アジア太平洋戦争の説得力ある謎解きをしてくださる加藤陽子先生と、『神器』しか読んでないが、時空を越えた天皇ファンタジーで、訳判らずながらも、しっかり楽しませてくれた奥泉光氏との対談集である。発行2年を経た今まで本書を知らなかったが、鮮度はいささかも失われていない。
奥泉氏が聞き手で加藤先生が答えるという形式だが、奥泉氏の問いかけも侮れない。作家である奥泉氏が強調するのは、歴史も小説も「物語」であると言うことで、加藤先生も同意する。違いは歴史を物語るには確たる証拠が要ることで、裏付けがないことは言えない。逆に小説に証拠の裏付けは不要だが、提示される物語がどこまで現実の写し鏡である「代替可能性」を有しているかが一つの価値判断になるだろう。お二人の物語を編む力に脱帽するばかりだが、どれも読者の「先見（前知識）」を要求し、「物語」を読むのは容易ではない。
証拠探しに果てはないと知らされる本でもある。小冊とは言え私にとっての新知見が満載で、文字通り目から鱗の驚きを味わった。ここでは加藤先生の深い文献読解能力と洞察力による史実の再検証部分を抽出したい。
維新政府が日本の近代化で腐心したのは国民の統合だった。その構造は、国民の「権利」としての議会と「義務」としての軍の二本立てと考えられた。双方とも時間を有する大事業であるが、特に近代軍の創設は急務だった。戦に勝てない国は外国の信用を得られない。抗顔座職の士族は信用できない。彼らを葬り「四民自由の権利を与える」と。大元帥である天皇の位置づけも、あくまで近代国家の法の枠組みの中でなされるというという理想があった。理想の変更には時間がかかる。明治後半・大正期はその長い助走路を用意したと言える。
日清、日露の国家の命運をかけた戦いで、日本は「奇跡的」に勝利し、第一次世界大戦後は五大国の一つにまで伸し上る。当初は「世論に惑わず、政治に拘わらず」という意図での参謀本部独立だったが、解釈を変えて軍人・右翼連合体の暗躍跋扈を許すことになっていった。国民が政党の私利私欲に嫌気をさし軍のほうに傾いた、と言うのが奥泉見解である。軍人勅諭も教育勅語も「註解」によって変質し、現人神天皇のイメージを庶民に植え付けて行く。天皇の権威をいちばん内面化したのは近代化に依って新たに生み出された「中間層」で、それはナチスの興隆と同じだ。
近代日本の対外政策の要とされたのが「主導線・利益線」という考えで、オーストラリアのシュタインから教わった山縣有朋が唱えた。以後この説に日本は囚われて行く。朝鮮半島をめぐっての戦も「実はロシアは朝鮮半島を中立化しようと思っていた。日本は優先的な支配権を維持しようと思っていた」と言うのが加藤説である。それなら戦争は不要だった。満州を傀儡化した石原莞爾は知らなかったが「満州国」は天然資源に乏しい。開発するより貿易した方が経済的に有利とする石橋湛山説は、「英霊二十万と戦費十億をどうしてくれる」で葬られ、満州と華北を統合させて「経済ブロック」を作るという次の関東軍目標が作成される。石原の初期の構想は、ソ連五か年計画の「成果」に習って、満州には私企業を呼び込まないということだったが、それは直ちに崩れて、振興資本が参入され日中戦争を泥沼化させて行く。
リットン声明は、今では承知の様に、日本への配慮に満ちた「婉曲表現」が目立つものであったが、この審議の最中にも軍は熱河省への新たな侵略を行った。日本政府はこのことで連盟から除名される不名誉を避けるために自ら脱退を選択した。連盟は以後満州国問題から手を引くだろうとの「裏技」であった。狙い通りに「満州国」はしばらく棚上げとなる。蒋介石は中国共産党との戦いに勢力を傾注したい、英米は世界恐慌の始末とナチスドイツの飼いならしに腐心したいというお家の事情があった。日中戦争の「大義」は今もってはっきりしない。
次の十年は日米問題の顕示化である。この時期はアメリカのヘゲモニー確立に寄与した。またこの時期は伊独による欧州・アフリカのブロック化の一方で、「戦略的経済的に強固な」英米ブロックが南方地域に作られるという動きが起きた。日本もアジアで遅れをとる訳に行かない。日本の自給自足圏を作ることが愁眉の目標となる。南方進出である。「大東亜共栄圏」はこのために作られた思想であるとの指摘は斬新だ。日本はこの構想を担いで、ナチスドイツに占領されていた仏・蘭のアジア植民地ベトナムとインドネシアの領有を計る。日本が南進している間は、ドイツと戦っているソ連への進出はないだろうとの英米の読みがあった。日本も第二次世界大戦がドイツの完全勝利で終わってしまうと困る。「三国同盟」は日本がアジアを背負ってドイツを牽制することでもあった。
野村吉三郎の覚書「対米私案」を基に始まった日米交渉に、海軍首脳は、「三国同盟を反故にしても良いから突き進め」とまで言っている。交渉中も、日本は「まさかアメリカが石油の全面禁輸をすることはないだろう」と思い、アメリカも「まさか日本がアメリカを攻撃してくることはないだろう」と思っていたのが、ソ連の連敗に焦りを募らせるアメリカの「ハル・ノート」になってしまった。双方が望まぬ戦争が始まってしまったのだが、火をつけたのは日本だ。しかもハワイ攻撃後の確たる戦略があったわけではない。勝に乗じて陸海軍がそれぞれの思惑で行動を始めてしまった。
42年4月18日にドウ・リトル大佐率いる爆撃機が東京、大阪、神戸などを空襲したことが、日米戦争の分脈を分けたと言われるミッドウエー海戦の引き金になる。「二年は持たせてご覧に入れる」との大見栄は開戦から五ヵ月しか持たなかった。被害は微少だったが、「生神様のおられる首都」に爆弾を落とされたという屈辱感は甚大だった。日本軍が僅かでも保持してきた理性は壊れた。後は推して知る通り、日本は「自ら作り上げた神によって自ら敗れた」
新資料は今も次々に発掘されている。歴史解釈の再検討も今後限りなく続くだろう。奥泉氏はどこかで、戦争物を書いている時の「後ろめたさ」は尽きない、と書かれていたが、それは未だ歴史がゼイゼイ喘いでいる証拠だろう。お二人にはイデオロギーに囚われない物語の再構築をこれからも続けて行かれることを祈念します。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
よく一緒に購入されている商品
+
+
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
出版社より
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
