散文か?詩か?さまざまな文学や詩歌、聖書などからの
引用を散りばめて、作者の魂の自由な宇宙が美しい。
読み終わるのが惜しい作品だった。
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青い花 単行本 – 2013/6/1
辺見 庸
(著)
あいつぐ大震災と戦火で、恋も家族も未来も、すべてをうしない鉄路を彷徨う男。哄笑、恐怖、愛、虚無・・・が卍にからみあう、現代黙示小説の大傑作! !
- 本の長さ179ページ
- 言語日本語
- 出版社角川書店
- 発売日2013/6/1
- ISBN-104041104629
- ISBN-13978-4041104620
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登録情報
- 出版社 : 角川書店 (2013/6/1)
- 発売日 : 2013/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 179ページ
- ISBN-10 : 4041104629
- ISBN-13 : 978-4041104620
- Amazon 売れ筋ランキング: - 882,862位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 228,106位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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作家。1944年、宮城県生まれ。早稲田大学文学部卒。70年、共同通信社入社。北京特派員、ハノイ支局長、編集委員などを経て96年、退社。この間、 78年、中国報道で日本新聞協会賞、91年、『自動起床装置』で芥川賞、94年、『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 いまここに在ることの恥 (ISBN-13: 978-4043417117 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年8月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あの戦争のあと、あったかもしれない世界と、
今回の震災……これが、ほとんど改行のない文章で進んでいく。
最初のうちは読みづらさがあったのだが、そのうち、
この奇妙で深い世界に引きずり込まれて読み切ってしまった。
おお神よ!
この大災厄はまだ、
まだつづくのですか!?
この帯文にあるように、あの震災はまだ終わっていない。
フクシマはどうしようもない状態だ。
避難区域ではイノシシや鼠が大発生している。
彼らが、食い物を求めて大移動を始めたら……。
海も同様である。汚染水はまだ流出しているのだ。
政府と東電だけが「過去」のこととして処理しようとしている。
本書は「小説」ではあるが、限りなくノンフィクションに近い。
文学を超えた文学といってもいいかもしれない。
もう一度、しっかり文字を噛みしめながら再読したい。
今回の震災……これが、ほとんど改行のない文章で進んでいく。
最初のうちは読みづらさがあったのだが、そのうち、
この奇妙で深い世界に引きずり込まれて読み切ってしまった。
おお神よ!
この大災厄はまだ、
まだつづくのですか!?
この帯文にあるように、あの震災はまだ終わっていない。
フクシマはどうしようもない状態だ。
避難区域ではイノシシや鼠が大発生している。
彼らが、食い物を求めて大移動を始めたら……。
海も同様である。汚染水はまだ流出しているのだ。
政府と東電だけが「過去」のこととして処理しようとしている。
本書は「小説」ではあるが、限りなくノンフィクションに近い。
文学を超えた文学といってもいいかもしれない。
もう一度、しっかり文字を噛みしめながら再読したい。
2013年6月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
311後、大津波が何度も押し寄せ、放射能と超新型インフルエンザが猛威をふるい、中国と戦争状態の日本。ジャムパン一個は既に1200円のインフレ社会。震災と戦火の中、難民キャンプを一人離れ、彷徨する家族を全て失った中年男(或いは著者)の内奥の独白の物語。
その彼が求めるものは『ポラノン』。
1951年の覚醒剤取締役法まで合法薬品で大日本製薬が販売していた疲労をポンと回復する『ヒロポン』に代わる現代の合法覚醒剤。
そして、もう一つ。若き日の記憶に刻まれた心の奥底に潜むもの。
既に狂った現代社会に生きる我々自身に、その身の処し方を考えさせる奥深い小説です。
以下、文中より抜粋。
・善であり悪であり善でも悪でもないただの榾(ほた)のおれたち。
・ひとの心の底にはひとつの例外もなく「青い錯乱」の海がある。正気と狂気に境目はない。
・言葉はもうだめだ。言葉はもうつうじない。とどかない。みんなつうじているふりをしているだけなのだ。言葉にしようとしてついに言葉にならないものにしか、いまかたられるべき真実はない。
・「もしも人間に最期の最期まで残された尊厳というものが少しでもあるとしたら、、、げんに目の前に見えていることをインチキだ、うそだと言えることだよ。そう言えるかどうかだよ」。
その彼が求めるものは『ポラノン』。
1951年の覚醒剤取締役法まで合法薬品で大日本製薬が販売していた疲労をポンと回復する『ヒロポン』に代わる現代の合法覚醒剤。
そして、もう一つ。若き日の記憶に刻まれた心の奥底に潜むもの。
既に狂った現代社会に生きる我々自身に、その身の処し方を考えさせる奥深い小説です。
以下、文中より抜粋。
・善であり悪であり善でも悪でもないただの榾(ほた)のおれたち。
・ひとの心の底にはひとつの例外もなく「青い錯乱」の海がある。正気と狂気に境目はない。
・言葉はもうだめだ。言葉はもうつうじない。とどかない。みんなつうじているふりをしているだけなのだ。言葉にしようとしてついに言葉にならないものにしか、いまかたられるべき真実はない。
・「もしも人間に最期の最期まで残された尊厳というものが少しでもあるとしたら、、、げんに目の前に見えていることをインチキだ、うそだと言えることだよ。そう言えるかどうかだよ」。
2020年11月14日に日本でレビュー済み
ポレポレの自動詞に合わせ夜の鉄路を歩き続けてるらしい老人一人、この訥々と溢出る魂のツブヤキを聞流すこと罷りならぬ、
諦めた狂人の独白は軽くユーモラスだが意味するところ極めて大きい、
若者諸君は共に歩き聞いてやれ、
いや、訊かねばならぬ、忘れてもよいから、
ポラノンPCR検査は未だ承認されていないが、検査すれば、たぶん、アナタは、陽性だとおもうよ、
カミュ「転落」は酒場での改悛した判事が独白したものだった、あるいはトルストイ? だったかな列車に乗り込んできた酔ったオヤジが饒舌に喋り続けるやつ、ほかにも多々あった、、いつの世であれ何処の国であれ饒舌な酔払いの告りは、面白いものだとつくづくおもう、半分くらいは訊いてあげませう、
コノ狂人のツブヤキは不思議と同化納得できるところが多くある、
やっぱり、私は辺見庸のきらいなニッポンジンだからでしょうか、
自動起床装置が自身の裡の積年の愚痴ツブヤキやおもいを、隙間なく改行なしに自動筆記してるみたいな書き振りで、だらだらと時には詩文のように、あるいはブログ日記のように回想と性癖ともども訥々と語るのだ、
おもしろくて引き込まれる笑ちゃいます、
妄想夢幻? いつの間にか、私もわたしのツブヤキを聞きながらあるいているのだった、
あきらかになった暗がりの醜い今世の一々を眺め心に留めながら、ポレポレ、私はわたしと一緒にあるいているのであった、だらだらと訥々と、、
わたしは震災と戦災で妻と子どもらと親たちと犬を喪った、自称ICカード等公的証明書を捨てたコミュ障の喪男である、夜わたしは引き込み線路の枕木のうえをあるいている、粛々と、ゆらゆらと、比較的ほがらかに、訥々と、しみじみと、対象をもたない自動詞として、、あるいているのだ、
わたしがわたし本人である必要性必然性はうすれた、わたしという存在証明不能の公的認証なしに、ポラノンを求めて、とろとろ彷徨する わたし、っという設定?
反社会的暴動参加者たち≒重篤な反社会性人間障害者は、ポラノン系の注射をうたれ凪ぐ、かんたんなことだ、
ポレポレ、単純だがシネマ "カッコーの巣の上で" の怪力のインディアンが浮かんだ、あのシネマの大事を私は見逃していたのかもしれない、ポラノンにはロボトミー手術的効用があるのだろうか?
レビュするのが難しいし面倒だが、モヤモヤした不都合な存在、やさしい絶対的なそれとは気づかない強制作用のあるもの、それが "ポラノン" もうそれなしに現代人は生きてゆけない、
今社会の狂った姿を狂人にまかせて告っているのです、
歩いているらしいうちに、なにやら筋書きのある近未来? とおもえてきたらら、ああやっぱりわたしの俳諧幻想? のようである、っまどっちでもいいや、
わたしはわたしが、そもそもだれがだれやら、生きているのか死んでいるのかわからない、存在のブル、、悲在のめくりかえし、生と死のゆらぎ、往還、生者になりすました死者、とかわたしはいう、
ほんとうにあるいているんだろうか? 独白の夫々は脈絡はなくさしたる意味はない、
わたしは妻の兄篤郎がきらいらしい、羊みたいに平和で魯鈍で茶色い目をした安定的持久的におよそ変化しないまっすぐな糞みたいな好人物はそういるものでない、温厚篤実鈍感誠実が服を着ただけのただのアホ(いるねこういう人...悪い人ではない)、といいつつ わるいのはわたしなのだ、
わたしは迫水が厭で登録難民グループを抜けた、大声で喋り早朝ラジオ体操を愛し鬱陶しいほど世話好きで、おせっかいを焼きながらそれとなく群れを仕切りたがる、無秩序や沈黙...言い淀みをなんとなしに悪いことと決めつけ、委託されているわけでもないのに自銭を切ってそれらを正そうとする、生まれながらの民生委員みたいな(いるねこういう人...悪い人ではない)、でも わるいのはわたしなのだ、
きょうこ、わたしはきょうこと会いたいが性交したいのではない、と老人はいう、恭子.京子ではなく今日子らしいが狂子なのだ、死んでいるらしい、だから会いたいのかもしらん、
わたしは叔父の雪夫が大好きだった、そのつぶやきが語録みたいに道々甦る、、澄みきった世界といふのがいちばんアブナイんだよ、、ひとはだれひとりとしてなりたい色の花には咲けない、、善い樹ほど悪い花を咲かすのだ、、真理を帯びてはじまるものはみな結局のところ不可解なるものとして終わらねばならない、、
あから他人の記憶みたいな馴じみのないケミカル臭をかぎ、憶えのある人が通り過ぎる、
聖カエルム病院のそばに咲く青いコスモスのことを回想しおもう、
叔父はここの患者だった、きょうこも、たぶんわたしも、、
終わりの30頁あたりからコノ狂人が怒濤のように今世を指弾し、しゃべりだす、一々ごもっとも正しいとおもう、、
フラッシュバックを見せられているうちにわたしの顔がヘンミになった、
おもうに、たぶん "ポラノン" は寓薬なのだ、ニッポンジンみんなが、気持ちの良い安心安寧にするところの慣習慣行、「個」を亡失させるところの暗黙強固なシステム、糖衣錠、日夜呑んでいるところの寓薬であるにちがいない、呑んでいることすら気づかない、改悛する酔払いのほうが真面におもえてくる、誰かが云ってたな、狂人と子供はウソをつかないそうだ、
常日頃、間断なく流れるコマーシャルなプロパガンダとかフィルター濾しのNewsを見て、希釈された静かなるアジテーションをいつも真摯に聞いて、オートマにそのまま受け容れる、自ら考えようとはしないことが自動的である輩、、"ポラノン" を服用してんでないかい、
"用意させて頂きます" "欠席させていただきます" といい、あたりまえに "用意します" "欠席します" とは云わない、常にへりくだったフリをしつつアカンベしている人々...そのことすら本人は気付いていない、お前 "ポラノン" 呑んでるな、
見聞は広そうでなんでもよく知っているがタダそれだけのバカ、今の己の状況を理解せず考えようともしない、目の前の柵が見えない不感症者、、"ポラノン" 効果だろね、
あっそう、ソレはあなたが悪いんじゃない、澄いません、わるいのは私なんです、ポレポレ、、
まっ採掘してもあまり意味ないので もう止めます、わかりやすいが何ともいえぬ、、、
本屋さんで山積みされていることはなかったし、話題作? といわれたこともきいていない、
不思議だ、文庫にはなったが、
コピペされた人情話や浅はかな紋切り譚は、書店に広く並び、目に余るのにね、アッハ、
まあぁ無理だろね、プフィ、
私はひとりあるいている、
ポレポレ、、、あ~あ、うつっちゃいました、
ぽれぽれ、、
諦めた狂人の独白は軽くユーモラスだが意味するところ極めて大きい、
若者諸君は共に歩き聞いてやれ、
いや、訊かねばならぬ、忘れてもよいから、
ポラノンPCR検査は未だ承認されていないが、検査すれば、たぶん、アナタは、陽性だとおもうよ、
カミュ「転落」は酒場での改悛した判事が独白したものだった、あるいはトルストイ? だったかな列車に乗り込んできた酔ったオヤジが饒舌に喋り続けるやつ、ほかにも多々あった、、いつの世であれ何処の国であれ饒舌な酔払いの告りは、面白いものだとつくづくおもう、半分くらいは訊いてあげませう、
コノ狂人のツブヤキは不思議と同化納得できるところが多くある、
やっぱり、私は辺見庸のきらいなニッポンジンだからでしょうか、
自動起床装置が自身の裡の積年の愚痴ツブヤキやおもいを、隙間なく改行なしに自動筆記してるみたいな書き振りで、だらだらと時には詩文のように、あるいはブログ日記のように回想と性癖ともども訥々と語るのだ、
おもしろくて引き込まれる笑ちゃいます、
妄想夢幻? いつの間にか、私もわたしのツブヤキを聞きながらあるいているのだった、
あきらかになった暗がりの醜い今世の一々を眺め心に留めながら、ポレポレ、私はわたしと一緒にあるいているのであった、だらだらと訥々と、、
わたしは震災と戦災で妻と子どもらと親たちと犬を喪った、自称ICカード等公的証明書を捨てたコミュ障の喪男である、夜わたしは引き込み線路の枕木のうえをあるいている、粛々と、ゆらゆらと、比較的ほがらかに、訥々と、しみじみと、対象をもたない自動詞として、、あるいているのだ、
わたしがわたし本人である必要性必然性はうすれた、わたしという存在証明不能の公的認証なしに、ポラノンを求めて、とろとろ彷徨する わたし、っという設定?
反社会的暴動参加者たち≒重篤な反社会性人間障害者は、ポラノン系の注射をうたれ凪ぐ、かんたんなことだ、
ポレポレ、単純だがシネマ "カッコーの巣の上で" の怪力のインディアンが浮かんだ、あのシネマの大事を私は見逃していたのかもしれない、ポラノンにはロボトミー手術的効用があるのだろうか?
レビュするのが難しいし面倒だが、モヤモヤした不都合な存在、やさしい絶対的なそれとは気づかない強制作用のあるもの、それが "ポラノン" もうそれなしに現代人は生きてゆけない、
今社会の狂った姿を狂人にまかせて告っているのです、
歩いているらしいうちに、なにやら筋書きのある近未来? とおもえてきたらら、ああやっぱりわたしの俳諧幻想? のようである、っまどっちでもいいや、
わたしはわたしが、そもそもだれがだれやら、生きているのか死んでいるのかわからない、存在のブル、、悲在のめくりかえし、生と死のゆらぎ、往還、生者になりすました死者、とかわたしはいう、
ほんとうにあるいているんだろうか? 独白の夫々は脈絡はなくさしたる意味はない、
わたしは妻の兄篤郎がきらいらしい、羊みたいに平和で魯鈍で茶色い目をした安定的持久的におよそ変化しないまっすぐな糞みたいな好人物はそういるものでない、温厚篤実鈍感誠実が服を着ただけのただのアホ(いるねこういう人...悪い人ではない)、といいつつ わるいのはわたしなのだ、
わたしは迫水が厭で登録難民グループを抜けた、大声で喋り早朝ラジオ体操を愛し鬱陶しいほど世話好きで、おせっかいを焼きながらそれとなく群れを仕切りたがる、無秩序や沈黙...言い淀みをなんとなしに悪いことと決めつけ、委託されているわけでもないのに自銭を切ってそれらを正そうとする、生まれながらの民生委員みたいな(いるねこういう人...悪い人ではない)、でも わるいのはわたしなのだ、
きょうこ、わたしはきょうこと会いたいが性交したいのではない、と老人はいう、恭子.京子ではなく今日子らしいが狂子なのだ、死んでいるらしい、だから会いたいのかもしらん、
わたしは叔父の雪夫が大好きだった、そのつぶやきが語録みたいに道々甦る、、澄みきった世界といふのがいちばんアブナイんだよ、、ひとはだれひとりとしてなりたい色の花には咲けない、、善い樹ほど悪い花を咲かすのだ、、真理を帯びてはじまるものはみな結局のところ不可解なるものとして終わらねばならない、、
あから他人の記憶みたいな馴じみのないケミカル臭をかぎ、憶えのある人が通り過ぎる、
聖カエルム病院のそばに咲く青いコスモスのことを回想しおもう、
叔父はここの患者だった、きょうこも、たぶんわたしも、、
終わりの30頁あたりからコノ狂人が怒濤のように今世を指弾し、しゃべりだす、一々ごもっとも正しいとおもう、、
フラッシュバックを見せられているうちにわたしの顔がヘンミになった、
おもうに、たぶん "ポラノン" は寓薬なのだ、ニッポンジンみんなが、気持ちの良い安心安寧にするところの慣習慣行、「個」を亡失させるところの暗黙強固なシステム、糖衣錠、日夜呑んでいるところの寓薬であるにちがいない、呑んでいることすら気づかない、改悛する酔払いのほうが真面におもえてくる、誰かが云ってたな、狂人と子供はウソをつかないそうだ、
常日頃、間断なく流れるコマーシャルなプロパガンダとかフィルター濾しのNewsを見て、希釈された静かなるアジテーションをいつも真摯に聞いて、オートマにそのまま受け容れる、自ら考えようとはしないことが自動的である輩、、"ポラノン" を服用してんでないかい、
"用意させて頂きます" "欠席させていただきます" といい、あたりまえに "用意します" "欠席します" とは云わない、常にへりくだったフリをしつつアカンベしている人々...そのことすら本人は気付いていない、お前 "ポラノン" 呑んでるな、
見聞は広そうでなんでもよく知っているがタダそれだけのバカ、今の己の状況を理解せず考えようともしない、目の前の柵が見えない不感症者、、"ポラノン" 効果だろね、
あっそう、ソレはあなたが悪いんじゃない、澄いません、わるいのは私なんです、ポレポレ、、
まっ採掘してもあまり意味ないので もう止めます、わかりやすいが何ともいえぬ、、、
本屋さんで山積みされていることはなかったし、話題作? といわれたこともきいていない、
不思議だ、文庫にはなったが、
コピペされた人情話や浅はかな紋切り譚は、書店に広く並び、目に余るのにね、アッハ、
まあぁ無理だろね、プフィ、
私はひとりあるいている、
ポレポレ、、、あ~あ、うつっちゃいました、
ぽれぽれ、、
2013年6月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
快作! 辺見庸ならではの深い思索と哲学に裏づけられた歴史観、
文明観を下敷きにした極上のエンターテイメント。ここに描かれ
ているのは、今の危機的状況に続く近未来の日本。もしくは先の
戦争のあと、ありえたかもしれない現代日本のパラレルワールドか。
主人公のモノローグですすむので、最初はとっつきにくいように感
じるかもしれないが、難民の描写あたりからぐいぐいひきこまれ、
一気に読み切ってしまった。ブラックな笑い満載。ゲラゲラ笑って
読むのが正解だけど、その意味するところに気づくとすーっと背筋
が寒くなる。思うに、これは小説の形をとっているものの、一方では
詩であり、文明論でもある。いや、小説だとか詩だとか評論だとか、
狭いジャンルに押し込めるなんて不可能な全く新しい表現形態。すべ
ての分野で並外れた仕事をなしとげてきた辺見だからこそできた離れ
わざにも思える。ちまちました日本文学の枠など言うに及ばず、とう
にはみだして、そのスケール、内容の深さは世界文学たりえている。
文明観を下敷きにした極上のエンターテイメント。ここに描かれ
ているのは、今の危機的状況に続く近未来の日本。もしくは先の
戦争のあと、ありえたかもしれない現代日本のパラレルワールドか。
主人公のモノローグですすむので、最初はとっつきにくいように感
じるかもしれないが、難民の描写あたりからぐいぐいひきこまれ、
一気に読み切ってしまった。ブラックな笑い満載。ゲラゲラ笑って
読むのが正解だけど、その意味するところに気づくとすーっと背筋
が寒くなる。思うに、これは小説の形をとっているものの、一方では
詩であり、文明論でもある。いや、小説だとか詩だとか評論だとか、
狭いジャンルに押し込めるなんて不可能な全く新しい表現形態。すべ
ての分野で並外れた仕事をなしとげてきた辺見だからこそできた離れ
わざにも思える。ちまちました日本文学の枠など言うに及ばず、とう
にはみだして、そのスケール、内容の深さは世界文学たりえている。
2013年7月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書はトラジコメディの形をかりたニッポン戦後史と現状への大胆かつ高度なプロヴォケーション
にちがいない。あらかじめ周到に仕組まれたこの「最も危険な挑発」に、応じるか無視するかの態度
決定を、読者と評者は否応なくせまられている。いまのところ、プロの評者らは『青い花』を単なる文学上
の事件として文芸批評の枠に封じ込め、仕組まれたプロヴォケーションには見て見ぬふりをきめ
こんでいる。果たしてそれでよいのだろうか。爆笑して本書を閉じて一巻の終わりか。ちがうだろう。
議論はこれからだ。
にちがいない。あらかじめ周到に仕組まれたこの「最も危険な挑発」に、応じるか無視するかの態度
決定を、読者と評者は否応なくせまられている。いまのところ、プロの評者らは『青い花』を単なる文学上
の事件として文芸批評の枠に封じ込め、仕組まれたプロヴォケーションには見て見ぬふりをきめ
こんでいる。果たしてそれでよいのだろうか。爆笑して本書を閉じて一巻の終わりか。ちがうだろう。
議論はこれからだ。
2013年6月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
多分、この小説のすごさを語る言葉なんて存在しないのだと思いつつ書いている。ともかくすごい。想像も記憶も認識もすべてが度はずれていて、男の歩調に合わせて歩くうちに緊迫の現実は過去につながり未来につながり、長く深く恐ろしい旅が最期に向かって進む。途中、過去のおぞましくも哀しい情景が生き返り、思わず一緒に唱えてしまう虚ろな禁断の言葉。同時に、笑って笑って胸の内がすっからかんになる快感。だが、読み終わったら涙していた。男のふるさとへの想い。愛した者たちへの想い。その想いがその者たちをよみがえらせ、読む者の心に宿る。何もかもがぐちゃぐちゃだったあの時代に確かに存在していたあの人たちに会いたい。今、この現実に戻れば、崩壊の日々の渦中。辛くなって、また、この小説の中に舞い戻り読み返す。著者に感謝。