以前より功利主義に関心があったため、購入しました。
功利主義と義務論および直観主義の対立を述べることによって
両者の違いがよく分かるようになっており、
またどちらかに偏ることのない言説によって
どちらの考え方に与していても興味深く読めるようになっている、
非常に良い本だと思いました。
とはいえ、個人的にはやはり功利主義者が直観主義者の批判にどう答えているか、
の部分が面白かったです。
本書で使われている言葉は非常に平易であるため読みやすく、その点でも快適でした。
とはいえ、ページ数の関係だと思いますが、ひとつひとつの思想は概略で終わっており、
加えて、具体的にはこの用語はどういう意味・概念なのか?までは
最低限は巻末の用語集で補足されているものの、
全ての用語に対しての具体例までは語られていないため、
その用語と具体例に関しては別途調べる必要が生じた点は残念に思いました。
(とはいえ、これらを詳細に書くとなるとページ数が倍増かそれ以上するでしょうから、
仕方ない点だとは思いますが)
それでも、日本では雑で曖昧な理解による功利主義への批判しか見られないため、
功利主義とは一体何なのかを知る一冊として、このような書籍は非常にありがたいです。
この本が出版されたのは2010年、
日本ではまだまだ功利主義に関する書籍は非常に少なく、
現在はどのような潮流になっているのかも情報として全く入ってこないため、
「現在の功利主義はどのような状況・思想になっているのか?」
という書籍があれば是非読んでみたいです。
(可能ならばこの本の著者の方にお願いしたいのですが)
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功利と直観―英米倫理思想史入門 単行本 – 2010/11/26
児玉 聡
(著)
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行為が人々に与える結果を重視する功利主義と、結果にかかわらず守るべき義務や倫理原則があるとする義務論。現代の英米倫理学でも大きな影響力を持つこの対立は、二〇世紀以前には功利主義と直観主義の対立として論じられていた。この構図を軸とすることで、近代から現代までの英米倫理学の歴史を整理し、現代的な課題を展望する!
- 本の長さ322ページ
- 言語日本語
- 出版社勁草書房
- 発売日2010/11/26
- ISBN-104326154136
- ISBN-13978-4326154135
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登録情報
- 出版社 : 勁草書房 (2010/11/26)
- 発売日 : 2010/11/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 322ページ
- ISBN-10 : 4326154136
- ISBN-13 : 978-4326154135
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2011年2月23日に日本でレビュー済み
倫理学の対立というと「功利主義/義務論」を思い浮かべる人は多いだろう。
だが、十九世紀までは「功利主義/直観主義」というのが対立軸だった。
「直観主義」とは、まさに「何が善であるかを直接に感じ取れる」ということである。
直観主義はホッブス的あるいは中世スコラ哲学の主意主義的な「利己的人間観・主権者(や神)の意志に依存した善悪観」に対する批判として成立した。
直観主義は、人間の利他的行動の存在を擁護し、また人間には道徳を感じ取る道徳器官にあたるものがあると主張した。
この「感じ取る方法」としては、デカルト的な理性的直観と、ロック・ハチソン的な道徳感覚との二説に分かれて議論された。
こうした議論の影響を受けつつ統合していく思想家にはバトラーやリードがおり、バトラーの「あらゆるものはそれそのものであり、別のものではない」(p33)という言は後のムーアにも引き継がれている。
これらに対しベンタムは、直観主義は独断主義に陥って道徳判断に論拠を示さないので、危険な判断を正当化するとして批判した。
ベンタムが擁護したのは主観によらない善悪の判定基準であり、善悪を社会に対する有害性によって規定しようとする功利主義であった。
なお、現在ではベンタムは「極端な功利主義」のイメージで語られるが、当時の「功利主義の悪いイメージ」を作り上げたのはベンタムやペイリーと比べても急進的な功利主義を打ち出したゴドウィンによるところが大きい(p54〜57)
功利主義思想はその後、オースティンやミル親子などによって洗練されていく。
特に子ミルは、これまではホッブス的利己主義と功利主義がきちんと区別されて見られていなかった状況(p95)に対し、通常道徳と功利主義が必ずしも対立しあうものではないことを強調したので、功利主義も受け入れやすいものとなっていった(p88)
功利主義と直観主義の調停を試みたのはシジウィックである。彼は功利性原理(自己を犠牲にしてでも全体利益を尊重すべし)を支持するための倫理的直観が必要であると論じ(p98〜99)、他方で常識道徳のみだと、常識道徳の原理同士が対立しあうジレンマ的状況で答えが出せないので、直観主義も功利主義の助けを借りる必要があるとして(p99〜100)、両者を調停させようとした。
さて一方でムーアは、「善とは何か」という問いに対し先のバトラー的な見解を採用し、「善」を他の何かで説明しようとする考えを「自然主義的誤謬」として批判した。
(ただし、この議論はそもそも「善は単純概念であり他の概念では説明できない」ことを前提とする論点先取を犯していると批判されている。(p263))
ただし、ムーアは(個別の行為について)「何をなすべきか」という「正」の問題は「善の最大化」という功利主義・帰結主義的に答えを与えられるものだとしている(p108〜109)
なので、ムーアもシジウィックと同じように、「功利主義への直観主義的基礎づけ」を与えようとしたのだということも可能であり、両者は実は思ったほど遠くはない。
功利主義と直観主義の対立は、今ある道徳を「実定道徳」と呼ぶか「常識道徳」と呼ぶかにも現れる。
前者は実定法と同じで「今たまたまあるだけ」と見ているのに対し、後者は人類の知恵の結晶というように見ている(p126〜127)
これは「常識的感覚が理論によって検証される/理論が常識に優先する」のか「理論が常識的感覚によって検証される/常識が理論に優先する」のかの対立にも引き継がれている(p148、p210〜211)
なお、このあたりから「義務論」という呼び方がなされるようになる。
義務論は、「直観主義」の持つ内容を善の認識論(直観によって知る)と反帰結主義(結果の良しあしにかかわらず行動すべき)とに分離し、前者を締め出し後者のみを持つものとして定式化される(p129〜133)
これは議論の混乱を防ぐうえでは望ましいものであった。
功利主義の最も洗練された形は、おそらくヘアの二層功利主義であろう。
彼は、(規則功利主義に基準を考慮に入れた)直観的な道徳規則を一階の「直観レベル」とし、通常はこれに従えばいいが、道徳規則同士が対立しあう状況は二階の「批判レベル」に相当し、功利主義的思考が求められるとする(p150〜152)。
また、この理論に基づいて、彼はよく功利主義に向けられる「功利主義は(さまざまな思考実験により)直観に反する帰結を導くがゆえに誤りだ」という批判への反批判を行う。
思考実験においては非現実的な状況が扱われるので、まず「直観レベル」においては、それは日常において正しい解答を出すようにセットアップされているので、直感では対応できない。他方、「批判レベル」においては、「そもそもどの直観を用いるべきか」が議論されるべき場なので、「直観により」という議論は展開できない。
そして、よく功利主義的に教育された人間は常識道徳を内面化させているはずなので、功利主義者であってもジレンマ的状況で必ずしも功利主義的行動をとるとは限らないし、とっても極めて精神的な苦痛を覚えるはずである。(p157〜160)
最後の三章では応用倫理学に近い問題が取り上げられている。
生命倫理学ではシンガーのような反直観的功利主義の議論はよく耳にするが、実はそうした議論は生命倫理学の主流ではない(p222〜224)という指摘など、へえと思うことも書かれている。
アフリカの飢餓に関する説明をした後で寄付を募ったところ、寄付の額の大小が、説明の内容が「特定個人>特定個人+統計データ>統計データ」となっている調査(p233〜236)など、ショッキングな事実も書かれている。
倫理思想を見ていく上では、非常にいい整理がなされていると思った。
特に常識道徳をどう見るかという基準は、言われてみれば「なるほど」であった。
倫理に関心のある人にはおススメの一冊。
だが、十九世紀までは「功利主義/直観主義」というのが対立軸だった。
「直観主義」とは、まさに「何が善であるかを直接に感じ取れる」ということである。
直観主義はホッブス的あるいは中世スコラ哲学の主意主義的な「利己的人間観・主権者(や神)の意志に依存した善悪観」に対する批判として成立した。
直観主義は、人間の利他的行動の存在を擁護し、また人間には道徳を感じ取る道徳器官にあたるものがあると主張した。
この「感じ取る方法」としては、デカルト的な理性的直観と、ロック・ハチソン的な道徳感覚との二説に分かれて議論された。
こうした議論の影響を受けつつ統合していく思想家にはバトラーやリードがおり、バトラーの「あらゆるものはそれそのものであり、別のものではない」(p33)という言は後のムーアにも引き継がれている。
これらに対しベンタムは、直観主義は独断主義に陥って道徳判断に論拠を示さないので、危険な判断を正当化するとして批判した。
ベンタムが擁護したのは主観によらない善悪の判定基準であり、善悪を社会に対する有害性によって規定しようとする功利主義であった。
なお、現在ではベンタムは「極端な功利主義」のイメージで語られるが、当時の「功利主義の悪いイメージ」を作り上げたのはベンタムやペイリーと比べても急進的な功利主義を打ち出したゴドウィンによるところが大きい(p54〜57)
功利主義思想はその後、オースティンやミル親子などによって洗練されていく。
特に子ミルは、これまではホッブス的利己主義と功利主義がきちんと区別されて見られていなかった状況(p95)に対し、通常道徳と功利主義が必ずしも対立しあうものではないことを強調したので、功利主義も受け入れやすいものとなっていった(p88)
功利主義と直観主義の調停を試みたのはシジウィックである。彼は功利性原理(自己を犠牲にしてでも全体利益を尊重すべし)を支持するための倫理的直観が必要であると論じ(p98〜99)、他方で常識道徳のみだと、常識道徳の原理同士が対立しあうジレンマ的状況で答えが出せないので、直観主義も功利主義の助けを借りる必要があるとして(p99〜100)、両者を調停させようとした。
さて一方でムーアは、「善とは何か」という問いに対し先のバトラー的な見解を採用し、「善」を他の何かで説明しようとする考えを「自然主義的誤謬」として批判した。
(ただし、この議論はそもそも「善は単純概念であり他の概念では説明できない」ことを前提とする論点先取を犯していると批判されている。(p263))
ただし、ムーアは(個別の行為について)「何をなすべきか」という「正」の問題は「善の最大化」という功利主義・帰結主義的に答えを与えられるものだとしている(p108〜109)
なので、ムーアもシジウィックと同じように、「功利主義への直観主義的基礎づけ」を与えようとしたのだということも可能であり、両者は実は思ったほど遠くはない。
功利主義と直観主義の対立は、今ある道徳を「実定道徳」と呼ぶか「常識道徳」と呼ぶかにも現れる。
前者は実定法と同じで「今たまたまあるだけ」と見ているのに対し、後者は人類の知恵の結晶というように見ている(p126〜127)
これは「常識的感覚が理論によって検証される/理論が常識に優先する」のか「理論が常識的感覚によって検証される/常識が理論に優先する」のかの対立にも引き継がれている(p148、p210〜211)
なお、このあたりから「義務論」という呼び方がなされるようになる。
義務論は、「直観主義」の持つ内容を善の認識論(直観によって知る)と反帰結主義(結果の良しあしにかかわらず行動すべき)とに分離し、前者を締め出し後者のみを持つものとして定式化される(p129〜133)
これは議論の混乱を防ぐうえでは望ましいものであった。
功利主義の最も洗練された形は、おそらくヘアの二層功利主義であろう。
彼は、(規則功利主義に基準を考慮に入れた)直観的な道徳規則を一階の「直観レベル」とし、通常はこれに従えばいいが、道徳規則同士が対立しあう状況は二階の「批判レベル」に相当し、功利主義的思考が求められるとする(p150〜152)。
また、この理論に基づいて、彼はよく功利主義に向けられる「功利主義は(さまざまな思考実験により)直観に反する帰結を導くがゆえに誤りだ」という批判への反批判を行う。
思考実験においては非現実的な状況が扱われるので、まず「直観レベル」においては、それは日常において正しい解答を出すようにセットアップされているので、直感では対応できない。他方、「批判レベル」においては、「そもそもどの直観を用いるべきか」が議論されるべき場なので、「直観により」という議論は展開できない。
そして、よく功利主義的に教育された人間は常識道徳を内面化させているはずなので、功利主義者であってもジレンマ的状況で必ずしも功利主義的行動をとるとは限らないし、とっても極めて精神的な苦痛を覚えるはずである。(p157〜160)
最後の三章では応用倫理学に近い問題が取り上げられている。
生命倫理学ではシンガーのような反直観的功利主義の議論はよく耳にするが、実はそうした議論は生命倫理学の主流ではない(p222〜224)という指摘など、へえと思うことも書かれている。
アフリカの飢餓に関する説明をした後で寄付を募ったところ、寄付の額の大小が、説明の内容が「特定個人>特定個人+統計データ>統計データ」となっている調査(p233〜236)など、ショッキングな事実も書かれている。
倫理思想を見ていく上では、非常にいい整理がなされていると思った。
特に常識道徳をどう見るかという基準は、言われてみれば「なるほど」であった。
倫理に関心のある人にはおススメの一冊。
2011年3月24日に日本でレビュー済み
本書は、倫理学の歴史を「功利主義」(最大多数の最大幸福に役立つ行為が倫理的に正しいという考え方)と「直観主義」(善悪や正・不正は直観で決まるという考え方)という2つの軸から、分かり易く整理したものである。さらに、現代社会が当面している、「安楽死を認めるべきか」、「同性愛者の結婚を認めるべきか」、などの難問や賛否が激しく衝突する問題に対して、どうアプローチすべきかのヒントを提供している。大部分の人間には縁遠いと思われる倫理学が、意外に面白く、役立つこと示す興味深い本である。
「功利主義」対「直観主義」という思想の対立が、進化学や脳科学的にも裏付けられる、非常に根深いものであるという指摘も面白い。ごく単純化すれば、「直観主義」は原始的な経験的思考システムに起源があり、「功利主義」は、文化的な影響を受けた分析的思考システムに起源があるらしいのだ。このことを理解すれば、個人的レベルでも、社会的なレベルでも、互いの考え方の背景を理解した上で歩み寄り、相互の納得レベルが高い解決策を検討するのに役立つ。
最近、マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』や彼の講義が大きな話題になった。本書は、この「正義論」をより広い視野から理解するためにもお奨めである。
「功利主義」対「直観主義」という思想の対立が、進化学や脳科学的にも裏付けられる、非常に根深いものであるという指摘も面白い。ごく単純化すれば、「直観主義」は原始的な経験的思考システムに起源があり、「功利主義」は、文化的な影響を受けた分析的思考システムに起源があるらしいのだ。このことを理解すれば、個人的レベルでも、社会的なレベルでも、互いの考え方の背景を理解した上で歩み寄り、相互の納得レベルが高い解決策を検討するのに役立つ。
最近、マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』や彼の講義が大きな話題になった。本書は、この「正義論」をより広い視野から理解するためにもお奨めである。