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差別感情の哲学 (講談社学術文庫) 文庫 – 2015/2/11
中島 義道
(著)
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差別とはいかなる人間的事態なのか? 他者に対する否定的感情(不快・嫌悪・軽蔑・恐怖)とその裏返しとしての自己に対する肯定的感情(誇り・自尊心・帰属意識・向上心)、そして「誠実性」の危うさの考察で解明される差別感情の本質。自分や帰属集団を誇り優越感に浸るわれらのうちに蠢く感情を抉り出し、「自己批判精神」と「繊細な精神」をもって戦い続けることを訴える、哲学者の挑戦。
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2015/2/11
- 寸法10.8 x 1 x 14.8 cm
- ISBN-104062922827
- ISBN-13978-4062922821
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商品の説明
著者について
中島 義道
1946年生まれ。東京大学法学部卒業、同大学院哲学専攻修士課程修了。ウィーン大学で哲学博士号取得。電気通信大学教授を経て、現在は哲学塾主宰。専攻は時間論、自我論、コミュニケーション論。著書に『ウィーン愛憎』『時間と自由』『哲学の教科書』『うるさい日本の私』『「私」の秘密』『悪について』『私の嫌いな10の人びと』『哲学者というならず者がいる』『人生に生きる価値はない』『哲学塾授業』ほか多数。
1946年生まれ。東京大学法学部卒業、同大学院哲学専攻修士課程修了。ウィーン大学で哲学博士号取得。電気通信大学教授を経て、現在は哲学塾主宰。専攻は時間論、自我論、コミュニケーション論。著書に『ウィーン愛憎』『時間と自由』『哲学の教科書』『うるさい日本の私』『「私」の秘密』『悪について』『私の嫌いな10の人びと』『哲学者というならず者がいる』『人生に生きる価値はない』『哲学塾授業』ほか多数。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2015/2/11)
- 発売日 : 2015/2/11
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 224ページ
- ISBN-10 : 4062922827
- ISBN-13 : 978-4062922821
- 寸法 : 10.8 x 1 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 93,448位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 296位講談社学術文庫
- - 1,252位社会一般関連書籍
- - 1,869位その他の思想・社会の本
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年10月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
差別感情とはどこにでも潜んでいて、自己批判的であれと説かれます。
2015年5月15日に日本でレビュー済み
本書では、自己肯定も、成長したい・夢中になりたい・正常でありたい・誠実でありたいという思いも、
その感情の動機を探れば他人との関係から発せられるものであり、
差別の感情と密接だといいます。
本書とは外れますが、かつて寺山修司は
「えらぶ、ということは『えらばなかったものを捨てる』ということであるから、
そこでは、早くも『差別』がはじまっているのである。」
とは言いました。
愛の反対は無関心とも言いますが、原理的に全ての人は全ての人を認知できず、
我々自分が愛せる人を、無意識のうちに自分の基準で選抜し、優先順位をつけます。
何かに夢中になれば、どんな人も例外なく、夢中の外にあるものは見れません。
また「嫌いな人、危険な人とは距離を置く」という考え方も、自分を良くしてゆく真っ当な行為であるると共に、
確実に人を拒絶する行為でもあり、
貧困や愛着のこじれで偏ったパーソナリティや病の人は弾かれるものかと思います。
そうやって、差別はしてしまうものと考えます。
以上から、どんな人にも、どんな活動や態度にも、
生きるのに必要な側面と、他者を傷つけ否定する側面とを孕んでいるようです。
だからといって、当たり前の行動にある差別を恐れて、全く傷つけないようにしても、何も出来なくなります。
本書を嫌厭する人は少なくないでしょう。
私は、ある程度の差別を認めています。
人間は傾向として、等しく差別してしまう性質を持つ。
しかし、考え方を改めることで、行動は修正できる。
また修正できなくとも、自分が何をしているのかは自覚できるし、これからの行動に反映できる。
普段は、お互いの差別を糾弾するというよりも、
「あなたの行動のそういうところに差別を感じます」と伝え合えればいいのかな、と思いました。
あとは、著者の考えとは違いますが、
私は自分が心置きなく行動できることに、ちゃんと感謝します。
人の幸福感の原則が、まず自分が幸せであることが周囲を幸せにする、
あるいはその逆で、周囲が幸せであることが自分を幸せにする、という、
他人との関係から発せられるのもまた、切り離せなせません。
その幸福感を破棄してでも差別をしない、というのは、差別の再生産か、人を消耗させ、マッチョな人しか生き残れないと考えます。
ときに自分を振り返り、自分の行動がどういうものであるか、自分の幸福感がどういう社会や人間関係の構造の上に立っているのか思いめぐらし、
今、行動できることに感謝するという在り方も、ありかなと思います。
差別感情すら断罪するなら、ロボトミー手術しかありません。
その感情の動機を探れば他人との関係から発せられるものであり、
差別の感情と密接だといいます。
本書とは外れますが、かつて寺山修司は
「えらぶ、ということは『えらばなかったものを捨てる』ということであるから、
そこでは、早くも『差別』がはじまっているのである。」
とは言いました。
愛の反対は無関心とも言いますが、原理的に全ての人は全ての人を認知できず、
我々自分が愛せる人を、無意識のうちに自分の基準で選抜し、優先順位をつけます。
何かに夢中になれば、どんな人も例外なく、夢中の外にあるものは見れません。
また「嫌いな人、危険な人とは距離を置く」という考え方も、自分を良くしてゆく真っ当な行為であるると共に、
確実に人を拒絶する行為でもあり、
貧困や愛着のこじれで偏ったパーソナリティや病の人は弾かれるものかと思います。
そうやって、差別はしてしまうものと考えます。
以上から、どんな人にも、どんな活動や態度にも、
生きるのに必要な側面と、他者を傷つけ否定する側面とを孕んでいるようです。
だからといって、当たり前の行動にある差別を恐れて、全く傷つけないようにしても、何も出来なくなります。
本書を嫌厭する人は少なくないでしょう。
私は、ある程度の差別を認めています。
人間は傾向として、等しく差別してしまう性質を持つ。
しかし、考え方を改めることで、行動は修正できる。
また修正できなくとも、自分が何をしているのかは自覚できるし、これからの行動に反映できる。
普段は、お互いの差別を糾弾するというよりも、
「あなたの行動のそういうところに差別を感じます」と伝え合えればいいのかな、と思いました。
あとは、著者の考えとは違いますが、
私は自分が心置きなく行動できることに、ちゃんと感謝します。
人の幸福感の原則が、まず自分が幸せであることが周囲を幸せにする、
あるいはその逆で、周囲が幸せであることが自分を幸せにする、という、
他人との関係から発せられるのもまた、切り離せなせません。
その幸福感を破棄してでも差別をしない、というのは、差別の再生産か、人を消耗させ、マッチョな人しか生き残れないと考えます。
ときに自分を振り返り、自分の行動がどういうものであるか、自分の幸福感がどういう社会や人間関係の構造の上に立っているのか思いめぐらし、
今、行動できることに感謝するという在り方も、ありかなと思います。
差別感情すら断罪するなら、ロボトミー手術しかありません。
2021年2月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
若干、意見の違いはあったが、ここまで差別現象を掘り下げた本は初めてだった。
2019年1月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
おそらく本書を手に取る人の多くは、様々な差別問題に心を痛めているに違いない。
しかしだからこそ、差別問題について考える時、まず初めに読んでおきたい一冊だと思う。
なぜなら、差別感情の根底にあるものは、むしろ「善良な市民」の中にこそはびこっているからだ。すなわち、差別をする人間だけでなく、差別を批判する(まっとうな)者の中にも、ごく自然な形で差別感情が具わっているのである。
善良な市民を自負する読者には苦痛の伴う内容かもしれない。しかしそのことを前提に据えなければ、本当の意味で差別問題とは向き合えない。
差別感情において最後まで妥協しない著者の態度に、真摯なるメッセージが込められているように感じる。
読み終えたとき、深く反省させられると同時に、心が凛とする。
しかしだからこそ、差別問題について考える時、まず初めに読んでおきたい一冊だと思う。
なぜなら、差別感情の根底にあるものは、むしろ「善良な市民」の中にこそはびこっているからだ。すなわち、差別をする人間だけでなく、差別を批判する(まっとうな)者の中にも、ごく自然な形で差別感情が具わっているのである。
善良な市民を自負する読者には苦痛の伴う内容かもしれない。しかしそのことを前提に据えなければ、本当の意味で差別問題とは向き合えない。
差別感情において最後まで妥協しない著者の態度に、真摯なるメッセージが込められているように感じる。
読み終えたとき、深く反省させられると同時に、心が凛とする。
2024年3月8日に日本でレビュー済み
この本の著者に何を言ってもこの人は差別を感じるんだろうね。なので、☆を三つ以下にはできない(笑)。
納得しそうで納得できないところがいっぱいあったなぁ。
「哲学者はー社会学者や教育学者あるいは精神病理学者とは違ってー、こうした「解決できない問題」に視線を注がねばならない。」って、あんた・・・語るに落ちる、だよ。
50年も前に、高校の授業で教師が「諸君、世の中は差別と区別でできているのだ。」と言った。その通りさ。そこから、、、ってことだよ。
納得しそうで納得できないところがいっぱいあったなぁ。
「哲学者はー社会学者や教育学者あるいは精神病理学者とは違ってー、こうした「解決できない問題」に視線を注がねばならない。」って、あんた・・・語るに落ちる、だよ。
50年も前に、高校の授業で教師が「諸君、世の中は差別と区別でできているのだ。」と言った。その通りさ。そこから、、、ってことだよ。
2018年1月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
第一に、差別感情について誠実に熱意をもって考える日本人の数は、最大限見積もっても、0.1%程度つまり12.7万人くらいじゃないでしょうか。更に、その想いをどこまでも大切に見つめ続け、また実際に言語で表し、論理関係を整え、参考資料に当り、自らの差別感情と格闘しながら筆を取る人間は、その内の1%つまり1千人弱もいないでしょう。加えて、その文章が編集者の目に留まり、企画が通り、校閲を受け、講談社という大手出版会社から出版される程の市場価値を認められた書き手は、その内の1%つまり10人程度くらいにしか収まらないように思います。この推論で行けば、この本の先ず以て希少的価値があることを強調してしすぎることはありません。恐らく、出版物全体を見渡しても、特定の被差別問題を糾弾するのではなく、日常的な差別感情全般を扱った書物は恐らく10点もないと思います。
昨今は個人の意見の表明や情報の発信がインターネットを通じて容易になりました。例えばブログやソーシャル・メディアを通じて、この種類の途方もない感情について雑感を述べることはあると思います。自ら編集者の眼をもって持論を点検し、発信している在野の研究者もいると思います。しかしながら、ブログを例にとっても、本当に価値のある文章をしかも無料で公開している市井の表現者は、なかなか検索条件にかかってヒットすることはありません。何百万の「キーワード」とともに表示される有象無象の中で、それは無いもの同然に扱われています。つまり現実問題、この種の道徳感情を正しく考えている書籍は、相当の見識と筆力がなければ出版まで漕ぎつけなません。だからこそ、中島氏の『後悔と自責の哲学』(河出文庫)、『孤独についてー生きるのが困難な人々へー』(文春文庫)といった倫理観を中心の題材とした書籍群は、大同小異の自己啓発本、不安を煽るだけの就活関連本、表紙だけで中身の薄い恋愛指南書、犯罪的冗長さ故本屋の棚を占有する推理小説や歴史小説とその類などと比して、優に千倍の価値があると断言してよいのです。市場経済や競争原理のため仕方ないのでしょうが、それにしても余りにも、道徳や倫理観が無視され続け憤りすら感じます。
日本人の倫理観は他国と比べ高く、誇ってよいものとメディアは報じます。特に東日本大震災の時はそうでした。確かに日本人の危機的状況における連帯意識や自己犠牲の精神は目を見張るものがあります。問題は、しかしながら、平時の倫理観ではないでしょうか。日常生活にまとわりついて離れない感情、それは、他者に向ける視線「まなざし」の中に特に現れます。被差別者との出会いの中に起こる、気にも留めないくらい瞬間的な、言語化されない無意識的な身体的反応。非言語の感情をどこまで根気よく見つめ続け、他者と議論できるレベルの、コミュニケーション可能な言語体験まで昇華させるか。この果てしない自問自答とそれを支える強大な精神力の持ち主は、めったに出会えません。中島義道氏は、その意味で、稀有な物書きだと思います。
昨今は個人の意見の表明や情報の発信がインターネットを通じて容易になりました。例えばブログやソーシャル・メディアを通じて、この種類の途方もない感情について雑感を述べることはあると思います。自ら編集者の眼をもって持論を点検し、発信している在野の研究者もいると思います。しかしながら、ブログを例にとっても、本当に価値のある文章をしかも無料で公開している市井の表現者は、なかなか検索条件にかかってヒットすることはありません。何百万の「キーワード」とともに表示される有象無象の中で、それは無いもの同然に扱われています。つまり現実問題、この種の道徳感情を正しく考えている書籍は、相当の見識と筆力がなければ出版まで漕ぎつけなません。だからこそ、中島氏の『後悔と自責の哲学』(河出文庫)、『孤独についてー生きるのが困難な人々へー』(文春文庫)といった倫理観を中心の題材とした書籍群は、大同小異の自己啓発本、不安を煽るだけの就活関連本、表紙だけで中身の薄い恋愛指南書、犯罪的冗長さ故本屋の棚を占有する推理小説や歴史小説とその類などと比して、優に千倍の価値があると断言してよいのです。市場経済や競争原理のため仕方ないのでしょうが、それにしても余りにも、道徳や倫理観が無視され続け憤りすら感じます。
日本人の倫理観は他国と比べ高く、誇ってよいものとメディアは報じます。特に東日本大震災の時はそうでした。確かに日本人の危機的状況における連帯意識や自己犠牲の精神は目を見張るものがあります。問題は、しかしながら、平時の倫理観ではないでしょうか。日常生活にまとわりついて離れない感情、それは、他者に向ける視線「まなざし」の中に特に現れます。被差別者との出会いの中に起こる、気にも留めないくらい瞬間的な、言語化されない無意識的な身体的反応。非言語の感情をどこまで根気よく見つめ続け、他者と議論できるレベルの、コミュニケーション可能な言語体験まで昇華させるか。この果てしない自問自答とそれを支える強大な精神力の持ち主は、めったに出会えません。中島義道氏は、その意味で、稀有な物書きだと思います。
2021年9月26日に日本でレビュー済み
昨今、障がい者差別、LGBT差別、人種差別、国籍差別など、さまざまな差別が取り沙汰されているが、そういった表に出ている差別だけでなく、一般的な日常に潜む「差別感情」を、差別論や哲学や歴史的大事件から、広く事例をひっぱってきて読み解く、大作である。
そして著者は、社会的強者も社会的弱者も被差別者さえ、すべての人が差別者になりうることを多数の論を引いて警告している。
ただ、他のレビューにあるように、序論の「スカートの中を覗くことが、あたかも恐るべき「異常」な行為であるかのように~」の著者執筆文だけは非常に残念だった。文脈をみれば、自然であることと、差別する理由として自然であることを引くのは、別のことと著者は理解しているのであろうが、このコラムをそのまま新聞に載せたら、犯罪を正当化して「被害は仕方ないのだ」という諦めと怠惰に陥っているようにしかみえない。しかもここで著者は大真面目に、痴漢撲滅は、逆差別だ復讐だ、その権力に屈する新聞は欺瞞だと書いているのである。
これだけ差別について真剣に考えている著者も、男女差別にはこれだけ無批判に差別に荷担しているという点では、「すべての人が差別者になりうる」ことに強い説得力をもたせるエピソードかもしれない。
そして著者は、社会的強者も社会的弱者も被差別者さえ、すべての人が差別者になりうることを多数の論を引いて警告している。
ただ、他のレビューにあるように、序論の「スカートの中を覗くことが、あたかも恐るべき「異常」な行為であるかのように~」の著者執筆文だけは非常に残念だった。文脈をみれば、自然であることと、差別する理由として自然であることを引くのは、別のことと著者は理解しているのであろうが、このコラムをそのまま新聞に載せたら、犯罪を正当化して「被害は仕方ないのだ」という諦めと怠惰に陥っているようにしかみえない。しかもここで著者は大真面目に、痴漢撲滅は、逆差別だ復讐だ、その権力に屈する新聞は欺瞞だと書いているのである。
これだけ差別について真剣に考えている著者も、男女差別にはこれだけ無批判に差別に荷担しているという点では、「すべての人が差別者になりうる」ことに強い説得力をもたせるエピソードかもしれない。
2009年5月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
哲学者とエッセイスト。二つの顔を持つ中島義道の新刊を前に、読者はしばし悩むことになる。この本の著者は果たしてどちらの中島か? なるほどタイトルに「哲学」の二文字は確認できる。だが「哲学」と銘打たれているからといって、哲学書であるとは限らない。
結論を言えば、本書はよくもあしくもどちらの中島ファンも楽しむことができる「啓蒙書」である。強いて言うなら哲学者でもエッセイストでもない「教育者」としての中島が前面に出た著作であると思う(例えば同著者による『<対話>のない社会』がそうであったように)。
差別感情。だれもそれを逃れることはできない。「そんなことはない」と反論する人間に限って、自分の中の差別感情を隠蔽している。冒頭で中島は自分の差別感情に気づいてさえいない多くの人々に対し警鐘を鳴らす。
中島によれば差別感情を発生させるものは、他者に対する否定的感情と自己に対する肯定的感情である。前者を「不快」「嫌悪」「軽蔑」「恐怖」に、後者を「誇り」「自尊心」「帰属意識」「向上心」にカテゴライズする中島の分析は鋭敏かつ精確であり、哲学的というよりも心理学的かつ社会学的である。
全篇にみなぎっている差別感情に対する憎しみは、中島自身の内部に巣食っているそれに対するものであろう(むろん本人もそのことに気づいている)。否定的感情が差別を生み出すのか、それとも差別への欲求が否定的感情を生み出すのか議論が分かれるところであろうが、言語とともに差別が始まるという説には大いにうなずける。差別と誠実のジレンマに苦しむ中島の熱い思いが伝わってくる好著である。
結論を言えば、本書はよくもあしくもどちらの中島ファンも楽しむことができる「啓蒙書」である。強いて言うなら哲学者でもエッセイストでもない「教育者」としての中島が前面に出た著作であると思う(例えば同著者による『<対話>のない社会』がそうであったように)。
差別感情。だれもそれを逃れることはできない。「そんなことはない」と反論する人間に限って、自分の中の差別感情を隠蔽している。冒頭で中島は自分の差別感情に気づいてさえいない多くの人々に対し警鐘を鳴らす。
中島によれば差別感情を発生させるものは、他者に対する否定的感情と自己に対する肯定的感情である。前者を「不快」「嫌悪」「軽蔑」「恐怖」に、後者を「誇り」「自尊心」「帰属意識」「向上心」にカテゴライズする中島の分析は鋭敏かつ精確であり、哲学的というよりも心理学的かつ社会学的である。
全篇にみなぎっている差別感情に対する憎しみは、中島自身の内部に巣食っているそれに対するものであろう(むろん本人もそのことに気づいている)。否定的感情が差別を生み出すのか、それとも差別への欲求が否定的感情を生み出すのか議論が分かれるところであろうが、言語とともに差別が始まるという説には大いにうなずける。差別と誠実のジレンマに苦しむ中島の熱い思いが伝わってくる好著である。