一斉に渡河したのだ。
が、弾薬、砲弾、食糧の補給が不十分であったため、長沙まで辿り着いた部隊もいたが占領は出来ず、反転退却した。
この三週間の作戦で中国兵士の死者は二万ハ千、他方日本軍死傷者は六千。
人的損害は中国の方が大きいが、長沙手前で激しい抵抗に遭い、これを抜けなかったこと、一日当たりの死傷者が430人で、第二次上海事変の444人に匹敵する激闘であったこと、兵站が分断されていたことが撤退の理由だ。
この作戦に従事した神田第六師団長が、阿南司令官の思いつきによる負け戦と批判している。
当然阿南は、何らかの処罰を受けるべきだろう。ところが、お咎めなしとなる。
阿南の上官は、畑俊六シナ派遣軍総司令官だが、阿南の謝罪で済ましてしまった。なぜか?
① 阿南は陸軍次官まで務めた陸軍中央の超エリート。② 畑も事後ではあったが、阿南の独走を認めてしまっていた。③ 阿南の責任追及は畑にも向かい、さらには大本営にまで及びかねない。
ということらしい
誰も責任を負わない、誰も責任を問わないという思い遣りは、今も蔓延っているが。
ではなぜ、こんな思い遣りが蔓延ったのか?
次の瞬間命がなくなるかもしれない戦場で、甘えが許されたのはなぜか?
① 中国軍を舐めていたから。日本軍はなかなか強く、一個連隊で中国軍一個師団を倒すことができたという。それは、機関銃など自動火器が普及していたからだ。舐めていたから、陽動作戦を途中から本作戦に切り替えても何とかなる、と傲慢にみていたのだ。だから、責任の自覚も薄かった。日清・日露戦争の必死さをなくしていた。
② 満洲事変前後から佐官クラスの俺が俺が意識が強くなり、仲間を作り、正しいことは下克上であっても成し遂げるのが軍人の使命、と思い込む連中が増えた。それは政府の言うことは勿論、軍中央の命令にも従わず、結果良ければ全て良しで押し通すことになった。軍が陸軍省と参謀本部に分かれ、それぞれの中で分裂し、二本軍どころか四本にも五本にもなり軍の統制から外交戦略、国政の根幹まで混乱させるようになる。広田弘毅の最大の外交相手は陸軍だったといわれる。政軍一致、団結して戦わなかったのだ。
この二つの宿痾を、後期日中戦争が具体的に示している。
日清戦争に勝ち
日露戦争にも負けなかった日本が、
日中戦争には、負けなかったものの、
勝てなかった。
それはなぜなのか?
勝てなかっただけでなく
最終的には中国によって武装解除された。
つまり負けたのだが、それはなぜなのか?
その一因が、"大東亜戦争"="アジア太平洋戦争"下における中国戦線で、徒な消耗があったからだ-と知った。
では、徒な消耗をなぜしてしまったのか?
日本軍が"二本軍"と揶揄されるほどに
指揮系統の一元化がなされてなかったこと、
ここに原因する-と具体的に知った。
例えば、真珠湾攻撃から半月後、第二次長沙作戦が実施された。作戦の主体は阿南惟幾麾下の第11軍、作戦開始は12月25日、クリスマス。しかし作戦の目的は長沙を攻撃占領することにはなく、第23軍が主体の香港攻撃を側面支援することにあった。主役でなく脇役という役回りだった。だから第一次長沙作戦に比べ、兵力も軍装も兵站も少なかった。小銃弾は兵士一人当たり120発、砲は通常の半分、食糧は二日分。不足は現地徴発、つまり略奪で賄う。幸い、香港のイギリス軍が早目に降伏した。だから側面支援は必要なくなり、略奪など酷いことしなくてよくなった。ところが阿南司令官は、作戦中止命令を出さなかった。11軍の参謀や師団長達の慎重方針を押し切り、作戦を続行させたのだ。
兵は全力で戦った。川幅200メートル、水深150センチの汨水に、風雪に冷え切った汨水に、軍装を解くことなく飛び込み、増水した川の水が首元まで迫るなか、敵の弾丸雨霰の中、銃剣弾薬を頭上に捧げて、一斉に渡河したのだ。
が、弾薬、砲弾、食糧の補給が不十分であったため、長沙まで辿り着いた部隊もいたが占領は出来ず、反転退却した。
この三週間の作戦で中国兵士の死者は二万ハ千、他方日本軍死傷者は六千。
人的損害は中国の方が大きいが、長沙手前で激しい抵抗に遭い、これを抜けなかったこと、一日当たりの死傷者が430人で、第二次上海事変の444人に匹敵する激闘であったこと、兵站が分断されていたことが撤退の理由だ。
この作戦に従事した神田第六師団長が、阿南司令官の思いつきによる負け戦と批判している。
当然阿南は、何らかの処罰を受けるべきだろう。ところが、お咎めなしとなる。
阿南の上官は、畑俊六シナ派遣軍総司令官だが、阿南の謝罪で済ましてしまった。なぜか?
① 阿南は陸軍次官まで務めた陸軍中央の超エリート。② 畑も事後ではあったが、阿南の独走を認めてしまっていた。③ 阿南の責任追及は畑にも向かい、さらには大本営にまで及びかねない。
ということらしい
誰も責任を負わない、誰も責任を問わないという思い遣りは、今も蔓延っているが。
ではなぜ、こんな思い遣りが蔓延ったのか?
次の瞬間命がなくなるかもしれない戦場で、甘えが許されたのはなぜか?
① 中国軍を舐めていたから。日本軍はなかなか強く、一個連隊で中国軍一個師団を倒すことができたという。それは、機関銃など自動火器が普及していたからだ。舐めていたから、陽動作戦を途中から本作戦に切り替えても何とかなる、と傲慢にみていたのだ。だから、責任の自覚も薄かった。日清・日露戦争の必死さをなくしていた。
② 満洲事変前後から佐官クラスの俺が俺が意識が強くなり、仲間を作り、正しいことは下克上であっても成し遂げるのが軍人の使命、と思い込む連中が増えた。それは政府の言うことは勿論、軍中央の命令にも従わず、結果良ければ全て良しで押し通すことになった。軍が陸軍省と参謀本部に分かれ、それぞれの中で分裂し、二本軍どころか四本にも五本にもなり軍の統制から外交戦略、国政の根幹まで混乱させるようになる。広田弘毅の最大の外交相手は陸軍だったといわれる。政軍一致、団結して戦わなかったのだ。
この二つの宿痾を、後期日中戦争が具体的に示している。
2021年7月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
詳細なレビューが既に投稿されているので、本書全体の要約・紹介や感想は省略させて頂き、特に参考になった所のみ引用させて頂く。
「日中戦争の特徴を太平洋戦争開戦前後で比べると、後半は作戦の大半が、太平洋戦線の展開に大きく影響を受けながら立案・実施されている。本書で取り上げた作戦だけ見ても、第二次長沙作戦は、香港攻略を容易にするための陽動作戦、浙贛作戦はドーリットル空襲の反撃、一号作戦、特に湘桂作戦は米空軍による本土空襲を防止するための中国南西部敵飛行場の攻撃がそれぞれの目的であった。(中略)。これらの作戦は、中国軍の撃滅と占領地の維持だけに専念していた太平洋戦争以前の日中戦争では、実行されなかったであろう。」(本書259頁)。
「後期日中戦争は、なぜそれほど混迷したのか、その主たる要因のひとつは、日本が、日中戦争に明確な目的を示せなかったことである。」(本書260頁)。
著者も記しているように、本書の記述は揚子江以南の華中・華南地域に限定されている。今後は、華北地域の戦場についても研究を進めたいとの事なので、期待して待つ事にしたい。
「日中戦争の特徴を太平洋戦争開戦前後で比べると、後半は作戦の大半が、太平洋戦線の展開に大きく影響を受けながら立案・実施されている。本書で取り上げた作戦だけ見ても、第二次長沙作戦は、香港攻略を容易にするための陽動作戦、浙贛作戦はドーリットル空襲の反撃、一号作戦、特に湘桂作戦は米空軍による本土空襲を防止するための中国南西部敵飛行場の攻撃がそれぞれの目的であった。(中略)。これらの作戦は、中国軍の撃滅と占領地の維持だけに専念していた太平洋戦争以前の日中戦争では、実行されなかったであろう。」(本書259頁)。
「後期日中戦争は、なぜそれほど混迷したのか、その主たる要因のひとつは、日本が、日中戦争に明確な目的を示せなかったことである。」(本書260頁)。
著者も記しているように、本書の記述は揚子江以南の華中・華南地域に限定されている。今後は、華北地域の戦場についても研究を進めたいとの事なので、期待して待つ事にしたい。