「あの人は良い人だった」「あの人も幸せだったんじゃないの」「良い人生だった」「苦しまなくて良かった」「苦しんだけれども良くがんばった」「今ごろは苦しみのないところで安らかにしているだろう」
わたしたちは死者について簡単にまとめてしまおうとしまいます。それはあたかも死者との縁を切るための整理をしているかのようです。
しかし、本人は良い人生だったと思っていたのか、あるいは、本人がそう思わなくても多くの人が横からそう評価するような人生であったのか、苦しんだのか、何をどんなふうに苦しんだのか、苦しまなかったのか、がんばったのか、がんばれない辛さを味わっていなかったのか、がんばらなかったのか、こういうことを軽々に判断してはなりません。
本人だけにわかることです。いや本人にさえわからないことかも知れません。ならば、わたしたちが自分の安堵のために、何かを終わらせるために、そういうことを語るべきではないのです。
わたしたちは考え抜く、いや、考え抜けなくても、考え続ける、いや、せめて、考えをまとめたり、まとめの言葉を言ったりすべきでないのです。そうやって、考え続けることによってのみ、死者はわたしの物ではなく者で在り続けるのではないでしょうか。
本書は、石巻出身の著者が、3・11以前の思索をも土台の一部としながらも、3・11以後の風景を深く見つめ、日本社会でこの間、発せられてきた「言葉」の虚無性を暴きつつ、著者自身、言葉が出る/出ない、出す/出さないのぎりぎりのせめぎ合いの中から搾り出した一冊だと思います。
著者は「橋 ― あとがきの代わりに」で、本書のテーマは「言葉と言葉との間に屍がある」と「人間存在というものの根源的な無責任さ」であると述べています。
「言葉と言葉との間に屍がある」とは、どういう意味でしょうか。
「意をもちいずに使い棄てたり、使っておきながら、すっかり忘れ去ったりした言葉たちの間に、いつのまにか、死体がはさまっている。・・・・戦争もファシズムも、もろもろの革命も、言葉と言葉との間に屍を生むものではないのか」(p.166)。
では、言葉はどのように発するべきなのでしょうか。
「いま語りうる言葉をなぞり、くりかえし、みんなで唱和することではなく、いま語り得ない言葉を、混沌と苦悩のなかから掬い、それらの言葉に息を吹きかけて命をあたえて、他者の沈黙にむけて送りとどけること」(p.21)。
「死者に対する敬意とは、人のモノ化とはどういうことか、この死の虚しさと、かぎりない暴力、破壊が、なにからもたらされているのか ― それらを考える手がかりを、風景を正視してわれわれがつかむことではないのでしょうか。そして、言葉でそれを表現すること、これが死者への敬意と悼みにつながるのではないか。言葉は人のモノ化への抵抗でもあります」(p.59)。
もう一つのテーマ、「人間存在というものの根源的な無責任さ」とはどういうことでしょうか。
「〈大震災に負けない日本人の勇気〉をオウム返しに言うより、「人間存在というものの根源的な無責任さ」について考えてみるほうが、わたしの性にあっている」(p.175)。
著者は、関東大震災を見て折口信夫が「ああ愉快と、言ってのけようか。一挙になくなっちまった」(著者による引用は旧かなづかい。旧漢字)」と詩にしたことや、東京大空襲について堀田善衛が「階級制度もまた焼け落ちて平べったくなる」(・・・この言葉は赤木智弘の「希望は戦争」の真意を思い出させる・・・)と述べたことを挙げ、これらの表現には「完膚なきまでに壊された人と社会のその先に、いったいなにが誕生してくるのか見てみたいものだという、各人にあいつうじる希望、内面のつよさや不思議な明るさ、もっと言えば、“ふとどきで不謹慎な明るさ”を感じます。ふとどきで不謹慎な言葉というのは、そうではない襟を正した言葉よりも、ときとして逆説的な明るさを醸し、人に救いを感じさせたりするものです」(p.181)とまとめています。
「がんばろう日本」というような常套句や(本来は新鮮であったであろう)「〈思いやり〉は誰にでも見える」という言葉の連呼からは「屍」が増すばかりであり、むしろ、奇妙な自制のない「ふとどきで不謹慎な言葉」の方が救いがあると言うのです。
けれども、それは石原慎太郎の「天罰」発言とはまったく異なるものでありましょう。石原は「完膚なきまでに壊された人」ではないからです。完膚なきまでに壊された人が、言葉さえも完膚なきまでに壊されて、完膚なきまでに壊された野にたたずむ時、そして、奇妙な心の戒厳令を敷いたり、常套句をオウム返しにしたりしない時、あらゆる言葉を捨てた時、意外にも、「ふとどきで不謹慎な言葉」があっけらかんと出てきて、そこに力があるのではないでしょうか。
著者は宮澤賢治、石原吉郎、原民喜らとの対話も思索の土台としています。
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瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ (NHK出版新書) 新書 – 2012/1/6
辺見 庸
(著)
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3・11後、ますますあらわになる言語の単純化・縮小・下からの統制。
「日本はどのように再生すべきか」・・・発せられた瞬間に腐り死んでいく
これらの言葉に抗して、<死者>ひとりびとりの沈黙にとどけるべき言葉とはなにか。表現の根拠となる故郷を根こそぎにされた作家が、それでもなお、人間の極限を描ききった原民喜、石原吉郎、堀田善衛らの言葉を手がかりに、自らの文学の根源を賭け問う渾身の書。
「日本はどのように再生すべきか」・・・発せられた瞬間に腐り死んでいく
これらの言葉に抗して、<死者>ひとりびとりの沈黙にとどけるべき言葉とはなにか。表現の根拠となる故郷を根こそぎにされた作家が、それでもなお、人間の極限を描ききった原民喜、石原吉郎、堀田善衛らの言葉を手がかりに、自らの文学の根源を賭け問う渾身の書。
- ISBN-104140883634
- ISBN-13978-4140883631
- 出版社NHK出版
- 発売日2012/1/6
- 言語日本語
- 寸法11 x 1 x 17.2 cm
- 本の長さ200ページ
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商品の説明
著者について
1944年宮城県石巻市生まれ。70年共同通信社入社。91年『自動起床装置』で芥川賞、94年『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞、2011年詩文集『生首』で中原中也賞受賞。最近刊として『美と破局』『しのびよる破局』『私とマリオ・ジャコメッリ』 『水の透視画法』詩集『眼の海』がある。
登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2012/1/6)
- 発売日 : 2012/1/6
- 言語 : 日本語
- 新書 : 200ページ
- ISBN-10 : 4140883634
- ISBN-13 : 978-4140883631
- 寸法 : 11 x 1 x 17.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 507,750位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 285位NHK出版新書
- カスタマーレビュー:
著者について
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作家。1944年、宮城県生まれ。早稲田大学文学部卒。70年、共同通信社入社。北京特派員、ハノイ支局長、編集委員などを経て96年、退社。この間、 78年、中国報道で日本新聞協会賞、91年、『自動起床装置』で芥川賞、94年、『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 いまここに在ることの恥 (ISBN-13: 978-4043417117 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年3月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2013年12月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書に唆され言ってしまおう。
なぜ大震災は東京や東海原発を襲って首都圏を壊滅させなかったのか。
なぜ大震災は京都や奈良、若狭一帯の原発を襲って日本文化のルーツを壊滅させなかったのか。
東日本日本大震災がノアの大洪水のごとく壊滅させたのは、よりによって東北である。「辺境」と貶められ、歴史的・現在的に辛酸をなめてきた「東北」である。
私も、震災直後、「なぜ東北なのか」と思った。震災後、当時の都知事が「バブルや拝金主義に堕落した日本人への天罰だ」と語ったとき、「ならば東京にこそ天罰が下るべき」とテレビに向かって叫んでしまった。
マスコミはこの都知事発言をバッシングしたが、事態の推移はこの他人事のように語る都知事発言に沿って動いていく。主に西日本各地で起こった瓦礫の搬入処理への反対、大文字焼き問題。「放射能汚染を持ち込まれるのはごめんだ」。その一方で「絆」の大合唱。
私の住む関東では、ホット・スポットがあちこちにできた。私は思った。「政府発表は信用できないから関東も汚染されているかも知れない。がんの発生、寿命が短くなるかも知れない。だがそれも現在日本が背負った運命を共にすることにすぎない」。私に子供がいれば別の考えが出てきたかも知れないが、年老いた母も同意した。「日本に生まれたんじゃから」と。
本書では震災を「宇宙のくしゃみ」と言った。もし私たちが植物にたかる微生物で生命が24時間しかないならば、毎日の花への水やりは「百年に一度の惨事」、4.5日おきに降る雨は「数百年に一度の大惨事」。案外ソドムとゴモラの住民は善良だったかも知れない。神を敬わないという一点を除いては。カミュの「ペスト」のなかで登場人物の一人が言う、「僕は神なしで聖者になりたい」。わたしたちは、ジャイナ教徒が踏み潰すのを恐れた微小な虫のように、神だか自然だか宇宙だかに踏みつぶされる「虫」なんだ。数十億年後には地球は膨張する断末魔の太陽に呑み込まれてしまう。それでも本書に載せられている詩のように、意味を失ったモノや人間の部位が転がって積み重なる汚穢のなかに「わたしはあなたの左の小指をさがしている」。日本平安朝の忌意識を打ち破り、鳥辺山の死者を弔う浄土教僧の姿に重ね合わされ、宇宙の無常、などというトンデモナイ夢想に本書の第1章は私をいざなったのであった。
「人間存在の根源的な無責任さ」。この堀田善衛の言葉をめぐって本書の叙述は転回しているように思う。いかに原民喜の原爆体験、石原吉郎のシベリア体験を言葉を通じて自分の血肉にできるのか。そのアンチ・テーゼとして「人間存在の根源的な無責任さ」。非正規労働者を始めとして過重労働を強いられている正社員まで、「絆」等等の欺瞞的な言説に対し「人間存在の根源的な無責任さ」という愛する存在をも客体化してしまう自己存在の悲惨なまでの定立は、「救い」として、または「抗議」として、かずかずの美辞麗句、アベノミクスへの狂騒が再びの「東北」に対する第三者的な視線(それは松尾芭蕉的な帝国主義的感傷へ!)に回帰してしてしまうことへの「あらがい」として、両義的に聳立しているように思えるのだ。
もはや「東北復興」は儀礼的な言葉に化している。みなが景気回復が本当かどうかに関心を集中させている。「人間存在の根源的な無責任さ」。この警句が日本中に響いていること、それに私たちは気づくことができるであろうか?
なぜ大震災は東京や東海原発を襲って首都圏を壊滅させなかったのか。
なぜ大震災は京都や奈良、若狭一帯の原発を襲って日本文化のルーツを壊滅させなかったのか。
東日本日本大震災がノアの大洪水のごとく壊滅させたのは、よりによって東北である。「辺境」と貶められ、歴史的・現在的に辛酸をなめてきた「東北」である。
私も、震災直後、「なぜ東北なのか」と思った。震災後、当時の都知事が「バブルや拝金主義に堕落した日本人への天罰だ」と語ったとき、「ならば東京にこそ天罰が下るべき」とテレビに向かって叫んでしまった。
マスコミはこの都知事発言をバッシングしたが、事態の推移はこの他人事のように語る都知事発言に沿って動いていく。主に西日本各地で起こった瓦礫の搬入処理への反対、大文字焼き問題。「放射能汚染を持ち込まれるのはごめんだ」。その一方で「絆」の大合唱。
私の住む関東では、ホット・スポットがあちこちにできた。私は思った。「政府発表は信用できないから関東も汚染されているかも知れない。がんの発生、寿命が短くなるかも知れない。だがそれも現在日本が背負った運命を共にすることにすぎない」。私に子供がいれば別の考えが出てきたかも知れないが、年老いた母も同意した。「日本に生まれたんじゃから」と。
本書では震災を「宇宙のくしゃみ」と言った。もし私たちが植物にたかる微生物で生命が24時間しかないならば、毎日の花への水やりは「百年に一度の惨事」、4.5日おきに降る雨は「数百年に一度の大惨事」。案外ソドムとゴモラの住民は善良だったかも知れない。神を敬わないという一点を除いては。カミュの「ペスト」のなかで登場人物の一人が言う、「僕は神なしで聖者になりたい」。わたしたちは、ジャイナ教徒が踏み潰すのを恐れた微小な虫のように、神だか自然だか宇宙だかに踏みつぶされる「虫」なんだ。数十億年後には地球は膨張する断末魔の太陽に呑み込まれてしまう。それでも本書に載せられている詩のように、意味を失ったモノや人間の部位が転がって積み重なる汚穢のなかに「わたしはあなたの左の小指をさがしている」。日本平安朝の忌意識を打ち破り、鳥辺山の死者を弔う浄土教僧の姿に重ね合わされ、宇宙の無常、などというトンデモナイ夢想に本書の第1章は私をいざなったのであった。
「人間存在の根源的な無責任さ」。この堀田善衛の言葉をめぐって本書の叙述は転回しているように思う。いかに原民喜の原爆体験、石原吉郎のシベリア体験を言葉を通じて自分の血肉にできるのか。そのアンチ・テーゼとして「人間存在の根源的な無責任さ」。非正規労働者を始めとして過重労働を強いられている正社員まで、「絆」等等の欺瞞的な言説に対し「人間存在の根源的な無責任さ」という愛する存在をも客体化してしまう自己存在の悲惨なまでの定立は、「救い」として、または「抗議」として、かずかずの美辞麗句、アベノミクスへの狂騒が再びの「東北」に対する第三者的な視線(それは松尾芭蕉的な帝国主義的感傷へ!)に回帰してしてしまうことへの「あらがい」として、両義的に聳立しているように思えるのだ。
もはや「東北復興」は儀礼的な言葉に化している。みなが景気回復が本当かどうかに関心を集中させている。「人間存在の根源的な無責任さ」。この警句が日本中に響いていること、それに私たちは気づくことができるであろうか?
2013年5月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
なるほどと思いながら読ませていただきました。
厳しい状況の現代社会で何かを見つめることは必要かな。と思いました。
厳しい状況の現代社会で何かを見つめることは必要かな。と思いました。
2013年1月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
辺見庸は癌に冒され、故郷は3.11で根こそぎにされた。
この本は、そんな辺見が、
「いま、どういう言葉を発すべきか」
を自問自答したものだといえる。
いわば「私記」だ。
人間の極限を描いてきた著者が、同じく人間の極限を描いた
石原吉郎、原民喜らの言葉を借りながら、
自らの生き方だけでなく、
「いま何を語るべきか」
「すべての人(死者にも)届けるべき言葉とは何か」
を問うた本だ。
これは常々辺見庸が言っていることだが、
震災以降、なぜか言葉が軽くなっている。
曰く……
「がんばろう、日本」
それ自体は悪いことではない。立ち上がろうとすることはすばらしいだろう。
しかし、この未曾有の大災害は、そんなに簡単に
「元通り」になるレベルのものだろうか。
わたしの背にいま、盛んに砲声が聞こえる。テレビドラマの『坂の上の雲』
の音声である。……(中略)日本人が雄々しく勇ましい。3.11が消えかかっている
ようだ。いつの間にか、なにかがたちあがっている。
まことに不思議な時代である。――――あとがきに代えて より
震災を「過去の歴史」にしないためにも、一読したい一冊である。
この本は、そんな辺見が、
「いま、どういう言葉を発すべきか」
を自問自答したものだといえる。
いわば「私記」だ。
人間の極限を描いてきた著者が、同じく人間の極限を描いた
石原吉郎、原民喜らの言葉を借りながら、
自らの生き方だけでなく、
「いま何を語るべきか」
「すべての人(死者にも)届けるべき言葉とは何か」
を問うた本だ。
これは常々辺見庸が言っていることだが、
震災以降、なぜか言葉が軽くなっている。
曰く……
「がんばろう、日本」
それ自体は悪いことではない。立ち上がろうとすることはすばらしいだろう。
しかし、この未曾有の大災害は、そんなに簡単に
「元通り」になるレベルのものだろうか。
わたしの背にいま、盛んに砲声が聞こえる。テレビドラマの『坂の上の雲』
の音声である。……(中略)日本人が雄々しく勇ましい。3.11が消えかかっている
ようだ。いつの間にか、なにかがたちあがっている。
まことに不思議な時代である。――――あとがきに代えて より
震災を「過去の歴史」にしないためにも、一読したい一冊である。
2019年6月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大好きで、人にあげるため、たぶんすでに50冊くらい買いました。
情報化社会とは言いながら、体温の感じられない、浮ついた言葉ばかりが漂泊していて虚しさを覚える日々です。
辺見さんが大好きで、過去に何度か講演会も聞きに行きました。
言葉が激しくもあり(ときにはちょっと口汚いこともあるかも知れませんが)それでも、考え抜き、悩み抜き、体の奥から絞り出された言葉の数々に読む側も魂を揺さぶられます。
情報化社会とは言いながら、体温の感じられない、浮ついた言葉ばかりが漂泊していて虚しさを覚える日々です。
辺見さんが大好きで、過去に何度か講演会も聞きに行きました。
言葉が激しくもあり(ときにはちょっと口汚いこともあるかも知れませんが)それでも、考え抜き、悩み抜き、体の奥から絞り出された言葉の数々に読む側も魂を揺さぶられます。
2013年1月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
辺見氏のような方が、政治家の中にもいてくれることを願います。
2012年7月15日に日本でレビュー済み
以前にNHKのインタビューを見て、関心をもちましたが、その時には辺見さんの思想的な背景も理解していませんでした。今回、読んでみて、申し訳ありませんが、お勧めの本ではないなと思いました。
鋭い意見や、参考になる言葉、なども満載ですが、「ひどい抑うつ状態にあった」と言われる中で書かれたものだからか、理解するには、痛い内容や、厳しすぎる内容、堂々巡りでよけい悩みそうなもの…、何より希望を感じにくい、ラストは宮沢賢治さんの詩を紹介しながら、末期の爽やかさ、死に向かう希望のようなものも感じさせてはいますが…。
真実を書いている部分があろうとなかろうと、だいたいにおいて希望を感じるものとはいえません。
ですから、この本を、特に悩む人には読んでほしくありません。
マイナス的な考えや気分の人にも、益になるとは思えません。
劇薬のようなところがある本です。ある人にはカンフル剤のようになるかもしれませんが。
自分をしっかりもってブレない人、前向きな人、には受けとめられるかもしれません。
辺見さんの話はもっともなことを言っているようで、じゃあ何を言いたいのかと突き詰めてみると、なんだか屈折した心だったり、コジツケのようにも感じられます。
3.11の犠牲者の魂を慰めているようで、何かへの憎悪が根底にあるし、人の前向きさ(時にそれが軽すぎて見えることに)を否定するものです。震災の美談にも感動しない心で書かれたものなのです。(その憎悪は、突き詰めると戦争や原発なり、その背後の国家に向けられたものにも感じます。)
物事を屈折して捉えたり、悲観的に捉えたりするのは、個性だったり、ショックが激しくPTSDによるものとも言えますが、こうして、出版をするということは人に対して責任を持つということです。
そういう意味で、悪影響のある書だと断じることにします。部分的にはよい所はあったとしても。
鋭い意見や、参考になる言葉、なども満載ですが、「ひどい抑うつ状態にあった」と言われる中で書かれたものだからか、理解するには、痛い内容や、厳しすぎる内容、堂々巡りでよけい悩みそうなもの…、何より希望を感じにくい、ラストは宮沢賢治さんの詩を紹介しながら、末期の爽やかさ、死に向かう希望のようなものも感じさせてはいますが…。
真実を書いている部分があろうとなかろうと、だいたいにおいて希望を感じるものとはいえません。
ですから、この本を、特に悩む人には読んでほしくありません。
マイナス的な考えや気分の人にも、益になるとは思えません。
劇薬のようなところがある本です。ある人にはカンフル剤のようになるかもしれませんが。
自分をしっかりもってブレない人、前向きな人、には受けとめられるかもしれません。
辺見さんの話はもっともなことを言っているようで、じゃあ何を言いたいのかと突き詰めてみると、なんだか屈折した心だったり、コジツケのようにも感じられます。
3.11の犠牲者の魂を慰めているようで、何かへの憎悪が根底にあるし、人の前向きさ(時にそれが軽すぎて見えることに)を否定するものです。震災の美談にも感動しない心で書かれたものなのです。(その憎悪は、突き詰めると戦争や原発なり、その背後の国家に向けられたものにも感じます。)
物事を屈折して捉えたり、悲観的に捉えたりするのは、個性だったり、ショックが激しくPTSDによるものとも言えますが、こうして、出版をするということは人に対して責任を持つということです。
そういう意味で、悪影響のある書だと断じることにします。部分的にはよい所はあったとしても。