なかなか書店でも見つからず、やっと出会った一冊でした。
偏見。家族のやさしさ。寡黙なご主人。
なにより、かずゑさんの強さ。一人でも多くの人に読んでほしい
一冊です。
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長い道 単行本 – 2012/7/21
宮崎 かづゑ
(著)
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著者は1928(昭和3)年生まれ。10歳で瀬戸内海に浮かぶ島、長島の
ハンセン病療養所長島愛生園(現・岡山県瀬戸内市)に入園、
以来70年余をこの地で暮らす。22歳で療友と結婚後は
園内で働く夫を主婦として支え、様々な後遺症を持ちながら、
家事と読書を楽しんで慎ましく暮らしてきた。
「本は親友だったけれども、自分が書くなんて思ってもみなかった」
が、80歳を迎える頃から習いおぼえたワープロで少しずつ、
瑞々しい文章を生みだしていく。
家族の愛情に包まれて過ごした幼少期。発病によって故郷を離れ、
孤児のような気持ちで過ごした少女時代。『モンテ・クリスト伯』を読みふけり、
大海原に心遊ばせた十代。夫のために料理をし、ミシンをおぼえ裁縫に精出した日々。
心の支えだった親友の最期。遠い道のりをいつまでも会いにきてくれた母への思い。
故郷の暮らしを細やかに綴った「生まれた村で」、
長島での日々を語る「島の七十年」(聞き手・伊藤幸史神父)、
親友の看取りの記「あの温かさがあったから生きてこれたんだよ」(『愛生』連載)他を収録。
著者の生き方と言葉に深くうたれ、交友がはじまった
料理研究家・辰巳芳子さんとの対談「生きなければわからないこと」を巻末に付す。
ハンセン病療養所長島愛生園(現・岡山県瀬戸内市)に入園、
以来70年余をこの地で暮らす。22歳で療友と結婚後は
園内で働く夫を主婦として支え、様々な後遺症を持ちながら、
家事と読書を楽しんで慎ましく暮らしてきた。
「本は親友だったけれども、自分が書くなんて思ってもみなかった」
が、80歳を迎える頃から習いおぼえたワープロで少しずつ、
瑞々しい文章を生みだしていく。
家族の愛情に包まれて過ごした幼少期。発病によって故郷を離れ、
孤児のような気持ちで過ごした少女時代。『モンテ・クリスト伯』を読みふけり、
大海原に心遊ばせた十代。夫のために料理をし、ミシンをおぼえ裁縫に精出した日々。
心の支えだった親友の最期。遠い道のりをいつまでも会いにきてくれた母への思い。
故郷の暮らしを細やかに綴った「生まれた村で」、
長島での日々を語る「島の七十年」(聞き手・伊藤幸史神父)、
親友の看取りの記「あの温かさがあったから生きてこれたんだよ」(『愛生』連載)他を収録。
著者の生き方と言葉に深くうたれ、交友がはじまった
料理研究家・辰巳芳子さんとの対談「生きなければわからないこと」を巻末に付す。
- 本の長さ248ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日2012/7/21
- 寸法13.6 x 2.1 x 19.5 cm
- ISBN-104622076748
- ISBN-13978-4622076742
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商品の説明
著者について
宮崎 かづゑ
1928(昭和3)年岡山生まれ。1938(昭和13)年12月末、10歳で国立ハンセン病療養所長島愛生園(現・岡山県瀬戸内市)入園。入園直後、注射針から雑菌が入り、左足の大手術をする。12~13歳頃、少年舎(子供の寮)がある「望ヶ丘」へ移る。愛生学園(園内の小学校)の尋常科3年生に編入学するが、治療や戦争のため学校に通えたのは正味2年であった。戦後、19歳のときに右足を切断。22歳で療友の宮﨑孝行氏と結婚。園内の購買部経理担当者等として働いていた夫を主婦として支える。80歳頃からワープロで文章を書きはじめる。医療者、職員への感謝の気持ちを込めて綴った親友の看取りの記「あの温かさがあったから生きてこれたんだよ』をきっかけに、料理研究家・辰巳芳子氏との交友が始まる。
1928(昭和3)年岡山生まれ。1938(昭和13)年12月末、10歳で国立ハンセン病療養所長島愛生園(現・岡山県瀬戸内市)入園。入園直後、注射針から雑菌が入り、左足の大手術をする。12~13歳頃、少年舎(子供の寮)がある「望ヶ丘」へ移る。愛生学園(園内の小学校)の尋常科3年生に編入学するが、治療や戦争のため学校に通えたのは正味2年であった。戦後、19歳のときに右足を切断。22歳で療友の宮﨑孝行氏と結婚。園内の購買部経理担当者等として働いていた夫を主婦として支える。80歳頃からワープロで文章を書きはじめる。医療者、職員への感謝の気持ちを込めて綴った親友の看取りの記「あの温かさがあったから生きてこれたんだよ』をきっかけに、料理研究家・辰巳芳子氏との交友が始まる。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (2012/7/21)
- 発売日 : 2012/7/21
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 248ページ
- ISBN-10 : 4622076748
- ISBN-13 : 978-4622076742
- 寸法 : 13.6 x 2.1 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 68,103位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 17,306位ノンフィクション (本)
- - 19,795位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年3月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
映画「かづゑ的」で知ってすぐに注文する。10歳で長島愛生園に入所した著者が80歳近くになってから綴った自らの記憶。
本書を読むと「ハンセン病患者・元患者は気の毒な人」というイメージの傲慢さ、「国の理不尽な隔離政策の犠牲者」「偏見・差別の被害者」というだけのイメージの歪み、狭小さが分かる。「話していても、らい患者をご自分の考える枠の中にいれて、それに当てはまらない答えは気に入らないようでした。(p.121)」という、国賠訴訟後の記者に対する著者の言葉を、自分に向けられたようだと感じる読者も多いだろう。
清澄な文章。引用したい箇所は多いが1カ所だけ。
「人間であれば、誰しも山あり谷ありであろうと思うんです。私だけ、らい患者だけが特異で、皆様とは大きく違う人生とは思えない。たしかに苦しみましたが、いまはみんなよかったと考えています。」「自分はまだ成長しつづけている樹木のような気がするんです。(p.122)」
本書を読むと「ハンセン病患者・元患者は気の毒な人」というイメージの傲慢さ、「国の理不尽な隔離政策の犠牲者」「偏見・差別の被害者」というだけのイメージの歪み、狭小さが分かる。「話していても、らい患者をご自分の考える枠の中にいれて、それに当てはまらない答えは気に入らないようでした。(p.121)」という、国賠訴訟後の記者に対する著者の言葉を、自分に向けられたようだと感じる読者も多いだろう。
清澄な文章。引用したい箇所は多いが1カ所だけ。
「人間であれば、誰しも山あり谷ありであろうと思うんです。私だけ、らい患者だけが特異で、皆様とは大きく違う人生とは思えない。たしかに苦しみましたが、いまはみんなよかったと考えています。」「自分はまだ成長しつづけている樹木のような気がするんです。(p.122)」
2024年3月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
生まれてから今日まで70年を超えてたくさんの本を読んできた。しかし、50歳を超えるころから、飛ばし読みをする、そんな本が多くなった。この本は四回に分けて読んだが、最初から最後まで読むことになった。文章はうまくない。章ごとの連続性もない。それでも読んだ。読ませてくれた。口には出せない一貫性を持つ、そういう本があることを知った。
他人の人生――その現実は知る由もない。でも、自分勝手な想像はできる。内容とページ数から見て編集・製本・出版が難しい部類の本だと思えたが、それを何とか一冊の本にまとめて提供してくれた「みすず書房」の編集力を感じさせてくれる本だった。本とは何か? さらに人間とは何か? その意味を教えてくれた感動の一冊!
他人の人生――その現実は知る由もない。でも、自分勝手な想像はできる。内容とページ数から見て編集・製本・出版が難しい部類の本だと思えたが、それを何とか一冊の本にまとめて提供してくれた「みすず書房」の編集力を感じさせてくれる本だった。本とは何か? さらに人間とは何か? その意味を教えてくれた感動の一冊!
2018年2月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
余計な記述もなく,自らの幼少から現在までの生活が描かれている事.
感染したのは自分の責任なんだと,誰を恨むことなく生きていく姿には感動させられます.
感染したのは自分の責任なんだと,誰を恨むことなく生きていく姿には感動させられます.
2012年8月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ハンセン病療養所の中には、本当にすごい人達があちこちに隠れて住んでいる。筆者もその一人といえるが、宮崎さんの場合には、ハンセン病経験者としてはある意味では比較的平凡で平均的な人生を送ってきたのかもしれない。
それでも、読んでいて時々涙が止まらなくなるのは、著者がこれだけの障碍や困難を経験しながらも、その本質において人間であることを辞めずに、キラキラと輝いていて、周りにもその輝きが伝わっていることだ。
それはどうしてなのだろうかと考えてみると、著者の幼少期の家庭の温かさと、それをしっかりと記憶に刻んで生きてきたことが、その全ての基盤となっているようだ。決して豊かではない、いや普通に考えれば貧しいという表現(筆者も使っている)が当てはまるような田舎の農家での、季節ごとの行事、それらのディテールまでが細やかに表現されている。なんと豊かな日常だったのだろうか。
全くジャンルは違うものの、上橋菜穂子が「精霊の守り人」シリーズで描くような、湯気が立ってきそうな料理やいきいきとした生活の描写が、ここにはある。
ハンセン病であるがために全てを失われ、その償いを社会から勝ち取ることを生きがいとしている人達がいる。その思いや行動は道義的には全く正しいと思っている。しかし「それでは、あなた方の療養所の中で生きて人生は全くの無駄だったのですか」という私の質問に対して、この本は「いいえ、私の人生は、辛いことも沢山あったけど、こんなに幸せだった」と答えてくれるものだ。
ハンセン病問題を多面的に見るために、読んでいただきたい一冊。
それでも、読んでいて時々涙が止まらなくなるのは、著者がこれだけの障碍や困難を経験しながらも、その本質において人間であることを辞めずに、キラキラと輝いていて、周りにもその輝きが伝わっていることだ。
それはどうしてなのだろうかと考えてみると、著者の幼少期の家庭の温かさと、それをしっかりと記憶に刻んで生きてきたことが、その全ての基盤となっているようだ。決して豊かではない、いや普通に考えれば貧しいという表現(筆者も使っている)が当てはまるような田舎の農家での、季節ごとの行事、それらのディテールまでが細やかに表現されている。なんと豊かな日常だったのだろうか。
全くジャンルは違うものの、上橋菜穂子が「精霊の守り人」シリーズで描くような、湯気が立ってきそうな料理やいきいきとした生活の描写が、ここにはある。
ハンセン病であるがために全てを失われ、その償いを社会から勝ち取ることを生きがいとしている人達がいる。その思いや行動は道義的には全く正しいと思っている。しかし「それでは、あなた方の療養所の中で生きて人生は全くの無駄だったのですか」という私の質問に対して、この本は「いいえ、私の人生は、辛いことも沢山あったけど、こんなに幸せだった」と答えてくれるものだ。
ハンセン病問題を多面的に見るために、読んでいただきたい一冊。