ねずさんやら竹田某ら自称愛国者の教祖様、もしくは平泉澄や渡部昇一など皇国史観の亡者達が喧伝していた『建武中興』や『七生報国、楠公精神、天皇陛下万歳!』の折に出される南朝正統史観ですが、私はどこか胡散臭く感じていました。それは、南朝正統の皇国史観自体が作為的な『物語』だったのであり、この本はそれを思い知らせてくれました。
・建武の新政に一番心酔した『忠臣』は足利尊氏公
・その足利との和睦など政略も素晴らしかった大楠公
・北畠顕家卿が後醍醐陛下の政治に忠諫した背景
・新田義貞公と宮様による北陸政権の夢
・悪人と名高い高師直公も忠義な部下に恵まれたリーダーだったこと
…など、まさに目から鱗が落ちるようでした。自称愛国者の史観と真逆ではありますが左翼的ではなく、前述したように物語的な史観ではなく、史料をメインにしているので公平性も確かです。おススメの一冊と言えます。
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南朝の真実: 忠臣という幻想 (歴史文化ライブラリー 378) 単行本 – 2014/5/20
亀田 俊和
(著)
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楠木正成・北畠親房・足利尊氏…。忠臣はいたのか? 皇位や政策をめぐって頻発した内乱と、複雑に絡みあう人物相関を詳述。
- 本の長さ218ページ
- 言語日本語
- 出版社吉川弘文館
- 発売日2014/5/20
- ISBN-104642057781
- ISBN-13978-4642057783
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著者について
1973年秋田県生れ。1997年京都大学文学部史学科国史学専攻卒業。2003年京都大学大学院文学研究科博士後期課程歴史文化学専攻(日本史学)研究指導認定退学。2006年京都大学博士(文学) 現在、京都大学文学部非常勤講師 ※2014年5月現在 【主な編著書】『室町幕府管領施行システムの研究』(思文閣出版、2013年)、「清廉潔白な奉行人―室町幕府奉行人依田時朝に関する一考察―」(『ぶい&ぶい』18、2011年)
登録情報
- 出版社 : 吉川弘文館 (2014/5/20)
- 発売日 : 2014/5/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 218ページ
- ISBN-10 : 4642057781
- ISBN-13 : 978-4642057783
- Amazon 売れ筋ランキング: - 499,704位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2023年2月3日に日本でレビュー済み
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楠木、北畠といった、後醍醐に従った人たちの名前を聞くことは多いが、その南朝の実態については、あまり知られてはいないのではと思う。楠木正成が、足利尊氏との和平を勧めようとしたこと、そしてその三男の正儀は、南朝軍の総大将として、何度も京都に攻め込みながら、一時は北朝側についてその公家となり、南朝に帰順したのちも、後の足利義満との和平合一の下地となる交渉を行っていたことなども注目に値する。
室町幕府の「観応の擾乱」においても、そのプレーヤーたちは、しばしば南朝の存在を利用したわけだし、皇族「伏見宮」も、南北朝の戦乱が生み出したものというのも認識するべきだろう。
室町幕府の「観応の擾乱」においても、そのプレーヤーたちは、しばしば南朝の存在を利用したわけだし、皇族「伏見宮」も、南北朝の戦乱が生み出したものというのも認識するべきだろう。
2014年7月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
皇室分裂と南北朝悲劇の最大の責任者は後醍醐天皇、なかんずく帝の性格だと思う。罪深い強欲な天皇は大覚寺党にも多大の被害をもたらした。南朝の侍大将達も離れられるのであれば離れたかったのではないか。南北朝の主役は足利尊氏であるおと思うが、中心ともいうべき存在は後醍醐天皇である。南朝の貴族や侍たちも中ば諦めと絶望を感じながら帝に従ったのではないか。報われない努力と死である。ようもまあ70年間もたたかいつづけたものだと感心する。もし、南朝が足利に勝利したら、南朝の諸将に栄光は訪れただろか。私はそうは思はない。この無責任な帝の性格からして、結城も新田も楠木も皇子たちも帝は朝敵にして誅殺するだろう。中世の欧州を思わせるような日本版の暗黒時代が訪れたかも知れない。
2020年10月26日に日本でレビュー済み
亀田俊和さんの本です。
南北朝時代の本で、「南朝=忠臣の集まり」って、本当なわけ?ということで、調べてみると、南朝は南朝で足の引っ張り合い、内紛まみれで、
決して滅私奉公の忠臣たちばかりでなく、むしろ逆に私欲ドロドロだったりする、という、よく考えてみれば当たり前のことが書かれています。
この亀田さんは、どうやら足利尊氏と高師直が好きらしくて、チラチラとそういうことを書いたりしていますが、
そういう「人物が好き」という態度って、歴史研究者としてどうなんだろうね。
もちろん、人間だから好き嫌いあるもんだけど、ただ論述で、そういうのを出すって、どうなんだろうなぁ。
また、ネットで調べたら、自分の考えと同じ事が論じられているのを、読んだことがある(80㌻)とか書いちゃったりしていて、
今日日の歴史研究者は、ネットも使うんだろうけど、それを堂々と書いちゃったりするところが、
なんだかなぁ、この人、大丈夫なのかしら、と思わないではなかったですね。
京大出身で、博士号も出ているようなんですが、京大って、こんなに緩いのかなぁ、とか思っちゃいます。
やっぱり、歴史学は東大で、史料編纂所に勤めたことのある人が、トップなのかも、と思った本でした。
勉強になりましたが、どこかしら緩さのある本でした。
まあ、こういう本の方が、とっつきやすいかもしれません。
南北朝時代の本で、「南朝=忠臣の集まり」って、本当なわけ?ということで、調べてみると、南朝は南朝で足の引っ張り合い、内紛まみれで、
決して滅私奉公の忠臣たちばかりでなく、むしろ逆に私欲ドロドロだったりする、という、よく考えてみれば当たり前のことが書かれています。
この亀田さんは、どうやら足利尊氏と高師直が好きらしくて、チラチラとそういうことを書いたりしていますが、
そういう「人物が好き」という態度って、歴史研究者としてどうなんだろうね。
もちろん、人間だから好き嫌いあるもんだけど、ただ論述で、そういうのを出すって、どうなんだろうなぁ。
また、ネットで調べたら、自分の考えと同じ事が論じられているのを、読んだことがある(80㌻)とか書いちゃったりしていて、
今日日の歴史研究者は、ネットも使うんだろうけど、それを堂々と書いちゃったりするところが、
なんだかなぁ、この人、大丈夫なのかしら、と思わないではなかったですね。
京大出身で、博士号も出ているようなんですが、京大って、こんなに緩いのかなぁ、とか思っちゃいます。
やっぱり、歴史学は東大で、史料編纂所に勤めたことのある人が、トップなのかも、と思った本でした。
勉強になりましたが、どこかしら緩さのある本でした。
まあ、こういう本の方が、とっつきやすいかもしれません。
2014年6月13日に日本でレビュー済み
今上へと繋がる皇統を溯ると北朝、それも一時期は傍流となった伏見宮系にたどり着く。しかし、明治憲法下、正統とされたのは南朝(当時は吉野朝といった)であり、現在も歴代に数えられるのは、ほぼ南朝の後醍醐(96代)、後村上(97代)、長慶(98代)、後龜山(99代)でしょう。皇国史観がとうに排除されたこの平成の世でも、われわれは、楠木正成をはじめとする忠臣をを讃え南朝を正統としています。一方、北朝を奉じた室町幕府は内輪もめばかりしていた弱体政権とのレッテルを貼られ、、なおかつ不道徳とのイメージ(歌舞伎の忠臣蔵の悪役が誰であるかを想起されたし)もつきまといます。
しかし著者は、本書においてサブタイトルにもあるように「南朝忠臣史観」を幻想とばっさり斬り捨てます。
著者が指摘するのは、大覚寺統内部の内輪もめ、公卿の後醍醐に対する批判、関東で活動していた北畠親房の足を引っ張った藤氏一揆などの相次ぐ分派活動、中期以降の主戦派と講和派の対立など、多岐にわたります。そして、従来はあまり顧みられていなかったこととして、初期の室町幕府は建武新政のある部分を忠実に継承しようとしていたことが述べられます。
ただ、本書が重点的に批判しているのは、南朝政権のていたらくよりも、史実を無視して、あるいはねじ曲げてまで勧善懲悪的に語られてきた、あるいはなお語られている幻想のなかの君臣像です。そして、新たな視点で南北朝時代をとらえ直します。一例を挙げれば楠木正成について、現実に即した彼の戦略眼を高く評価し、忠義よりも力量を評価すべきと述べて、イデオロギーでなく史実に即した正しい歴史観を持つべきだ、と説きます。
コンパクトながらかなり読み応えのある一冊です。
しかし著者は、本書においてサブタイトルにもあるように「南朝忠臣史観」を幻想とばっさり斬り捨てます。
著者が指摘するのは、大覚寺統内部の内輪もめ、公卿の後醍醐に対する批判、関東で活動していた北畠親房の足を引っ張った藤氏一揆などの相次ぐ分派活動、中期以降の主戦派と講和派の対立など、多岐にわたります。そして、従来はあまり顧みられていなかったこととして、初期の室町幕府は建武新政のある部分を忠実に継承しようとしていたことが述べられます。
ただ、本書が重点的に批判しているのは、南朝政権のていたらくよりも、史実を無視して、あるいはねじ曲げてまで勧善懲悪的に語られてきた、あるいはなお語られている幻想のなかの君臣像です。そして、新たな視点で南北朝時代をとらえ直します。一例を挙げれば楠木正成について、現実に即した彼の戦略眼を高く評価し、忠義よりも力量を評価すべきと述べて、イデオロギーでなく史実に即した正しい歴史観を持つべきだ、と説きます。
コンパクトながらかなり読み応えのある一冊です。
2014年12月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読み物でもないし、研究論文でもない、中途半端。複雑な関係を説明しているのはわかるが、もっと明快な手法はないものか。
2018年3月14日に日本でレビュー済み
2014年の本。著者は京都大学文学部非常勤講師。
曰く・・・
後醍醐天皇は尊氏を厚遇している。一方、護良親王は征夷大将軍になるものの3ヶ月で解任されるなど冷遇されている。
神皇正統記(北畠親房)は、後醍醐天皇の政治を基本的に失策として描く。建武政権において親房は政権中枢から排除されていたともいわれる。親房の子・顕家は建武新政を真っ向否定するような諌奏を天皇に提出している。
後醍醐天皇は、持明院統に対しては光厳を上皇待遇にするなど意外に厚遇している。一方、後醍醐天皇は護良親王など血統が近い皇族に厳しい。
北条高時の弟の北条時興は、北条時行らと同時挙兵する計画だったらしい。北条時興を匿っていたのが西園寺公宗であり、公宗は後醍醐暗殺を計画していたという。クーデターの成功後は北条氏が再び天下を握り、持明院統が皇位につき、公宗は朝廷の執政者となる予定。しかし、陰謀は発覚し、公宗は名和長年に斬殺される。
西園寺家は、鎌倉幕府と密着することで権力を維持してきたという経緯がある。西園寺家は持明院統とも密接。したがって、後醍醐の天下となると西園寺家は斜陽となり、それゆえに陰謀を企てたとしても不思議ではない。
建武式目は、室町幕府の基本法典であり、北条義時・泰時の政治に戻すことがスローガン。義時・泰時の時代は政治が有効に機能した時代として、当時から理想視されていた。北畠親房さえそれを認めている。また、建武式目は、延喜・天暦の治という後醍醐天皇の理想をもスローガンとして取り込む。室町幕府の諸政策は、建武政権が新規にはじめたものを継承したものが多い。
尊氏には後醍醐天皇に対する特別な思いがあるのではないか。後醍醐天皇の冥福を祈るための天龍寺建立にかける尊氏の熱意と尽力は少々常軌を逸している。尊氏は、後醍醐から莫大な恩恵(高い官職と莫大な恩賞領土)を享受している。
尊氏兄弟には高義という摘出の兄がいたらしい。尊氏兄弟の母は父貞氏の側室であり、尊氏は本来は足利家の家督を継承する予定ではなかった。尊氏が家を継承したのは鎌倉幕府滅亡直前だったという研究もある。
尊氏と後醍醐天皇が和睦したとき、後醍醐天皇は吉野へ脱走。この時点で、北陸に新田義貞とともに逃した恒良親王に渡したとされる三種の神器、光明天皇に譲ったとされる三種の神器、実は自分が隠し持っていたという三種の神器、という3つの三種の神器が存在することになる。
恒良親王は、天皇として綸旨を発行したこともある。とはいえ、後醍醐天皇の吉野行きのあと恒良の綸旨は消滅する。恒良は後醍醐の天皇在位を認め、自らの皇位継承は取り下げたらしい。恒良親王は、幕府軍に捕らえられ毒殺されたという。その後、新田義貞も戦死している。
後醍醐天皇の後継の後村上天皇は徹底抗戦派。講和派の筆頭は楠木正儀。中間派が北畠親房。北畠親房は、幕府の存在は認める。天皇の主権を侵害する幕府は否定するが天皇に忠実な将軍なら歓迎する立場。
足利直義の政治は必ずしも武士の利益とはなっていない。直義の判決は、ほとんどが荘園を侵略する武士を敗訴とし、寺社や公家の権益を保障している。足利直義は謹厳実直で、本質的に保守的で、伝統的権威を重んじた。
高師直は、敗戦し、降伏したにも関わらず、一族もろとも斬殺されるという悲劇的最期を遂げている。
高師直の死後、直義は権力を握る。このとき、直義は南朝との講和交渉に熱心に取り組んでいたらしいが、南朝はこれを拒否。和平派の楠木正儀は激怒する。
武闘派の細川清氏は足利義詮に抜擢され、南朝攻撃に功があったが、佐々木道誉に讒言されて失脚。清氏は南朝方に転じ、楠木正儀らとともに京都を攻撃して義詮を駆逐するが、京都を奪回され、最期は従兄弟の細川頼之と戦って戦死する。
足利義詮は、融和派の斯波高経を抜擢。高経は戦はからきしだったが、南朝方だった大内氏、山名氏などの大勢力を次々と幕府に帰参させる。劣勢だった南朝はますます不利になる。
管領は、将軍と守護の権益調整が仕事の大半。地位の高さに比して見返りの少ない損な役回りだった。
楠木氏の武勇は南北朝時代の当時から著名で、足利義詮も楠木氏の大ファンだった。義詮は、楠木正行(正成の子)の首塚の隣りに自分の墓を作らせたほど。
南北朝時代は徹底した実力主義の時代。いくら勲功を積み重ねてもその後に失敗すればすべて失ってしまいかねない。
北条時行は中先代の乱を起こすが足利尊氏に敗北し、そのあとは南朝方の北畠顕家傘下の武将として戦う。最後は尊氏に敗れ、処刑される。
などなど。
曰く・・・
後醍醐天皇は尊氏を厚遇している。一方、護良親王は征夷大将軍になるものの3ヶ月で解任されるなど冷遇されている。
神皇正統記(北畠親房)は、後醍醐天皇の政治を基本的に失策として描く。建武政権において親房は政権中枢から排除されていたともいわれる。親房の子・顕家は建武新政を真っ向否定するような諌奏を天皇に提出している。
後醍醐天皇は、持明院統に対しては光厳を上皇待遇にするなど意外に厚遇している。一方、後醍醐天皇は護良親王など血統が近い皇族に厳しい。
北条高時の弟の北条時興は、北条時行らと同時挙兵する計画だったらしい。北条時興を匿っていたのが西園寺公宗であり、公宗は後醍醐暗殺を計画していたという。クーデターの成功後は北条氏が再び天下を握り、持明院統が皇位につき、公宗は朝廷の執政者となる予定。しかし、陰謀は発覚し、公宗は名和長年に斬殺される。
西園寺家は、鎌倉幕府と密着することで権力を維持してきたという経緯がある。西園寺家は持明院統とも密接。したがって、後醍醐の天下となると西園寺家は斜陽となり、それゆえに陰謀を企てたとしても不思議ではない。
建武式目は、室町幕府の基本法典であり、北条義時・泰時の政治に戻すことがスローガン。義時・泰時の時代は政治が有効に機能した時代として、当時から理想視されていた。北畠親房さえそれを認めている。また、建武式目は、延喜・天暦の治という後醍醐天皇の理想をもスローガンとして取り込む。室町幕府の諸政策は、建武政権が新規にはじめたものを継承したものが多い。
尊氏には後醍醐天皇に対する特別な思いがあるのではないか。後醍醐天皇の冥福を祈るための天龍寺建立にかける尊氏の熱意と尽力は少々常軌を逸している。尊氏は、後醍醐から莫大な恩恵(高い官職と莫大な恩賞領土)を享受している。
尊氏兄弟には高義という摘出の兄がいたらしい。尊氏兄弟の母は父貞氏の側室であり、尊氏は本来は足利家の家督を継承する予定ではなかった。尊氏が家を継承したのは鎌倉幕府滅亡直前だったという研究もある。
尊氏と後醍醐天皇が和睦したとき、後醍醐天皇は吉野へ脱走。この時点で、北陸に新田義貞とともに逃した恒良親王に渡したとされる三種の神器、光明天皇に譲ったとされる三種の神器、実は自分が隠し持っていたという三種の神器、という3つの三種の神器が存在することになる。
恒良親王は、天皇として綸旨を発行したこともある。とはいえ、後醍醐天皇の吉野行きのあと恒良の綸旨は消滅する。恒良は後醍醐の天皇在位を認め、自らの皇位継承は取り下げたらしい。恒良親王は、幕府軍に捕らえられ毒殺されたという。その後、新田義貞も戦死している。
後醍醐天皇の後継の後村上天皇は徹底抗戦派。講和派の筆頭は楠木正儀。中間派が北畠親房。北畠親房は、幕府の存在は認める。天皇の主権を侵害する幕府は否定するが天皇に忠実な将軍なら歓迎する立場。
足利直義の政治は必ずしも武士の利益とはなっていない。直義の判決は、ほとんどが荘園を侵略する武士を敗訴とし、寺社や公家の権益を保障している。足利直義は謹厳実直で、本質的に保守的で、伝統的権威を重んじた。
高師直は、敗戦し、降伏したにも関わらず、一族もろとも斬殺されるという悲劇的最期を遂げている。
高師直の死後、直義は権力を握る。このとき、直義は南朝との講和交渉に熱心に取り組んでいたらしいが、南朝はこれを拒否。和平派の楠木正儀は激怒する。
武闘派の細川清氏は足利義詮に抜擢され、南朝攻撃に功があったが、佐々木道誉に讒言されて失脚。清氏は南朝方に転じ、楠木正儀らとともに京都を攻撃して義詮を駆逐するが、京都を奪回され、最期は従兄弟の細川頼之と戦って戦死する。
足利義詮は、融和派の斯波高経を抜擢。高経は戦はからきしだったが、南朝方だった大内氏、山名氏などの大勢力を次々と幕府に帰参させる。劣勢だった南朝はますます不利になる。
管領は、将軍と守護の権益調整が仕事の大半。地位の高さに比して見返りの少ない損な役回りだった。
楠木氏の武勇は南北朝時代の当時から著名で、足利義詮も楠木氏の大ファンだった。義詮は、楠木正行(正成の子)の首塚の隣りに自分の墓を作らせたほど。
南北朝時代は徹底した実力主義の時代。いくら勲功を積み重ねてもその後に失敗すればすべて失ってしまいかねない。
北条時行は中先代の乱を起こすが足利尊氏に敗北し、そのあとは南朝方の北畠顕家傘下の武将として戦う。最後は尊氏に敗れ、処刑される。
などなど。