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原子力時代における哲学 (犀の教室) 単行本 – 2019/9/25
國分功一郎
(著)
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3.11で原子力の平和利用神話は崩れた。人間の叡智は原子力に抗し得なかった。哲学もまた然り。しかし、哲学者でただ一人、原子力の本質的な危険性を早くから指摘していた人物がいる。それがマルティン・ハイデッガー。並み居る知識人たちが原子力の平和利用に傾いていくなかで、なぜハイデッガーだけが原子力の危険性を指摘できたのか。その洞察の秘密はどこにあったのか。ハイデッガーの知られざるテキスト「放下」を軸に、ハンナ・アレントからギリシア哲学まで、壮大なスケールで展開される、技術と自然をめぐる哲学講義録。3.11に対する哲学からの根源的な返答がここに。
「核技術そのものの問題をほとんど誰も取り上げていなかった時代、誰もがそれに大きな期待を寄せていた時代に、ハイデッガーがおそらく哲学者としてはただ一人、その問題点を鋭く指摘していたというのは見逃せない事実です。或る意味では哲学という営みのすごさを実感させてくれる事実でもあります。つまり、彼は哲学者であったからこそ、これを指摘できたのではないか。(…)哲学的な思考は、周囲に流されることなく物事の本質を観ることを可能にする──ハイデッガーの原子力を巡る思考は、そうした可能性を示す一つの証拠ではないかという気さえします。(本文より)」
【目次】
第一講 一九五〇年代の思想
1 原子力を考察した二人の思想家
2 核技術を巡る一九五〇年代の日本と世界の動き
3 ハイデッガーと一九五〇年代の思想
第二講 ハイデッガーの技術論
1 技術と自然
2 フュシスと哲学
第三講 『放下』を読む
1 「放下」
2 「放下の所在究明に向かって」
第四講 原子力信仰とナルシシズム
1 復習――ハイデッガー『放下』
2 贈与、外部、媒介
3 贈与を受けない生
4 結論に代えて
付録 ハイデッガーのいくつかの対話篇について──意志、放下、中動態
「核技術そのものの問題をほとんど誰も取り上げていなかった時代、誰もがそれに大きな期待を寄せていた時代に、ハイデッガーがおそらく哲学者としてはただ一人、その問題点を鋭く指摘していたというのは見逃せない事実です。或る意味では哲学という営みのすごさを実感させてくれる事実でもあります。つまり、彼は哲学者であったからこそ、これを指摘できたのではないか。(…)哲学的な思考は、周囲に流されることなく物事の本質を観ることを可能にする──ハイデッガーの原子力を巡る思考は、そうした可能性を示す一つの証拠ではないかという気さえします。(本文より)」
【目次】
第一講 一九五〇年代の思想
1 原子力を考察した二人の思想家
2 核技術を巡る一九五〇年代の日本と世界の動き
3 ハイデッガーと一九五〇年代の思想
第二講 ハイデッガーの技術論
1 技術と自然
2 フュシスと哲学
第三講 『放下』を読む
1 「放下」
2 「放下の所在究明に向かって」
第四講 原子力信仰とナルシシズム
1 復習――ハイデッガー『放下』
2 贈与、外部、媒介
3 贈与を受けない生
4 結論に代えて
付録 ハイデッガーのいくつかの対話篇について──意志、放下、中動態
- 本の長さ320ページ
- 言語日本語
- 出版社晶文社
- 発売日2019/9/25
- ISBN-104794970390
- ISBN-13978-4794970398
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商品の説明
著者について
國分功一郎(こくぶん・こういちろう) 1974年、千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。高崎経済大学を経て、現在東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専門は哲学・現代思想。著書に『スピノザの方法』(みすず書房)、『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社、増補新版:太田出版)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書)、『来るべき民主主義』(幻冬舎新書)、『近代政治哲学』(ちくま新書)、『民主主義を直感するために』(晶文社)、『中動態の世界』(医学書院)、『いつもそばには本があった。』(互盛央との共著、講談社選書メチエ)など。訳書に、ジャック・デリダ『マルクスと息子たち』(岩波書店)、ジル・ドゥルーズ『カントの批判哲学』(ちくま学芸文庫)などがある。『暇と退屈の倫理学』で第2回紀伊國屋じんぶん大賞、『中動態の世界』で第16回小林秀雄賞を受賞。
登録情報
- 出版社 : 晶文社 (2019/9/25)
- 発売日 : 2019/9/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 320ページ
- ISBN-10 : 4794970390
- ISBN-13 : 978-4794970398
- Amazon 売れ筋ランキング: - 67,266位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 137位哲学・思想の論文・評論・講演集
- - 847位哲学 (本)
- - 16,300位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年7月8日に日本でレビュー済み
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ハイデッガーが1950年代に原子力の平和利用を疑い、警鐘を鳴らしていたことを、哲学を越え、知の源流から考察した本。手に負えない産物を捉え、なぜ惚れこんでしまうのか?1981年小此木先生の「モラトリアム人間」、1996年松本先生の「愛は脳を活性化する」に述べられてきたことが、この本で見事に合致した。全てをマニュアル化してPCにプログラムとして指示することができない領域があるという危機管理の現実と、フロイトに遡る「ヒトの全能感の再起」が結びつけられている。そこに至る学習の経験と圧倒的な抽象化による理解が求められている「原子力」、その力はヒトの手に負えない。
2019年10月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
中沢新一が言うように、原子力技術とは太陽エネルギーを畏れ多くも人類が自前で調達すること、即ち生態圏にとっての外部を内部化することである。著者によれば、原子力技術が生み出された動機は人類のナルシシズム、つまり「自分は何にも頼らずに生きていけるという万能感」であり、それを満足させてくれるかぎりで原子力は人類にとり「悪魔的魅力」をもつ。これにたいしては「然りと否を同時に言う」(ハイデッガー)態度がひつようである。言い換えれば、「悪魔的魅力」を否定することなく、なおかつそれに抵抗することだ。ようするに、冷静になりなさい、落ちつきをとりもどしてよおく考えなきゃだめですよ、とゆうのが著者による「放下」(Gelassenheit)の解釈であるらしい。著者じしんが、取り扱い要注意のキケンな哲学者の発する「悪魔的魅力」にたいして同じ態度をキープしようと奮闘しているすがたがほほえましい。
2022年12月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、同じタイトルのもとに國分さんがおそらく一般人向けに行なった4回の連続講演の記録と、別の機会におそらく哲学の専門家向けに行われた1回の学会発表の記録とをもとに構成されています。内容は難しく集中力を要求されますが、同種の本にありがちな勿体ぶった文体や思わせぶりな口調がなく、著者の考え方が明快に説明されていて好感の持てる著作です。一度読み始めると抵抗なく最後まで読めてしまいます。
本書ではまず、原子力技術のもつ問題性に早くから(1950年代から)気付いて先駆的な考察をしていた哲学者としてハイデッガーを紹介し、その技術論をソクラテス以前の古代ギリシャの自然哲学との関連から論じた後、ハイデッガーの晩年近くに刊行され原子力問題が論じられている『放下』という作品を集中的に読み解く形で話が進められます。
本書は基本的には原子力発電をなくしていく動きを支持する立場から書かれていますが、反原発のための具体的な論拠や道筋を提示したり、判断基準を設定するということは、かえって思考を拘束することになるとして退けられていて、ハイデッガーの導き、特に放下と呼ばれる考え方に従って、原子力技術そのものの正体を落ち着いて見極めることに主眼が置かれています。そのため原子力政策に反対する立場の人ばかりでなく、推進を支持する立場の人にとっても、本書は有益で興味の持てる、良い意味で中立的な内容になっていると思います。
「放下」というのは本来は仏教用語だそうですが、キリスト教神秘主義のある重要な概念に対する訳語として用いられるものらしく、ハイデッガーの当該の書物はその概念をタイトルとしていることから、日本語版としては『放下』という題が付けられたもののようです。現在のキリスト教徒の間で「放下」という言葉が使われることはまずないと思いますが、本書を読んで私なりに理解した限りでは、特に福音主義のクリスチャンの間で好んで用いられる「明け渡し」(surrender = 意志の放棄)という言葉がそれに近いように思いました。放下という言葉は死語ですが、それと相同の精神は現在でも一部の人々の間で生きていると思います。
しかしハイデッガー自身は放下に必ずしもそのような宗教的な含意を込めていたわけではないようですし、本書の國分さんも宗教的な意味には一切触れずに、純粋な哲学用語としてこの概念を論じておられます。宗教の代わりに、國分さんは精神分析の知見を手掛かりに考察を進められ、結論として、現代人の原子力信仰の動因としてナルシシズムがあるという診断をされています。これはおそらく最終的な結論としてではなく、國分さんなりに放下の考え方に従った思考の一例として紹介されているように思われますが、説得力のある主張だと思います。
原子力技術はナルシシズムを刺戟するという意味で、数ある現代の技術の中でも特別な地位を占めていると、國分さんは書いておられます。しかしナルシシズムを刺戟する技術は他にもあると思いますし、今後も現れる可能性があるのではないでしょうか。その意味では、原子力技術に限定せずにもう少し高い視点から、本書で展開されているような哲学を構築していって頂きたいとも思いました。
本書ではまず、原子力技術のもつ問題性に早くから(1950年代から)気付いて先駆的な考察をしていた哲学者としてハイデッガーを紹介し、その技術論をソクラテス以前の古代ギリシャの自然哲学との関連から論じた後、ハイデッガーの晩年近くに刊行され原子力問題が論じられている『放下』という作品を集中的に読み解く形で話が進められます。
本書は基本的には原子力発電をなくしていく動きを支持する立場から書かれていますが、反原発のための具体的な論拠や道筋を提示したり、判断基準を設定するということは、かえって思考を拘束することになるとして退けられていて、ハイデッガーの導き、特に放下と呼ばれる考え方に従って、原子力技術そのものの正体を落ち着いて見極めることに主眼が置かれています。そのため原子力政策に反対する立場の人ばかりでなく、推進を支持する立場の人にとっても、本書は有益で興味の持てる、良い意味で中立的な内容になっていると思います。
「放下」というのは本来は仏教用語だそうですが、キリスト教神秘主義のある重要な概念に対する訳語として用いられるものらしく、ハイデッガーの当該の書物はその概念をタイトルとしていることから、日本語版としては『放下』という題が付けられたもののようです。現在のキリスト教徒の間で「放下」という言葉が使われることはまずないと思いますが、本書を読んで私なりに理解した限りでは、特に福音主義のクリスチャンの間で好んで用いられる「明け渡し」(surrender = 意志の放棄)という言葉がそれに近いように思いました。放下という言葉は死語ですが、それと相同の精神は現在でも一部の人々の間で生きていると思います。
しかしハイデッガー自身は放下に必ずしもそのような宗教的な含意を込めていたわけではないようですし、本書の國分さんも宗教的な意味には一切触れずに、純粋な哲学用語としてこの概念を論じておられます。宗教の代わりに、國分さんは精神分析の知見を手掛かりに考察を進められ、結論として、現代人の原子力信仰の動因としてナルシシズムがあるという診断をされています。これはおそらく最終的な結論としてではなく、國分さんなりに放下の考え方に従った思考の一例として紹介されているように思われますが、説得力のある主張だと思います。
原子力技術はナルシシズムを刺戟するという意味で、数ある現代の技術の中でも特別な地位を占めていると、國分さんは書いておられます。しかしナルシシズムを刺戟する技術は他にもあると思いますし、今後も現れる可能性があるのではないでしょうか。その意味では、原子力技術に限定せずにもう少し高い視点から、本書で展開されているような哲学を構築していって頂きたいとも思いました。
2019年11月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
反原発運動に対する大きな声では言えない違和感と、ハイデガーの原子力時代への先見性と、筆者の注目する中動態とハイデガーの放下との親和性、この3つが筆者の足場であるようです。面白く読み進められましたが、中沢新一とフロイトを経由してナルシシズムに落とし込んだところは「あれ? ここなの?」という感じです。原子力への偏愛は失われた全能感の回復としてのナルシシズムだという負の烙印を押して、それからの脱却を熟慮するというのでは、結局、イカロスは罰せられて落下するという倫理的なお話の焼き直しにしかなりません。ハッピーエンドを前提とせず、神の領域を侵すところまで、科学があるいは技術が驀進していくことは止められないのではないか? 行けるところまで行ってしまうという吉本隆明の洞察を踏まえて、遺伝子操作による医療や生殖の問題とともに論じてほしかった。いったいどこで何を足がかりにして私たちは止まらなければならないのでしょう? あるいは止まる必要はない? イカロスは太陽に到達する?
2021年2月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ハイデガーと聞いただけで「理解できるかな?」とびびりますが、杞憂でした。分りやすいうえに面白かった。最後まで一気に読めました。木田元さんの『ハイデガーの思想』と併せて読むと、一層理解が進むように思います。
2020年5月17日に日本でレビュー済み
面白かったです「最後の、なぜ人々は原子力エネルギーに魅せられるか」という部分については、ちょっとしっくりこなかったけれど、こういう考えていく取っ掛かりを見つけるのも難しい問題に対して、どんどん思索を深めていくのが素晴らしく、それについていくだけで楽しい(それじゃダメだと書かれてますが)。原子力に絡まずとも気づきの多い本でした。
以下自分なりの整理です
・哲学の立場から原子力発電に対していかなる態度をとるかを考えている
・過去の哲学者の中で原子力に言及している人は少なく、特に原子力発電に明確に哲学的に考察しているのはハイデッガーだけ
・ハイデッガーの思索をたどりながら考察する。
・ハイデッガーは、原子力のエネルギー利用に際してそのリスクの大きさに反して、人々がその利用の根拠を考えていないことを批判している。
・まずは技術論。そもそもの技術とは、自然が持つ力をこちら側に引き寄せてくること。
が、現代技術は自然を挑発している(いつでも使えるエネルギーの貯蔵庫にされている)。
・次は思惟について。
・思惟には2種類「計算する思惟」「省察する熟慮」。現代は「計算する思惟」が前面に出ている。「省察する熟慮」を働かせなければならない。
・現代なりの考える基盤「来るべき土着性」が必要。放下と、謎へ向けての開けは、新しい土着性への展望を与える。
・「放下」は意志(する-されるの世界)の外側にある状態。
・ハイデッガーここまで
・3.11以降の中沢新一の考察。原子力以前のエネルギー技術はすべて太陽エネルギーを元とした化学反応、原子力は太陽エネルギーと同じ核反応。前者は安定的で地球の生態圏に属する現象。後者は不安定で生態圏外部の太陽圏に属する現象。本来外部であるものを内部にもってきている。
・上記の論に安住せず、さらになぜ原子力に魅せられるのかを省察(それがハイデッガーのやれと言ってたこと)。「人間の中にある全能感へのナルシシズム的な憧れを刺激し、何ものからも独立した、完全にスタンドアローンな状況を実現したいという欲望」「「贈与を受けない生」への欲望」
・最後には脱原発への展望も
以下自分なりの整理です
・哲学の立場から原子力発電に対していかなる態度をとるかを考えている
・過去の哲学者の中で原子力に言及している人は少なく、特に原子力発電に明確に哲学的に考察しているのはハイデッガーだけ
・ハイデッガーの思索をたどりながら考察する。
・ハイデッガーは、原子力のエネルギー利用に際してそのリスクの大きさに反して、人々がその利用の根拠を考えていないことを批判している。
・まずは技術論。そもそもの技術とは、自然が持つ力をこちら側に引き寄せてくること。
が、現代技術は自然を挑発している(いつでも使えるエネルギーの貯蔵庫にされている)。
・次は思惟について。
・思惟には2種類「計算する思惟」「省察する熟慮」。現代は「計算する思惟」が前面に出ている。「省察する熟慮」を働かせなければならない。
・現代なりの考える基盤「来るべき土着性」が必要。放下と、謎へ向けての開けは、新しい土着性への展望を与える。
・「放下」は意志(する-されるの世界)の外側にある状態。
・ハイデッガーここまで
・3.11以降の中沢新一の考察。原子力以前のエネルギー技術はすべて太陽エネルギーを元とした化学反応、原子力は太陽エネルギーと同じ核反応。前者は安定的で地球の生態圏に属する現象。後者は不安定で生態圏外部の太陽圏に属する現象。本来外部であるものを内部にもってきている。
・上記の論に安住せず、さらになぜ原子力に魅せられるのかを省察(それがハイデッガーのやれと言ってたこと)。「人間の中にある全能感へのナルシシズム的な憧れを刺激し、何ものからも独立した、完全にスタンドアローンな状況を実現したいという欲望」「「贈与を受けない生」への欲望」
・最後には脱原発への展望も
2022年10月30日に日本でレビュー済み
私個人の意見としては、原子力の是非については分からない。
本書の論理で良いのかも判断が付かない。
ただ、深く頷いたのは、
大事なのはそういった結論ありきの思考ではなく、
原子力について考え続けることであるという著者の主張。
原子力というテーマを通じて、「考える」とは何かを考えさせられた。
特に印象的だったのは、
<ハイデッガーについて>
┗現代人は考えることから逃走している
┗考えることは「省察」と「計算」の2種類から成るが、原題は「省察」が足りない
┗科学は「省察」しない
┗「省察」の可能性は「対話」の中に見出される
<フロイトの言葉>
"人間の知性は人間の欲動生活に比べて無力である。このことを我々は今後も繰り返し強調するだろうし、そうするのが正しいのかもしれない。ただ、この知性の弱さというものには何か独特のものがある。知性の声はか細い。しかしこの声は誰かに聞き取られるまで止むことがない。何度も繰り返し聞き過ごされた後、最後にはやはりそれを聞き取ってくれる人が出てくる。これは私たちが人類の未来について楽観的であることが許される数少ない点の一つであり、このこと自体が意味するところも小さくない。"
本書の論理で良いのかも判断が付かない。
ただ、深く頷いたのは、
大事なのはそういった結論ありきの思考ではなく、
原子力について考え続けることであるという著者の主張。
原子力というテーマを通じて、「考える」とは何かを考えさせられた。
特に印象的だったのは、
<ハイデッガーについて>
┗現代人は考えることから逃走している
┗考えることは「省察」と「計算」の2種類から成るが、原題は「省察」が足りない
┗科学は「省察」しない
┗「省察」の可能性は「対話」の中に見出される
<フロイトの言葉>
"人間の知性は人間の欲動生活に比べて無力である。このことを我々は今後も繰り返し強調するだろうし、そうするのが正しいのかもしれない。ただ、この知性の弱さというものには何か独特のものがある。知性の声はか細い。しかしこの声は誰かに聞き取られるまで止むことがない。何度も繰り返し聞き過ごされた後、最後にはやはりそれを聞き取ってくれる人が出てくる。これは私たちが人類の未来について楽観的であることが許される数少ない点の一つであり、このこと自体が意味するところも小さくない。"
2019年9月25日に日本でレビュー済み
著者は『放下』をテキストにハイデガーの技術論を取り上げ、原子力時代の哲学を論じる。ハイデガーには邦訳『技術について』(平凡社ライブラリー、講談社学術文庫)があり、原子力を論じるにはこちらのテキストの方が適している。
ハイデガーの技術論としては「ゲシュテル」(集立態・総駆り立て体制)が鍵概念である。人的資源・物的資源が大量生産のために総動員され、人間(現存在)は存在を見失う事態=「故郷の喪失」に陥り、存在を忘却する。この事態に対処するために、現存在は存在の「守護者(牧人)」として行動することが求められる。これが原子力時代における人間に求められる技術論である。
現在でも脱原発路線へ向けて世界各国が進んでいるが、無資源国日本がいきなり脱原発へ乗り出すのは困難な現状にある。ハイデガーの原子力時代における技術論は参考になる論点を含む。お勧めの一冊だ。また、故吉本隆明氏は『反原発異論』を著し、技術上の困難にどこまでも向き合う人間の努力の必要性を述べている。 こちらも参考になる本だ。本書を読んで、原子力に日本人がどのように向き合うべきかを考えたい。お勧めの一冊だ。
ハイデガーの技術論としては「ゲシュテル」(集立態・総駆り立て体制)が鍵概念である。人的資源・物的資源が大量生産のために総動員され、人間(現存在)は存在を見失う事態=「故郷の喪失」に陥り、存在を忘却する。この事態に対処するために、現存在は存在の「守護者(牧人)」として行動することが求められる。これが原子力時代における人間に求められる技術論である。
現在でも脱原発路線へ向けて世界各国が進んでいるが、無資源国日本がいきなり脱原発へ乗り出すのは困難な現状にある。ハイデガーの原子力時代における技術論は参考になる論点を含む。お勧めの一冊だ。また、故吉本隆明氏は『反原発異論』を著し、技術上の困難にどこまでも向き合う人間の努力の必要性を述べている。 こちらも参考になる本だ。本書を読んで、原子力に日本人がどのように向き合うべきかを考えたい。お勧めの一冊だ。