人生を物語化して英雄的な自己像を作り出し、
本来の自分との乖離を自覚できず、無謀なチャレンジで命を落とした若者の話です。
著者は、自らのテレビマンとしての業もちゃんと書けていると思いました。
決して栗城さんだけを貶める内容ではないと思います。
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デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場 (集英社文庫) 文庫 – 2023/1/20
河野 啓
(著)
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第18回開高健ノンフィクション賞受賞作
「夢の共有」を掲げて華々しく活動し、毀誉褒貶のなかで滑落死した登山家。
メディアを巻き込んで繰り広げられた彼の「劇場」の真実はどこにあったのか。
両手の指9本を失いながらも〝七大陸最高峰単独無酸素〟登頂を目指した登山家・栗城史多氏。エベレスト登頂をインターネットで生中継することを掲げ注目を集めたが、8度目の挑戦となった2018年5月21日、滑落死。35歳だった。彼はなぜエベレストに挑み続けたのか? そして、彼は何者だったのか? かつて栗城氏を番組に描いた著者が、綿密な取材で謎多き人気クライマーの真実にせまる。
「夢の共有」を掲げて華々しく活動し、毀誉褒貶のなかで滑落死した登山家。
メディアを巻き込んで繰り広げられた彼の「劇場」の真実はどこにあったのか。
両手の指9本を失いながらも〝七大陸最高峰単独無酸素〟登頂を目指した登山家・栗城史多氏。エベレスト登頂をインターネットで生中継することを掲げ注目を集めたが、8度目の挑戦となった2018年5月21日、滑落死。35歳だった。彼はなぜエベレストに挑み続けたのか? そして、彼は何者だったのか? かつて栗城氏を番組に描いた著者が、綿密な取材で謎多き人気クライマーの真実にせまる。
- 本の長さ384ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2023/1/20
- 寸法10.5 x 1.6 x 15.2 cm
- ISBN-104087444791
- ISBN-13978-4087444797
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (2023/1/20)
- 発売日 : 2023/1/20
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 384ページ
- ISBN-10 : 4087444791
- ISBN-13 : 978-4087444797
- 寸法 : 10.5 x 1.6 x 15.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 57,964位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 90位クライミング・ボルダリング (本)
- - 247位登山・ハイキング (本)
- - 391位集英社文庫
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イメージ付きのレビュー
5 星
栗城史多を振り返る
時間を持て余しており本屋にふらりと足を運んだ際に目に飛び込んできた文庫本。彼が亡くなった2018年5月から約5年が経過しており、かつて登山界から蛇蝎の如く嫌われていた彼の存在をすっかり忘れていた。2020年に販売された本書の存在は知っていたが、『身内からの擁護』もしくは『死者に鞭打つ批判的内容』だろうと手に取る気にならなかったが、栗城氏に何の感情も持たなくなった今なら読んでみたいと思い読了した。詳細な内容については伏せるが、批判と捉える人も多かろうと思える内容。(乱暴な言い方だが)栗城氏と同犯側と言えるほど近しい関係であった当事者からの告発。面白くないわけがない。問題の多い人物であったことは事実であり、存命中は『山を知らない一般人を騙すペテン師』と憤慨しながらもエベレストへの挑戦をエンターテイメントの一種として楽しんでいた自身を恥じる。栗城氏のしてきたことは、亡くなってしまったこと含めて一片たりとも認めませんがね。さて、読破した後に本を閉じて感じたことだが、帯の第18回開高健ノンフィクション賞 受賞というのは全くいただけない。栄誉や称賛の為に引けなくなり命を落とした栗城氏への内省録に対して、賞という装飾は必要であろうか?本書は賞など辞退して、ただの1冊であって欲しいと思った。
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2023年10月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2024年5月13日に日本でレビュー済み
著者の河野啓(1963年~)氏は、北大法学部卒、北海道放送のディレクターとして、ドキュメンタリー、ドラマ、情報番組などを制作。『北緯43度の雪』で小学館ノンフィクション大賞(2011年)、本書で開高健ノンフィクション賞(2020年)を受賞。
栗城史多(1982~2018年)氏は、北海道生まれ。2002~09年に、6大陸(北米、南米、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア、南極)の最高峰、世界6位の高峰チョ・オユー、7位の高峰ダウラギリに登頂し、その後、2009~17年にエベレストに7度挑む(様々なルートで)も敗退、2018年に8度目の挑戦に失敗した下山中に滑落死した。35歳没。「単独無酸素」を謳うとともに、自らの登山の様子をインターネットで生中継することを掲げ、また、「冒険の共有」をテーマに幅広く講演活動等も行った。
本書は、2008~09年に放送局のディレクターとして栗城氏を取材し、TV番組も制作した著者が、栗城氏及び氏のエベレスト挑戦とは何だったのかについて、氏の死後に取材を行い、描いたものである。2020年出版、2023年文庫化。
私はノンフィクション物を好み、登山に関する本も、これまで、植村直己、山野井泰史・妙子、長谷川恒男、竹内洋岳等、少なからず読んできた。栗城氏については、高所登山をインターネット中継する新世代の登山家として認識はしていたし(ただ、不覚にも、氏を取り上げたTV番組を見た記憶はない)、本書が様々な議論を呼んでいることも知ってはいたのだが、今般、遅ればせながら読んでみた。
読み終えてまず感じた、というか、気になったのは、ノンフィクションにしては、構成が複雑だということである。時間の前後関係や、誰が言ったこと・感じたことなのか(栗城氏なのか、取材相手なのか、著者なのか)が、少々わかりにくいのだ。
そして、そのことは、本書の目的・本質にも関係している。解説でTBSのディレクター・金平茂紀氏は、「これは、称賛と批判のはざまで、さまざまな評価があったひとりの登山家の人生を活写したノンフィクションにとどまる作品ではない。それ以上の、あるいは「共犯者」としての自己を深く問い詰めながら、マスメディアという社会機能が抱える残酷さ、非情さに向き合う「内省録」ではないかと諒解した。」と書いている。
そう考えると、主人公である栗城氏については、氏が、登山家である以前に、一人のエンターテイナーであったと考えれば(事実、氏は高校卒業後、山登りを始めるより先に、お笑いタレントを目指してよしもとNSCに入学しているのである)、言動の多くは理解ができる(賛成するという意味ではない)ような気がする。ただ、氏にとって想定外だったのは、「登山(家)」の世界には、長年の歴史を背景としたカルチャーや暗黙のルールが存在し、かつ、それらは、ぽっと出の若者に侵すことの許されない、神聖・厳格なものだったということである。栗城氏の登山が本当に「単独」、「無酸素」だったのかに関しては、多くの議論がされているようだし、本書の後半でも分析が為されている。8回目の敗退時にエベレストで死んだということに関しては、そこが自分の死に時・死に場所と思ったのではないかという、何人かの取材相手の意見と、私は同感である。
また、マスメディアの一員としての著者については、随所に後悔とも自省とも受け取れる記述があるのだが、マスメディアが対象(物)のイメージを創造する力というのは極めて大きく、それゆえに、マスメディアは、対象(本件では栗城氏)に対しても、視聴者に対しても、より責任を自覚する必要がある(あった)のだろう。最近改めて話題になっている、小池東京都知事の学歴詐称疑惑なども、マスメディアの責任が問われるべき(長年疑惑を指摘されていながら、メスメディアは敢えてその確認を怠ってきた)、同根の問題である。
私は、既述の通り、栗城氏についての予断は持っていないし、本書を読み終えた今も、ネットに溢れているであろう栗城氏や本書に対する賛否の意見・情報はほとんど見ていない。
そうした立場で、少し冷めた言い方をするなら、「こんな若者がいたのだな」といったところではあるが、機会があれば、氏の書いたものも読んでみたいと思う。
(2024年5月了)
栗城史多(1982~2018年)氏は、北海道生まれ。2002~09年に、6大陸(北米、南米、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア、南極)の最高峰、世界6位の高峰チョ・オユー、7位の高峰ダウラギリに登頂し、その後、2009~17年にエベレストに7度挑む(様々なルートで)も敗退、2018年に8度目の挑戦に失敗した下山中に滑落死した。35歳没。「単独無酸素」を謳うとともに、自らの登山の様子をインターネットで生中継することを掲げ、また、「冒険の共有」をテーマに幅広く講演活動等も行った。
本書は、2008~09年に放送局のディレクターとして栗城氏を取材し、TV番組も制作した著者が、栗城氏及び氏のエベレスト挑戦とは何だったのかについて、氏の死後に取材を行い、描いたものである。2020年出版、2023年文庫化。
私はノンフィクション物を好み、登山に関する本も、これまで、植村直己、山野井泰史・妙子、長谷川恒男、竹内洋岳等、少なからず読んできた。栗城氏については、高所登山をインターネット中継する新世代の登山家として認識はしていたし(ただ、不覚にも、氏を取り上げたTV番組を見た記憶はない)、本書が様々な議論を呼んでいることも知ってはいたのだが、今般、遅ればせながら読んでみた。
読み終えてまず感じた、というか、気になったのは、ノンフィクションにしては、構成が複雑だということである。時間の前後関係や、誰が言ったこと・感じたことなのか(栗城氏なのか、取材相手なのか、著者なのか)が、少々わかりにくいのだ。
そして、そのことは、本書の目的・本質にも関係している。解説でTBSのディレクター・金平茂紀氏は、「これは、称賛と批判のはざまで、さまざまな評価があったひとりの登山家の人生を活写したノンフィクションにとどまる作品ではない。それ以上の、あるいは「共犯者」としての自己を深く問い詰めながら、マスメディアという社会機能が抱える残酷さ、非情さに向き合う「内省録」ではないかと諒解した。」と書いている。
そう考えると、主人公である栗城氏については、氏が、登山家である以前に、一人のエンターテイナーであったと考えれば(事実、氏は高校卒業後、山登りを始めるより先に、お笑いタレントを目指してよしもとNSCに入学しているのである)、言動の多くは理解ができる(賛成するという意味ではない)ような気がする。ただ、氏にとって想定外だったのは、「登山(家)」の世界には、長年の歴史を背景としたカルチャーや暗黙のルールが存在し、かつ、それらは、ぽっと出の若者に侵すことの許されない、神聖・厳格なものだったということである。栗城氏の登山が本当に「単独」、「無酸素」だったのかに関しては、多くの議論がされているようだし、本書の後半でも分析が為されている。8回目の敗退時にエベレストで死んだということに関しては、そこが自分の死に時・死に場所と思ったのではないかという、何人かの取材相手の意見と、私は同感である。
また、マスメディアの一員としての著者については、随所に後悔とも自省とも受け取れる記述があるのだが、マスメディアが対象(物)のイメージを創造する力というのは極めて大きく、それゆえに、マスメディアは、対象(本件では栗城氏)に対しても、視聴者に対しても、より責任を自覚する必要がある(あった)のだろう。最近改めて話題になっている、小池東京都知事の学歴詐称疑惑なども、マスメディアの責任が問われるべき(長年疑惑を指摘されていながら、メスメディアは敢えてその確認を怠ってきた)、同根の問題である。
私は、既述の通り、栗城氏についての予断は持っていないし、本書を読み終えた今も、ネットに溢れているであろう栗城氏や本書に対する賛否の意見・情報はほとんど見ていない。
そうした立場で、少し冷めた言い方をするなら、「こんな若者がいたのだな」といったところではあるが、機会があれば、氏の書いたものも読んでみたいと思う。
(2024年5月了)
2023年10月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
栗城エベレスト劇場は大きなお金が動いていたし、遺族心情などもあり書けないことも色々あったでしょうが、ギリギリのところで筆者の感情も交えて文章化された非常にインパクトのある本でした。
金と名声が入り乱れてその渦中に飲み込まれて色々狂っていくんだな、という感想です。
金と名声が入り乱れてその渦中に飲み込まれて色々狂っていくんだな、という感想です。
2023年7月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今の時代において、これ以上ない人生の反面教師。
人並み以上と思われる『自己顕示欲、怯弱、偽善。』
誰でも栗城史多になる可能性がある。
登山家たちのくだらない嫉妬心と価値観。
無責任な応援タ二マチ。
真偽に異常に執着し、叩くネット民。
胡散臭い適当な占い師。
そして、偽善臭漂う作者のまとめ。
まわり全部ヘドが出る。
でも、それが人間だから仕方ない。
それらに揉まれて栗城史多は死んだ。死に追い込まれた。
『弱かったから栗城は死んだ。悪いのは自分。』
ということには違いない。
と、自分の子供に教える。
〈追記〉
栗城氏の本、『一歩を超える勇気』を読みました。
この『デスゾーン』とペアで読むのを勧めます。
人並み以上と思われる『自己顕示欲、怯弱、偽善。』
誰でも栗城史多になる可能性がある。
登山家たちのくだらない嫉妬心と価値観。
無責任な応援タ二マチ。
真偽に異常に執着し、叩くネット民。
胡散臭い適当な占い師。
そして、偽善臭漂う作者のまとめ。
まわり全部ヘドが出る。
でも、それが人間だから仕方ない。
それらに揉まれて栗城史多は死んだ。死に追い込まれた。
『弱かったから栗城は死んだ。悪いのは自分。』
ということには違いない。
と、自分の子供に教える。
〈追記〉
栗城氏の本、『一歩を超える勇気』を読みました。
この『デスゾーン』とペアで読むのを勧めます。
2023年2月17日に日本でレビュー済み
栗城さんのお名前は亡くなる前から知ってました。
ネットですごく叩かれてたからです。たぶん2015年頃。
登山に特に興味のない私の目に留まったくらいですから、まあまあの炎上だったんだと思います。
私自身はファンでもアンチでもなくて、故人を擁護する気も批判する気もないです。
結論から言いますと、当時のアンチスレに書かれていたこと(指がトンデモ医療で生えてくると発信していた、単独を謳いながらシェルパにGPSを持たせていた、でもなぜか会うと応援したくなる不思議ないい奴らしい、など)はほぼ誇張なしの事実であったことが本書を読むとわかりました。
栗城さんの人となりを知れる本だとは思います。
これだけの人に話を聞いて証言をまとめ、発信するのは大変なことだったと思います。
でも、(栗城さんではなく)この著者のことはまったく好きになれませんでした。
この著者は一方的な推測や決めつけが多すぎます。
事実とか証言だけを抜き取って書いたら、文章量が半分くらいに減るんじゃないですか。
8回目のエベレスト登山で、栗城さんは南西壁へルート変更を発表します。
南西壁は超難関ルートで、栗城さんのそれまでの実績的にも、凍傷で指を失っているということからも
ありえないと言っていいルート選択でした。
なぜ、栗城さんはそんな選択をしたのか?
栗城さんはこの8回目のエベレストで滑落死してしまうので、クライマックスとも言っていい問いです。
死ぬつもりだったのか?登れると思っていたのか?追い詰められていたのか?誰にも言わない勝算があったのか?
この著者は、それに「神々の山嶺」という小説及び映画の影響だったんじゃないかって書いてるんですよ。
根拠は
①「神々の山嶺」の映画公開の際に栗城さんがキャストと対談したりコメントを寄せたりしている
②「神々の山嶺」の映画のエンディング曲であるベートーベンの第九を栗城さんもベースキャンプで聞いていた
③栗城さんが発表した南西壁ルートと映画の阿部寛が演じたキャラが登ったルートが同じ
ちょっと根拠薄すぎやしませんか?
登山を描いた映画で登山家の栗城さんがコメント出したりプロモーションに参加したりするの、ごく当然のことじゃないですか。
第九に至っては、超メジャーなクラシックですよ。いろんな作品に使われてて当たり前ですよ。
栗城さんはベースキャンプでエヴァの曲も聞いていたらしいし、そのエヴァにも挿入曲として使われてます。
単にエヴァが好きで聞いてただけかもしれないじゃないですか。
映画と登山ルートが同じだからなんだっていうんですか?
そんなの説明にもならないじゃないですか?
映画と同じだっていうだけの理由に命を懸けたと思えます?指だって失ってるのに?
とにかく著者の推測レベルが低すぎて呆れました。
その浅い推測に著者本人は酔いしれてる感じがまた・・・
占い師の話をまるで真実みたいに最終章に持ってくるのもどうなんですか。
栗城さんが亡くなっていて反論できないのをいいことに、適当書きすぎですよ。
そんなだから主要人物には取材断られてるんじゃないのって、すごい冷たい気持ちになっちゃいました。
他の人が取材してたらまた違ったのかな、と思います。
ただ、なんであれ栗城さんはもう帰ってこないので・・・。
これだけの人に思われていたのに、切ないことですよね。
いろいろ考えさせられる、そういう意味では良書です。
ネットですごく叩かれてたからです。たぶん2015年頃。
登山に特に興味のない私の目に留まったくらいですから、まあまあの炎上だったんだと思います。
私自身はファンでもアンチでもなくて、故人を擁護する気も批判する気もないです。
結論から言いますと、当時のアンチスレに書かれていたこと(指がトンデモ医療で生えてくると発信していた、単独を謳いながらシェルパにGPSを持たせていた、でもなぜか会うと応援したくなる不思議ないい奴らしい、など)はほぼ誇張なしの事実であったことが本書を読むとわかりました。
栗城さんの人となりを知れる本だとは思います。
これだけの人に話を聞いて証言をまとめ、発信するのは大変なことだったと思います。
でも、(栗城さんではなく)この著者のことはまったく好きになれませんでした。
この著者は一方的な推測や決めつけが多すぎます。
事実とか証言だけを抜き取って書いたら、文章量が半分くらいに減るんじゃないですか。
8回目のエベレスト登山で、栗城さんは南西壁へルート変更を発表します。
南西壁は超難関ルートで、栗城さんのそれまでの実績的にも、凍傷で指を失っているということからも
ありえないと言っていいルート選択でした。
なぜ、栗城さんはそんな選択をしたのか?
栗城さんはこの8回目のエベレストで滑落死してしまうので、クライマックスとも言っていい問いです。
死ぬつもりだったのか?登れると思っていたのか?追い詰められていたのか?誰にも言わない勝算があったのか?
この著者は、それに「神々の山嶺」という小説及び映画の影響だったんじゃないかって書いてるんですよ。
根拠は
①「神々の山嶺」の映画公開の際に栗城さんがキャストと対談したりコメントを寄せたりしている
②「神々の山嶺」の映画のエンディング曲であるベートーベンの第九を栗城さんもベースキャンプで聞いていた
③栗城さんが発表した南西壁ルートと映画の阿部寛が演じたキャラが登ったルートが同じ
ちょっと根拠薄すぎやしませんか?
登山を描いた映画で登山家の栗城さんがコメント出したりプロモーションに参加したりするの、ごく当然のことじゃないですか。
第九に至っては、超メジャーなクラシックですよ。いろんな作品に使われてて当たり前ですよ。
栗城さんはベースキャンプでエヴァの曲も聞いていたらしいし、そのエヴァにも挿入曲として使われてます。
単にエヴァが好きで聞いてただけかもしれないじゃないですか。
映画と登山ルートが同じだからなんだっていうんですか?
そんなの説明にもならないじゃないですか?
映画と同じだっていうだけの理由に命を懸けたと思えます?指だって失ってるのに?
とにかく著者の推測レベルが低すぎて呆れました。
その浅い推測に著者本人は酔いしれてる感じがまた・・・
占い師の話をまるで真実みたいに最終章に持ってくるのもどうなんですか。
栗城さんが亡くなっていて反論できないのをいいことに、適当書きすぎですよ。
そんなだから主要人物には取材断られてるんじゃないのって、すごい冷たい気持ちになっちゃいました。
他の人が取材してたらまた違ったのかな、と思います。
ただ、なんであれ栗城さんはもう帰ってこないので・・・。
これだけの人に思われていたのに、切ないことですよね。
いろいろ考えさせられる、そういう意味では良書です。
2023年8月30日に日本でレビュー済み
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登山家栗城氏を追いかけたルポと思い、涼を求めと軽い気持ちで買いました。私は栗城氏のことは知識なく、当時、黒く壊死した両手を広げて躊躇なくカメラ目線を作る栗城氏の写真をネットで見て、登山家の自己犠牲に尊敬を覚えたのと、若い冒険登山家に対するこれまでのイメージとの違いを記憶したくらいでした。メディアはヒーローやスターの登場を求め、挑戦というテーマに飛びつきリアル感ある映像を求め、その設定の違和感から虚像性が伝わりながらも、強引に言葉と応援で押し切る。山が本当に好きだったのか、浮かぶ疑問の先にある夢の共有。ショービス化しようとした極限登山から溢れた問題は、登山家の死だけでは解決していない。TBS金平氏の解説も本質を捉えて読みごたえあり。一考を促す良書。
2023年9月14日に日本でレビュー済み
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登山家というと一対一で自然と向き合うストイックなイメージがありますが、ライブ配信をしたり、言動が面白い人です。
2023年6月27日に日本でレビュー済み
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栗城劇場に初めてのエベレストあたりから興味を持ち。終末期の追い込まれていく様までを傍観者としてネットを通じて見ていました。前半は純粋な興味から。後半はアンチコメントとのいたちごっこを斜め上からニヤニヤと・・・だからと言って栗城氏の死は受け入れ難く納得がいかず、アンチとして気持ちを表現した方々もきっとそうだったと思います。
振り返れば多くの疑問がありましたが、それらの疑問を筆者はまるで栗城氏のごとき執着心でひとつひとつ、本人以外の知りえるギリギリまで迫ります。特にわれわれが彼が共有をうたいながら知りえなかった実際のエベレストでの行動や心理、凍傷の謎、本当の死の状況も山の先輩やボチボチトレックの担当シェルパに取材をすることで明らかにしています。
また栗城氏が懇意にしていた占い師を取材することで日本での終末期の心理の一端を垣間見れた気がします。また現れて消えた婚約者の関係など、われわれが知ることが出来なかった謎が、筆者の推測も入っていますが解き明かされたといって良いのではないでしょうか。
残念なのはK女史が取材に応じていないことで、全てを知ることは出来ないですが、逆にこれ以上は栗城劇場の傍観者は知る必要がないのでしょう。
栗城劇場に踊る者達をニヤニヤと笑っていた人こそ読むべきでしょう。
読後に涙と栗城氏に帰って来て欲しいという気持ちが宿りました。それは本当の追悼の気持ちなのかなと思います。
振り返れば多くの疑問がありましたが、それらの疑問を筆者はまるで栗城氏のごとき執着心でひとつひとつ、本人以外の知りえるギリギリまで迫ります。特にわれわれが彼が共有をうたいながら知りえなかった実際のエベレストでの行動や心理、凍傷の謎、本当の死の状況も山の先輩やボチボチトレックの担当シェルパに取材をすることで明らかにしています。
また栗城氏が懇意にしていた占い師を取材することで日本での終末期の心理の一端を垣間見れた気がします。また現れて消えた婚約者の関係など、われわれが知ることが出来なかった謎が、筆者の推測も入っていますが解き明かされたといって良いのではないでしょうか。
残念なのはK女史が取材に応じていないことで、全てを知ることは出来ないですが、逆にこれ以上は栗城劇場の傍観者は知る必要がないのでしょう。
栗城劇場に踊る者達をニヤニヤと笑っていた人こそ読むべきでしょう。
読後に涙と栗城氏に帰って来て欲しいという気持ちが宿りました。それは本当の追悼の気持ちなのかなと思います。