- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784991022197
作品紹介・あらすじ
Patriotism: The Textbook for the Japanese Nation
Takashi Shogimen
『ヨーロッパ政治思想の誕生』(名古屋大学出版会、2013年)でサントリー学芸賞受賞の著者が、中学生からお年寄りまですべての日本人に送る、愛国心をめぐる7つのレッスン。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
2019年今年の1冊(毎日新聞版)に掲載されていたのをきっかけに読んだ1冊。
愛国心について、その歴史的背景もふまえた上で、わかりやすく解説してくれている1冊。
この本にある愛国心についての理解が広まれば、この国でももっと豊かに愛国心(国を愛すること)について多くの人びとがフラットに議論を深めることができるだろうなと思いつつ… -
国家の機能として、サービスプロバイダ、ヤクザ、神社という3つの側面を挙げているのが面白い。
一般向けなので一部端折ってはいるが、古典からの引用もあり、ナショナリズム的パトリオティズム・共和主義的パトリオティズムという2つをうまく対比して分かりやすく説明しているように思う。
数週間(下手すれば数日)の旅行で日本との差分を導出しようとしてしまう「凡庸なナショナリズム」的な空気はたしかにあるような気がしている。
欲を言えば、日本を外から見ることができないような立場の人向けのメッセージも書いてほしかった。例えば、金銭的な余裕がない人や、社会的境遇故にその地域から物理的に離れることができない人の中にも「ナショナリズム的パトリオティズム」を信奉している人は多くいると思う。
この本はそういう人たちのためにこそ読まれるべきものであって、それに値するよう読み易さだと思うので、そこのケアをして欲しかった。
そういった社会的分断を解消することで、やっと共通の議題を共有できる気がするので。 -
最近、愛知トリエンナーレのニュースを見ていて感じた違和感から読んでみる。
「愛国」というときの、ナショナリズムとパトリオティズムの違いについての指摘にはなるほどと思った。
・ナショナリズム→日本の文化や風土
・パトリオティズム→自由を中心とする法・政治制度
日本で「愛国」というときはナショナリズムを指すことが多いが、これは愛国の中の亜流であるそうだ。
何も知らなかったが、最近のニュースの嫌な感じの根っこを掴んだ気がした。 -
N区図書館
-
愛国とはなにか、について様々な面からわかりやすく説明した本である。神社、ヤクザから愛国を説明するということは新しい視点である。さらに、やはり、ということばからも説明している。今までの理論をよく日本の言葉にして説明している。
-
●1890年代になると急に愛国を叫ぶようになる。それは教育勅語が公布されたのと、日清戦争に勝利したこと。
●いろいろな藩の連合体でしか無かった日本を、中央の政府が統一的に支配する国に改造するため、ヨーロッパで行われた国民形式のモデルを参考にした。
●ですから、日本人なら日本に対して愛国心を持つのは自然で当然だ、と言うのは事実として間違っています。明治以降の教育の結果なのです。
●愛国は英語で言うとナショナリズムではなく、パトリオティズム。自然的な祖国と市民的な祖国の2つの意味。キケロが重要だと言うのは市民的な祖国。その一番の敵は暴政となる。
●実は明治の日本が欧米から輸入したとパトリオティズムは、純粋なパトリオティズムではなく、ナショナリズムの影響を受けたパトリオティズムだったのです。
●共和主義的パトリオティズムを説いた代表的存在は、植木枝盛です。自由民権運動の代表者として有名。一方ナショナリズム的パトリオティズムを主張した代表格は福沢諭吉。
●自分が日本に生まれ育ったことに関しては好きも嫌いもない。宿命だから。
●日本の歴史上の汚点ついて触れたり、現在の政権に見られる問題点を指摘する事は、「愛のまなざし」によるものです。これは、長所も欠点も正確に理解します。
●ハーシュマンの忠誠心。国の状態が悪くなると、人々は「離脱」よりも「発言」を選ぶだろう。多くの人々は国を良くするために政権に抗議するだろうと言うわけです。リーダーの言う事に何でも従うのが忠誠心ではない。
●国家が国のために命を捧げる国民を賞賛するのは、国家が正当な暴力を独占(やくざ組織)しているからだけでなく、宗教的な存在(神社)であることに由来していることがわかります。
●「やっぱり」を警戒してください。「やっぱり」を連発する人には簡単に同調せず、疑ってみることが大切です。「やっぱり」をつけることで「自分を疑ってはいけない、この意見には賛成しなければいけないよ」と言っているだけなのですから。
●「日本人だから日本語愛するのは当然だ」は、道徳的根拠になりませんか。それは他の日本人たちに寄りかかった発想です。それは(ナショナリズム的パトリオティズム)の論理です。
-
愛国者とは多くの場合、反体制派に属するものだった。
なぜなら体制側こそが…中略…私欲のために権力を私物化し得る存在だから…。
人間は自分が信じていることをさらに強く信じたいので、その証拠探しには躍起になるが、自分が信じていることが間違っているかもしれないことを証明する証拠には見向きもしない。
自国の歴史の美点ばかりを数え上げるなら、ただの自画自賛であり、誇りの感情が、自国の不正に恥じ入り怒る感情とセットになることで、初めて自分の国をより良くしたいという意欲が生まれ、倫理的に優れたものになる。 -
《自分では選択できない宿命によって苦悩する事態に陥ったとき、初めてその宿命への愛の深さが試されるのです。たかだか生活の便利さや食事ごときで「日本人で良かった」と口にすることは、バカバカしいをはるかに通り越して精神的に弛緩し切った状態と言わざるを得ません》(p.169)
《ナショナリズムは、生まれや文化に根ざしていますが、パトリオティズムは共通善という政治的理想に根ざしているのです》(p.44)
《日本よりも頭の中が広い、ということで、広田先生は三四郎に「日本という狭い世界を乗り越えること」を自覚させようとします。しかし、ここで「日本よりも広い世界よりも頭の中の方が広い」と言えなかったところに、作者・夏目漱石の実感がにじみ出ているのではないでしょうか》(p.132)
《アメリカにパトリオットという名前のミサイルがありますが、これは一つひとつのミサイルが愛国者(パトリオット)なのです。このミサイルにナショナリストという名前がつかなかったのは、ナショナリストには集団を成しているイメージがあって、一つひとつのミサイルの英雄的な力強さを表現できなかったからだと思います》(p.158)