救児の人々 ~ 医療にどこまで求めますか (ロハスメディカル叢書 1)

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  • ロハスメディア
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784990346157

感想・レビュー・書評

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  • 妊娠経過が順調で、お腹の子が元気でも、どんなに生活に気をつけていても、超早産や出産時の事故は起こりうる。
    10年前だと、500gで生まれた子は助からない、が常識だった。今やその常識は覆されている。「命だけは」助かる。そう、「命だけは」。救命された児のうち、全くの健常者として生活できる人の割合は少ない。
    医療技術の進歩は同時に、受け皿が用意されないまま重度の障害児(者)を増やしてしまっている。
    重度の障害児(者)を家庭だけで見ることは相当の困難を要する。しかし、患者と家族を支援するための社会的リソースは整っていないし、世間の目も冷たく厳しいのが現実だ。
    助けられるようにはなった。しかし、助かった命が生きていける社会制度や世間の空気は整っているのか。
    他人事ではない。今元気な人も、事故や病気で重度の障害を負わないとも限らない。いつどのような形でわが身に降りかかってくるか分からないことだ。
    そういう目線で、ぜひ一度読んでほしい一冊です。

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  • 新着図書コーナー展示は、2週間です。通常の配架場所は、3階開架 請求記号:493.95//Ku32

  • 子どもを産む、育てる、ということの重さについて考えさせられました。

  • この1年間私がいたNICUという場所は、とても特殊な場所で、命の誕生はとても素晴らしいけれど、そのことをただ「おめでとう」という言葉だけでは過ごすことができないという意味では、たくさんの人が「負の感情」を処理していかなければならに場所だと思う。お父さんお母さんは予想よりもずっと早い出産に戸惑い、目の前にした我が子の小ささに戸惑い、この子が無事大きくなれるのかという不安や、この子を早く産んでしまったことへの罪悪感とか、そういった負の感情をたくさん抱いていく。仮死の子であれば、鎮静剤で眠っており、手足を動かさない我が子に、成長への不安を拭いきれない。おまけにそのなかで新たに発生する問題ひとつひとつにも、また一喜一憂してかなければならない。医療者たちは、声をあげることが難しく、病状が変化しやすい小さな命に気を張って向き合い、心配な部分と、成長が見られた部分と、両方を親御さん達に伝えていく。お預かりしている命なのだ。

    その1年間の生活のしめくくりのひとつとして、この「救児の人々」を読み返した。この本では新生児仮死で脳性麻痺になった赤ちゃんを持つ親御さんと、新生児医療に関わる産婦人科医と新生児科医と、その後麻痺が残った子たちの在宅医療に向けた準備やレスパイトに関わる神経内科医の生の声が載せられている。

    医療が発達したから、それまでは生きながらえることが難しかった新生児仮死で重い障害が残る子たちが生きられるようになったということは常に議論になる。「それは群が移動しただけだ」というのは網塚医師の語りである。確かに、この本でピックアップされたのは、新生児仮死のお子さんを持つお母さんたちの声だった。その一方で1000g未満で生まれた小さな子供たちであったり、新生児仮死で同じように脳低温療法を受けた赤ちゃんであっても、大きな声で泣いて、いっぱいおっぱいも飲めるようになって帰る子たちもたくさんいる。それを含めてなお、「みんな助けるのか」とは言えないと思う。
    網塚医師が第11章で語られていたように、日本のNICUを見て分かるように、国民皆保険で、どの赤ちゃんも平等に潤沢な医療が施される基盤があるという意味で強い国力が示されている。しかしその実、生んだ後の赤ちゃんのことは親にたくさんのリスクを背負わせている現状がある。そもそも赤ちゃんたちへの医療というのは、前提としてお母さんに付属して、と考えられている現状がある。病院にいる健康な新生児に対しては、それに見合うような適切な医療者の人数配置がなされていない。費用も「分娩代金」の中に少し含まれる程度だ。そんな現状が問題なのに、カンガルーケアやうつぶせ寝をスケープゴートにして、本質的な問題を隠してしまっているというのは大切な指摘だと思う。仮死の赤ちゃんの将来も、結局その親御さんたちが自分の人生を180度変えて一緒に暮らすことにしないとうまく回らないような、そういったリスクを親が背負わせている社会であり、本当の意味で「子供は社会の財産」という仕組みにはなっていない。
    産婦人科学会の会長が「これからは(たらい回し事件のような)少ない事例も助けられる仕組みを作らなければ」とはいうけれど、結局その先は先細りになっているし、ベースの基盤、つまり赤ちゃんの人権やそれを支える親の人権はとてももろい崩れやすい地盤で、それを固めてくれるような社会ではない。(p280, l2;文字通り「砂上の楼閣」って感じでしょうかね。そんな印象を持っています。)実際医療経済の逼迫があるから、そこにまで国が責任を持つことが難しいということであれば、それ以外の人も含めて、医療技術の制限(=線引き)をどこにもっていくかということを議論して、金銭的な配置を考えていかなければならないけれど、正直「医療費が足りないから、NICUの費用は削りましょう」という議論はまったくなされていないのが、現状であるというのも、網塚医師が指摘するところである。前記したように、赤ちゃんたちが「親に付属して」と考えられている社会においては、声をあげられない赤ちゃん達が自分たちを守るためのNICUへの、その先にある小児科への、医療費の配置を訴えることもできず、自分で声が上げられる大人の医療への金銭的配置が優先されやすいというのはあるのかもしれない。
    それが悪いというわけではない。でも限られた費用を国としてどうしていきたいの?未来投資するの?それとも今いる高齢者達を守ってその人達のパワーを活用してくの?という議論をそろそろしなくてはいけないのではないだろうか。
    そもそも、早産になりやすい出産の基盤を作っている社会の現状(高齢出産にならざるをえなかったり、不妊治療をせざるをえなかったり)があるのも問題であって、そこについても社会が子供を大切にしていくのか、今ある経済を支える人材を休ませないで大切にしていくのか、という議論が必要になってくる。

    小阪医師、井合医師は麻痺になった子供達の在宅医療の支援をしたり、レスパイトを引き受けたりする立場の先生方で、その話の中で「急変時にどうするか」という議論の難しさを語っている。「新生児は(中略)まず家族として一緒に生活して自分の子供で可愛いという、そういう思いもまだできていない段階で、大変な状況で。だからその後が大変なんだと思うんですよね。重心施設の子は、家族として生活していて、親と子という関係ができているので、親も自信を持って自分の意見が言えます。」また、在宅医療を引き受けている親御さんたちの苦労に脱帽すること、支援がまだまだ不足している現状を伝えている。

    そこに行き着くのが、新生児医療の結果であろう。やり過ぎもやらなさ過ぎも非倫理的と語る豊島先生の語りには、線引きの難しさと、「親御さんと赤ちゃんの絆が築かれる前に、後遺症などの話を聞かされると、考えやお気持ちが様々になるのは仕方のない部分かなと感じますから」という新生児医療の難しさを語られている。網塚医師も11章で「線引き」の難しさを指摘していて「もはやそれは医療者が独断で決められる域を超えている」と語る。そしてそれに対して、豊島医師は、とにかく現状の不足している部分も含めて正直に語り、共有し、その上で親御さんと選択をされている姿勢が端々に感じられた。

    生命倫理では、新生児に関連する決定については、赤ちゃん自身の「best interest」を追求することを掲げている。しかし、実際には何がbest interestなのかは答えがない。親にとってのbest interestとも言いきれず、でも実際には親がその赤ちゃんの立場になって考えるということが現実だ。しかしそのためには「親御さんと赤ちゃんの絆がまだ築かれる前にある」という状況がことを難しくしている。

    この議論から私が教訓とするのは、NICUに赤ちゃんがいる状況であっても、できるだけ家族が「この子は私の子供なんだ」と感じられるような時間を作っていくお手伝いをすること、その上で現状の難しい部分も可能な部分も正直に共有した上で、赤ちゃんのbest interestを考えていくこと、それがNICUのなかでまずできることだと思う。
    そのうえで、もう一つ重要なのは、在宅医療を支える支援の充実である。今現状それがとてもハードルが高いことである以上、その選択をすることはとても重い決断になる。だから親にとっての「best interest」と赤ちゃんにとっての「best interest」を天秤にかけざるをえないのが現状だと思う。それでは考える方向も自ずと誘導されてしまう。だからこそ柴崎医師は、「病気のお子さんをおうちでみていく仕組みを充実させることが一番大事かな、と思いますけどね。」と語っている。そこに「でもそれはNICUが増えることより難しいと思います。」とも付け加えているが。

    そういった気持ちの変化に関する生の声が、梨花ちゃんのお母さんである高橋麻里子さんと雄二さんだ。
    「自分を救いたいことばっかりなんですよね。」と自分のこと、自分のこと、と語られる言葉に、すごく親近感が沸いた。「電話が鳴ると、病院からの「急変した」という電話じゃないかと、そういう期待もするようになっちゃったんだよ。」という言葉も至極正直だと思った
    そしておふたりはうつ病を煩われ、しばらくは面会をお休みする時期もあったという。
    でも最終的に在宅に戻ってきた梨花ちゃんをお姉ちゃんは「普通の妹だと思っているよ」と。
    途中ソーシャルワーカーの方に麻里子さんが言われたという「障害者の生について否定する人もいるけれど、「自分にふりかかるのと嫌なんでしょ」という言葉もとても響いた。結局議論はその想像力があるかどうかも大切だとは思うし、結局想像できない人が多いという現実なのだと思う。
    そして麻里子さんは、梨花ちゃんの痰の吸引を覚え、そのとき「退院を迫られるかな」という不安も抱えつつそれを覚えて、「この子は私に身を預けているんだ」と感じられたことは大きかったという。そのときお父さんの雄二さんは置いてけぼりにしてしまったという部分はあったけれど、結果一緒に進み始められるようになって、在宅に向かっていった。
    印象的なのは「この子を受け入れるのは、上の子と同じように愛情を持つことだ」という言葉。「女の子は傷を創りたくない、綺麗でありたいんですよね。」自分で動くことができない我が子を前に、そういう感覚を持って接することができるようになるまでに、途方もない時間と、途方もない感情の揺れを経験されたのだろうと想像する。でもそれを乗り越えさせてくれたのは、10ヶ月を寝食共にしたというお母さんの我が子への思いであり、この子への愛情が絶対的に必要だったのだと思う。それを忘れて医療の議論をしてはいけないだろう。

    そして最後、同じように重い障害を持つ我が子をシングルマザーで引き受けた赤石さんは翔太くんに「「私のこと好き?」って聞いてみたいなあ。」と語られていた。お母さん達がお父さん達が、意思表示が難しいこの子たちと会話できるようになる、愛情が示せる、そんな時間をサポートすることを忘れてはいけないのだろう。それがあって初めて、物事は前に進める、そんな気がした。

    私は1年間、上の先生の助けを存分に受けながら、仮死の子とも、小さな600g台で生まれた子とも、その親御さんとも向き合ってきた。中には、生まれて数日のうちに命を落とすことになった赤ちゃんとの出会いもあった。余命が長くない病気を背景に持っている子とも向き合うこととなった。そのなかで、自分でも後悔するような発言や行動があったのは事実だし、もっとうまく立ち回れたのではないかと思うこともあったけれど、何とかここまで走ってきた。幸い医療者は、それほどお金のことに悩まずに、医療を施せる日本の仕組みがある。それでも、その後を支える仕組みの弱さには、確かに閉口してしまう。

  • SundayLABのメンバー熊田梨恵さんの記念すべき初の著書です☆

    2008年に起きた脳内出血の妊婦が8つの病院をたらい回しにされた後、最終的に受け入れられた都立墨東病院の事件をきっかけに
    新生児医療の現場と親御さんの心の訴えをそのまま表現されています。。。

    墨東病院事件をきっかけにNICU(新生児用集中治療室)が増え、命を救われる新生児が増える一方で病院を退院後の福祉の受け皿が少ないっという現状。
    母親は「助からなければよかったのに。。。」と重度の障害をかかえる新生児の育児の苦悩をありのまま取材により表現されています。

    妊婦に関わらず一般の女性に広く読んでいただきたい一冊です☆

  • 新生児医療の厳しく生々しい現実が、当事者へのインタビュー形式で語られていて、迫力を感じる。極めて重い内容だが、今の日本の医療問題を真剣に考えるために、是非一読して皆で考える内容だと思う。今はTVドラマやノンフィクション番組など、医療関係はかなりリアルな内容で描写されているが、現実では比較にならない位重いドラマがある事を改めて実感させられる内容だ。

  • キレイゴトでは済まない医療の現場を、関係者へのインタビューで切り取っている。取材力があるなぁ。

  • 自らが経験しない限り関心を持たない新生児医療およびNICU.それらの問題点(筆者的には限界や矛盾)を扱った好著.ただし,筆者が相手を意識しすぎているためなのか,インタビュー部分は少々不満が残る.同じ事象を見ていても,新生児科医師,重心施設医師,それぞれの母親によって考え方は異なり,答えを出す難しさを痛感する.

  • 必読の書籍。

    周産期、障害児をとりまく親と医療者の率直なルポ。

    子どもを持つということに求められる覚悟。
    意思疎通のない辛さ。
    救い。

    なんとかしたい。

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著者プロフィール

『ロハス・メディカル』論舌委員。2001年大阪府立大学社会福祉学部卒業。NPO法人「パブリックプレス」代表理事、NPO法人「ハート・リング運動」理事、昭和大学医学部客員講師。著書に『救児の人々~医療にどこまで求めますか』、『共震ドクター~阪神、そして東北』(長尾和宏医師との共著)、『胃ろうとシュークリーム』など。

「2018年 『地域包括ケア 看取り方と看取られ方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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