葬式消滅 お墓も戒名もいらない

著者 :
  • ジー・ビー
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感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784910428192

作品紹介・あらすじ

自然葬、海洋葬を実際に行ない、葬送の自由を進めてきた著者が、現在、そしてこれからの葬儀のカタチを紹介。直葬などの登場でお葬式はますます簡素で小さくなってきたのです。見送る遺族はお骨を持ち帰らないという葬儀もいよいよ出現。高額な戒名も不要、葬式も不要となってきた新しい時代のお見送りの作法や供養の方法などこれからの時代を見据えた情報を宗教学者が教えます。『0葬』、『葬式は要らない』と葬送に変化を与えたヒット本に続く葬送の在り方を考える第三弾が本書です。

感想・レビュー・書評

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  • メモ
    葬式が消滅にむかってきたのも、結局は葬式がもともとビジネスとしてはじまったからではないか。ビジネスとしての価値がなくなれば、それは自然とすたれていくことになる。

    今日の仏教式の葬式は、禅宗の修行道場を維持するために開発されたもの。道元の開いた永平寺では修行のために全国から修行僧が集まるが、その間は食べ物をもらう托鉢にも出られない。南北朝時代から室町時代にかけ曹洞宗は大きく発展した。その修行道場を維持するための経済基盤の確立が求められた。それが儒教の教えを取り入れた、葬式だった。

    悟りを開いた禅僧なら死んだらそのまま埋葬すればよい。だが修行途中で亡くなった僧(亡僧)の場合は、一旦正式な僧侶にしなくてはならない。これは一般の在家信者と同じことで、この亡僧の葬式のやり方を一般の人の葬式のやり方に応用した。・・葬式はもともとビジネスとしてはじまった。

    先進国では宗教が衰退する事態が起こっている。日本における葬式消滅もそうした文脈の中でとらえる必要がある。これからの葬式は家庭葬が基本になると予想する。同居していた、あるいは日常的に関係のあったひと、おそらくは10人程度の人で営む葬儀になるのではないか。そうなるとセレモニーホールも必要ないかもしれない。家庭葬なら火葬場に直行する直葬でも十分ということになる。

    戦前までは寺を継ぐ場合、住職の弟子が継ぐのが一般的。だが戦後になり住職の子供が後を継ぐようになった。ここで寺は住職一家のもの、という感覚が強まり、本来の、「寺は檀家全体のもの」と言いう感覚が薄れて来た。それは檀家が寺を支えているという形ではなくなったことを意味する。檀家が是が非でも寺を支えよう、という気持ちは薄まる。

    長寿の社会になり、死者と同年代の葬儀への出席はほとんどない。葬儀はカジュアルになる。


    2022.6.30初版 図書館

  • 変わるものですね

    しかも急速に

    寺請制度、知らなかった

    檀家は寺の息子の学費まで払っている
    そう言われてみればそうだ

    人それぞれの受け取り方が勿論あるだろうけど

    多くの人に読んでおいて欲しい本だと思い
    星5つ★★★★★

  • 自分が死んだときに、葬式も墓もいらないと思っていたので、すべてに同意。世の中の流れもそのような方向に向かいつつあるという点は、あまり意識してなかったので意外な事実だった。

  • ほんとに、葬式に参列することがなくなった。
    こんなにさっさと変わるんだな。
    葬式も、人づきあいも。

  • 著者も言っているが2010年の「葬式は、要らない」で書かれた世界がこんなにも早くやってくるとは驚きです。
    個人的にはあと30年もすれば多数の参列者を集めるお葬式というカタチはほぼ無くなるんじゃないかなと思います。

  • OPACへのリンク:https://op.lib.kobe-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2002330925【推薦コメント:葬式がなくなるってどういうこと?!いつか迎える「死」のあり方はこの先どう変わっていくのだろうか?】

  • ふむ

  • 歴史的になぜ葬式仏教が生まれたか、流れが分かりやすかった。神道と仏教があるが、そのどちらが重んじるられてきたかは、その時代背景による作られたものであることがわかった。

    仏式の葬儀の元は曹洞宗。江戸幕府が庶民がキリシタンでない事を証明させるために寺に所属させた。(檀家)江戸幕府は、本山を管理すればよく、本山が末社を管理。末社は檀家を管理する。【寺請制度】

    お布施をすることによって、信徒は得を積むことになり、寺は潤う。(近年は僧侶が妻帯するようになったので、家族の生活や子の教育費にもお金がかかるのでお布施も高くなっている。)

    曹洞宗の流れを組んだのが、天台宗、浄土宗、真言宗。

    流れをくまなかったのが浄土真宗、日蓮宗。
    戒名とは言わず法名と言う。

    。。。。。。
    明治政府は神仏一緒だった昔からの流れを変えた。神社と寺を離し、神社の方を優遇した。天皇の直接統治型に変えるため。→尊仏毀釈の流れが生まれた。

    。。。。

    昔から作られてきたこれらの制度が今の日本人の生き方に合わなくなってきている。
    ⚫︎寺と離れ、檀家をやめる動き
    ⚫︎子孫が少なく、墓を管理する人がいないので、墓を持たない動き
    (さらに進むと合葬さえせず、骨を火葬場で処分してもらう動きも考えられる。関東はまだ難しいらしい)

  • 時代の流れといってしまえばそれまでだが、経済が悪化して人付き合いも縮小したら葬式の意味はかなりなくなると思う。必然。前は友人が「親戚の○回忌に参加する」と聞くと日本伝統のイベントっぽくて憧れたものだが、そのうちそういうのも珍しくなるのだろう。

  • 簡素化、消滅へと進む葬式のこれまでとこれからについてエッセイのような感じで解説。
    今のような仏教式の葬式の原型は曹洞宗の葬式で、それは儒教の影響を受け、教団を経済的に支えるというビジネス的な背景のあるものだったということなど、葬式についてこれまで知らなかった知識や最近の流れをいろいろ知ることができた。
    個人的には、高額な戒名や故人と直接関係のない人を大勢呼ぶような大規模な葬式はいかがなものかとは思うが、遺族として気持ちを整理する、故人との別れの場として、従来の仏教式の葬式も悪くないと思っているので、葬式消滅に向かう流れには、一抹の寂しさを感じる。

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著者プロフィール

島田裕巳(しまだ・ひろみ):1953年東京生まれ。宗教学者、作家。東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任し、現在は東京女子大学非常勤講師。現代における日本、世界の宗教現象を幅広くテーマとし、盛んに著述活動を行っている。 著書に、『日本人の神道』『神も仏も大好きな日本人』『京都がなぜいちばんなのか』(ちくま新書)『戦後日本の宗教史――天皇制・祖先崇拝・新宗教』(筑摩選書)『神社崩壊』(新潮新書)『宗教にはなぜ金が集まるのか』(祥伝社新書)『教養としての世界宗教史』(宝島社)『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)等多数あり。

「2023年 『大還暦 人生に年齢の「壁」はない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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