足利尊氏を評して「合戦にたまにしか負けない」「尊氏もたまには負ける」、足利直義は「基本的に合戦にはたまにしか勝てない人物」「基本的に直義は合戦に勝てない」を対比させて書いていたり、光厳天皇が「2度見た」という地獄変の記述が「北条氏勢力の武士が集団自害するのを目の当たりにした」など情景が浮かび、わが身に置き換えて光厳院への同情が募るように書かれている。
また、足利義満の章を読んでいると、その傲岸不遜なやり方に最初「ひでぇ奴だ」と思わせられるが、遅刻欠席が当たり前の当時のお公家さんたちを、信賞必罰で律していくところまで読むと、義満の気持ちもわかった気になる。
全体を通して、やはり北朝の天皇・親王がたはお気の毒であり、それでもじっと耐えて血脈を絶やさずに生き残られた不思議を思った。
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北朝の天皇-「室町幕府に翻弄された皇統」の実像 (中公新書) 新書 – 2020/7/20
石原 比伊呂
(著)
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北朝の天皇は室町幕府の「傀儡」だったのか?両者の交わりをエピソード豊かに紹介し、困難な時代を生き抜いた天皇家の軌跡を描く。
- 本の長さ251ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2020/7/20
- ISBN-104121026012
- ISBN-13978-4121026019
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商品の説明
著者について
石原比伊呂
1976年生まれ。青山学院大学大学院博士課程修了。博士(歴史学・青山学院大学)。聖心女子大学准教授。専門は日本中世史。著書に『室町時代の将軍家と天皇家』(勉誠出版)、『足利将軍と室町幕府』(戎光祥出版)など。
1976年生まれ。青山学院大学大学院博士課程修了。博士(歴史学・青山学院大学)。聖心女子大学准教授。専門は日本中世史。著書に『室町時代の将軍家と天皇家』(勉誠出版)、『足利将軍と室町幕府』(戎光祥出版)など。
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2020/7/20)
- 発売日 : 2020/7/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 251ページ
- ISBN-10 : 4121026012
- ISBN-13 : 978-4121026019
- Amazon 売れ筋ランキング: - 102,641位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2020年12月23日に日本でレビュー済み
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2021年1月16日に日本でレビュー済み
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本来の順番を破ったのは後醍醐天皇のようだが、北畠親房の神皇正統記は南朝が正当と云っているらしいのですが
妥当なのか、おかしいのか、言及が欲しかった。
妥当なのか、おかしいのか、言及が欲しかった。
2020年11月8日に日本でレビュー済み
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今、「麒麟がくる」を放送していることもあり、足利将軍と信長の関係を興味深く観ている。その背景もあり、かつ、北朝とは何か、南朝とは何かも良く知らなかったので、本書を読んでみた。室町期の天皇家と将軍家の見事な依存関係がよく分かった。
しかし、なにより驚いたのは「あとがき」に書かれていた、著者の言う「クロ以外はクロでない」と「シロ以外はシロでない」というふたつの価値観、生き方であった。著者は自分よりひとまわり以上若いが、自分からみると老成していると思う。世渡りにたけている、と思う。シロ以外はシロでない、という生き方は、いわゆる「べき思考」でとても窮屈だ、イライラがたまりやすい、大人らしくない、、、でも自分は相変わらずこの生き方をしているなと最近よく思う。
吉田拓郎の「流星」という歌の最初に、「たとえば僕がまちがっていても、正直だった悲しさがあるから、、、」という一節があり、下手くそな生き方だったとしても、自分に嘘はつかなかった、という自負や慰めは最後には残るのだろうと自分なりに理解している。
話は「明後日の方向に飛んでしまった」が、最後の最後に活眼して本書を読み終わった気がする。
―――ジョー・バイデン氏の勝利宣言、演説の日に。
しかし、なにより驚いたのは「あとがき」に書かれていた、著者の言う「クロ以外はクロでない」と「シロ以外はシロでない」というふたつの価値観、生き方であった。著者は自分よりひとまわり以上若いが、自分からみると老成していると思う。世渡りにたけている、と思う。シロ以外はシロでない、という生き方は、いわゆる「べき思考」でとても窮屈だ、イライラがたまりやすい、大人らしくない、、、でも自分は相変わらずこの生き方をしているなと最近よく思う。
吉田拓郎の「流星」という歌の最初に、「たとえば僕がまちがっていても、正直だった悲しさがあるから、、、」という一節があり、下手くそな生き方だったとしても、自分に嘘はつかなかった、という自負や慰めは最後には残るのだろうと自分なりに理解している。
話は「明後日の方向に飛んでしまった」が、最後の最後に活眼して本書を読み終わった気がする。
―――ジョー・バイデン氏の勝利宣言、演説の日に。
2020年7月30日に日本でレビュー済み
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南北朝のどちらが正しいのかという考えは学問的には間違いで、南朝が正しいと言うのはあくまで当時の政治情勢がそうさせただけでしかありません。光厳天皇や後小松天皇の存在なくしては皇統が断絶していた可能性も否定できないのですから北朝も正しい。北朝も正統だと思います。
北朝は足利将軍家(室町幕府)に振り回されながら縋りつくしかなかったようにも見えますが、一方で南朝も正統性を掲げながら政治的にも経済的にも非常に厳しい状況下で戦っていたのですから、改めて公正な形で南北朝時代を見る事ができました。南北朝共に同じ皇統でありどちらも正しいという歴史認識の一助になればとも思います。
北朝は足利将軍家(室町幕府)に振り回されながら縋りつくしかなかったようにも見えますが、一方で南朝も正統性を掲げながら政治的にも経済的にも非常に厳しい状況下で戦っていたのですから、改めて公正な形で南北朝時代を見る事ができました。南北朝共に同じ皇統でありどちらも正しいという歴史認識の一助になればとも思います。
2020年8月2日に日本でレビュー済み
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筆者は『はじめに』で、明確な理念を掲げ、強烈な存在感で時代を駆け抜けた後醍醐率いる南朝に対し、いまひとつ影の薄い北朝天皇家に対する印象は、研究者を含めて「よくわからない」というものになっているとしている。そのうえで筆者は、おそらく北朝天皇家に高邁な理想を追求し、それを実践に移した人物はいないとしながらも、それがゆえに、中世という時代を泳ぎ切れたのだとし、本書では、そのような中世天皇家の生命力(「室町幕府に翻弄された皇統」という虚像とは異なる実像)を描写していきたいとしている。
筆者はまず第一章(鎌倉時代)で、後の北朝と南朝となる持明院統と大覚寺統への二統分裂及びその固定化に至った経緯や両統それぞれの幕府に対するスタンスの違いなどについて、第二章(南北朝時代前後)では足利尊氏・直義時代の北朝擁立・南朝との全面対立から「正平の一統」後の北朝内の皇統分裂、光厳上皇と直義の君臣合体関係がその後の天皇と将軍の関係の萌芽となり次代以降に継承されていったことなどについて、それぞれ詳述している。
本書のメインテーマ部分である第三章から第五章(室町時代前期・中期・後期)については、「ここまでの叙述において、天皇家と将軍家の関係の構造を押さえた上で、天皇個人と将軍個人の関係を示してきた。どちらかというと天皇と将軍の個人的な相性にスポットライトを当てることも多かったので、単に「室町時代の天皇と将軍は個人的に仲が良かった(悪かった)という話として伝わっているかもしれない」(第五章178ページ)と、筆者自身が自覚して振り返っているとおりの内容だったというのが、私の率直な印象だった。しかし、筆者は実際はもう少し複雑であるとして、将軍と天皇は個人的な相性が良かったから仲良くしたのではなく、そのようにしなければならなかったから仲良くしていたのだとし、室町時代のこの将軍家と天皇家が仲の良いふりをするという関係性を筆者は「儀礼的昵懇関係」と表現している。
筆者は続く第六章において、両者が「儀礼的昵懇関係」を演出せざるをえなかった理由と、そうした関係が応仁の乱を契機に成立しなくなった理由について詳述しており、それら自体は十分説得力が感じられるものだったと思う。ただ、両者の関係が実際には単なる「儀礼的昵懇関係」に過ぎないというのであれば、第三章から第五章までをかけて、天皇個人と将軍個人の関係や、「この将軍とこの天皇は仲が良かった(悪かった)」などという事実を裏付けるさまざまなエピソードをわざわざ長々と紹介してことさら強調することに、意味があったのだろうかという気がしないでもなかった。
筆者はまず第一章(鎌倉時代)で、後の北朝と南朝となる持明院統と大覚寺統への二統分裂及びその固定化に至った経緯や両統それぞれの幕府に対するスタンスの違いなどについて、第二章(南北朝時代前後)では足利尊氏・直義時代の北朝擁立・南朝との全面対立から「正平の一統」後の北朝内の皇統分裂、光厳上皇と直義の君臣合体関係がその後の天皇と将軍の関係の萌芽となり次代以降に継承されていったことなどについて、それぞれ詳述している。
本書のメインテーマ部分である第三章から第五章(室町時代前期・中期・後期)については、「ここまでの叙述において、天皇家と将軍家の関係の構造を押さえた上で、天皇個人と将軍個人の関係を示してきた。どちらかというと天皇と将軍の個人的な相性にスポットライトを当てることも多かったので、単に「室町時代の天皇と将軍は個人的に仲が良かった(悪かった)という話として伝わっているかもしれない」(第五章178ページ)と、筆者自身が自覚して振り返っているとおりの内容だったというのが、私の率直な印象だった。しかし、筆者は実際はもう少し複雑であるとして、将軍と天皇は個人的な相性が良かったから仲良くしたのではなく、そのようにしなければならなかったから仲良くしていたのだとし、室町時代のこの将軍家と天皇家が仲の良いふりをするという関係性を筆者は「儀礼的昵懇関係」と表現している。
筆者は続く第六章において、両者が「儀礼的昵懇関係」を演出せざるをえなかった理由と、そうした関係が応仁の乱を契機に成立しなくなった理由について詳述しており、それら自体は十分説得力が感じられるものだったと思う。ただ、両者の関係が実際には単なる「儀礼的昵懇関係」に過ぎないというのであれば、第三章から第五章までをかけて、天皇個人と将軍個人の関係や、「この将軍とこの天皇は仲が良かった(悪かった)」などという事実を裏付けるさまざまなエピソードをわざわざ長々と紹介してことさら強調することに、意味があったのだろうかという気がしないでもなかった。
2021年10月17日に日本でレビュー済み
本書は、北朝の天皇家と足利将軍の持ちつ持たれつ(やや天皇が持たれすぎている)の関係を、鎌倉時代から応仁の乱あたりまで描き出した一冊である。
この時代の天皇といっても、後醍醐天皇(と時代が戻ると後鳥羽上皇)ぐらいしか歴史の表舞台に出てこない印象もあり、随分と地味なテーマを扱っているとも思ったが、当初の予期に反して本書は非常に面白く書かれている。
承久の乱で皇族が大量に罰せられたことで、急遽後堀河天皇が即位し、父親の守貞親王は天皇につくことなく後高倉法皇として院政を行った。しかしその血統も四条天皇で止まってしまい、後嵯峨天皇が即位する。後嵯峨天皇こそが、のちの両統迭立の原因を作る人物である。
後嵯峨は当初後深草天皇に譲位して院政を行っていたが、別の息子の方を可愛がるようになり、亀山天皇を即位させてしまう。亀山の後は、後嵯峨は明確な遺志を残さなかったが、その息子の後宇多が天皇につき、亀山院政を幕府に認めさせてしまう。
しかしそれではさすがに後深草の系統が不憫だと幕府も感じて、後深草の系統(持明院統)と亀山の系統(大覚寺統)とで交互に天皇につくようにする。これが両統迭立である。両者は、持明院統は琵琶、大覚寺統は笛など、奥義を授かる音楽まで分かれていた。
傾向としては、持明院統は幕府への依存を強めるのに対し、大覚寺統は自律的に振る舞おうとする。文保の和談は「幕府は皇位に関与しない」という宣言だが、そののち大覚寺統に押されて持明院統の花園天皇は大覚寺統の後醍醐天皇への譲位を余儀なくされる。本当はここでの争点は、後醍醐の次に皇位につくのが(大覚寺統の)邦良親王か、(持明院統の)量仁親王か、という争いだった(幕府提案は邦良親王ということになった)が、どちらにせよ皇位を息子に継がせられない中継ぎの役回りとされた後醍醐天皇が大きく動くこととなる。
邦良親王は夭逝するが、幕府は取り決め通り量仁親王(光厳天皇)を天皇につける。そのため後醍醐は繰り返し倒幕を試みることとなった。一度目の挙兵の際、幕府はよもや再度挙兵するなどとは思わず、後醍醐を宥免してしまった。二度目の挙兵で隠岐に流されるも脱出し、三度目でついに倒幕する。
後醍醐天皇の治世は短期間のうちに足利尊氏によって終わらされるが、足利家は源氏の血統で見ると庶子であるという弱点があった。そのため、持明院統を担いで権威づけする必要があり、ここで再び両統迭立の対立構図が復活する。
混乱に輪をかけたのが観応の擾乱の際に(形式的にであっても)北朝が南朝に降伏するという正平の一統である。これで京都に後醍醐が戻ることができ、乱鎮圧後に尊氏が攻め戻った際、後醍醐は崇光上皇(一統まで天皇)やその父光厳上皇など北朝の皇族を軒並み拉致してしまったのである。
困った尊氏は、残されていた崇光上皇(一統まで天皇)の弟を後光厳天皇として即位させる。しかしこれは三種の神器もなければ治天の君の命もない、正統性の極めて危ういものであった。そしてさらなる混乱は、その後南朝から解放された崇光上皇らが帰京することでもたらされた。しかし足利将軍は後光厳の血統で天皇を引き継がせることを決める。
将軍ー天皇関係については、原型は(観応の擾乱前の)直義と光厳天皇の関係に見出しているが、重要なのはその後の後光厳天皇の求心力回復であり、そこには足利義詮のバックアップがあった。特に応安の政変を押さえたあと、後光厳の息子の後円融天皇の即位は、崇光派や反対の武家を押さえつける幕府の強力な後押しがあった。
義満は、南北朝を終了させ、南朝側(大覚寺統)はだまし討ちも含めてアメとムチの姿勢で粛々と扱って冷遇し、崇光院も決して正統な系譜と認めずに、所領を取り上げて後光厳の系統に移すなどの措置をとっている。
ここまで後光厳系統を強く擁護してきた義満だが、実は当の後円融天皇とは相性が非常に悪かった。義満は時間や規則に厳しい正確なのに対し、後円融天皇はルーズな上にすぐへそを曲げる性格で、そのため義満は後円融天皇を徹底して無視・排除する。これがしばしば義満の王権簒奪計画といわれるが、筆者は義満が厳しいのはあくまでも後円融個人であるとする。その息子後小松は、義満は父代わりとしてよく面倒を見て支え続け、関係は非常に良好だった(父代わりの振る舞いが王権簒奪と見られる要因ともなっている)。
足利家が「王家の執事」として振る舞うのは、次の義持でも一貫している。ただし、後小松の息子はふたりとも病弱で若くして死んでしまい、また義持も子の義量が早く死ぬなど不幸が続いた。
次の義教はくじ引き将軍でもあり唐突な決定で政治に慣れていなかった。後小松は義教にも繰り返し積極的関係を期待するシグナルを送っていたが、デリケートな義教に対してはそれはむしろ面倒なものと感じられていく。
しかし、後継ぎが止まるのを防ぐため、崇光(伏見宮)系の後花園天皇が即位する際には、義教は全面的なバックアップを行い、後花園との折り合いは良好だった。後花園の父貞成としては、義教はややお仕着せがましいところも多かったが、ともあれ自分の子供が天皇についてくれることをバックアップしてくれるのだからその点には感謝していた。
その後、義政と後花園の関係も良好だったが、その子供後土御門はわりと傲慢なところもあり、関係はギクシャクする。そして応仁の乱などで将軍家の財政が大きく逼迫する中、もはや「王家の執事」としては振る舞えなくなっていく。
将軍家と天皇家、それぞれが正統性を欠く面を持っていたがゆえに互いに支え合う構図を描き出してくれており、室町期の将軍ー天皇関係にいい見取り図を与えてくれている。
時代がやや行ったり来たりするのは少し読みにくいが、結論を先に提示する面もあるのでこれはいいのだろう。
台詞の現代語への意訳はややフランクすぎる気もするが、このぐらいは許容範囲と感じた。
テーマを絞り込んでいるので、例えば嘉吉の変や応仁の乱などの大事件にもほとんど何も触れられていない。時代全体の動きは教科書レベルでは把握していないと中身を追いにくいかもしれない。
しかし全体としては初学者にも親切かつ読みやすい書かれ方の本であり、北朝天皇家というあまり表に出ない部分のダイナミズムを非常に面白く提示してくれる好著である。
この時代の天皇といっても、後醍醐天皇(と時代が戻ると後鳥羽上皇)ぐらいしか歴史の表舞台に出てこない印象もあり、随分と地味なテーマを扱っているとも思ったが、当初の予期に反して本書は非常に面白く書かれている。
承久の乱で皇族が大量に罰せられたことで、急遽後堀河天皇が即位し、父親の守貞親王は天皇につくことなく後高倉法皇として院政を行った。しかしその血統も四条天皇で止まってしまい、後嵯峨天皇が即位する。後嵯峨天皇こそが、のちの両統迭立の原因を作る人物である。
後嵯峨は当初後深草天皇に譲位して院政を行っていたが、別の息子の方を可愛がるようになり、亀山天皇を即位させてしまう。亀山の後は、後嵯峨は明確な遺志を残さなかったが、その息子の後宇多が天皇につき、亀山院政を幕府に認めさせてしまう。
しかしそれではさすがに後深草の系統が不憫だと幕府も感じて、後深草の系統(持明院統)と亀山の系統(大覚寺統)とで交互に天皇につくようにする。これが両統迭立である。両者は、持明院統は琵琶、大覚寺統は笛など、奥義を授かる音楽まで分かれていた。
傾向としては、持明院統は幕府への依存を強めるのに対し、大覚寺統は自律的に振る舞おうとする。文保の和談は「幕府は皇位に関与しない」という宣言だが、そののち大覚寺統に押されて持明院統の花園天皇は大覚寺統の後醍醐天皇への譲位を余儀なくされる。本当はここでの争点は、後醍醐の次に皇位につくのが(大覚寺統の)邦良親王か、(持明院統の)量仁親王か、という争いだった(幕府提案は邦良親王ということになった)が、どちらにせよ皇位を息子に継がせられない中継ぎの役回りとされた後醍醐天皇が大きく動くこととなる。
邦良親王は夭逝するが、幕府は取り決め通り量仁親王(光厳天皇)を天皇につける。そのため後醍醐は繰り返し倒幕を試みることとなった。一度目の挙兵の際、幕府はよもや再度挙兵するなどとは思わず、後醍醐を宥免してしまった。二度目の挙兵で隠岐に流されるも脱出し、三度目でついに倒幕する。
後醍醐天皇の治世は短期間のうちに足利尊氏によって終わらされるが、足利家は源氏の血統で見ると庶子であるという弱点があった。そのため、持明院統を担いで権威づけする必要があり、ここで再び両統迭立の対立構図が復活する。
混乱に輪をかけたのが観応の擾乱の際に(形式的にであっても)北朝が南朝に降伏するという正平の一統である。これで京都に後醍醐が戻ることができ、乱鎮圧後に尊氏が攻め戻った際、後醍醐は崇光上皇(一統まで天皇)やその父光厳上皇など北朝の皇族を軒並み拉致してしまったのである。
困った尊氏は、残されていた崇光上皇(一統まで天皇)の弟を後光厳天皇として即位させる。しかしこれは三種の神器もなければ治天の君の命もない、正統性の極めて危ういものであった。そしてさらなる混乱は、その後南朝から解放された崇光上皇らが帰京することでもたらされた。しかし足利将軍は後光厳の血統で天皇を引き継がせることを決める。
将軍ー天皇関係については、原型は(観応の擾乱前の)直義と光厳天皇の関係に見出しているが、重要なのはその後の後光厳天皇の求心力回復であり、そこには足利義詮のバックアップがあった。特に応安の政変を押さえたあと、後光厳の息子の後円融天皇の即位は、崇光派や反対の武家を押さえつける幕府の強力な後押しがあった。
義満は、南北朝を終了させ、南朝側(大覚寺統)はだまし討ちも含めてアメとムチの姿勢で粛々と扱って冷遇し、崇光院も決して正統な系譜と認めずに、所領を取り上げて後光厳の系統に移すなどの措置をとっている。
ここまで後光厳系統を強く擁護してきた義満だが、実は当の後円融天皇とは相性が非常に悪かった。義満は時間や規則に厳しい正確なのに対し、後円融天皇はルーズな上にすぐへそを曲げる性格で、そのため義満は後円融天皇を徹底して無視・排除する。これがしばしば義満の王権簒奪計画といわれるが、筆者は義満が厳しいのはあくまでも後円融個人であるとする。その息子後小松は、義満は父代わりとしてよく面倒を見て支え続け、関係は非常に良好だった(父代わりの振る舞いが王権簒奪と見られる要因ともなっている)。
足利家が「王家の執事」として振る舞うのは、次の義持でも一貫している。ただし、後小松の息子はふたりとも病弱で若くして死んでしまい、また義持も子の義量が早く死ぬなど不幸が続いた。
次の義教はくじ引き将軍でもあり唐突な決定で政治に慣れていなかった。後小松は義教にも繰り返し積極的関係を期待するシグナルを送っていたが、デリケートな義教に対してはそれはむしろ面倒なものと感じられていく。
しかし、後継ぎが止まるのを防ぐため、崇光(伏見宮)系の後花園天皇が即位する際には、義教は全面的なバックアップを行い、後花園との折り合いは良好だった。後花園の父貞成としては、義教はややお仕着せがましいところも多かったが、ともあれ自分の子供が天皇についてくれることをバックアップしてくれるのだからその点には感謝していた。
その後、義政と後花園の関係も良好だったが、その子供後土御門はわりと傲慢なところもあり、関係はギクシャクする。そして応仁の乱などで将軍家の財政が大きく逼迫する中、もはや「王家の執事」としては振る舞えなくなっていく。
将軍家と天皇家、それぞれが正統性を欠く面を持っていたがゆえに互いに支え合う構図を描き出してくれており、室町期の将軍ー天皇関係にいい見取り図を与えてくれている。
時代がやや行ったり来たりするのは少し読みにくいが、結論を先に提示する面もあるのでこれはいいのだろう。
台詞の現代語への意訳はややフランクすぎる気もするが、このぐらいは許容範囲と感じた。
テーマを絞り込んでいるので、例えば嘉吉の変や応仁の乱などの大事件にもほとんど何も触れられていない。時代全体の動きは教科書レベルでは把握していないと中身を追いにくいかもしれない。
しかし全体としては初学者にも親切かつ読みやすい書かれ方の本であり、北朝天皇家というあまり表に出ない部分のダイナミズムを非常に面白く提示してくれる好著である。