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【新装版】危機の構造 日本社会崩壊のモデル 単行本(ソフトカバー) – 2022/8/31
小室 直樹
(著)
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過激な天才による名著がついに復刊!!
現代日本の危機の構造は40年以上前から変わっていない—。
さまざまな危機に直面している今だからこそ読んでおきたい1冊!
情熱的かつ論理的に日本社会の問題や日本人の特性に向き合った社会学者・小室直樹氏が日本社会に警鐘を鳴らす
現代日本の危機の構造は40年以上前から変わっていない—。
さまざまな危機に直面している今だからこそ読んでおきたい1冊!
情熱的かつ論理的に日本社会の問題や日本人の特性に向き合った社会学者・小室直樹氏が日本社会に警鐘を鳴らす
宮台真司氏推薦!!
「先進国唯一の経済停滞や、コロナ禍の無策や、統一教会と政治の癒着など、数多の惨状を目撃した我々は、今こそ本書を読むべきだ。半世紀前に「理由」が書かれているからだ。」
橋爪大三郎氏による新たな解説付き!!
付録として1982年発刊の『【増補版】危機の構造』に掲載された「私の新戦争論」も収録した完全版!!
もくじ
第1章 戦後デモクラシーの認識
第2章 日本型行動原理の原則
第3章 歴史と日本人思考
第4章 「経済」と「経済学」
第5章 危機の構造
第6章 ツケを回す思考
第7章 社会科学の解体
解説 ますます深まる危機(橋爪大三郎)
付録 私の新戦争論
- 本の長さ392ページ
- 出版社ダイヤモンド社
- 発売日2022/8/31
- ISBN-104478116393
- ISBN-13978-4478116395
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出版社より
商品の説明
著者について
小室直樹:1932年、東京生まれ。京都大学理学部数学科卒。大阪大学大学院経済学研究科中退、東京大学大学院法学政治学研究科修了。マサチューセッツ工科大学、ミシガン大学、ハーバード大学に留学。1972年、東京大学から法学博士号を授与される。2010年没。 弟子に橋爪大三郎や宮台真司など現代の社会学の権威がいる。
登録情報
- 出版社 : ダイヤモンド社 (2022/8/31)
- 発売日 : 2022/8/31
- 単行本(ソフトカバー) : 392ページ
- ISBN-10 : 4478116393
- ISBN-13 : 978-4478116395
- Amazon 売れ筋ランキング: - 39,591位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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2023年3月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この書はアノミーについて。これは無規範または無連帯と訳されるもの。そしてエトス。行動様式と訳されるもの。これを根底にした経済、政治、教育を含めた日本社会について論じている。剃刀のような分析による先見。この本はこの社会に対するモヤモヤした想いを浄化してくれる。
2020年12月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
素晴らしいほんですね。今更ながら感嘆しております。お忙しい中迅速丁寧に対応頂きましてありがとうございました。又機会がございましたらよろしく、お願い致します。
2023年1月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本社会は既に、力のある人達が生きやすい社会構造になっていて、これからもずっとその路線でいくんだろうということが理解できました。
サバイバルするしかないですね。
サバイバルするしかないですね。
2023年10月22日に日本でレビュー済み
著者の故小室直樹氏は経済学から出発して理論社会学に転じた在野の研究者で、ソ連崩壊を予言して名を馳せ、橋爪大三郎氏、宮台真司氏、山田昌弘氏といった現代のスター社会学者の方々に強い影響を与えた天才だということくらいしか知らず、ご著書をまだ一冊も読んだことがありませんでした。評伝も出版されたりしたので、いよいよ気にはなっていたところに主著の復刊とのことで、有難いことです。現代日本に蔓延する不安が本書を呼び戻したということなんでしょうな。
驚きました。天才というからどれだけぶっ飛んだ独創の固まりなのかと思ったら、とんでもない。重要な先行研究と標準的な分析概念(とりわけデュルケムの「アノミー」概念)だけに立脚した案外と堅実な分析です。小室氏は戦前の天皇制権力の構造とその解体をめぐる戦後最大の政治学者・丸山眞男の重要な研究を土台として、そこから戦後の日本社会を分析していく。(小室氏はアメリカ留学から帰ってきて経済学を離れたのち丸山眞男の元で政治学を学んだらしいですね。)
小室氏は権威が失われる場合にもアノミーが生じるとするデ・グレジアによる拡張概念(急性アノミー)と丸山眞男の議論とを結び付けて、敗戦時の天皇権威の喪失により天皇制権力と郷村社会とを地域名望家がつなぐ近代日本の国家体制が崩壊し、その結果急性アノミー状態に陥った戦後社会はそれまでの秩序の喪失から来る孤立感と無力感を癒してくれる家族や村落共同体へと心理的に退避せざるをえなくなったと言います。
しかし時は高度成長期、都市部の労働者不足に圧される形での農村部からの人口流出により家族はバラバラとなり、村落共同体も解体していった。そうした矛盾した戦後の社会状況こそが機能集団たる都市部の企業組織が運命共同体に転化して成員の全生活・全人格までをも支配する日本的な仕組みを産み出したのだというのです。日本人が会社組織に無限の忠誠を誓って猛烈に働き続けることになったのはそのためだと。
機能集団たる企業を運命共同体化した、いわゆる「日本的経営」の出現を天皇制権力の解体と結び付ける小室氏の分析にはさすがに驚いたが、過労死・過労自殺すら生む働き過ぎの戦後日本社会はやはり社会がどこか壊れているからそうなったと考えるべきなわけで、戦後社会はアノミー状態そのものだったのだという小室氏の分析は腑に落ちる。終身雇用や年功序列といった日本的経営の特徴は戦前にはなかったらしい。機能集団の運命共同体化は紛れもなく戦後社会の歪みの帰結なのだ。
ちなみに、過労死・過労自殺が社会問題化し始めるのは高度成長終焉後しばらくしてからの1980年代になってからだが、小室氏の理論に基づいて考えると、そのタイミングをうまく説明できるのではないかと思う。というのは、天皇権威の喪失経験が強かった従軍経験者の最後の世代が引退し始めたこと、および期待をはるかに上回る豊かさを達成した高度成長期とは違って現状が期待を常に下回る低成長時代に入ったこと、以上二つの要因が重なったのが1980年代だからです。敗戦時にまだ年少か生まれてなかった世代が労働力のほとんどを占めるようになったまさにそのときに彼らの苦労があまり報われなくなってきたわけです。そんな彼らには過重労働を強いる共同体規範が単なる苦痛にしか思えなくなったということなのではないでしょうか。
小室氏は天皇権威の喪失に起因する急性アノミー状態以外にも、高度成長期は生活環境の激変に対する心理的適応の困難に起因するアノミー状態が生じていたと言います。共同体的機能集団は集団内の平等・均一化を志向するがゆえに、生活水準の持続的な向上は他の人が持っている物を自分も手に入れなくてはいけないという終わりのない強迫観念を生み出してしまうのだというのです。これでは収入がいくら増えても出費は嵩んでいき結局不充足感に苦しみ続けることになる。
さらに、戦後日本社会では帰属する集団の相対的ランク差がそのまま階層差となり、出身大学や就職した企業のランクの上下関係が階層の上下関係となる。こうした階層構造ではどの集団にとっても羨望の対象となる格上集団が存在することになり、その鬱屈が生み出す社会的緊張をそれぞれの格下集団に対する優越感で緩和しようとすることになる。これにより所属集団を超えた階層としての連帯が阻まれた。小室氏は高度成長期に形成された日本社会の構造的特徴をアノミーと共同体的機能集団の概念でもって鮮やかに解き明かしています。
バブル崩壊後に長期低迷の時代に入った日本社会を小室氏の理論の観点から分析するとどうなるのか。小室氏の弟子・橋爪大三郎氏は本書末尾の解説の中で、終身雇用や年功序列などの企業慣行の衰退、非正規労働の拡大が戦後社会の基盤だった共同体化した機能集団を解体させ、それが日本社会から忠誠の対象を喪失せしめるアノミー状態を発生させることになると診断している。それは戦後社会の規範的理想の弱体化がバブル崩壊後の脱工業化段階に入った日本社会の諸問題の根源にあるはずだという理論的見通しを与えてくれる。
以下、橋爪氏の診断を元に勝手に分析を進めてみます。
忠誠の対象であった共同体的機能集団が解体することにより発生するアノミー状況は、まずは高度成長期の規範的理想を内面化していないがゆえに働き続けること自体に意義を感じられなくなった若年労働者の会社組織からの脱落の増加、残された最後の共同体たる家族=親元に退避して再就職を目指さない若者の増加という帰結を生むはずである。これがニートか。
また、企業に生涯忠誠を誓ってリスクを回避する生き方に理想を見出だせなくなったがゆえに非正規労働者となってリスクの高い別の理想を追い求める若者も増加するだろう。これがフリーターか。(小室氏に学んだ山田昌弘氏はリスクの回避が困難になった現代社会ではリスクの回避そのものを諦めて一か八かにかける類いの人々を生み出すと分析しています。)
さらには、共同体的機能集団の弱体化は人を社会関係の中に繋ぎ留める内面的拘束力自体の弱体化でもあり、高度成長終焉後に脱工業化=サービス産業化段階に入った社会がコミュニケーション能力を強く求めるようになったこととも相まって、社会システム自体から逃避して他者との社会関係を断つ人々の増加の引き金にもなり得るだろう。それがひきこもりか。成員間の緊密な関係性の構築を強いてくる共同体的機能集団からの逃避だからこそ社会関係の構築それ自体の全面拒否という症状となって表れてしまうのではないだろうか。
そして、最後の退避場所となってきた家族もいよいよ解体を始めた兆候もある。近年増加傾向にあると見られる児童虐待、東横キッズに象徴される家族の中に居場所がないと感じる子供たちの顕在化は家族が有していたはずの安心提供の機能が弱体化してきていることの表れなのかもしれない。他にも、どの家族の元に生まれるかで人生が決まってしまうような感覚を象徴する「親ガチャ」という言葉の流行には社会的流動性が高かった高度成長期の規範的理想を追い求めようがなくなっている諦めの感覚が表現されているように感じられる。今や家族こそが人生最大のリスクと化しているのである。
そうした状況は低所得者が家族にリスクを負わせないために、家族を形成すること自体を諦める傾向を助長するはずである。それこそが急速な少子化の原因なのではないだろうか。(これも山田昌弘氏の見解です。山田氏は高度成長期の理想と現在の現実とのギャップが生活水準の低下をなるべく抑えようとするリスク回避行動を動機づけて少子化を加速させていると考えておられます。子供に高い教育費をかけてあげられないなら「子供が可哀想だから」子供は作らないという発想に追い込まれているのだと。的確な分析だと思う。)
本書『危機の構造』はアノミー概念がいかに強力な概念かをあらためて教えてくれました。戦後社会の構造をアノミー状態が作り出したものとして理解する理論モデルを知ったことは大変に大きい学びでした。ありがとうございました。ただ、小室氏は本書初版発刊時に日本社会を動揺させていた連合赤軍事件について、事件は戦前から変わらない機能集団が共同体化してしまう日本社会のあり方の結果だとしていて、それでは機能集団の共同体化は戦後になって起きた現象だという話と矛盾してしまう。この矛盾が一読した限りでは解消されなかったので星ふたつ減とさせていただきます。
驚きました。天才というからどれだけぶっ飛んだ独創の固まりなのかと思ったら、とんでもない。重要な先行研究と標準的な分析概念(とりわけデュルケムの「アノミー」概念)だけに立脚した案外と堅実な分析です。小室氏は戦前の天皇制権力の構造とその解体をめぐる戦後最大の政治学者・丸山眞男の重要な研究を土台として、そこから戦後の日本社会を分析していく。(小室氏はアメリカ留学から帰ってきて経済学を離れたのち丸山眞男の元で政治学を学んだらしいですね。)
小室氏は権威が失われる場合にもアノミーが生じるとするデ・グレジアによる拡張概念(急性アノミー)と丸山眞男の議論とを結び付けて、敗戦時の天皇権威の喪失により天皇制権力と郷村社会とを地域名望家がつなぐ近代日本の国家体制が崩壊し、その結果急性アノミー状態に陥った戦後社会はそれまでの秩序の喪失から来る孤立感と無力感を癒してくれる家族や村落共同体へと心理的に退避せざるをえなくなったと言います。
しかし時は高度成長期、都市部の労働者不足に圧される形での農村部からの人口流出により家族はバラバラとなり、村落共同体も解体していった。そうした矛盾した戦後の社会状況こそが機能集団たる都市部の企業組織が運命共同体に転化して成員の全生活・全人格までをも支配する日本的な仕組みを産み出したのだというのです。日本人が会社組織に無限の忠誠を誓って猛烈に働き続けることになったのはそのためだと。
機能集団たる企業を運命共同体化した、いわゆる「日本的経営」の出現を天皇制権力の解体と結び付ける小室氏の分析にはさすがに驚いたが、過労死・過労自殺すら生む働き過ぎの戦後日本社会はやはり社会がどこか壊れているからそうなったと考えるべきなわけで、戦後社会はアノミー状態そのものだったのだという小室氏の分析は腑に落ちる。終身雇用や年功序列といった日本的経営の特徴は戦前にはなかったらしい。機能集団の運命共同体化は紛れもなく戦後社会の歪みの帰結なのだ。
ちなみに、過労死・過労自殺が社会問題化し始めるのは高度成長終焉後しばらくしてからの1980年代になってからだが、小室氏の理論に基づいて考えると、そのタイミングをうまく説明できるのではないかと思う。というのは、天皇権威の喪失経験が強かった従軍経験者の最後の世代が引退し始めたこと、および期待をはるかに上回る豊かさを達成した高度成長期とは違って現状が期待を常に下回る低成長時代に入ったこと、以上二つの要因が重なったのが1980年代だからです。敗戦時にまだ年少か生まれてなかった世代が労働力のほとんどを占めるようになったまさにそのときに彼らの苦労があまり報われなくなってきたわけです。そんな彼らには過重労働を強いる共同体規範が単なる苦痛にしか思えなくなったということなのではないでしょうか。
小室氏は天皇権威の喪失に起因する急性アノミー状態以外にも、高度成長期は生活環境の激変に対する心理的適応の困難に起因するアノミー状態が生じていたと言います。共同体的機能集団は集団内の平等・均一化を志向するがゆえに、生活水準の持続的な向上は他の人が持っている物を自分も手に入れなくてはいけないという終わりのない強迫観念を生み出してしまうのだというのです。これでは収入がいくら増えても出費は嵩んでいき結局不充足感に苦しみ続けることになる。
さらに、戦後日本社会では帰属する集団の相対的ランク差がそのまま階層差となり、出身大学や就職した企業のランクの上下関係が階層の上下関係となる。こうした階層構造ではどの集団にとっても羨望の対象となる格上集団が存在することになり、その鬱屈が生み出す社会的緊張をそれぞれの格下集団に対する優越感で緩和しようとすることになる。これにより所属集団を超えた階層としての連帯が阻まれた。小室氏は高度成長期に形成された日本社会の構造的特徴をアノミーと共同体的機能集団の概念でもって鮮やかに解き明かしています。
バブル崩壊後に長期低迷の時代に入った日本社会を小室氏の理論の観点から分析するとどうなるのか。小室氏の弟子・橋爪大三郎氏は本書末尾の解説の中で、終身雇用や年功序列などの企業慣行の衰退、非正規労働の拡大が戦後社会の基盤だった共同体化した機能集団を解体させ、それが日本社会から忠誠の対象を喪失せしめるアノミー状態を発生させることになると診断している。それは戦後社会の規範的理想の弱体化がバブル崩壊後の脱工業化段階に入った日本社会の諸問題の根源にあるはずだという理論的見通しを与えてくれる。
以下、橋爪氏の診断を元に勝手に分析を進めてみます。
忠誠の対象であった共同体的機能集団が解体することにより発生するアノミー状況は、まずは高度成長期の規範的理想を内面化していないがゆえに働き続けること自体に意義を感じられなくなった若年労働者の会社組織からの脱落の増加、残された最後の共同体たる家族=親元に退避して再就職を目指さない若者の増加という帰結を生むはずである。これがニートか。
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さらには、共同体的機能集団の弱体化は人を社会関係の中に繋ぎ留める内面的拘束力自体の弱体化でもあり、高度成長終焉後に脱工業化=サービス産業化段階に入った社会がコミュニケーション能力を強く求めるようになったこととも相まって、社会システム自体から逃避して他者との社会関係を断つ人々の増加の引き金にもなり得るだろう。それがひきこもりか。成員間の緊密な関係性の構築を強いてくる共同体的機能集団からの逃避だからこそ社会関係の構築それ自体の全面拒否という症状となって表れてしまうのではないだろうか。
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そうした状況は低所得者が家族にリスクを負わせないために、家族を形成すること自体を諦める傾向を助長するはずである。それこそが急速な少子化の原因なのではないだろうか。(これも山田昌弘氏の見解です。山田氏は高度成長期の理想と現在の現実とのギャップが生活水準の低下をなるべく抑えようとするリスク回避行動を動機づけて少子化を加速させていると考えておられます。子供に高い教育費をかけてあげられないなら「子供が可哀想だから」子供は作らないという発想に追い込まれているのだと。的確な分析だと思う。)
本書『危機の構造』はアノミー概念がいかに強力な概念かをあらためて教えてくれました。戦後社会の構造をアノミー状態が作り出したものとして理解する理論モデルを知ったことは大変に大きい学びでした。ありがとうございました。ただ、小室氏は本書初版発刊時に日本社会を動揺させていた連合赤軍事件について、事件は戦前から変わらない機能集団が共同体化してしまう日本社会のあり方の結果だとしていて、それでは機能集団の共同体化は戦後になって起きた現象だという話と矛盾してしまう。この矛盾が一読した限りでは解消されなかったので星ふたつ減とさせていただきます。
2022年10月7日に日本でレビュー済み
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今の日本にも通用する数々の分析手法が満載で、日本の現状と未来を分析するための重要なツールの使い方を学ぶことができた。
2023年10月20日に日本でレビュー済み
例えばこんなことを記載しています。
まさか、再版されるとはお思っていなかったので。。。メモっておいたものです。
内ゲバ赤軍、ロッキード事件の犯人達は普段の善良なエリート=A級戦犯と同じ←日本の組織と深いところの構造の矛盾からマグマがたまっていて昔から変わらないから
政治は国民大衆の鏡!
戦後復活のエネルギーは、経済万能主義と金権絶対主義、これが社会の隅々に
近代デモクラシーの基礎となる行動様式=制度は所与のものではなく人為的なものなのだから帰るのは可能 ∴前例がないから困難とか制度的に不可能、という事はなく、アメリカ独立もフランス革命を成り立った!⇔日本では確固不動で規範性のある所与のもの認識し、自制してしまっている
三権分立の原則に従えば、国会は国権の最高機関。原理的には裁判所の決定に対しでも独立しているのだから、検察庁の決定の方が議会の決定よりも重要だと言うのおかしい。田中角栄が有罪であるならば、議会の場において裁かれるべき。
人間の最大の弱点の1つは、イマジネーションの不足。起きてしまえば、なんだか必然性があったような気になるが、急激な変化の渦の中にいる者には実感することが困難。生活のテンポの中では徐々にしか起こらないから。
普通日本人は、23-24歳を境にして、分別能力は飛躍的に上昇する。
2.26事件の時に青年将校たちが最も恐れた事は、関係のない一般市民に迷惑が及ぶこと。市民側はこれを知っており反乱軍を恐れていなかった。
狂気や精神病患者の著しい特徴:組織的自己規律の欠如。実は正常の心理状態に、かつ動機は純真、使命感が高く、倫理的感覚も欠落していなかった。
真珠湾攻撃がどれほど大成功であったとしても、政治的には取り返しのつかない大失策。
源田中佐他彼らの発想法は軍事官僚的思考から外に出ておらず。クレマンソーの言う通り「戦争は軍事に任せておくには重要過ぎる」し、マックス・ウェーバーの言う通り「最良の官僚は最悪の政治家」。
リーダーの任務:予想し得ない時代への対処、新しい環境への適応。
日本社会の組織的特色は、組織、特に機能集団が運命、共同体的性格を浴びること。共同生生活共同体であり、運命共同体。昨日、集団としての共同体が、人間の作為の産物であることが忘れられ、自然現象のごとく所与とみなされること。
エリート官僚のタイプこそ、現在日本人の理想像。ほとんどの日本人特にエリートと呼ばれる人々の行動様式はこのタイプになっている。
戦前の軍事官僚の行動様式やパターンは、軍国主義と言う特定のイデオロギーの産物ではなく、そもそも軍国主義などと言うイデオロギーを持った人は、戦前の日本ではほとんどいなかった。日本独自の行動、様式の特殊状況的表現が軍国主義的と言うことであった、に過ぎない。
社会全体の作動様式は、それを構成する各個人の単なる心構えだけで左右し得るほど単純なものではなく、システム全体における様々な要因の関連と構造で規定されていく。
社会現象に対する科学的分析能力の欠如は、日本人の思考の盲点。幕府や政府の命令一本で物価が統制できるぐらいだったら、天保の改革失敗もしないし、水野忠邦の大改革と現代がそれほどことならないことになる。物事は複雑に絡み合っているもの!
独ソ不可侵条約締結に際して、平沼首相は、欧州の政局は複雑怪奇として総辞職:外国が複雑怪奇な行動を採るたび日本の内閣が総辞職辞職する必要もない。全く予想できなかったことだったので今後の国策が立てられなくなり、辞職した。
田中義一首相ら当時の日本の指導者は、「中国の鍵はアメリカにある!」ことを理解できていなかったのが問題。
大砲巨艦主義の反対は、航空母艦主義ではない。小砲矮艦主義という名称はなかったにせよ、事実においては、このような傾向があった。
ノモンハンの教訓:1歩兵は戦車には勝てない、2軽火力軽装甲の戦車は無力、3対戦車火器の開発が急務、4日本は物量戦は不可能、経済大国とは戦争できない。
オイルショックの教訓=日本経済がいかに弱い基盤の上に立っているか認識。
二国標準主義=第2第3位の二国合わせてよりも優勢な海軍力を保有すること。
広義の国防=日本経済が必要とする資源をいかに確保するべきか。
アメリカがベトナム戦争で核兵器を使用しなかったのは、人道的理由や第三次大戦の発展を恐れたことではなく、そんなことをしても問題は少しも解決しないから。それを核兵器で全滅させる事は、問題の根本で解決にならないとアメリカ考えたため。
米軍は信用できるかと言う問題があるが、疑問があるだけで充分。なぜならば、政治力学的には必要かつ十分条件。助けてくれるかもしれない。助けないかもしれないということで充分。
ソ連は元々平和愛好、悪く言えば卑怯で臆病、絶対安全の保証がなければ、絶対に軍事力に訴えようとはしない国。ソ連の指導者は冒険嫌い。
対米戦争の可能性が少しでもある限り、錯誤をした場合又は国内統治における自律性を失った場合を除きソ連が日本に軍事的攻撃を仕掛ける可能性は全くない。
吉田プログラム=日英同盟に模範をとって、当時のイギリスをアメリカに、当時の軍事力を現在の経済力経済力に置き換えるモデルを作っていったもの。
日本人は、1日本人特有の情緒倫理と、2人格と意見を分離して考えられない思考様式あり、日本人いっぱいの間、一般の感情に逆らう主張はその主張する人の人格までを及ぶ。∴そんな主張は新聞には載せられない。
年功序列や集団間移動の困難さ等は共同体の特徴であって、日本社会の特徴ではない。アメリカであろうとどこであろうと共同体ではこれらの特徴がある。しかし、一般的にはアメリカなどの近代社会においては、普通、機能集団と共同体とは分化する傾向にあり。つまり、宗教団体、人権共同体、地域共同体などが、企業などの機能集団とは重ならず、離れていく傾向。日本ではそれが戦後正反対の方向にあり。
自殺率は、急激に生活が悪くなった場合に上昇するのみならず、経済が繁栄して急に向上した時にも上昇することが発見されている。つまり、急激な生活の変化、それが向上の場合であっても著しく困難であるから。
人間の欲望は無限であるが、常に有限の充足しか得られない。よって、社会的歯止めが必要。この歯止めの機能を果たすのが規範である。規範により、無限の欲望は、制約を課せられ、人は足ることを知る。∴この意味で規範は、心理的安定の条件でもある。
6334制はアメリカからの直輸入;アメリカには日本流の入試では存在しない。
衛藤瀋吉は、ダネルスキー米教授の「日本の政治学についてあまり聞かないがどうなっているのか」の問いに対し「消滅しつつあるとこだ」と回答。居並ぶ日本の代表的政治学者は誰も反論できず。
まさか、再版されるとはお思っていなかったので。。。メモっておいたものです。
内ゲバ赤軍、ロッキード事件の犯人達は普段の善良なエリート=A級戦犯と同じ←日本の組織と深いところの構造の矛盾からマグマがたまっていて昔から変わらないから
政治は国民大衆の鏡!
戦後復活のエネルギーは、経済万能主義と金権絶対主義、これが社会の隅々に
近代デモクラシーの基礎となる行動様式=制度は所与のものではなく人為的なものなのだから帰るのは可能 ∴前例がないから困難とか制度的に不可能、という事はなく、アメリカ独立もフランス革命を成り立った!⇔日本では確固不動で規範性のある所与のもの認識し、自制してしまっている
三権分立の原則に従えば、国会は国権の最高機関。原理的には裁判所の決定に対しでも独立しているのだから、検察庁の決定の方が議会の決定よりも重要だと言うのおかしい。田中角栄が有罪であるならば、議会の場において裁かれるべき。
人間の最大の弱点の1つは、イマジネーションの不足。起きてしまえば、なんだか必然性があったような気になるが、急激な変化の渦の中にいる者には実感することが困難。生活のテンポの中では徐々にしか起こらないから。
普通日本人は、23-24歳を境にして、分別能力は飛躍的に上昇する。
2.26事件の時に青年将校たちが最も恐れた事は、関係のない一般市民に迷惑が及ぶこと。市民側はこれを知っており反乱軍を恐れていなかった。
狂気や精神病患者の著しい特徴:組織的自己規律の欠如。実は正常の心理状態に、かつ動機は純真、使命感が高く、倫理的感覚も欠落していなかった。
真珠湾攻撃がどれほど大成功であったとしても、政治的には取り返しのつかない大失策。
源田中佐他彼らの発想法は軍事官僚的思考から外に出ておらず。クレマンソーの言う通り「戦争は軍事に任せておくには重要過ぎる」し、マックス・ウェーバーの言う通り「最良の官僚は最悪の政治家」。
リーダーの任務:予想し得ない時代への対処、新しい環境への適応。
日本社会の組織的特色は、組織、特に機能集団が運命、共同体的性格を浴びること。共同生生活共同体であり、運命共同体。昨日、集団としての共同体が、人間の作為の産物であることが忘れられ、自然現象のごとく所与とみなされること。
エリート官僚のタイプこそ、現在日本人の理想像。ほとんどの日本人特にエリートと呼ばれる人々の行動様式はこのタイプになっている。
戦前の軍事官僚の行動様式やパターンは、軍国主義と言う特定のイデオロギーの産物ではなく、そもそも軍国主義などと言うイデオロギーを持った人は、戦前の日本ではほとんどいなかった。日本独自の行動、様式の特殊状況的表現が軍国主義的と言うことであった、に過ぎない。
社会全体の作動様式は、それを構成する各個人の単なる心構えだけで左右し得るほど単純なものではなく、システム全体における様々な要因の関連と構造で規定されていく。
社会現象に対する科学的分析能力の欠如は、日本人の思考の盲点。幕府や政府の命令一本で物価が統制できるぐらいだったら、天保の改革失敗もしないし、水野忠邦の大改革と現代がそれほどことならないことになる。物事は複雑に絡み合っているもの!
独ソ不可侵条約締結に際して、平沼首相は、欧州の政局は複雑怪奇として総辞職:外国が複雑怪奇な行動を採るたび日本の内閣が総辞職辞職する必要もない。全く予想できなかったことだったので今後の国策が立てられなくなり、辞職した。
田中義一首相ら当時の日本の指導者は、「中国の鍵はアメリカにある!」ことを理解できていなかったのが問題。
大砲巨艦主義の反対は、航空母艦主義ではない。小砲矮艦主義という名称はなかったにせよ、事実においては、このような傾向があった。
ノモンハンの教訓:1歩兵は戦車には勝てない、2軽火力軽装甲の戦車は無力、3対戦車火器の開発が急務、4日本は物量戦は不可能、経済大国とは戦争できない。
オイルショックの教訓=日本経済がいかに弱い基盤の上に立っているか認識。
二国標準主義=第2第3位の二国合わせてよりも優勢な海軍力を保有すること。
広義の国防=日本経済が必要とする資源をいかに確保するべきか。
アメリカがベトナム戦争で核兵器を使用しなかったのは、人道的理由や第三次大戦の発展を恐れたことではなく、そんなことをしても問題は少しも解決しないから。それを核兵器で全滅させる事は、問題の根本で解決にならないとアメリカ考えたため。
米軍は信用できるかと言う問題があるが、疑問があるだけで充分。なぜならば、政治力学的には必要かつ十分条件。助けてくれるかもしれない。助けないかもしれないということで充分。
ソ連は元々平和愛好、悪く言えば卑怯で臆病、絶対安全の保証がなければ、絶対に軍事力に訴えようとはしない国。ソ連の指導者は冒険嫌い。
対米戦争の可能性が少しでもある限り、錯誤をした場合又は国内統治における自律性を失った場合を除きソ連が日本に軍事的攻撃を仕掛ける可能性は全くない。
吉田プログラム=日英同盟に模範をとって、当時のイギリスをアメリカに、当時の軍事力を現在の経済力経済力に置き換えるモデルを作っていったもの。
日本人は、1日本人特有の情緒倫理と、2人格と意見を分離して考えられない思考様式あり、日本人いっぱいの間、一般の感情に逆らう主張はその主張する人の人格までを及ぶ。∴そんな主張は新聞には載せられない。
年功序列や集団間移動の困難さ等は共同体の特徴であって、日本社会の特徴ではない。アメリカであろうとどこであろうと共同体ではこれらの特徴がある。しかし、一般的にはアメリカなどの近代社会においては、普通、機能集団と共同体とは分化する傾向にあり。つまり、宗教団体、人権共同体、地域共同体などが、企業などの機能集団とは重ならず、離れていく傾向。日本ではそれが戦後正反対の方向にあり。
自殺率は、急激に生活が悪くなった場合に上昇するのみならず、経済が繁栄して急に向上した時にも上昇することが発見されている。つまり、急激な生活の変化、それが向上の場合であっても著しく困難であるから。
人間の欲望は無限であるが、常に有限の充足しか得られない。よって、社会的歯止めが必要。この歯止めの機能を果たすのが規範である。規範により、無限の欲望は、制約を課せられ、人は足ることを知る。∴この意味で規範は、心理的安定の条件でもある。
6334制はアメリカからの直輸入;アメリカには日本流の入試では存在しない。
衛藤瀋吉は、ダネルスキー米教授の「日本の政治学についてあまり聞かないがどうなっているのか」の問いに対し「消滅しつつあるとこだ」と回答。居並ぶ日本の代表的政治学者は誰も反論できず。