- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784909910011
作品紹介・あらすじ
なぜ日本では「痴漢」という性犯罪が、こんなにも日常化しているのか? そして、「被害」の対で語られるべき「加害」ではなく、なぜ今「冤罪」ばかりが語られるのか? 戦後から現在までの雑誌や新聞記事を分析し、これまで痴漢がどう捉えられ、社会の意識がどうつくられてきたか読み解く、これまでなかった画期的な「痴漢」研究書。前提を共有し、これから解決策を考えていくために必読の一冊。
(主なトピック)
痴漢事件はどれくらい起こっているのか/夏は痴漢が増える、という思い込み/痴漢被害者に求められる「羞恥心」とは?/「痴漢は犯罪です」――は本当か?/女性専用車両は誰のために生まれたか/痴漢が娯楽になっていく過程/痴漢ブームは終わらない/たかが痴漢、されど痴漢冤罪の矛盾/痴漢=性依存というアプローチが注目される理由…etc.
感想・レビュー・書評
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痴漢をめぐる法制度や、メディアで痴漢がどう語られてきたかを解説し、社会の痴漢への意識の変遷について分析した本。引用される過去の週刊誌や新聞、作家たちの文章がどれもひどく、本来は被害者がいる悪質な性加害であるはずなのに、それがあまりに軽んじられていたんだなと思う。けど、たしかに自分が昔読んでいた雑誌とかにも、こういうトーンの記事ってあったよな……。そのときは、あまり自分も問題だと思っていなかったはずで、本著を読むと非常に申し訳ない気持ちになる。しかし、著者はこれを書くために、どれほどこの手の資料を読み込んだんだろうと考えると、それだけでクラクラくるし、使命感に胸を打たれるな。
法制度の変遷や痴漢冤罪に関する考察は、さすが元警察官といったところか。個人的には非常に興味深かった。しかし、これ、なんで痴漢を刑法でしっかり取り締まるようにしないんだろうか。日本の性犯罪についての規定って、どれもバランスが悪い。
今後、痴漢や性被害について考えるとき、この本が前提となるんだと思う。全国民必読なのではないか。 -
とてもいい本でした。著者の熱意が伝わってくる。痴漢行為の動機が猥褻ではなく、女性蔑視だったことに気付かされた。
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被害者不在で仕組みが決められていて、男性側の世論は論理破綻した出版社らによってつくられている。
痴漢、という観点から見た研究ではあるけれど、別の物事を捉えても似たような構造が現れてくるのかもしれない。 -
『痴漢とはなにか――被害と冤罪をめぐる社会学』
著者:牧野 雅子
定価:2400円+税
判型:四六判 並製
頁数:256
装幀:福岡 南央子(wooolen)
発売:2019年11月7日
ISBN: 978-4-909910-01-1
なぜ日本では「痴漢」という性犯罪が、こんなにも日常化しているのか? そして、「被害」の対で語られるべき「加害」ではなく、なぜ今「冤罪」ばかりが語られるのか? 戦後から現在までの雑誌や新聞記事を分析し、これまで痴漢がどう捉えられ、社会の意識がどうつくられてきたかを読みといていく、これまでなかった「痴漢」研究の書。前提を共有し、解決策を考えていくために必読の一冊。
〈https://etcbooks.co.jp/book/chikan/〉
【構成】
痴漢事件はどれくらい起こっているのか/夏は痴漢が増える、という思い込み/痴漢被害者に求められる「羞恥心」とは?/「痴漢は犯罪です」――は本当か?/女性専用車両は誰のために生まれたか/痴漢が娯楽になっていく過程/痴漢ブームは終わらない/たかが痴漢、されど痴漢冤罪の矛盾/痴漢=性依存というアプローチが注目される理由…etc.
【簡易目次】
はじめに
第1部 事件としての痴漢
痴漢事件はどのくらい起こっているのか
痴漢事件はどう捜査される
痴漢を取り締まる条例
第2部 痴漢の社会史〜痴漢はどう語られてきたのか
戦後から1960年代まで〜電車内痴漢という被害
1970年代〜悩まされる女性たち
1980年代〜文化と娯楽としての痴漢
1990年代〜痴漢ブームと取締り
2000年以降〜痴漢冤罪問題と依存症
第3部 痴漢冤罪と女性専用車両
痴漢冤罪ばかりが語られる理由
女性専用車両をどう考えるか -
本書の執筆は、辛い作業だったと「あとがき」に書かれている。
ほんとにそうだろう。痴漢が深刻な性暴力だという認識が生まれてくる以前、それがいかに男たちの気軽な娯楽としか考えられていなかったか、読んでいるだけでも辛くなるのだから。1988年には衝撃的な御堂筋事件が起きていたにもかかわらず、有名作家や週刊誌記者が「通勤時の息抜きだ」「女だって楽しんでいるはず」と放言してはばからないありさまには吐き気がしてくる。痴漢とは、まさに男性中心的な日本の「性文化」だったのだ。
それでもしだいに、痴漢は性暴力の一種であり犯罪であるという認識が生まれてくるとともに、鉄道会社も、女性専用車両の導入や警察との連携に前向きになってきた。
ところが被害者の視点に立った議論は、しっかりと根を張る前に、すぐに激しいバックラッシュにさらされることになる。2000年代に、検挙された被疑者が無罪となる事例が相次ぎ、痴漢冤罪を描いた映画のヒットもあって、まるで痴漢問題=痴漢冤罪問題であり、男性こそが最大の被害者であるかのような風潮がまたたく間に作られてしまった。むろん冤罪は問題だ。だがその責任は警察の捜査にあるはずだし、犯人の取り違えがあったとしても、それは被害がなかったことを意味しない。にもかかわらず、痴漢冤罪をめぐる男たちのファンタジーの中では、「男をはめる女」像が作り上げられていく。かつての「女だって楽しんでいる」ファンタジーと地続きのこの身勝手な想像力が消し去るのは、女性被害者だけでなく、男性被害者も同様である。
「文化としての性暴力」を実態的に明らかにした本書はまた、近年有力になってきている「病としての痴漢」言説にも批判的目を向けている。加害者を病的な他者とするこの解熱もまた、多くの男性たちを、痴漢という性文化の主体的担い手であることから免罪し、自らを楽々と被害者の位置に置くことを許しているのだ。
この差別的文化の根は深い。それを正すにはやはり、女性男性を問わずすべての人の基本的権利の一部としての性的権利を侵すものとして痴漢を含む性暴力を位置付ける対抗文化を創り出していくしかないのだろうと思う。 -
女性学の本だったのね。
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非常に有用な本だった。
特に為になると思ったポイントは以下。
・【痴漢の統計について。痴漢の見えにくさ】
痴漢検挙の罪名は強制わいせつか迷防条例違反。多くは迷防条例違反の検挙となるが、これは刑法犯認知件数には含まれない。
一方条例違反は、相談件数は統計として存在せず、あるのは検挙件数のみ。したがって、相談されないがゆえの暗数が多いだけでなく相談件数の実態すら明らかにならない。
・【迷防条例違反の構成要件】
条例では、卑猥な言動によって「羞恥させること」と記されている。したがって警察も被害者の供述調書をとる時、「恥ずかしいと思った」旨のことを話させようとする。
この要件がある為、小さい子供など「羞恥する能力がない」と見なされる者にはこの要件が適用されず、いっしょにいる親などが被害者として扱われることがある。
このような「間接的な被害者」が想定されていることからは、条例は痴漢被害を、個人の性的自由の侵害行為ではなく公的空間の性的秩序を乱すものとみなしているのでは?
→実態を把握していなさすぎておかしい。痴漢されたら、恥ずかしくなるんじゃなくて、気持ち悪いという嫌悪感と怒りが生じる。
・【痴漢冤罪の語られ方】
2000年代に無罪判決が相次いだことによる。
大抵は被疑者の人違いによるものとみられる(?)
これにより、「多くの男性は痴漢なんかしないのに、勝手に犯人に仕立て上げられて男性が痴漢の「被害者」である」かのような語られ方がされるようになってしまう。
それまでの言説では、「男は性欲があり誰でも痴漢になりうる」という語りを男性自身がしていたにもかかわらず。
→筆者は「痴漢冤罪は警察や検察の捜査訴追の杜撰さの問題である」「映画『それでもぼくはやってない』は日本の司法や刑事手続の問題として描かれたものだが」としている。
捜査がどのようにずさんで、刑事・司法手続のどんな点に問題があるのか、具体的に知りたい。
捜査側からすれば、確かに痴漢の立証は難しそうにも思えるため。