3.11を出発点にして書かれた初の奥泉作品。
自らの虚栄心を満足させるために国民を騙し続け、
一切反省せずに邁進してきた「東京」の地霊が主人公である。
彼は、地震や火災が大好きで、高層ビルや道路でオシャレして、
高いところからその姿を眺めることに狂喜するナルシストである。
明治維新、太平洋戦争、高度経済成長、バブル経済などが
そんな無責任キャラ「東京」の地霊によって引き起こされたことが
乗り移られたさまざまな人物の証言によって饒舌に語られる。
そして、「東京」は、福島原発事故でもあいかわらず反省しないし、
その経験から何も学ばない。そのことを述べた最終章が
分量的に乏しく、失速感があるのは残念だが、これは間違いなく傑作だ。
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東京自叙伝 (集英社文庫) 文庫 – 2017/5/19
奥泉 光
(著)
明治維新から第二次世界大戦、バブル、地下鉄サリン事件、福島原発事故まで、帝都トーキョウに暗躍した謎の男の無責任一代記! 滅亡する東京を予言する一気読み必至の長編小説。(解説/原武史)
- 本の長さ472ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2017/5/19
- 寸法10.5 x 1.9 x 15.2 cm
- ISBN-104087455858
- ISBN-13978-4087455854
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (2017/5/19)
- 発売日 : 2017/5/19
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 472ページ
- ISBN-10 : 4087455858
- ISBN-13 : 978-4087455854
- 寸法 : 10.5 x 1.9 x 15.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 454,936位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1956(昭和31)年山形県生れ。
1986年「地の鳥 天の魚群」でデビュー。1990年の「その言葉を」が注目を集め、以後1993年『ノヴァーリスの引用』で野間文芸新人賞、瞠目反・文学賞、1994年『石の来歴』で芥川賞を受賞。主な小説に、『葦と百合』『バナールな現象』『グランド・ミステリー』など。エッセイ集に『虚構まみれ』、共訳書に『古代ユダヤ社会史』がある。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年6月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「純文学」と言う視点でどうなのかはわからないが、作者特有の饒舌な語り口で一気に読ませるエンタメ作。
これも「地霊」と言う視点で学術的にどうなのかはわからないが、実在した人物を含め地霊が実態化したものとして同一の私として語られる「東京」の自叙伝とは斬新で、タイトルでは全く予想も付かなかった。内容は現代史の実録ルポみたいなものではあるが、とても楽しく読ませてもらった。地霊であるから人間の道徳など無関係と言う免罪符を持ち、自分勝手に暴れ回る無責任ぶりは、ある意味痛快。
もともと太古から東京に存在し動物でもあった地霊が、福島原発事故を鼠として体験し、原発作業員となる最終章は、分量は乏しいが、東京が繁栄の影で実は滅んでしまうと言う、未来予言のような内容で、オリンピックが延期となった今読むと、暗示的で実に興味深い。ただ、エンタメ作としては尻切れトンボな感は否めないと思う。
これも「地霊」と言う視点で学術的にどうなのかはわからないが、実在した人物を含め地霊が実態化したものとして同一の私として語られる「東京」の自叙伝とは斬新で、タイトルでは全く予想も付かなかった。内容は現代史の実録ルポみたいなものではあるが、とても楽しく読ませてもらった。地霊であるから人間の道徳など無関係と言う免罪符を持ち、自分勝手に暴れ回る無責任ぶりは、ある意味痛快。
もともと太古から東京に存在し動物でもあった地霊が、福島原発事故を鼠として体験し、原発作業員となる最終章は、分量は乏しいが、東京が繁栄の影で実は滅んでしまうと言う、未来予言のような内容で、オリンピックが延期となった今読むと、暗示的で実に興味深い。ただ、エンタメ作としては尻切れトンボな感は否めないと思う。
2014年9月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「私」がそこらに遍在する、こういう手があったのかと作家の着想にびっくり。
東京の地霊を装っているけど、端的に言えば日本そのものの自画像なんですね。
長いもの(権力)に巻かれ、なるようにしかならぬ、建国以来の庶民の生き方です。
全体を読まず部分的に切り取れば、あらゆる方面から矢が飛んできておかしくない。
右からも、左からも、匿名クレーマーからも、「オレを茶化しやがったな!」って。
だって鼠だもの、エンタテインメントなんだよ、今は風流夢譚の時代じゃないよ。
ユーモアがわからないの?って言ったって、それが分かるなら矢を放たないし。
先日ラジオで作家のフルートを聴きました。
ちょっとウディ・アレンと重なりました。
民主主義陣営のはずの現代日本で、言論が一色に統制される前に(もうそこまできている)、この作品のことをみんなに知ってほしい。
東京の地霊を装っているけど、端的に言えば日本そのものの自画像なんですね。
長いもの(権力)に巻かれ、なるようにしかならぬ、建国以来の庶民の生き方です。
全体を読まず部分的に切り取れば、あらゆる方面から矢が飛んできておかしくない。
右からも、左からも、匿名クレーマーからも、「オレを茶化しやがったな!」って。
だって鼠だもの、エンタテインメントなんだよ、今は風流夢譚の時代じゃないよ。
ユーモアがわからないの?って言ったって、それが分かるなら矢を放たないし。
先日ラジオで作家のフルートを聴きました。
ちょっとウディ・アレンと重なりました。
民主主義陣営のはずの現代日本で、言論が一色に統制される前に(もうそこまできている)、この作品のことをみんなに知ってほしい。
2016年6月30日に日本でレビュー済み
東京の地霊、といっても、さまざまな語り手が近代以降のニッポンを奥泉流にさぁーっとおさらいしたみたいな感じ。
これじゃ、「地霊」が泣きます。
特に第4章以降は、つまりお話が現代に近づいてくるにつれ、語り口がどんどん冗長になってきて、退屈です。
一貫して流れている、テーマのようなもの、も陳腐。
それに、小説の終わらせ方が…ちょっと、これはヒドイんじゃないでしょうか。
ヒドイ、なんて言葉、これはもう感想にもなってないけど、やっぱりヒドイ。
地霊という言葉は広義にわたるけれど、本作では局所的なものではなく、
広範な大地の持つ一つの傾向を持った力、というくらいな意味で使われています。
そういった地霊に、近代以降の日本人論を込めているのはわかるのだけれど、
それがまた(繰り返しになりますが)陳腐で底が浅い―。
純文学の衰退って、単に読者の数が減って本が売れない、というんじゃないと思う。
本当は、インテリが今の純文を相手にしなくなったんじゃないの?
これじゃ、「地霊」が泣きます。
特に第4章以降は、つまりお話が現代に近づいてくるにつれ、語り口がどんどん冗長になってきて、退屈です。
一貫して流れている、テーマのようなもの、も陳腐。
それに、小説の終わらせ方が…ちょっと、これはヒドイんじゃないでしょうか。
ヒドイ、なんて言葉、これはもう感想にもなってないけど、やっぱりヒドイ。
地霊という言葉は広義にわたるけれど、本作では局所的なものではなく、
広範な大地の持つ一つの傾向を持った力、というくらいな意味で使われています。
そういった地霊に、近代以降の日本人論を込めているのはわかるのだけれど、
それがまた(繰り返しになりますが)陳腐で底が浅い―。
純文学の衰退って、単に読者の数が減って本が売れない、というんじゃないと思う。
本当は、インテリが今の純文を相手にしなくなったんじゃないの?
2014年10月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とても評判になっている作品ですから、手に取ってみたの出すが、いまいちよく理解
できません。再読してみようと思っています。
できません。再読してみようと思っています。
2014年6月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
東京の「地霊」の一人称という奇抜なスタイルで、今そこにある日本を描く、
ヴォネガットの『ガラパゴスの箱船』を彷彿させる痛快風刺小説。
「私」こと東京の地霊は、ボディスナッチャーよろしくくるくると宿主を替えるのだが、
その中でもメインとなる語り手が6人いて、それぞれが独立した一章をなしている。
あえて名前をつけるならば、幕末編、第二次大戦編、戦後混乱期編、
高度成長期編、バブル経済期編、2000年代編、といったところだろうか。
近現代の日本の大きな出来事をダイジェスト的に追いながら、
史実と虚構を緻密に織り交ぜ、時空を股にかけた壮大なパノラマとして
再構築してみせた著者の力量は見事と言うほかない。
本作の終盤、現実の風景の向こうに透けて見える廃墟と化した東京の光景は、
著者のデビュー作、『地の鳥、天の魚群』中で、いささか唐突に挿入される、
鳥の足にびっしりと埋め尽くされた荒野のイメージとぴたりと重なる。
破滅の予感と隣り合わせの笑いは、氏が一貫して扱ってきたテーマであろう。
実力はありながらも、引き出しが少ないというか、端的にワンパターンな作風が
難であった奥泉氏だが、本作で一歩突き抜けた感がある。
将門公から某有名ネズミキャラまで、徹底的に茶化してみせる氏の筆致は
まさに怖いもの知らず。人を選ぶ作品ではあるが、気になったならばぜひ一読を。
ヴォネガットの『ガラパゴスの箱船』を彷彿させる痛快風刺小説。
「私」こと東京の地霊は、ボディスナッチャーよろしくくるくると宿主を替えるのだが、
その中でもメインとなる語り手が6人いて、それぞれが独立した一章をなしている。
あえて名前をつけるならば、幕末編、第二次大戦編、戦後混乱期編、
高度成長期編、バブル経済期編、2000年代編、といったところだろうか。
近現代の日本の大きな出来事をダイジェスト的に追いながら、
史実と虚構を緻密に織り交ぜ、時空を股にかけた壮大なパノラマとして
再構築してみせた著者の力量は見事と言うほかない。
本作の終盤、現実の風景の向こうに透けて見える廃墟と化した東京の光景は、
著者のデビュー作、『地の鳥、天の魚群』中で、いささか唐突に挿入される、
鳥の足にびっしりと埋め尽くされた荒野のイメージとぴたりと重なる。
破滅の予感と隣り合わせの笑いは、氏が一貫して扱ってきたテーマであろう。
実力はありながらも、引き出しが少ないというか、端的にワンパターンな作風が
難であった奥泉氏だが、本作で一歩突き抜けた感がある。
将門公から某有名ネズミキャラまで、徹底的に茶化してみせる氏の筆致は
まさに怖いもの知らず。人を選ぶ作品ではあるが、気になったならばぜひ一読を。
2015年10月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ほかの方のレビューにもありましたが一気に読めます。確かに後半は拡散しすぎて焦点がぼけた感はありますが、大変おもしろい視点で書き進められています。
2014年11月11日に日本でレビュー済み
語り手は東京の地霊そのものであり、一時的にその宿主となった六人が、
幕末維新から311に至るまでの東京の歴史を語るという、今までにおそらく
誰も思いつかなかった構想の大きさは見事だし、敗戦やバブル崩壊、震災
などの有為転変を経ても、「なるようになるさ」と嘯くだけで無反省に続いて
行くかに見える、近現代日本へのそれなりに鋭い批評にもなっている。
この作者の本来の持ちネタである、講談調にツルツル流れて行く文体も、
今回は題材にうまくはまっているように感じられるが、贅沢を言うならば、
全編をこの文体で押し通すのはやや一本調子で、とくに五人目の戸部に
なると、バブル期の女性がこの文体で語るのには、若干の不自然さを感じた。
もちろん、語り手は煎じ詰めれば地霊一人なわけだが、講談調の文体は
特定の時代に由来するものである以上、本来なら、時代の変化につれて
文体も少しずつ変えるべきだったろう。
また、普通なら六人を順番に輪廻転生させようと考えそうなところ、複数の
「私」が同時に生きていて互いに殺意を抱いたり、その合間に鼠その他の
生物であった記憶を思い出したりするという設定はなかなかユニークだが、
ラストに至って、Kをはじめとする通り魔殺人事件の犯人は全員自分であり、
果ては東京人のすべてが我なり、と断言するところまで来ると、さすがに
強引に決着をつけようとし過ぎているような気もしないではなかった。
※追記(2015/8/20)
上記のラストは、さっき読み終えたばかりの星野智幸『俺俺』と酷似している
ことに気付いたので、☆をひとつ引かせてもらうことにする。この作者、確か
『グランド・ミステリー』でも、旧軍時代の軍人が列車の中で「野ばら」を歌うと
いう、谷崎の『細雪』にあるのとそっくり同じ場面を「引用」していたが、こういう
のは「盗作」に当たらないのか(意図的な「引用」を匂わせれば済む話なのか)
と、いささか気になった次第である。
幕末維新から311に至るまでの東京の歴史を語るという、今までにおそらく
誰も思いつかなかった構想の大きさは見事だし、敗戦やバブル崩壊、震災
などの有為転変を経ても、「なるようになるさ」と嘯くだけで無反省に続いて
行くかに見える、近現代日本へのそれなりに鋭い批評にもなっている。
この作者の本来の持ちネタである、講談調にツルツル流れて行く文体も、
今回は題材にうまくはまっているように感じられるが、贅沢を言うならば、
全編をこの文体で押し通すのはやや一本調子で、とくに五人目の戸部に
なると、バブル期の女性がこの文体で語るのには、若干の不自然さを感じた。
もちろん、語り手は煎じ詰めれば地霊一人なわけだが、講談調の文体は
特定の時代に由来するものである以上、本来なら、時代の変化につれて
文体も少しずつ変えるべきだったろう。
また、普通なら六人を順番に輪廻転生させようと考えそうなところ、複数の
「私」が同時に生きていて互いに殺意を抱いたり、その合間に鼠その他の
生物であった記憶を思い出したりするという設定はなかなかユニークだが、
ラストに至って、Kをはじめとする通り魔殺人事件の犯人は全員自分であり、
果ては東京人のすべてが我なり、と断言するところまで来ると、さすがに
強引に決着をつけようとし過ぎているような気もしないではなかった。
※追記(2015/8/20)
上記のラストは、さっき読み終えたばかりの星野智幸『俺俺』と酷似している
ことに気付いたので、☆をひとつ引かせてもらうことにする。この作者、確か
『グランド・ミステリー』でも、旧軍時代の軍人が列車の中で「野ばら」を歌うと
いう、谷崎の『細雪』にあるのとそっくり同じ場面を「引用」していたが、こういう
のは「盗作」に当たらないのか(意図的な「引用」を匂わせれば済む話なのか)
と、いささか気になった次第である。