タイトルは「人間はどこまで動物か」ですが
殆どが生物の知られざる特性と不思議です。
それがまたとても面白い!
ところどころに 開発や経済という名目での
人間の愚かしい政策批判が入っているのもいいです。
日高センセイの著書はほんとに分かり易いです。
またさまざまな生物が 子孫を残すために
思いもよらない壮絶な作戦をほどこしているのが
感動的でもあり 記録されている遺伝子に圧倒されます。
最近 人家の周りに出没して嫌がられている
タヌキのオスには 思わず同情してしまいます。
ネアンデルタール人を滅ぼして
自然と対決して生き始めたクロマニヨン型の
文化の継承に「警鐘」を鳴らしている良書です。
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人間はどこまで動物か (新潮文庫) 文庫 – 2006/11/28
日高 敏隆
(著)
ホタルが光り、蝉が鳴き、蚊柱が立つのはなぜ?──すべて、より効率的に配偶者と出会おうとする、彼らの合理的で賢い戦略なのです。生き物は皆、生き延びて子孫を残すというのが人生の大目標。動物行動学の第一人者が、一見不思議に見える自然界の営みを、ユーモアたっぷりに解き明かします。私たち人間も、しっかり自然を見据えれば、本当の生き方が見えてくるかもしれません。
- 本の長さ238ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2006/11/28
- ISBN-10410116472X
- ISBN-13978-4101164724
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2006/11/28)
- 発売日 : 2006/11/28
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 238ページ
- ISBN-10 : 410116472X
- ISBN-13 : 978-4101164724
- Amazon 売れ筋ランキング: - 354,944位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,300位動物学
- - 6,059位新潮文庫
- - 36,300位ビジネス・経済 (本)
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2013年4月29日に日本でレビュー済み
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2017年1月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
タイトルから連想されるような哲学的な内容はほぼ展開されません。この問いに対して、遠くからくるくると周辺をなぞるような描写するばかりで、一体何を読んでいるのか、という印象を受けました。より言うならば、年老いた老人の昔話のような連続です。私の求めるこのタイトルに対するアンサーは無いように思えます。読み物としても、強度はあまりなく、他のこういった書籍を読むことを勧めます。
2014年5月22日に日本でレビュー済み
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どの稿も面白く読みました。特にどこがどのように、を書くべきなのですが、どれもこれもそれぞれに面白い! というしかありません。
あえて挙げれば「人間はどこまで動物か」「大学って何?」「モンシロチョウとアゲハチョウ」「思い出のエポフィルスを求めて」「わかってもらえない話」「ウマの足」…いえ、やっぱり全部です。
あえて挙げれば「人間はどこまで動物か」「大学って何?」「モンシロチョウとアゲハチョウ」「思い出のエポフィルスを求めて」「わかってもらえない話」「ウマの足」…いえ、やっぱり全部です。
2013年12月16日に日本でレビュー済み
2004年に出た単行本の文庫化。
もともと雑誌『波』に連載されたエッセイをまとめたもので、『春の数えかた』に続くシリーズ第2弾。続篇に『ネコはどうしてわがままか』『セミたちと温暖化』がある。
自然や昆虫、大学、学問といったものについての40篇が収められている。
日本の蝉とインドネシアの蝉の鳴き方の差、大学の基礎教育は何を目的とすべきか、冬に出る蛾の生存戦略、ホタルは清流にはすまないこと、滋賀県立大学長としての仕事などが語られている。
いずれも自然への優しい眼差しの感じられる文章で、名文であった。生物の生態をわかりやすく簡潔に解説する手際も見事。
狸についての一文が素晴らしい。必読。
もともと雑誌『波』に連載されたエッセイをまとめたもので、『春の数えかた』に続くシリーズ第2弾。続篇に『ネコはどうしてわがままか』『セミたちと温暖化』がある。
自然や昆虫、大学、学問といったものについての40篇が収められている。
日本の蝉とインドネシアの蝉の鳴き方の差、大学の基礎教育は何を目的とすべきか、冬に出る蛾の生存戦略、ホタルは清流にはすまないこと、滋賀県立大学長としての仕事などが語られている。
いずれも自然への優しい眼差しの感じられる文章で、名文であった。生物の生態をわかりやすく簡潔に解説する手際も見事。
狸についての一文が素晴らしい。必読。
2009年6月10日に日本でレビュー済み
「イヌはどこまでネコか?」「イルカはどこまで動物か?」などと問う人はふつういないのに、「人間はどこまで動物か」と問うのは、あまり不自然とは思われていないらしい。仲間同士の呑気な雑談の種にする人もいれば、新聞のコラム子が気軽に取り上げて、一口話に仕立てることもある。時には、高名なセンセイが本気で珍説をご披露になることさえある。
しかし、この問いにおける「人間」を「ヒト」におきかえれば、同語反復の無意味な問いであることが分かる。「人間はどこまでも動物である」と答えるほかはないからだ。つまり、問いの立て方が間違っているのだ。なぜこの不毛な問い方がなされるのか?
著者は長年にわたりさまざまの動物たちを観察し、それぞれの種のユニークな生態に驚き、感動し、彼らが子孫を確保して生命の存続を図るために、環境条件に適応するどのような工夫を凝らしているかを克明に記述してきた。そしてこの地上の種の多様性と共存関係に、人知をはるかにこえる精妙な摂理がはたらいていることに、ますます強い確信を抱くようになったと言う。そして先の問いの「どこまで?」という問いの立て方に問題があると警告する。
「『どこまで?』というとき、スケール(尺度)は一本しかない。一本しかないスケールの上にいろいろなものを並べて、それぞれがどこまで到達しているか?という発想に問題があるのだ。」しばしばそれは「知能」と「知能の発達度に応じて習得された機能」を測るスケールであるにすぎない。「そこには常に一本のスケールの上での到達度を問題にしようとする近代の発想の呪縛があるようにしか思えない。」(pp. 129-30)
生物の種の多様性とユニークさにこそ、この地球上の「生命の奇跡」があるとすれば、それを単一のスケールで測るほどおろかな試みはないだろう。それぞれの「種」のユニークさ、他の「種」との違いは、生命の営み方の「ベクトル(方向)ないしパターンの違い」にあると見るのが妥当であろうと言う。
「学力」の低下が起こると、「学力」向上のための提言と施策が、教育問題の専門家や行政関係者によって論議され実行され、効果が上がらなければ、また新たな提言と施策......ここにも価値観の多様な社会に対応するためにと称して、実は「単一のスケール」によって子どもたちに不毛な方向づけを与える一例がある、嗚呼!
しかし、この問いにおける「人間」を「ヒト」におきかえれば、同語反復の無意味な問いであることが分かる。「人間はどこまでも動物である」と答えるほかはないからだ。つまり、問いの立て方が間違っているのだ。なぜこの不毛な問い方がなされるのか?
著者は長年にわたりさまざまの動物たちを観察し、それぞれの種のユニークな生態に驚き、感動し、彼らが子孫を確保して生命の存続を図るために、環境条件に適応するどのような工夫を凝らしているかを克明に記述してきた。そしてこの地上の種の多様性と共存関係に、人知をはるかにこえる精妙な摂理がはたらいていることに、ますます強い確信を抱くようになったと言う。そして先の問いの「どこまで?」という問いの立て方に問題があると警告する。
「『どこまで?』というとき、スケール(尺度)は一本しかない。一本しかないスケールの上にいろいろなものを並べて、それぞれがどこまで到達しているか?という発想に問題があるのだ。」しばしばそれは「知能」と「知能の発達度に応じて習得された機能」を測るスケールであるにすぎない。「そこには常に一本のスケールの上での到達度を問題にしようとする近代の発想の呪縛があるようにしか思えない。」(pp. 129-30)
生物の種の多様性とユニークさにこそ、この地球上の「生命の奇跡」があるとすれば、それを単一のスケールで測るほどおろかな試みはないだろう。それぞれの「種」のユニークさ、他の「種」との違いは、生命の営み方の「ベクトル(方向)ないしパターンの違い」にあると見るのが妥当であろうと言う。
「学力」の低下が起こると、「学力」向上のための提言と施策が、教育問題の専門家や行政関係者によって論議され実行され、効果が上がらなければ、また新たな提言と施策......ここにも価値観の多様な社会に対応するためにと称して、実は「単一のスケール」によって子どもたちに不毛な方向づけを与える一例がある、嗚呼!
2009年2月16日に日本でレビュー済み
日高さんのいつもながらの読みやすい本だと思います。
専門的な分析も当然出てきますが、私たちの知っているようで知らない動物たちの生態を、ユーモア
たっぷりに説いていらっしゃいます。
タヌキの子育ても、ほほえましい。
でもタヌキってあんなに夫婦で一生懸命子育てするのに、子育てが済むと〈次のペアー〉だなんて、
潔いというか…「別れても好きな人」のメロディーで、「終わったら、次のペアー♪」なのね。
文明社会を人間は選んでしまったのかもしれませんが、やっぱり〈動物〉のはしくれだと思います。
自然環境をしっかり考えていきたいと思いました。
専門的な分析も当然出てきますが、私たちの知っているようで知らない動物たちの生態を、ユーモア
たっぷりに説いていらっしゃいます。
タヌキの子育ても、ほほえましい。
でもタヌキってあんなに夫婦で一生懸命子育てするのに、子育てが済むと〈次のペアー〉だなんて、
潔いというか…「別れても好きな人」のメロディーで、「終わったら、次のペアー♪」なのね。
文明社会を人間は選んでしまったのかもしれませんが、やっぱり〈動物〉のはしくれだと思います。
自然環境をしっかり考えていきたいと思いました。
2007年8月2日に日本でレビュー済み
有名な動物行動学者のエッセイ集を文庫化。身近な動植物を題材に、生態系のあり方から人間文明の歴史にまで思いを巡らせます。声高に環境問題を叫ぶのではなく、生物多様性の貴重さを伝えてくれます。
白眉は「大学って何?」。四十年以上を過ごした”大学”を去る筆者が大学の、ひいては学問の意義を自問する渾身の思考に圧倒されました。
白眉は「大学って何?」。四十年以上を過ごした”大学”を去る筆者が大学の、ひいては学問の意義を自問する渾身の思考に圧倒されました。