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双頭の船 単行本 – 2013/2/28
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- 本の長さ259ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2013/2/28
- 寸法13.8 x 2.3 x 19.8 cm
- ISBN-104103753080
- ISBN-13978-4103753087
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2013/2/28)
- 発売日 : 2013/2/28
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 259ページ
- ISBN-10 : 4103753080
- ISBN-13 : 978-4103753087
- 寸法 : 13.8 x 2.3 x 19.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,109,190位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 278,383位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
1945年、北海道生れ。埼玉大学理工学部中退。
二十代から世界各地を旅し、ギリシャ、沖縄、フランスで暮らす。現在は、札幌在住。公式サイトは[cafe impala]
http://www.impala.jp
1988年「スティル・ライフ」で芥川賞を受賞。詩、小説、随筆、翻訳(英・ギリシャ語)、書評と執筆は多岐にわたる。広く深い文学的教養と理系的知識を土台に、自然と人間の関わりについての示唆に富んだ作品を多く著している。
ワープロ原稿で芥川賞を受賞した初めて作家でもあり、9.11をきっかけに毎日メールマガジンを通じて意見を表明する(『新世紀へようこそ』に収録)など、早くからデジタル・メディアの活用に関心を持つ。2014年からは株式会社ボイジャーと共同で自身の著作の電子アーカイブ化にも取り組んでいる。
主な著書に『母なる自然のおっぱい』(読売文学賞)『マシアス・ギリの失脚』(谷崎潤一郎賞)『ハワイイ紀行』(JTB出版文化賞)『花を運ぶ妹』(毎日出版文化賞)『すばらしい新世界』(芸術選奨文部科学大臣賞)『イラクの小さな橋を渡って』『憲法なんて知らないよ』『言葉の流星群』(宮沢賢治賞)『静かな大地』(親鸞賞)『パレオマニア』等。2003年、著作活動全般について司馬遼太郎賞、「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」の編纂で朝日賞を受賞。
東日本大震災の後は被災地に通い、『春を恨んだりはしない』『双頭の船』『アトミック・ボックス』を執筆。震災をきっかけに日本と日本人について思索したいとの思いから、「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」に取り組み、2014年末から刊行開始。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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被災地に足を運んだことのある読者は、池澤が単語と文と段落で描き出した風景、海がすべてをなぎ倒しながら襲いかかりすべてを引き剥がすかのように戻って行ったあとの東北の町や、そこに住んでいた人々の口にのぼる痛みや苦しみの言葉に、たしかにそうだったと深くうなずき、さらには、さすがはこの作家だと感嘆し、自分の経験や省察の重要な補足とすることでしょう。
行ったことのない人、事情でなかなか機会がない人は、この小説を通して、テレビ番組や週刊誌、新聞記事以上に、被災地の情景をリアルに感じ、また、被災者の多彩な心情に思いをはせることができることでしょう。
被災者を支援しようとする者同士、その者たちと被災者たちの交わりや葛藤。避難所や仮設住宅の住民の気持ち、住民間の喜怒哀楽。
これから町はどのように作られていくのか。物語では、フェリーボートが島となり、島が陸に乗り上げて、さらには丘にいたるまで進んで、半島となります。これは何の隠喩なのでしょうか。
亡くなった人のことはどうなのでしょうか。かつての島が丘とつながったあたりに墓地ができ、人々は足繁く訪れます。「ここでは生きている人と亡くなった人との距離が他のどの土地よりも近い」。
けれども、たとえ近くても一定の距離ができるまでには、時間と助けが必要でした。亡くなった家族や住民が家や街角にいる時期があったのです。それが、盆踊りに現れたフォルクローレのグループが生きている人と亡くなった人の心をわしづかみにし、「コンドルは飛んで行く」で陶酔させ、最後に「泣きながら Llorando se Fue」(ランバダ)を奏でます。しかし、これは、酔わせるのではなく、「心を決めさせる音楽」であったと池澤は語ります。
演奏者が海に飛び降り、水上を沖へと歩きます。盆踊りの場にいたたくさんの人々がそれに続きます。そこには子どもたちも交じっています。残った人々は泣きながら、それぞれ親しい人々の名前を呼びます。読者の頬にも筋ができます。
この物語には熊や狼が出てきます。これにはどんな意味があるのでしょうか。野生の動物なら自分でできることなのに、ペットとして飼われた動物は、人間と同じで、死んでも自分で旅立つことができない、だから、少しだけ誰かが手伝う必要がある、と語られる場面が出てきます。
しかし、熊の意味は、旅立ちの助けの他にもうひとつあるのです。ベアマン(熊男)と呼ばれる人物が、「墓所、食べ物、土、供養、動物、地面」に、人々の意識を引き付けようとします。生き続けていく人にも、熊が、熊の生き方が必要なのです。
「絆」「がんばろう日本」というスローガンではなく、熊、土、墓所こそが、生きる者と亡くなった者をともに生かし続け、つなぎあわせるものなのではないでしょうか。だからこそ、船は島となり、島は半島となり、大地に食い込んだのではないでしょうか。
〇 震災の被災地に駆けつけたフェリーの「しまなみ8」はその甲板に仮設住宅500戸を建て商店や食堂も整備し学校も開いて「さくら丸」と改名し、被災者を乗せて航海に出る。船員を率いて運航する船長と、ドン・ガバチョみたいな住民代表の荒垣というふたりのリーダーが、微妙な距離を保ちながら人々をまとめて行く。ついに荒垣はこの船を独立国にして世界各地を訪問しようと主張するに至るのだが、これに反対する人々は「被災の事実に背を向けるな」「土を大切にしよう」と主張して沿岸の航行を続けることを主張する。
〇 この船は鎮魂の船でもある。はじめは動物だった。震災で死んだはずの犬や猫をこれも死んだはずの獣医が率いてやって来て船の風呂で洗い食事をさせ慰めて成仏させた。ついで住民の家族だ。船の上には震災で亡くなったはずの人たちの幻が大勢まじっていて楽しく暮らしていたのだが、ペルーの民族音楽家(彼らも実はあの世に行ったはずの人たち)に連れられるようにして、船から海の上を歩いて行って消えてしまう。心残りはあっても死は死として受け止めようということなのだろうか。
〇 この小説の語り手は若い人達だからそうなったのだろうけれど、様々な文体を使い分けることのできる池澤さんが、この作品ではおどけた軽い文体を使っている。文章ではなく内容で勝負することにしたのだと言いたげである。それとも、うんと若い人の文体で書くのは池澤さんにとってもチャレンジだったのかな?
軽やかに展開、流転を目指すことも
必要かもしれない。
小劇場風小説。
十年もしたら春はここは桜吹雪ということになるんだろう.首に巻いた汗を拭いながら青い空を仰いでその光景を想像した.そんなもの見たくない,その時ここにはもういたくないと思う.それでも丁寧に一本ずつ苗木を植えた.遠い才蔵,おまえ元気か?
才蔵というのはさくら丸から第一こざくら丸に移って去った若者です.おまえ元気か,と問うたのは多分船長だった.船長が桜を植えていた.彼も実は自由航路主義者として余生を過ごしたかったのではありませんか.陸に上がった船長は死に体です.海にいてナンボの存在.陸の河童同然ですよね.
ともあれ,本書は船長や町長以外にも魅力的な人物が次々に現れます.人間社会よりも野生を,人間よりクマやらオオカミを愛す臭気ふんぷんのベアマン,そのベアマンを愛する千鶴という女,金庫開けの特技のせいでやくざに利用されていた金庫ピアニストなどなど,これらの人物を縦横に動かし,交差させ,ときにスリリングに想像の翼を拡げる,そんな著者の筆致に私は自然と引きこまれました.池澤夏樹節全開です.彼は自分を船長に擬している(と思います).しかし,ときにはベアマンにも,果ては千鶴にも化身する,本性は野生,クマやオオカミと同類の存在かも知れません.そんなことを考えながら私は十分堪能しました.
読みやすいです。
初、池澤夏樹です。この人の世界文学全集の中に日本人で唯一入っているのが石牟禮道子だということを知って、並々ならぬ慧眼を持った人だと思っていたので楽しみにしていました。
この本は、私には鎮魂の本と感じられました。ちょっとユーモラスなテイストと登場するヘンテコな人物たちでファンキーな物語のように一見見えますが、3・11で亡くなった人たちへの鎮魂の物語と感じます。
熊を野生に戻すためにマンションの最上階に運ぶやさしき荒唐無稽の無頼漢の話から始まり、被災地へボランティアに行く船に話が移っていき、やがて船が独立国を目指そうかという話になり、最後は船が半島になってしまう。
最初は実際の話かなあと思っていると途中からファンタジーみたいな話が出てきて、なんか不思議な感覚になってしまいます。稲垣足穂を読んだときみたいな感じ。死んだ人がよみがえったり、死んだはずの犬たちがやってきたり、ペルーの震災で亡くなった人がやってきて成仏を助けたり、きっとこの船はこの世とあの世をつなぐ中間みたいな役割なんだろうなあと思わせる。
双頭という題名は実際に船がどちらにも進むようにできているからということもあるが、土地やふるさとに土着して生きていこうとする船長と世界に羽ばたこうとする住民代表の高垣との生き方の主張の対立も含意されているようだ。
3・11で被災した地域をボランティアで助けに行くことがストーリーの中心であるにもかかわらずほとんど原発が話題にならない。社会に対する怒りみたいなものが中心にならない。ボランティアもほとんどひょんなことからボランティアに加わった人たちで力抜けている。社会に対する怒りみたいなものから距離を置いて、飄々と力が抜けている。そこがなんとなく軽い感じの雰囲気を作り出しているように感じる。
読んでいて、ひょっこりひょうたん島の話しみたいだなあと漠然と感じていたが、最後との方でしっかりひょっこりひょうたん島の替え歌が出てくるあたり、なかなか食えない作家だなあと感じる。
2011年の3・11の影響で書かれた本のようです。
被災地に向かう「しまなみ8」という船に、ひょんなことから主人公は乗ることに。
自転車が運ばれてくるので、その整備をし、それを被災地に届けるという役割だ。
しかし、この「しまなみ8」に、次々と被災者が乗り込んできて、やがて独自のコミュニティを形成しはじめる。
「しまなみ」も「さくら丸」に改名。
最初は良かったのだが、だんだんと「船の独立」を唱える一派がでてきてしまう。
自給自足に近いのだから、日本という国を離れて、外に出ようというのだ。
はたして「さくら丸」は…。
なんというか、ゆるいといえばゆるいですし、ツッコミ所満載ではありますが、ただ、池澤さんは物語に腕力があるので、読ませる本ではありました。
最後も、「なるほど、そういう終わらせ方か」と納得させられました。