この本は、ちょうどいい頭のトレーニングとして、なかなか画期的でした。
内容がわかってくると、筆者が述べた最後の章のつぎの一文の意味が味わい深く感じられてきます。
“どこまでも他人には隠すべき秘かな体験” (239頁)
いい本です。
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随想 単行本 – 2010/8/1
蓮實 重彦
(著)
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- 本の長さ254ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2010/8/1
- ISBN-104103043520
- ISBN-13978-4103043522
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2010/8/1)
- 発売日 : 2010/8/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 254ページ
- ISBN-10 : 4103043520
- ISBN-13 : 978-4103043522
- Amazon 売れ筋ランキング: - 649,984位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 180,744位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
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2022年6月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
説明通りの良い状態で、丁寧に梱包されて届きました。久しぶりにユリイカの特集を読み返し、読みたくなったところ、リーズナブルな価格で購入でき、おかげで蓮實節が堪能できます。
2010年9月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最初は『
凡庸さについてお話させていただきます
』の路線かなと思ったが、「5」あたりから微妙に著者の個人的な経験や回想の濃度が増していく。磯崎憲一郎を扱った「10」以降が特に顕著で、時間的厚みを与えられた「わたくし」を主語としつつ表象作用の意識化というか吃音化というかを論じ、著者と話者の齟齬と偏差に注意を促す文章群は、それ自身が小説を擬態することで小説の言語に拮抗しようとしているかのようだ。著者の読者層を大きく広げたという意味で「批評家」としてのデビュー作とも呼びうる『
反=日本語論
』、あるいは近作では『
ゴダール マネ フーコー
』と感触が似ていると私は思うし、いや、そもそも著者の映画批評の文章ではむしろそれが常態であり、また魅力でありスノッブな臭みでもあったかもしれない。
それにしても著者は1936年4月生。踏み込み過ぎを承知で言えばすでに御父君の享年を超えており、エディプス的な解釈を施すまでもなく著者が人生の締めくくりについて強く意識していることは近年の発言や刊行物から十分に窺える。「11」にも不意に『「ボヴァリー夫人」論』への取り組みの様子が記され、永らくその完成を待ち望んでいる者としては微かな安堵を覚える一方、『「ボヴァリー夫人」論 草稿』などという出版形態にならねばよいがと、これも無礼な懸念が湧き上がったりもする。「15」末尾の、「批評家は、社会の教育的な刺激そのものをあれこれ批判する資格など持ってはいない。(中略)批評家に許された数少ない振る舞いは、その刺激が豊かな多様性を見失い始めたとき、その瞬間を黙って指さすことぐらいだろう」という言葉なども、確かに著者は以前にも何度か同様のことを口にしていたとは思えるものの、それはそれなりに、例えば吉本隆明に問い詰められてとか、ある種のクリティカルな契機においてだったとも記憶する。
ただ残念なのは帯の裏表紙側に記された、これは編集者の売り句だろうか、その末尾に「新たな思索と快楽を軽やかに綴る好著」とある「好著」の一語。「傑作」と訴えるならともかく、一体どこのバカ編集者が自社で刊行する蓮實重彦の本の帯に「なかなかのもの」などと偉そうな評価を下したのか、始末書ものだと私は思う。ただしこれが著者自身の手になるものならば、一つの諧謔になる。
それにしても著者は1936年4月生。踏み込み過ぎを承知で言えばすでに御父君の享年を超えており、エディプス的な解釈を施すまでもなく著者が人生の締めくくりについて強く意識していることは近年の発言や刊行物から十分に窺える。「11」にも不意に『「ボヴァリー夫人」論』への取り組みの様子が記され、永らくその完成を待ち望んでいる者としては微かな安堵を覚える一方、『「ボヴァリー夫人」論 草稿』などという出版形態にならねばよいがと、これも無礼な懸念が湧き上がったりもする。「15」末尾の、「批評家は、社会の教育的な刺激そのものをあれこれ批判する資格など持ってはいない。(中略)批評家に許された数少ない振る舞いは、その刺激が豊かな多様性を見失い始めたとき、その瞬間を黙って指さすことぐらいだろう」という言葉なども、確かに著者は以前にも何度か同様のことを口にしていたとは思えるものの、それはそれなりに、例えば吉本隆明に問い詰められてとか、ある種のクリティカルな契機においてだったとも記憶する。
ただ残念なのは帯の裏表紙側に記された、これは編集者の売り句だろうか、その末尾に「新たな思索と快楽を軽やかに綴る好著」とある「好著」の一語。「傑作」と訴えるならともかく、一体どこのバカ編集者が自社で刊行する蓮實重彦の本の帯に「なかなかのもの」などと偉そうな評価を下したのか、始末書ものだと私は思う。ただしこれが著者自身の手になるものならば、一つの諧謔になる。
2010年10月10日に日本でレビュー済み
時空を越えた文章に出合いました。
ある時、ある場所から、一気に今に、また、別の場所に飛びます。
しかし、すべてつながっています。
快楽をもたらす書物です。
良き文章に飢えている方の飢えを満たします。
記載される日付けには全て曜日が添えられていて、阿部和重に
一方的なオマージュを捧げているところも楽しいです。
ある時、ある場所から、一気に今に、また、別の場所に飛びます。
しかし、すべてつながっています。
快楽をもたらす書物です。
良き文章に飢えている方の飢えを満たします。
記載される日付けには全て曜日が添えられていて、阿部和重に
一方的なオマージュを捧げているところも楽しいです。
2011年10月21日に日本でレビュー済み
別だん、廃棄物同然ともいえるあの大衆的俗人どもが推し進めたブルジョワ的消費行動という可愛げのない戯れに呆れ果て、この不浄の一宇とも言える汚れた世界についに見切りをつけるという価値判断を私自らに下したというわけでもなく、はすみんの今もなお旺盛でそれでいて、あざけりを伴った誰もが知っているあの呪術的文章にむかつきと吐き気を催し何らかの末期症状を我が身体に呈し始めたから不買運動してやるというわけでももちろんない。たまたま、(たまたまだ)、この私という一個の人間がかの無頼派作家さながらに、無為徒食の日々を過ごし怠惰と非力にまみれ、いささかぺダンティックにシニカルに金と心と時間を浪費してしまったというだけのことなのである。それゆえにlibraryという繊細で神話的な響きと磁場をもった言葉に誘われて、うららかな午後のひと時を図書館でこの本とともに過ごしたというわけである。読書三到という教えを律儀に健気に守りながら。内容は言うまでもなく匿名の誰かによってすでに語られてしまっており語られてしまったという事実が実に明白なために、あらためてこの廃棄物という名にふさわしい劣等な私という個人がわざわざ記述する必要もないかと思うが、あえて説明すると「新潮」と誰もが口をそろえてそう呼ぶ雑誌に2009年から2010年4月までの間、掲載されつづけた時事ネタを含む雑文集なのである。単なる雑文集である。単なる雑文集が好きな人が読めばそれで良いのである。それはそうと、あのたつるんが叩かれているのである。繰り返し言おう。たつるんが叩かれてるのである。我が愛しのたつるんが・・・そんな・・・まさか・・・こんなことが・・・これには思わず「やれやれ」・・・だと?・・・
しかも関係ないけどはすみんってもう75なの?。やべえよ。。。唐突に僕はそっと本を閉じた。我が心を疑った。あの気持ちがまたもや頭をもたげ始めのぞかせてしまったようだ。これ以上は語るまい。口に出してはなるまい。私はただの「他者」なんだから。よそよそしい「他者」なんだから。と想いつつも最後のページまで(いささかの誤読を伴いながら)・・・読了。
しかも関係ないけどはすみんってもう75なの?。やべえよ。。。唐突に僕はそっと本を閉じた。我が心を疑った。あの気持ちがまたもや頭をもたげ始めのぞかせてしまったようだ。これ以上は語るまい。口に出してはなるまい。私はただの「他者」なんだから。よそよそしい「他者」なんだから。と想いつつも最後のページまで(いささかの誤読を伴いながら)・・・読了。
2010年9月5日に日本でレビュー済み
時事ネタをもとに、著者の本領がいかんなく発揮されたエッセイ。頷きつつ、ほくそ笑みつつ、最後には「あー、同時代でよかった」と思わせてくれます。現代を生き抜くヴィタミン剤。