- Amazon.co.jp ・本 (126ページ)
- / ISBN・EAN: 9784915841514
感想・レビュー・書評
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こんな光景を見ているとわたしはいつも
大事なことは大事でないことより大事だなどとは
信じられなくなる
『題はなくてもいい』
原因と結果を
覆って茂る草むらに
誰かが寝そべって
穂を嚙みながら
雲に見とれなければならない
『終わりと始まり』
わたしは解らない、と認識し続けること。それは逆に言い換えてみれば、わたしは考え続ける、ということ。恐らく、今、一番必要なこと。
自分の力ではどうにもならない悲劇に見舞われた時、その衝撃のもたらす痺れから人は中々立ち上がることが出来ない。それは仕方のないことでもあるけれど、思考停止は往々にして更なる悲劇を引き込みかねない。痺れていたとしても考え続けることの大切さは、何も詩人にのみ課せられた責任ではないだろう。
何かをしようとする多くの場合、始まりがあって終わりを予測し行動を起こすけれど、そしてその因果律的展開を頼っているけれど、本当は、終わりから遡って始まりを咀嚼することの方がはるかに大事。雲に見とれなければならない、と未来予想のように語られる風景が今の現実であることを、忘れてはならない。傍には、自らの身体から流れ出る血のつくる血溜まりがあることを忘れてはならない。起きてしまったことは変えられはしないけれど、考え続けることで未来は変えられる。
詩とは究極のアフォリズム。
詩人とは肩書きに縛られない哲学者。 -
ノーベル賞授賞のポーランド詩人。1993年。
これは素晴らしい出会いでした。平明で美しい言葉を前にして、その新しい世界の見方に眼を瞪り、胸が高鳴り、溜め息をつき、いつか来るかもしれないその日を思って涙する。
『熱源』を読んでいて、私たちの隣国のロシアと関わりの深い東欧世界の文学に触れてみたくなり、『世界は文学でできている』で紹介されていて気になっていた本作を手に取ってみました。
解説より
『大きな数』
この地上には四○億の人々
でもわたしの想像力はいままでと同じ
大きな数がうまく扱えない
あいかわらず個々のものに感激する
ずきゅん。これはずきゅん。
全体主義的な普遍性と戦い、個々の人間の個人性を重視するこの志向は、日本の読者にも、特にコロナ禍のいま、響くような気がする。
シンボルスカ氏の詩も沼野氏の解説の文章も、好きです。 -
ポーランドの詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカ。
1996年のノーベル文学賞受賞。
今、まさに読むべき。 -
久しぶりに詩集を読んだ
もともと日本語向けに書かれたものではないからなのか
久しぶりに詩を読んだからなのか
詩を解釈することって難しいと改めて思った
でもなんとなく雰囲気はわかる
それでいいのかもしれない
昔は詩が大好きだったのに
いつのまにか
理解すること わかりやすいこと
を大切にしすぎてしまってきた
と体感した
感じるだけでいいのかもしれない
本編ではない最後に記されていた詩の方が
今のわたしにはスッと入ってきた
平凡な奇跡は
平凡な奇跡がたくさん起こること
ただ見回せばそこにある奇跡は
世界がどこにでもあるということ
なにごとも二度とは起こらない
けっして
だからこそ
人は生まれることにも上達せず
死ぬ経験を積むこともできない -
ポーランド作家さんの詩集
静かで易しい言葉の連なりが心地よく でも 深く凛として
自然と毎日開いては 読み咀嚼
その意図を じわじわと感じていたい
-
優しく、それでいてとても厳しい詩集だった。
シンボルスカははじめて読んだけど、
あまり難解だとは感じずすんなり読めた。
でも、読みやすいからと言って、内容がやさしいわけではない。
言葉に込められた思想はとても深淵で、
きっと一度読んだくらいでは理解できない。
もしかしたら、僕程度では何度読んでも理解できないかもしれない。
それだけ深いものを秘めているように感じた。
また時間をおいて読みたいと思う。
あとシンボルスカの他の詩集も気になってきたので、
機会があったら読んでみよう。 -
地上から鳥の眼で、更に浮上して山の眼で更に、地球を宇宙の眼で視た刹那
一瞬にして地上の人間のという魂の眼
で抉り取る。破壊を、愚かしさを、悲しみを、堪え忍ぶ事を、そして希望を
…。
明確な言葉は真っ直ぐ私の心臓を刺す。私はその尊厳性に頭を垂れずにはいられない。そして静かに視線を合わす。詩人が指す方向へ、現実へと。 -
(2009.03.05読了)
1996年にノーベル文学賞を受賞したポーランドの女性詩人の詩集です。「ノーベル文学賞記念講演」も収録されています。
2月に読んだ、野田正彰氏の本の中で紹介されていたので、読んでみました。
素粒子の本と同様、詩の本というのもよくわからないのですが、わからなさを楽しんでいるのかもしれません。世の中に、分からないもの、理解しがたいものがあるというのは、いいことに違いありません。
18篇の詩が収録されています。文字が大きくてページも少ないので、すぐ読めるのですが、すっと読むだけでは、何も残らないので、もう一度読みました。
詩集というのは、手元に置いて、何度も味わいながら読むものかもしれません。
いくつかの詩の冒頭部分を紹介しておきます。
●終わりと始まり(18頁)
戦争が終わるたびに
誰かが後片付けをしなければならない
何といっても、ひとりでに物事が
それなりに片づいてくれるわけではないのだから
誰かが瓦礫を道端に
押しやらなければならない
死体をいっぱい積んだ
荷車が通れるように
(後略)
●空っぽなアパートの猫(43頁)
死んでしまうなんて 猫に対してすることじゃない
空っぽなアパートに残された
猫は何を始めることになるだろう
壁によじのぼり
家具に体をこすりつける
まるで何も変わっていないようだ
でも変わっている
まるで何も動かされてはいないようだ
でも前より広々としている
もう夜毎ランプが灯ることもない
(後略)
●眺めとの別れ(47頁)
またやって来たからといって
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を
果たしているからといって
春を責めたりはしない
わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと
草の茎が揺れるとしても
それは風に吹かれてのこと
(後略)
詩人 ヴィスワヴァ・シンボルスカ
1923年、ポーランド西部のブニンに生まれた
クラクフのヤギェウォ大学卒業
1945年、詩人としてデビュー
1985年、「橋の上の人々」出版
1993年、「終わりと始まり」出版
1996年、ノーベル文学賞受賞
(2009年3月5日・記)