1)はじめに
・佐伯啓思氏の本は『貨幣と欲望』を読んで、レビューも書いたのだが、本書もまた面白かったし、勉強になった。どちらも「グローバリズム」の世界に対する批判だ。
・本書の最初は、アダム・スミスやケインズが「重商主義」や「金融グローバリズム」に批判的だったということを、丁寧に解説している。とりわけ、アダム・スミスが「自由主義」の信奉者だったということを、現代のアメリカ経済学(シカゴ学派、新自由主義)は歪曲して説明していると批判している。
・しかし本書の一番の特徴は、「貨幣」についての考察だと思う。近代経済学は「貨幣」を単に交換の手段としか取り扱わない。しかし、「貨幣」にはもっと深い理解が必要である、というわけだ。
・似たような考察として、『貨幣論』(岩井克人著)があり、貨幣についての様々な見解を吟味して、最終的に「貨幣は貨幣だから貨幣である」という循環論法が正しいとする見解を提起している。(本当は、まだまだ僕も理解が届いていないとは思うが)
・一方、佐伯啓思氏は本書において、もう少し分かりやすくというか多角的に、この「貨幣」の謎を解き明かしてくれる。マリノフスキーの「ポトラッチ」やモース『贈与論』、そしてレヴィ=ストロース、さらにジョルジュ・バタイユなどの見解を散りばめて考察している。
・なかなか難しい議論ではあるのだが、山場はレヴィ=ストロースの「ゼロ・シンボル」という概念になるだろうと思う。
・以下は、かなり端折った(それでも長くなった)僕のまとめ、ということになる。
2)「貨幣」とは
・人間が生きる上で、「交換」(=コミュニケーション)が行われ、そこには何らかの「媒体=象徴」が用いられる。ソシュールは、言語的コミュニケーションにおいて、言語は「意味するものと、意味されるもの」の恣意的な結合だとして、これが象徴作用の基本だとする。だがここで、「やあ」や「おい」、「ゾッとした」といった言葉には、「意味するものは」あるが、「意味されるもの」は特定されない。「意味するものと、意味されるもの」は必ずしも一対一の対応関係がなくてズレが生じている。すなわち、「意味されるもの」に対して「意味するもの」の過剰が存在している。しかしこの過剰な象徴作用があってはじめて、コミュニケーションや経済的な交換が可能になるのだ、という。
・この「過剰な記号」は、神秘的で呪術的な「霊性」というより、「過剰なもの」という点が本質的であり、この「過剰性」があることによって、「交換」が成立するというわけだ。そして、この「意味されるもの」を持たない過剰な記号を、レヴィ=ストロースは「ゼロの象徴的価値を持つ記号」、それを「ゼロ・シンボル」と呼んだ。
・ひるがえって「貨幣」を考えた時、「貨幣」は具体的な使用価値も有用性も持たない。しかし一方、あらゆるモノを表象し、またあらゆる使用価値を表象しているという点で、レヴィ=ストロースの言う「ゼロ・シンボル」だ。「貨幣」は純粋な「意味するもの」になっており、それが表象すべき具体的な使用価値や有用性を持たないのだ。すなわちそれは純粋な「過剰性」に他ならない。
・結局、「貨幣」は交換の必要性のなから生み出されたものではなく、それは人間の象徴作用の「過剰性」の産物に他ならない。
3)「過剰性」とは
・この「過剰性」という議論を佐伯啓思氏は、ジョルジュ・バタイユ『呪われた部分』の「普遍経済」という考えを使って考察を進めている。
・未開社会で行われた「ポトラッチ」(地位や財力を誇示するために、高価な贈り物をし、贈られた者も返礼する、贈答の儀式)や、く生贄(いけにえ)を殺し、家を破壊し、財宝を破壊してきたのは、神からの贈与に対する対抗贈与(返礼)であった。大事なものを破壊するという、とんでもない浪費だが、これは人間の「過剰性」によるもので、太陽が人間の生命維持以上の過剰なエネルギーを与えてきたためだという。そして過剰性は浪費するしかない。
・この「過剰性」の処理が、古代においては大規模な戦争による富の破壊、中世では巨大な教会の建立などという形で行われた。そして、近代社会においては宗教的信仰や教会建立といったことの代わりに、「経済成長」というものに変わったという。富の破壊という壮大な浪費が否定された時に経済成長が始まった、というわけだ。
・バタイユは言う、「中世経済を資本主義経済と区別するもの、それは、前者が過剰な富を非生産的蕩尽に化していたのに引き替え、後者は、蓄積し、生産設備の躍動的増大を目指す」と。
4)「稀少性」は「過剰性」から生まれる
・現代経済学は、「稀少な資源をいかに効率よく配分するかを課題とする」といわれてきた。しかし、バタイユが提起したのは、我々の考える経済学とはあべこべである。本当は稀少性ではなく、過剰性こそが経済問題だというのだ。実は、稀少性とは「見せかけの問題」なのだという。
・未開社会でも文明社会においても、「社会」における人々の関心は、おおかた他者に認められたいという、承認願望・優越願望に他ならない。そこに競争が生まれる。
・人々は社会的な地位や名誉や威信といった「社会的財」に関心を寄せる、それは「類いまれなもの」だから。この「類いまれなもの」を求めて、欲望は相互に模倣しあう。
・社会的地位や名誉が本当に価値があるかどうかではない。人は、他人がそれを求めるからというだけで十分にそれを求めるのだ。「欲望」は自らの生活の必要によってそこにあるのではなく、相互の交換のなかから、すなわち「模倣」によって生み出される。
・だから、生活に必要とされる「欲求(necessity)」と、社会的次元で、相互模倣によって生み出される「欲望(desire)」は区別しなければならない。
・こう考えれば、「欲望」は「過剰性」から生み出されることが分かる。ひとたび「欲望」が生み出されれば、財貨は「稀少」になる。ここに「稀少性」の概念が生まれる。
・さて、この稀少な財貨を手にしようとする時、多額の「貨幣」の必要が生まれる。「貨幣」を手に入れなければ欲しいものは手に入らない。結局、「貨幣」こそが「欲望」を作り出すのだ。
5)資本主義
・「貨幣」の必要は、貨幣を貸借する市場を生み出す。金融市場である。その場合、貸し出される貨幣はどこから生み出されるかというと、「節約」によってである。
・節約という理念は、マックス・ウェーバーがカルヴァン派に見出した世俗内禁欲にあり、労働の成果は浪費されたり破壊されたりするのではなく、新たな投資のためにとって置かれなければならない。
・ここに、「貨幣」という「過剰性」は「節約」の手段となり、貨幣の保蔵は、将来へ備える合理的で倫理的に正しい行為と見なされる。
・「貨幣」の資本への転化とは、以上のプロセスのことであり、資本主義というシステムの本質ということになる。
・しかしここから、「貨幣」は「過剰性の拡張」へと踏み出すのである。その極端な姿が「投機」である。金融市場の発達がそれを可能にしたのだ。
・かくて、本来は「禁欲」と「節約」の精神が支配するなかに、投機という純粋に利得目的の刹那的快楽主義が持ち込まれることになった。
6)「脱成長主義」へ
・現代経済学は、「経済学は稀少性に関する科学である」と定義している。しかしこれまでの考察で、人々の欲望の競合によって、「稀少性」という概念は生み出されたのである。
・現代経済学の内部で、いかに議論しても、「効率性」「競争主義」「個人主義」「能力主義」「成長主義」といった「価値」から逃れることができない。
・我々は、「生のギリギリ」まで、過度な競争と、あまりに単純化された能力主義、すべてを金銭的評価でランク付けし、すぐにでも成果を出せという短期的成果主義によって追い詰められている。
・我々の生活には、「非合理」なものも「無駄」もまた必要なのである。
・1970年代から80年代にかけては、1つの大きな分水嶺があった。新自由主義の市場競争路線に先駆けて、それとはまったく異なった経済ヴィジョンが70年代には提示されていた。その1つがダニエル・ベルの『ポスト工業社会の到来』1973年であった。
・ベルは言う。先進国では、製造業を中心とする第二次産業によって利益を生み出すことは難しくなった。経済が成熟すれば、経済の中心はサーヴィス業の第三次産業に移り変わってゆく。軸になるのは「知識」であり、サービスが価値を生み出す。
・つまり、価値の源泉は、製造業におけるモノではなく、知識・情報だというわけだ。そして、知識・情報は、本質的に公共的な性格を持っている。私的所有と市場交換の概念をはみ出している。
・人々は、もはや物的な富の増加よりも、より質の高い生活環境や行政サーヴィスの提供、人々の交わりなどに関心を向けるだろう。市場の効率性よりも、公共的な「善きもの」を実現する社会へ転換すべきだというわけだ。
・我々は、どうやら「善き社会」とは何か、というきわめて伝統的でオーソドックスな問いの前に回帰しているのではないだろうか。
7)結論
・堂目 卓生(どうめ たくお)氏の『アダム・スミス− 『道徳感情論』と『国富論』の世界』の終章で引用している、スミスが『道徳感情論』の中で語ったという、「エピルスの王の寵臣(チョウシン)の話」が面白かったので、結論にしたいと思います。
・《王は、その寵臣に対して、自分が行なおうと企てていたすべての征服を順序だてて話した。王が最後の征服計画について話し終えたとき、寵臣は言った。「ところで、そのあと陛下は何をなさいますか」。王は言った、「それから私がしたいと思うのは、私の友人たちとともに楽しみ、一本の酒で楽しく語り合うということだ」。寵臣はたずねた。「陛下が今そうなさることを、何が妨げているのでしょうか」》
8)蛇足、独断的なメモ
・「ゼロは過剰性」と語っているわけだが、別の言葉で言うと「空虚=空」ということではないだろうか。すなわち無でも有でもない、「はみ出しもの」というわけだ。
・この一点で、東洋哲学はギリシャ哲学より進んでいる。なんとなれば、ギリシャでは無からはなにものも生まれることはないから。
・空とは型、入れ物であり、それ自体は空虚である。
・この龍樹の般若の知恵「空」のニヒリズムを脱却しようとしたのが、「空」を否定し「不空」をとなえる『大乗起信論』となるのだろう
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経済学の思考法 稀少性の経済から過剰性の経済へ (講談社学術文庫) 文庫 – 2020/11/12
佐伯 啓思
(著)
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格差拡大、雇用不安、デフレ、グローバリズムの停滞……。「構造改革」以降、実感なき好景気と乱高下する日本経済。過剰な貨幣発行がもたらす問題、「複雑な”経済現象”」と「理論重視の”経済学”」の乖離など、現代資本主義が直面する困難を徹底的に検証。
アダム・スミスから金融理論、リーマンショックからアベノミクスまで、経済学の限界と誤謬を提示する。
内容抜粋
「経済学」がひとつの思想でありイデオロギーであるとすれば、今日の支配的な経済学の考え方とは異なった「経済」についての見方はできないか。「稀少な資源の配分をめぐる科学」というような経済学の典型的な思考方法ではない、別の思考様式はないのか、ということだ。―――学術文庫版「はじめに」より
目次
学術文庫版「はじめに」
第1章 失われた二〇年――構造改革はなぜ失敗したのか
学術文庫付論
第2章 グローバル資本主義の危機――リーマン・ショックからEU危機へ
学術文庫付論
第3章 変容する資本主義――リスクを管理できない金融経済
第4章 「経済学」の犯罪――グローバル危機をもたらした市場中心主義
第5章 アダム・スミスを再考する――市場主義の源流にあるもの
第6章 「国力」をめぐる経済学の争い――金融グローバリズムをめぐって
第7章 ケインズ経済学の真の意味――「貨幣」の経済学へ向けて
第8章 「貨幣」という過剰なるもの――「稀少性」の経済から「過剰性」の経済へ
第9章 「脱成長主義」へ向けて――現代文明の転換の試み
あとがき――ひとつの回想
学術文庫版あとがき
2012年刊行、講談社現代新書『経済学の犯罪』を改題、
大幅加筆修正したものです
アダム・スミスから金融理論、リーマンショックからアベノミクスまで、経済学の限界と誤謬を提示する。
内容抜粋
「経済学」がひとつの思想でありイデオロギーであるとすれば、今日の支配的な経済学の考え方とは異なった「経済」についての見方はできないか。「稀少な資源の配分をめぐる科学」というような経済学の典型的な思考方法ではない、別の思考様式はないのか、ということだ。―――学術文庫版「はじめに」より
目次
学術文庫版「はじめに」
第1章 失われた二〇年――構造改革はなぜ失敗したのか
学術文庫付論
第2章 グローバル資本主義の危機――リーマン・ショックからEU危機へ
学術文庫付論
第3章 変容する資本主義――リスクを管理できない金融経済
第4章 「経済学」の犯罪――グローバル危機をもたらした市場中心主義
第5章 アダム・スミスを再考する――市場主義の源流にあるもの
第6章 「国力」をめぐる経済学の争い――金融グローバリズムをめぐって
第7章 ケインズ経済学の真の意味――「貨幣」の経済学へ向けて
第8章 「貨幣」という過剰なるもの――「稀少性」の経済から「過剰性」の経済へ
第9章 「脱成長主義」へ向けて――現代文明の転換の試み
あとがき――ひとつの回想
学術文庫版あとがき
2012年刊行、講談社現代新書『経済学の犯罪』を改題、
大幅加筆修正したものです
- 本の長さ352ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2020/11/12
- 寸法10.5 x 1.5 x 14.9 cm
- ISBN-104065217741
- ISBN-13978-4065217740
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商品の説明
著者について
佐伯 啓思
さえきけいし
1949年、奈良県生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。京都大学名誉教授。京都大学 こころの未来研究センター特任教授。著書に『隠された思考』『「アメリカニズム」の終焉』『現代日本のリベラリズム』『反・幸福論』『「欲望」と資本主義』『自由とは何か』『西田幾多郎 無私の思想と日本人』『経済成長主義への訣別』『近代の虚妄』など多数。
さえきけいし
1949年、奈良県生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。京都大学名誉教授。京都大学 こころの未来研究センター特任教授。著書に『隠された思考』『「アメリカニズム」の終焉』『現代日本のリベラリズム』『反・幸福論』『「欲望」と資本主義』『自由とは何か』『西田幾多郎 無私の思想と日本人』『経済成長主義への訣別』『近代の虚妄』など多数。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2020/11/12)
- 発売日 : 2020/11/12
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 352ページ
- ISBN-10 : 4065217741
- ISBN-13 : 978-4065217740
- 寸法 : 10.5 x 1.5 x 14.9 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 259,923位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 295位経済思想・経済学説 (本)
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- - 889位講談社学術文庫
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
1949(昭和24)年、奈良県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科教授。東京大学経済学部卒。同大学院経済学研究科博士課程単位取得。2007年正論大賞受賞。著作に『隠された思考』(サントリー学芸賞)、『現代日本のリベラリズム』(読売論壇賞)、『反・幸福論』等多数(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『日本の宿命 (ISBN-10: 4106105020)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2023年10月1日に日本でレビュー済み
2020年12月16日に日本でレビュー済み
昨今、資本主義の限界が叫ばれ、ポスト資本主義を模索する書籍が多い。夢中で読んだ水野和夫氏の「資本主義の終焉と歴史の危機」がその筆頭だと思うが、本書で佐伯氏は経済学の観点から丁寧に資本主義の限界を説明し、ポスト資本主義を模索している。内容的には少し難しめ。
佐伯氏は「新自由主義は現代の重商主義」と述べる。全くそうだと思う。確かにアダムスミスもケインズも反重商主義であって反グローバリズムだ。ポスト工業化社会を模索したケインズという防波堤も失い、このグローバリズムが資本主義を死に追いやっているのだと思った。グローバリズムがもたらした金融経済、つまり、新自由主義が資本主義を延命していると言いたいのだろう。しかし、それも限界だと。
そして、資本主義以前における「ポトラッチ」という過剰なものの消費、処理について述べる。「ポトラッチ」の破壊という壮大な消費が否定された時に経済成長が生まれたとのこと。この洞察は鋭い。我々人類はその歴史のほんの僅かな期間でしか、資本蓄積、そして、成長経済を経験していないことを改めて気づかされる。
ウェーバーの逆をいく?「禁欲と節約が過剰性を生み出す」という考え方も斬新だった。
だから当然、アベノミクスへの眼差しも厳しい。曰く「構造改革が日本を長期不況に追いやった」と。
全体を通じ、本書はパラドックスに満ちていたと思う。読後に脱成長主義の社会、ポスト資本主義にどんなパラドックスが待っているのだろうか?と考えさせられた。
佐伯氏は「新自由主義は現代の重商主義」と述べる。全くそうだと思う。確かにアダムスミスもケインズも反重商主義であって反グローバリズムだ。ポスト工業化社会を模索したケインズという防波堤も失い、このグローバリズムが資本主義を死に追いやっているのだと思った。グローバリズムがもたらした金融経済、つまり、新自由主義が資本主義を延命していると言いたいのだろう。しかし、それも限界だと。
そして、資本主義以前における「ポトラッチ」という過剰なものの消費、処理について述べる。「ポトラッチ」の破壊という壮大な消費が否定された時に経済成長が生まれたとのこと。この洞察は鋭い。我々人類はその歴史のほんの僅かな期間でしか、資本蓄積、そして、成長経済を経験していないことを改めて気づかされる。
ウェーバーの逆をいく?「禁欲と節約が過剰性を生み出す」という考え方も斬新だった。
だから当然、アベノミクスへの眼差しも厳しい。曰く「構造改革が日本を長期不況に追いやった」と。
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