辺見さんの『自分自身への審問』を再読
難解也として中々に遅読であったが、
彼の用いる言葉や其処から廣がり幻せる世界像の感動
気になった語に、
線を曳き、
折り目を付け、
丸を付ける作業の樂しさ
はかい、ことば、おもふ
かたて、いぬ
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自分自身への審問 (角川文庫) 文庫 – 2009/6/25
辺見 庸
(著)
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「永遠の不服従」を有言実行し続ける作家・辺見庸、魂のことば!
「新たな生のための遺書」。04年に脳出血、05年に大腸癌と、ある日突然二重の災厄に見舞われた著者が、入院中に死に身で書きぬいた生と死、国家と戦争、現世への異議、そして自分への「有罪宣告」!
「新たな生のための遺書」。04年に脳出血、05年に大腸癌と、ある日突然二重の災厄に見舞われた著者が、入院中に死に身で書きぬいた生と死、国家と戦争、現世への異議、そして自分への「有罪宣告」!
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2009/6/25
- 寸法10.5 x 1 x 15 cm
- ISBN-104043417101
- ISBN-13978-4043417100
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商品の説明
著者について
●辺見 庸:1944年宮城県石巻市生まれ。早稲田大学文学部卒業。70年共同通信社入社。北京特派員、ハノイ支局長、編集委員などを経て、96年退社。この間、78年中国報道で日本新聞協会賞、91年『自動起床装置』で芥川賞、94年『ものを食う人びと』で講談社ノンフィクション賞を受賞
登録情報
- 出版社 : KADOKAWA (2009/6/25)
- 発売日 : 2009/6/25
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 240ページ
- ISBN-10 : 4043417101
- ISBN-13 : 978-4043417100
- 寸法 : 10.5 x 1 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 542,770位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,156位ロシア・東欧文学研究
- - 7,883位日本文学研究
- - 9,575位角川文庫
- カスタマーレビュー:
著者について
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作家。1944年、宮城県生まれ。早稲田大学文学部卒。70年、共同通信社入社。北京特派員、ハノイ支局長、編集委員などを経て96年、退社。この間、 78年、中国報道で日本新聞協会賞、91年、『自動起床装置』で芥川賞、94年、『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 いまここに在ることの恥 (ISBN-13: 978-4043417117 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2007年4月28日に日本でレビュー済み
2004年から辺見庸を襲った脳出血と結腸癌。続けざまの病魔に見舞われながらも、「人は生きてあるかぎり、どうあっても形骸たりえない。たとえ形骸に酷似していても断じて形骸そのものではない」(本文)という強靱な意志のもと、「復帰」第1作目となるのがこの『自分自身への審問』である。本人の弁では「寸止め」状態ある肉体だが、「辺見節」も筆致も相変わらず冴え渡っており、「まつろわぬ表現者としての矜持」(渡辺創氏,北海道新聞社)は全くもって健在である。今後ともジャーナリステックな眼を持った、“まつろわぬ表現者”としての活躍を大いに期待したい。
ところで、辺見庸に対しては、様々な「左右」からの批判が存するわけであるが、私の知る代表的な批判的言説をみてみたい。先ず、「右」側では「個人の思い込みや個人の体験から極めて恣意的に一般的な状況認識や原則を導き出す姿勢」などを「批判」するものがある。この“極私的”姿勢の、一体何が問題なのであろうか。このフレーズはそっくりこの御仁に送り返そう。人はおよそ、自分の影から逃れることはできないのだ。蟹は甲羅に似せて穴を掘る―この御仁も私も、そして辺見庸も…。
次に、「左」側では、新左翼党派の元カードルで、今は一端の文人気取りの男が「政治には1度として責任をもつことなしに『民主主義の不在』」を声高に語って恥じない辺見庸」などと雑言を浴びせかけている。この男にとって「政治」とは、メットにゲバ棒、それに党内遊泳らしかったのだが…。今は「造花の園」(同)といえる文壇の片隅で売文業に勤しむこうした輩に、「物言うな、かさねてきた徒労のかずをかぞえるな」(同)という言詞の意味、さらに辺見庸の“抗い”は永遠に理解できまい。
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2004年から辺見庸を襲った脳出血と結腸癌。続けざまの病魔に見舞われながらも、「人は生きてあるかぎり、どうあっても形骸たりえない。たとえ形骸に酷似していても断じて形骸そのものではない」(本文)という強靱な意志のもと、「復帰」第1作目となるのがこの『自分自身への審問』である。本人の弁では「寸止め」状態ある肉体だが、「辺見節」も筆致も相変わらず冴え渡っており、「まつろわぬ表現者としての矜持」(渡辺創氏,北海道新聞社)は全くもって健在である。今後ともジャーナリステックな眼を持った、“まつろわぬ表現者”としての活躍を大いに期待したい。
ところで、辺見庸に対しては、様々な「左右」からの批判が存するわけであるが、私の知る代表的な批判的言説をみてみたい。先ず、「右」側では「個人の思い込みや個人の体験から極めて恣意的に一般的な状況認識や原則を導き出す姿勢」などを「批判」するものがある。この“極私的”姿勢の、一体何が問題なのであろうか。このフレーズはそっくりこの御仁に送り返そう。人はおよそ、自分の影から逃れることはできないのだ。蟹は甲羅に似せて穴を掘る―この御仁も私も、そして辺見庸も…。
次に、「左」側では、新左翼党派の元カードルで、今は一端の文人気取りの男が「政治には1度として責任をもつことなしに『民主主義の不在』」を声高に語って恥じない辺見庸」などと雑言を浴びせかけている。この男にとって「政治」とは、メットにゲバ棒、それに党内遊泳らしかったのだが…。今は「造花の園」(同)といえる文壇の片隅で売文業に勤しむこうした輩に、「物言うな、かさねてきた徒労のかずをかぞえるな」(同)という言詞の意味、さらに辺見庸の“抗い”は永遠に理解できまい。
2006年3月13日に日本でレビュー済み
辺見庸は脳卒中に倒れ、入院中にガンが発見された。辺見庸の著作に勇気づけられてきた者は、彼の復帰を心から願っていたに違いない。まずは彼が文筆の場に、政治的闘争の場に戻ってきたきたことを心から喜びたいと思う。
ここ数年の辺見の闘いはほとんど孤独であった。右を見ても左を見ても小泉政権の新自由主義と対米追従に、自らの体を切り刻むように強い異議を唱えていた日本人は現在でも極めて少数である。マスメディアの腐敗も著しい。辺見自身が文筆の場から退場を余儀なくされた間、日本の状況はさらに悪くなったように見える。
本書では、入院し、脳にも身体にも重篤な病を抱えながら、生死の境目の混濁した思考が一文一文に表現されている。読者に与える印象は極めて重い。
しかし辺見の立場は、強靭な単独者としての思考は一切変わらなかった。ここまで自らをめぐる状況が悪くなっても、日本の、小泉の欺瞞を突き続けるこの男の前で、私たちは日々のほほんと何をやっているのだろうか?読者は強く自戒せざるを得ない。誰より「審問」されるのは読者自身なのだ。
辺見は自殺への気持ちも吐露している。私の父も脳梗塞で倒れ、現在療養中である。これほど辛い状況に置かれた人への言葉ではないも知れないが、辺見さん、生き続けてください。そう願わずにはいられない。
ここ数年の辺見の闘いはほとんど孤独であった。右を見ても左を見ても小泉政権の新自由主義と対米追従に、自らの体を切り刻むように強い異議を唱えていた日本人は現在でも極めて少数である。マスメディアの腐敗も著しい。辺見自身が文筆の場から退場を余儀なくされた間、日本の状況はさらに悪くなったように見える。
本書では、入院し、脳にも身体にも重篤な病を抱えながら、生死の境目の混濁した思考が一文一文に表現されている。読者に与える印象は極めて重い。
しかし辺見の立場は、強靭な単独者としての思考は一切変わらなかった。ここまで自らをめぐる状況が悪くなっても、日本の、小泉の欺瞞を突き続けるこの男の前で、私たちは日々のほほんと何をやっているのだろうか?読者は強く自戒せざるを得ない。誰より「審問」されるのは読者自身なのだ。
辺見は自殺への気持ちも吐露している。私の父も脳梗塞で倒れ、現在療養中である。これほど辛い状況に置かれた人への言葉ではないも知れないが、辺見さん、生き続けてください。そう願わずにはいられない。
2006年6月24日に日本でレビュー済み
辺見庸という作家については、ジャーナリストで芥川賞作家ということくらいしか知りませんでした。ですから、読んだ作品も「自動起床装置」だけでした。
このほど、この本を手にし、その気迫に圧倒された感じです。その持っているしっかりした考え方もさることながら、脳出血、癌と、普通であればどうしようもなく精神的にまいってしまうような状況の中で、ここまで書く気力があることの凄さを感じます。まさに、何かが憑いているような気さえします。
そんな作者が、自分自身に厳しく「審問」という形で自問自答をする形で、この本は書かれています。
その中で、かつて戦争や様々な「悪」は、「善」と全く切り離されていたと述べています。それが、現代社会の中で、市場や資本の狡猾さが進む中で、その境目がはっきりしなくなり、いつの間にか「悪」に加担していると語っています。そうした「悪」への「責任を無数に分散し薄めさって最後にはきっぱりと揮発させて」しまっていると言います。確かに、言われて見れば、その通りでしょう。いつの間にか、そうなってしまった、というのではいけないでしょう。そうした意識の無さが蔓延している現代への警鐘として、重く受け止めた一冊でした。
このほど、この本を手にし、その気迫に圧倒された感じです。その持っているしっかりした考え方もさることながら、脳出血、癌と、普通であればどうしようもなく精神的にまいってしまうような状況の中で、ここまで書く気力があることの凄さを感じます。まさに、何かが憑いているような気さえします。
そんな作者が、自分自身に厳しく「審問」という形で自問自答をする形で、この本は書かれています。
その中で、かつて戦争や様々な「悪」は、「善」と全く切り離されていたと述べています。それが、現代社会の中で、市場や資本の狡猾さが進む中で、その境目がはっきりしなくなり、いつの間にか「悪」に加担していると語っています。そうした「悪」への「責任を無数に分散し薄めさって最後にはきっぱりと揮発させて」しまっていると言います。確かに、言われて見れば、その通りでしょう。いつの間にか、そうなってしまった、というのではいけないでしょう。そうした意識の無さが蔓延している現代への警鐘として、重く受け止めた一冊でした。
2006年8月8日に日本でレビュー済み
講演中に脳出血で倒れ、その後の闘病中に癌に見舞われた著者の現場復帰作。ただしこれは本稿中に記されるように、闘病記や回想録の類いでは決してない。そういった安手の感傷やドラマチックな人生訓話を排除した、まったき魂の軌跡である。
死の力を生きることで発せられる意識と肉体の軋み。忍び寄る湿潤な闇の底からせり上がるような情動が、迫真的な言葉で迫ってくる。本人が好む好まざるに関わらず、これまで時局的発言が多かった著者だが、本書では「傷んだ脳や麻痺した手足の感覚」を通じた観念的思索があまたに吐露されている。多くの芸術家、作家がそうであったように、死と呼応することによって辺見の想念はさらに蠢きを増したようだ。
また全編に配された森山大道の作品群が著者の心象を見事に照射しており、言葉を官能的な領域へと誘引してくれる。
死の力を生きることで発せられる意識と肉体の軋み。忍び寄る湿潤な闇の底からせり上がるような情動が、迫真的な言葉で迫ってくる。本人が好む好まざるに関わらず、これまで時局的発言が多かった著者だが、本書では「傷んだ脳や麻痺した手足の感覚」を通じた観念的思索があまたに吐露されている。多くの芸術家、作家がそうであったように、死と呼応することによって辺見の想念はさらに蠢きを増したようだ。
また全編に配された森山大道の作品群が著者の心象を見事に照射しており、言葉を官能的な領域へと誘引してくれる。
2006年7月31日に日本でレビュー済み
本書は、著者の久々の新刊であり、
死を間近に見たことによってより深みを増した文章が収められています。
というよりも、率直に感じたのは、
やはり、大きな危機に直面した著者の苦悩や混乱でした。
これまで外に向けて、文字通り孤軍奮闘の言論活動を続けていた著者が、
今、外と内なるものへの二正面作戦を迫られている姿には、
エールを送らずにはいられないとともに、
そろそろ著者の言論に甘えてきた自分と決別せねばならないと感じさせられました。
思うに、私を含め、著者の文章にカタルシスを覚えるばかりで、
自分自身は何のアクションも取ってこなかった読者が大半なのではないでしょうか。
著者に目を開かされた者は、今や自分自身も何らかの、
ささやかな、可能なら堂々とした行動をとる責任を負っているような気がします。
とはいっても、著者は何も時代錯誤の「革命」を求めているわけではありません。
ヒントは、本書や「抵抗三部作」にちりばめられていると考えます。
死を間近に見たことによってより深みを増した文章が収められています。
というよりも、率直に感じたのは、
やはり、大きな危機に直面した著者の苦悩や混乱でした。
これまで外に向けて、文字通り孤軍奮闘の言論活動を続けていた著者が、
今、外と内なるものへの二正面作戦を迫られている姿には、
エールを送らずにはいられないとともに、
そろそろ著者の言論に甘えてきた自分と決別せねばならないと感じさせられました。
思うに、私を含め、著者の文章にカタルシスを覚えるばかりで、
自分自身は何のアクションも取ってこなかった読者が大半なのではないでしょうか。
著者に目を開かされた者は、今や自分自身も何らかの、
ささやかな、可能なら堂々とした行動をとる責任を負っているような気がします。
とはいっても、著者は何も時代錯誤の「革命」を求めているわけではありません。
ヒントは、本書や「抵抗三部作」にちりばめられていると考えます。