無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
ポピュリズムを考える 民主主義への再入門 (NHKブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2011/3/26
吉田 徹
(著)
政治の閉鎖を打破する力を探る!
古臭い大衆迎合政治と否定されながら、
世界的に大きなトレンドとなっているポピュリズム。
そこには民主主義の本質があった。
伝統的なポピュリズム政治から
サッチャー・中曽根のネオ・リベラル型ポピュリズム、
そして小泉・サルコジの現代ポピュリズムまで、
そのメカニズムを多面的に明らかにする。
社会の停滞を打ち破る政治のダイナミズムは、
民主主義の根本的な問い直しから見えてくる!
古臭い大衆迎合政治と否定されながら、
世界的に大きなトレンドとなっているポピュリズム。
そこには民主主義の本質があった。
伝統的なポピュリズム政治から
サッチャー・中曽根のネオ・リベラル型ポピュリズム、
そして小泉・サルコジの現代ポピュリズムまで、
そのメカニズムを多面的に明らかにする。
社会の停滞を打ち破る政治のダイナミズムは、
民主主義の根本的な問い直しから見えてくる!
- ISBN-10414091176X
- ISBN-13978-4140911761
- 出版社NHK出版
- 発売日2011/3/26
- 言語日本語
- 寸法13 x 1.2 x 18.2 cm
- 本の長さ240ページ
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
著者について
● 吉田徹(よしだ・とおる)
1975年生まれ。
慶応義塾大学法学部卒、日本貿易振興機構(ジェトロ)を経て、東京大学総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。
現在、北海道大学法学研究科/公共政策大学院准教授。
現在はヨーロッパ比較政治、フランス政治史。
1975年生まれ。
慶応義塾大学法学部卒、日本貿易振興機構(ジェトロ)を経て、東京大学総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。
現在、北海道大学法学研究科/公共政策大学院准教授。
現在はヨーロッパ比較政治、フランス政治史。
登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2011/3/26)
- 発売日 : 2011/3/26
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 240ページ
- ISBN-10 : 414091176X
- ISBN-13 : 978-4140911761
- 寸法 : 13 x 1.2 x 18.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 424,526位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 53,453位社会・政治 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒。日本貿易振興機構(JETRO)調査部、パリセンター調査ディレクターを経て、東京大学総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。日本学術振興会特別研究員等を経て、北海道大学法学研究科/公共政策大学院教授、現在同志社大学政策学部教授。その間、パリ政治学院ジャパンチェア招聘教授、同非常勤講師、同フランス政治研究所客員研究員、ニューヨーク大学客員研究員。現在、フランス国立社会科学高等研究院(EHESS)日仏財団(FFJ)リサーチアソシエイト。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2014年10月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ポピュリズムについて知りたかったので、ちょうどよい感じでした。
2015年6月24日に日本でレビュー済み
先週、デンマークの選挙で反移民ポピュリスト政党が第2党になり、北欧でもいよいよポピュリズムの大波が来た今、ポピュリズムとは何かを考えてみるために読み始めました。前半は、主に首相や大統領といった新自由主義に属する最近のトップ政治家の行動を中心に、民主主義が高度に発達している先進諸国においてポピュリズム的手法の政治が興隆していることを説明しています。フランス政治が専門の筆者らしく、フランスのサルコジ前大統領など比較的新しい事例を中心に、新たな知識を得られました。ただ、政治家「個人」に焦点を当てすぎていて、例えばオランダや北欧の反移民政党や、イギリスの反EU政党、イタリアの五つ星運動といった、組織的なポピュリスト運動に対する言及は少なく、その点で物足りなく感じました。
後半は、多くの政治学者の研究や発言を引用する形で、「ポピュリズム」の定義や実像に迫っていく取組です。残念ながらここから得られるものはあまりありませんでした。まず、一冊の本として、どのような流れで読者をどこに連れて行こうとしているのか、その構造をつかむことができず、段落ごとに言っていることの意味は分かったとしても次に続かず、全体像を把握することが困難です。普段から現代政治学に慣れ親しんでいる研究者であればすいすい頭に入るのかもしれませんが、自分は無理でした。
また、(本当に)多くの学者の著書などを引用していて、「よく勉強しているな〜」という感じは受けるものの、それがあまりにも多すぎて、かえって理解を阻害しています。結局筆者が言いたいこと、伝えたいことは何なのか、よくわかりません。
なにより、文章の分かりにくさに閉口しました。自分は普段から政治や経済に関する文章に多少は慣れているはずなのに、それでも筆者の書く文章は主語・述語の関係が良くないのか、文体の統一がとれていないのか、特に後半部分がとても難渋しました。例えば接続詞がほとんど使われていないために、段落どうしの関係が掴みづらく、読んでいて途中で嫌になります。本書の後に出された「感情の政治学」のレビューにも書いたことと重なりますが、専門書ではない一般書なのだから、読者にもっと伝わる文章にすべきです。
巻末の文献リストなど資料集としての価値はあるものの、本文の読みにくさを考えると低評価にせざるをえません。
後半は、多くの政治学者の研究や発言を引用する形で、「ポピュリズム」の定義や実像に迫っていく取組です。残念ながらここから得られるものはあまりありませんでした。まず、一冊の本として、どのような流れで読者をどこに連れて行こうとしているのか、その構造をつかむことができず、段落ごとに言っていることの意味は分かったとしても次に続かず、全体像を把握することが困難です。普段から現代政治学に慣れ親しんでいる研究者であればすいすい頭に入るのかもしれませんが、自分は無理でした。
また、(本当に)多くの学者の著書などを引用していて、「よく勉強しているな〜」という感じは受けるものの、それがあまりにも多すぎて、かえって理解を阻害しています。結局筆者が言いたいこと、伝えたいことは何なのか、よくわかりません。
なにより、文章の分かりにくさに閉口しました。自分は普段から政治や経済に関する文章に多少は慣れているはずなのに、それでも筆者の書く文章は主語・述語の関係が良くないのか、文体の統一がとれていないのか、特に後半部分がとても難渋しました。例えば接続詞がほとんど使われていないために、段落どうしの関係が掴みづらく、読んでいて途中で嫌になります。本書の後に出された「感情の政治学」のレビューにも書いたことと重なりますが、専門書ではない一般書なのだから、読者にもっと伝わる文章にすべきです。
巻末の文献リストなど資料集としての価値はあるものの、本文の読みにくさを考えると低評価にせざるをえません。
2011年5月15日に日本でレビュー済み
選挙で代表を選ぶ議会制民主主義では、政党間の論争、政治的駆け引きで政策が決定されます。それゆえ国民一人ひとりの意見が反映されないと感じられることが多くなる。さらに国家規模が大きくなると官僚機構も大きくなり、その複雑さゆえに国民の意思が歪められていると意識する人が増える。自分の置かれた境遇に不満を持つ人々ほど政治に対する不満を感ずる。
ポピュリスト的政治家はその間隙を利用して支持を集めます。たとえば「外国人排斥」、「官僚支配の打破」など、わかりやすい目標を掲げ、自らの「敵」を設定する。その目標に賛同する人を「普通の人々」と呼び、「自分は普通の人々の味方だ」と主張する。しかし実際には「普通」から排除されてしまう人々は決して少なくない。彼ら(たとえば生活保護受給者、高齢者、ニート、移民、etc.)は行政から見放され、はなはだしい困窮におちいる。
このような政治手法は政治基盤を持たない政治家が用いる方法だとされます。フランスのサルコジ、イタリアのベルルスコーニ、日本では小泉純一郎(そういえば小泉さんは自分の派閥を持っていなかった、というかあまりあてにできなかった)など。
しかしポピュリズムは一概に悪だとは言えない。なぜなら、それは政治的マイノリティーが自分たちの政治的主張を代議制民主主義の中で形成していく過程そのものだからです。ボリビアのモラレス政権、タイのタクシン元首相、著者は詳述していませんが、最近の「プレカリアート運動」もその一種でしょう。
著者はいいます。「ポピュリズムを否定することは、現代の民主主義がかかえているジレンマや問題を無視することにつながる。確実なのは、不正、貧困、不平等が私たちの民主主義に存在すること、そして政治が自分たちのことをかまってくれないという感情が生まれている状況は、民主主義の危機を意味しているということだ。そしてこの状況から脱却できなければ、ポピュリズムはこの世から決して消去されない。」
ポピュリズムの恐さは、各有権者がそれと意識せず他人の権利を侵害し、自分の政治的選択がまちがっていないと思い込んでしまうことでしょう。自分が「普通の人」であるという意識が、判断を停止させてしまうのです。かく言う私も2005年の選挙では小泉自民党に投票してしまいました。
多少むずかしい本ですが、広く読まれるべき本です。特に無党派の人には必読です。
ポピュリスト的政治家はその間隙を利用して支持を集めます。たとえば「外国人排斥」、「官僚支配の打破」など、わかりやすい目標を掲げ、自らの「敵」を設定する。その目標に賛同する人を「普通の人々」と呼び、「自分は普通の人々の味方だ」と主張する。しかし実際には「普通」から排除されてしまう人々は決して少なくない。彼ら(たとえば生活保護受給者、高齢者、ニート、移民、etc.)は行政から見放され、はなはだしい困窮におちいる。
このような政治手法は政治基盤を持たない政治家が用いる方法だとされます。フランスのサルコジ、イタリアのベルルスコーニ、日本では小泉純一郎(そういえば小泉さんは自分の派閥を持っていなかった、というかあまりあてにできなかった)など。
しかしポピュリズムは一概に悪だとは言えない。なぜなら、それは政治的マイノリティーが自分たちの政治的主張を代議制民主主義の中で形成していく過程そのものだからです。ボリビアのモラレス政権、タイのタクシン元首相、著者は詳述していませんが、最近の「プレカリアート運動」もその一種でしょう。
著者はいいます。「ポピュリズムを否定することは、現代の民主主義がかかえているジレンマや問題を無視することにつながる。確実なのは、不正、貧困、不平等が私たちの民主主義に存在すること、そして政治が自分たちのことをかまってくれないという感情が生まれている状況は、民主主義の危機を意味しているということだ。そしてこの状況から脱却できなければ、ポピュリズムはこの世から決して消去されない。」
ポピュリズムの恐さは、各有権者がそれと意識せず他人の権利を侵害し、自分の政治的選択がまちがっていないと思い込んでしまうことでしょう。自分が「普通の人」であるという意識が、判断を停止させてしまうのです。かく言う私も2005年の選挙では小泉自民党に投票してしまいました。
多少むずかしい本ですが、広く読まれるべき本です。特に無党派の人には必読です。
2012年6月29日に日本でレビュー済み
これだけ濃い内容で、1000円台前半と言うのは、本の作られ方はどうなっているのだろうかと考えてしまう。理論と言う点でも、歴史分析と言う点でも申し分ない。ポピュリズムに関しては、是非読んでおく本。ただ、惜しむらくは、結論でポピュリズムの不可避性、むしろそれを受容していくと言う点は、そうとしかならないと言う意味ではその通りだと思うが、展望と言う点では、それで良いのか、少し疑問のところがある。
2011年9月7日に日本でレビュー済み
表題の通り、いわゆる「ポピュリズム」と呼ばれる政治のあり方を、政治哲学/思想および政治学の観点から論じようと試みた著作である。
意識調査や統計を用いた実証的な議論は本書の目指すところではなく、あくまで観念的な分野に主眼がおかれている。
「ポピュリズム」を批判的にではなく、両義的に、あるいは民主主義に内在する本質的要素として把握しようとする意図は理解できる。
しかしながら、論旨展開や結論が明快であるとはいえないだろう。
その原因はおそらく以下の部分にあるように思われる。
第一に、「ポピュリズム」の定義が章節に応じて使い分けられており、ある部分では単に「デモクラシー」として、ある場合では「大衆迎合主義」として、あるいは「カリスマ的な政治」として、異なった文脈の中で扱われてしまっている。そして、これらの用法がしばしば混同され、明確に切り分けられていない点にひとつの問題がある。
第二に、そうした用法の混乱は、基本的に本書が、近年の著名な思想家・政治学者らの議論をレジュメのようにまとめ、それらを接続しているパッチワーク形式の著作であることに由来する。社会民主主義の議論から、保守主義者の議論までが並列的に論じられているが、著者の拠って立つ思想的立場も不明なことと相俟って、論旨把握をより困難にしている。
(また個別思想家の要約も若干怪しく、著者が注目したい点のみを切り貼りしている印象がある。例えば、ジョック・ヤングは明らかに社会民主主義者の立場から、新しいアンダークラスの創出を重視する学者だが、本書ではそうした彼の立場は考慮されず、単に社会内の成員をアンダークラスとは関係なく二分割したことを指摘した学者だとする要約が掲載されており、これは不適切であるように思われる。他にもその分野の専門家が読めば首をかしげるような要約が目立つ)
結局のところ、「デモクラシーを考える」という表題のほうが適切であったように思われる。
また批判的見解から距離を取るという名目で、マイノリティ問題や社会内の権力関係にほとんど目配りをしていないため、中立的な立場を取るといいながら、どちらかといえば哲学趣味の官僚かシンクタンクの社員がする議論のように、看板とは裏腹に議論の中立性が損なわれてしまっているようにも感じられた。
意識調査や統計を用いた実証的な議論は本書の目指すところではなく、あくまで観念的な分野に主眼がおかれている。
「ポピュリズム」を批判的にではなく、両義的に、あるいは民主主義に内在する本質的要素として把握しようとする意図は理解できる。
しかしながら、論旨展開や結論が明快であるとはいえないだろう。
その原因はおそらく以下の部分にあるように思われる。
第一に、「ポピュリズム」の定義が章節に応じて使い分けられており、ある部分では単に「デモクラシー」として、ある場合では「大衆迎合主義」として、あるいは「カリスマ的な政治」として、異なった文脈の中で扱われてしまっている。そして、これらの用法がしばしば混同され、明確に切り分けられていない点にひとつの問題がある。
第二に、そうした用法の混乱は、基本的に本書が、近年の著名な思想家・政治学者らの議論をレジュメのようにまとめ、それらを接続しているパッチワーク形式の著作であることに由来する。社会民主主義の議論から、保守主義者の議論までが並列的に論じられているが、著者の拠って立つ思想的立場も不明なことと相俟って、論旨把握をより困難にしている。
(また個別思想家の要約も若干怪しく、著者が注目したい点のみを切り貼りしている印象がある。例えば、ジョック・ヤングは明らかに社会民主主義者の立場から、新しいアンダークラスの創出を重視する学者だが、本書ではそうした彼の立場は考慮されず、単に社会内の成員をアンダークラスとは関係なく二分割したことを指摘した学者だとする要約が掲載されており、これは不適切であるように思われる。他にもその分野の専門家が読めば首をかしげるような要約が目立つ)
結局のところ、「デモクラシーを考える」という表題のほうが適切であったように思われる。
また批判的見解から距離を取るという名目で、マイノリティ問題や社会内の権力関係にほとんど目配りをしていないため、中立的な立場を取るといいながら、どちらかといえば哲学趣味の官僚かシンクタンクの社員がする議論のように、看板とは裏腹に議論の中立性が損なわれてしまっているようにも感じられた。
2011年4月2日に日本でレビュー済み
「二大政党制批判論」で、これまでの日本の二大政党制を巡り、それを過度に理想像とした「通説」に果敢に挑んだ著者が、現代の政治の特徴である「ポピュリズム」の本質に切り込んでいる。
「ポピュリズム」を否定的に言及することが通例である中、著者は、ポピュリズムの持つ「情念」が、実は民主主義にとって不可欠のものであるとして、積極的な面を見出している。
特に第3章「議会制民主主義の危機」についての分析で、著者は、たとえば、事業仕分けが「信念を共有する一部集団」によって「外部からの改革圧力」という手法をもって行われたが、このようなやり方は、どこか遠いところで自分の運命が決められるという感覚を呼び、人々の不満を呼ぶという側面を正当に指摘している。
今後とも継続して直面することになる「ポピュリズム」について考えを深めていくために一読をお勧めする。
「ポピュリズム」を否定的に言及することが通例である中、著者は、ポピュリズムの持つ「情念」が、実は民主主義にとって不可欠のものであるとして、積極的な面を見出している。
特に第3章「議会制民主主義の危機」についての分析で、著者は、たとえば、事業仕分けが「信念を共有する一部集団」によって「外部からの改革圧力」という手法をもって行われたが、このようなやり方は、どこか遠いところで自分の運命が決められるという感覚を呼び、人々の不満を呼ぶという側面を正当に指摘している。
今後とも継続して直面することになる「ポピュリズム」について考えを深めていくために一読をお勧めする。
2012年1月13日に日本でレビュー済み
現代政治はもはやポピュリズムの時代といってもいい状況になってきている。
政治手法としてのポピュリズムは蔓延している。
しかし、「ポピュリスト」というのは批判対象へのレッテルとして働いているが、本当にポピュリズムは悪なのだろうか。
民主主義であるならば半ば必然ではないのか。そう問いかける。
ただ、内容としては「ポピュリズムの民主主義における妥当性」のような議論よりも「現代のポピュリズムの事例をみる(ペロンからサルコジまで)」という側面の方がかなり強い。
そういう意味ではタイトルや副題はミスリーディングな気はする。
いろいろと出ており、簡単な問題ではないのはわかるが、いささか話が散りすぎな気がする。
排外主義もグローバル化もポピュリストにはいるわけで、話が強引なときもしばしばの印象であった。
題材は面白いので、もっと理論的な分析を強めるか、逆に事例検証に特化するかした方がよかったのではと思う
政治手法としてのポピュリズムは蔓延している。
しかし、「ポピュリスト」というのは批判対象へのレッテルとして働いているが、本当にポピュリズムは悪なのだろうか。
民主主義であるならば半ば必然ではないのか。そう問いかける。
ただ、内容としては「ポピュリズムの民主主義における妥当性」のような議論よりも「現代のポピュリズムの事例をみる(ペロンからサルコジまで)」という側面の方がかなり強い。
そういう意味ではタイトルや副題はミスリーディングな気はする。
いろいろと出ており、簡単な問題ではないのはわかるが、いささか話が散りすぎな気がする。
排外主義もグローバル化もポピュリストにはいるわけで、話が強引なときもしばしばの印象であった。
題材は面白いので、もっと理論的な分析を強めるか、逆に事例検証に特化するかした方がよかったのではと思う