- Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
- / ISBN・EAN: 9784909658166
作品紹介・あらすじ
古典否定派・肯定派の本物の研究者があつまって論戦に挑んだ、2019年1月の伝説のシンポジウム「古典は本当に必要なのか」の完全再現+仕掛け人による総括。古典不要論を考える際の基本図書となった本書を、これから各所で真剣な議論が一つでも多くされていくことを祈りながら刊行します。
2015年のいわゆる文系学部廃止報道以来、人文学や文学、古典の危機について論じる会合は少なからず開催されて来たましたが、編者は疑問を持っていました。それらはすべて身内の怪気炎にすぎなかったのではないか。本当にインパクトのある議論をするためには、反対派と対峙しないまま、必要論だけを語っていてはダメだ…本物の反対派を招聘し開催せねば。そこで開催されたのが、2019年1月のシンポジウム「古典は本当に必要なのか」です。登壇者は、【否定派】猿倉信彦・前田賢一【肯定派】渡部泰明・福田安典【司会】飯倉洋一の各氏です。
このシンポジウムは、インターネットでも中継され、使われたハッシュタグ「#古典は本当に必要なのか」は、センセーショナルでもあったため、シンポを離れトレンド入りし、多くの人がこのタグで、自らの古典観を語ることとなりました。
このシンポジウムで否定派が張った論陣はどのようなものだったのか。これに対して古典の研究者や中高の国語教員はどう反論したのか。その議論から浮かび上がった問題は何だったのか。本書はその様子を再現したうえで、当日のアンケート、インターネットによるコメント投稿を収録し、登壇者のあとがきを加え、最後に編者自身の総括「古典に何が突きつけられたのか」(3万2千字)を収録します。本書全体で、より深い議論への橋渡しにしようとするものです。人文学や文学、古典の危機について考えていく際の必読書にはからずもなっています。
【このシンポジウムを一書にまとめたいま、筆者が望むことは二つある。
第1に、「古典は本当に必要なのか」という問いに対して、それぞれが独自の回答を考えていただきたい、ということだ。筆者が提示したのは、一つの案でしかない。できれば登壇者のようなキャリア半ばをすぎた人々ではなく、20〜30代のこれからを担う世代にこそ、真剣に考えてほしい。この世代は、「世も末だな」と嘆くだけで済まない。放っておけば先細りが確実な古典の担い手として、実際に世の中を動かさなければならないのだから。
第2に、古典不要派、文学不要派と対峙する試みが、このあとも別の場所で開催されてほしい、ということだ。今回登壇いただいた否定派の方々は、決して特異な少数派ではない。サイレントマジョリティは、われわれが考えるよりはるかに多いのである。もちろん、登壇し、名前と顔とをさらして堂々と意見を述べてくださる否定派を探すことは、大変難しいだろう。しかし、それがもう一度叶えば、議論はまた別の深まりを見せるにちがいない。】…あとがきより
感想・レビュー・書評
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2023/6/4
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東京大学OPACで、条件に「文学」と入力して電子ブックを検索すると表示される書名の中で、本書のタイトルは一際目立つ。中身もタイトルと同じくらいユニークで、古典教育の必要性を否定する極端な主張もしっかりと収録されている。本書では高等学校における古典とその他の科目の比較が重要な論点になっているため、本書の議論で扱われている範囲は広く、なかなか興味深い。
多くの東大生は、古典に特別関心があったかどうかにかかわらず、大学入学までにそれなりに古典学習に力を入れてきただろうし、高等学校までの課程で受けてきた授業の記憶も新しいと思う。本書を読むと色々と思うところがあるのではないか(他の東大生に本書を読んだ感想を聞いてみたい)。個人的には、納得がいく主張もあれば、必ずしも納得できるわけではない主張もあり、特に否定派の意見には引っかかりや疑問を感じることもあった。しかし、様々な立場の論者の意見に触れ、自分がその意見に賛同できるかどうか、それはなぜかを考える中で、自然と自分の価値観がどのようなものかがなんとなくわかってきたように思えた。興味本位で読み始めた本書の古典や教育というテーマから、今の自分自身にとって大切だと思えるものは何かということを考えられたのは、思わぬ収穫だった。文系・理系などを問わず様々な学生に本書を読んでみてほしいと思う。
(文科Ⅰ類・1年)
【学内URL】
https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000084912
【学外からの利用方法】
https://www.lib.u-tokyo.ac.jp/ja/library/literacy/user-guide/campus/offcampus -
2019年1月14日に明星大学で行われたシンポジウム「古典は本当に必要なのか」の記録集。当日檀上で行われた議論(Part1.第1-2部)に、アンケートやSNSでの反応(Part1. 第3部)、コーディネーターの勝又基氏による考察(Part.2)を追加したもの。元のシンポジウムの動画は[ https://www.youtube.com/watch?v=_P6Yx5rp9IU ]
既に動画を見ていたので、本書の半分はおさらい。第3部以降が特に興味深かった。議論の中で引っかかったものの、その場で深く取り上げられなかった指摘や、自分でうまく言語化できなかった点の多くがPart.2で挙げられているのが有難い。
おさらいで気づいた点
・そういえばパネラー、司会すべて男性。動画では、聴衆からの発言も男性が多かった気がする。
・各氏の論点
猿倉氏:高校では論理国語を重視すべき。古典はポリコレの面で有害。
前田氏:現代文で教えればよい。リテラシーと芸術の峻別。
渡部氏:自由な着想をもたらす効果。仕事にも貢献。
福田氏:文系/理系の知はかつて一体だった。古典文化への姿勢が国際交流に影響。
・「議論」としては、賛成派が不利と感じた。これはp194の勝又氏論考でも指摘されているとおり。
・個人的には、渡部氏の発表に特に歯痒さがあった。しばしば核心をつく視点が提示され、真っ向から反論する足がかりになりそうなのに、そこで韜晦してしまう。もっとも「モヤモヤ」を残すことにより聴き手を奮い立たせる効果は確かにある。
質疑、アンケート、SNSの反応で印象的な点と、思ったこと
・かみ合わない議論を同じ物差しで考えるための「幸福」というキーワード提示(p97)。一瞬納得したものの、それを測るのが難しい。p100で猿倉氏が提唱する教育の最適化、そのための評価とも関わる。評価のスパンを当事者(現在)/当人が社会に出た頃(10年後?)/職業人生後半(30年後?)/人生の終盤(50年後?)/次世代…のいずれに置くか。また計測は客観的指標によらざるを得ないが、主観的指標を無視して「幸福」を論じることに意味があるか。
・大学進学しない高校生が40%いるという指摘(p108)と、上位層の引き上げだけを目指すゆとり教育の問題点の指摘(p120)。
・「中世以前の古典は信仰なのです。宗教と無縁の古典は無いのです(p125、渡部)」:教育の中で信仰をいかに扱うか?シンポジウムでは発展しなかったが、避けて通れない指摘。信仰とポリコレは相性が悪い。だからといって触れないのではなく、いかに折り合いをつけていくか。これは別に日本だけの話でもなく、現代科学の最先端においても、聖書の考え方と折り合いをつけるために思想的コストが払われている。
・p154-155:そもそも古典の読解自体が、本来は客観的調査に基づく論証の営みであったのでは?という指摘。これは蒙を開かれた思い。
・p180-181:国語教育の現状に対しての認識が古いままに議論が行われているという指摘。確かにテーマへの賛否に関わらず、「自分が高校生だった時の体験」が持ち出されるのは、何十年も前の1件のサンプルを論拠にしている訳で、言われてみればおかしな話。
・芸術とリテラシーを峻別することは可能なのか? -
高校教育に古典は必要なのか、芸術の一種として選択科目じゃいかんのか。簡単には答えは出ないけど、いろいろ考えさせられる。
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一時間で読めた。口頭の議論だから当然というか、いろいろ難しいところもあるようで、文字ベースでやってほしい。
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シンポの内容云々よりも、勝又氏の文章がいいとこどり感満載でいい。要するに、「Part2」がおもろい。
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明星大学で開催された伝説のシンポジウム「古典は本当に必要なのか」のテープ起こしをベースに書かれた本.ハッシュタグ #古典は本当に必要なのか が Twitter でトレンド入りしたもの.
古典に対して,否定論者と肯定論者が2名ずつ議論したあとで,会場の参加者も巻き込んでパネルディスカッションに.ネット経由の意見やアンケートも紹介されている.
最後に,企画者の勝又先生の肯定側からのまとめで結ばれている.