保守と立憲 世界によって私が変えられないために

著者 :
  • スタンド・ブックス
4.00
  • (10)
  • (10)
  • (8)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 206
感想 : 19
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784909048028

作品紹介・あらすじ

『「リベラル保守」宣言』の中島岳志最新評論集。枝野幸男・立憲民主党代表との緊急対談収録!

保守こそリベラル。なぜ立憲主義なのか。
「リベラル保守」を掲げる政治思想家が示す、右対左ではない、改憲か護憲かではない、二元論を乗り越える新しい世の中の見取り図。これからの私たちの生き方。
柳田国男、柳宗悦、河上徹太郎、小林秀雄、竹内好、福田恆存、鶴見俊輔、吉本隆明らの思想=態度を受け継ぐ。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 執筆当時のタイムリーネタが多く2024年現在では古く感じたが、他の本でも書いてる政治家のスタンスを四分割して理解しやすくする手法は好き。
    一般に先人の叡智を利用している現状を表すのに巨人の肩の上という表現を使うがこの本ではストレートに「死者」という言葉を使う。独裁国家や安倍晋三元首相(今は死者)を例に今を生きる政治家が過去の叡智を無視してやりたいようにやることへの批判。また、憲法は死者たちが過去の経験を基に作り上げてきたもので、変えていく必要はあるものの変化は漸進的であるべきと語る。

  • 保守と立憲 中島岳志

    昨年、『リベラル保守宣言』を読んでから、中島先生の本を読み漁っている。共著である『利他とは何か』と含めると、本書は8冊目にあたる。中島先生の言う、保守思想というものは非常に納得感がある。本書でも、その他の書籍と同様に、保守主義について、「人間の無謬性への懐疑主義的な人間観」と定義する。人間は道徳的にも能力的にも不完全であり、罪や悪から完全に開放されることはない。そのため、完全な社会等作りえない。そのため、保守は理性の外科医を理性的に把握する。理性はいかなる時代においても無謬の存在ではない。人はいかに合理的に行動しようとしても、過ちや失敗を繰り返す。社会は想定外のことが起こり続ける。保守は理性ではなく、歴史の風雪に耐えてきた伝統や慣習を重視する。
    しかし、それは伝統や過去を美化し、絶対視する懐古主義ではない。そして、同時に、当たり前であるが未来を絶対視する進歩主義でもない。保守は、人間が作り出すものへの絶対視を排し、永遠の相対的優位や、微調整を試みる。微調整とあるからには、保守するための改革は肯定する。

    このような思想に裏打ちされた社会像、政治思想はどんなものか。まず、社会像で言えば、想定外のことが起こり続ける=リスクについては、社会で包摂するという指針となる。リスクを社会化し、仮に格差があれば政府の再分配に基づき、セーフティネットを充実させる。社会に安心感を広め、秩序を安定させることによって活力ある社会を構築する。しかし、そのような社会の実現には、強固な国家を希求しない。共産主義は、リスクの社会化や富の再配分を、一党独裁により実現を図る。しかし、一党独裁には、人間はかならず過ちを犯すという懸念がないシステムである。さらには、独裁的国家により、国民に強制するようなパターナルな方向づけも拒否する。他者への寛容をベースに社会の漸進的改革を目指す。

    やや後半、政治思想よりとなってしまったが、保守の政治的な実現に関しては、本書では立憲主義が有用であると紹介されている。なぜ、立憲主義は保守と相性が良いのか。それは、立憲主義とは死者の声の現代政治への反映だからである。ここは補足が必要であるから、詳述すると、保守が人間の無謬性に依拠していることは先述の通りであるが、政治的な合議の場合、民主主義の形で決めるには、少数者へのリスペクトが欠かせない。オルテガ・イ・ガセットは『大衆の反逆』にて、民主主義とは、弱いてこと共存すること、多数者による圧政からの決別であると述べている。なぜなら、多数だから正しいとするルールにもやはり人間の無謬性が抜け落ちているからである。保守であればこそ、民主主義による急進的な改革を諫め、異なる意見を持つ多くの人々への敬意を促す。そして、そのような異なる意見を持つ人々を、空間的のみならず時間的な広がりにて再定義したものが、伝統や慣習を加味したで死者との対話であり、その総和である憲法と共に政治を進める立憲主義なのである。立憲主義とは、今を生きているというだけの生者
    の傲慢な寡頭政治を抑制し、死者との対話をも考慮した政治形態である。

    人間はいかに頭がよく、道徳的で、理性的でも無謬ではない。そのような人間観に基づき、死者をも含めた合議により社会を運営する強い意志を持つべきである。なぜなら、人間は無謬ではないからこそ、より多くの裾野を作り、いざ進むべき方向が誤ってしまった場合に、より戻しの余地を作る必要があるからである。
    J・S・ミルの『自由論』でも、人々への自由に対して寛容となることは、社会的な延命の手段であると述べている。頭の良い誰かに政治や社会のかじ取りを任せておけばよいという思想は、任せられた人々がいざ誤ってしまった際に、そのより戻しの余地を無くしてしまう危険性がある。

    ここまで読んで、非常に私として腹落ちするところがあるのは、おそらく日ごろ企業のリスクマネジメントや保険に携わっているからなのだろうとも思う。
    企業にしても、収益を追求すれば、組織を合理化し、資本を集中投下する「選択と集中」が求められる。しかし、「選択と集中」は企業に「負けしろ」と残さない。市場環境や、はたまた自然災害等の現象へのリスク耐性を失わせる。株主であれば、いかに収益性の高い企業でも、リスクへのレジリエンスがない場合には、投資ではなく投機となってしまう。
    企業は、収益を最大化させるための意思決定と同時に、その意思決定に紐づくリスクを認識し、可能であれば定量化し、さらにはそのリスクを減らすための取り組みをするべきである。それは、収益を最大化させるという意思決定に潜在する危険性を少しでも減らすための、ある種保守的な立ち回りである。
    顧客の意思決定を支援しつつ、その意思決定のダウンサイドリスクを吟味し、最小化する提案をする。これがリスクマネジメントであると定義するならば、やはり非常に保守思想とは相性が良いものであろう。
    私自身、リスクマネジメントや保険制度は、自己中心的で利己的な人間にリスク耐性をもたらすための、集団的叡智であると考えている。
    人事戦略においても、保守思想はヒントをもたらす。報酬制度や等級制度、さらに報酬の中での福利厚生制度もあるが、それらを単一の価値観や能力主義に偏らせることは、同時にリスクでもある。近年、叫ばれているダイバーシティ&インクルージョンとは、単一の価値観や発想に企業全体が傾くことを諫める保守的な思想であるとともに、企業が延命するための叡智である。
    無論、企業は社会全般とは違い、新陳代謝も必要である。無駄な延命措置をすることは、それはそれはで社会への悪影響もあるし、リスクを省みない先鋭化したサービスが無鉄砲に市場を作ることもある。しかしながら、一定規模の企業群には社会的な責任が求められるとすれば、継続的に収益を確保し続けるためにリスクマネジメントやダイバーシティが不可欠である。
    私は企業人であるが、現代と過去との対話のマインドを持ち、自らを含む人間の無謬性を意識し、大局的視座で企業行動を変える支援ができるリベラル保守のビジネスマンでありたいと、改めて思う本書であった。

  • 保守とは何か、という点が極めて分かりやすく痛快に論じられている。

    リベラルと保守を対立構造で理解しがちだが、リベラルの対義語はパターナル(父性的)である。そのため、左が革新(リベラル)で右が保守という認識の仕方は改めた方が良いだろう。

    保守という政治的立ち位置とは何か、という観点から日本の政治を観察する姿勢を学べる。

  • 保守とパターナル、リスクの個人化/社会化で見る政治の姿勢。
    確かに論点は多様化し、個別政策の差は大きくないかもしれないが、優先順位、手順に違いが現れるものか。

    ・特定の時代・時間に制約され、能力的限界に規定されているという謙虚で積極的な「諦念」を持つこと

    ・歴史の風雪に耐えてきた伝統・慣習・良識を頼りとしがら、永遠の微修正を続けていく

    ・中庸とは、二つの激烈な感情の静かな衝突

  • 保守こそリベラルであれという作者の主張は「リベラル保守宣言」という同著者の本の内容とも一致しているので真新しいことはなかった。立憲民主党の枝野氏との対談が入っているが分量が少し短い。また吉本隆明や鶴見俊輔といった思想家についての自身の思いは面白く読ませてもらった。詳細→
    http://takeshi3017.chu.jp/file8/naiyou23204.html

  • 「リベラル」の対義語って「保守」じゃないよな。って思っってて、この本の中で「リベラル」に対して「パターナル」って言葉が出てきて、これはしっくり来た。

    改めて保守とリベラルは対立しないことを認識できた。実際、かつての宏池会はリベラルで保守だったと思うし。

    あと、保守による改革は、永遠の微調整というのも「なるほど」と思わせてくた。

  • 東2法経図・6F開架:311.4A/N34h//K

  • 安倍首相が立憲主義を壊そうとしているという危機感が溢れる文章が多い中で、オルテガ、マンハイム、福田恆存、吉本隆明などの説明が出てきたり…。保守とはリベラル、それは安倍政権、ネオコン政権や共産主義政権、ヒトラーのファシズム政権のパターナルな決断主義との対極にある!保守にとって重要なのは死者の立憲主義であるとの著者の主張はよく分かるものの、死者を強調しすぎることには少し違和感がないでもなかった。しかしほぼ主張が快い。著者の枝野幸男氏の「リベラルな現実主義」との評価に極めて深い絆・信頼を感じさせられた。そして存在しない抗議に怯え、自主規制を繰り返す。忖度もそうだ。こうして自由が失われてしまっていっている現実!
    印象に残った言葉を引用する。浅田真央が亡くなったお母さんに何と報告するかと問われた時、「一番近くにいる感じがしたので、何も報告しなくてもわかってくれると思います」深い味わいのある言葉だ。福田恆存「人間・この劇的なるもの」から「私たちが真に求めているものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起こるべくして起っているということだ。そしてその中に登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしているという実感だ。何をしてもよく、なんでもできる状態など、私たちは欲してはいない。ある役を演じなければならず、その役を投げれば、他に支障が生じ、時間が停滞する。ほしいのは、そういう実感だ。」

  • 社会

  •  中島岳志著『保守と立憲――世界によって私が変えられないために』(スタンド・ブックス/1944円)読了。
     ほかに、大著『アジア主義』(潮文庫)の数章も拾い読み。仕事の資料として。

     過去数年間にさまざまなメディアに寄せた政治時評的文章を集めたもの(一部書き下ろし)。
     安倍首相再登板後の数年間と重なる時期に書かれたものだから、安倍政権批判の文章も多いのだが、保守主義者としての目線から書かれているので、一部サヨクによるエキセントリックな安倍批判よりはずっと読みやすい。

     左翼の人たちがリベラルを名乗るようになってから生じている「ねじれ」をていねいに解きほぐし、本来は「保守こそリベラル」なのだという解説が、わかりやすくて素晴らしい。

全19件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1975年大阪生まれ。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。北海道大学大学院准教授を経て、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。2005年、『中村屋のボース』で大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞受賞。著書に『思いがけず利他』『パール判事』『朝日平吾の鬱屈』『保守のヒント』『秋葉原事件』『「リベラル保守」宣言』『血盟団事件』『岩波茂雄』『アジア主義』『保守と立憲』『親鸞と日本主義』、共著に『料理と利他』『現代の超克』などがある。

「2022年 『ええかげん論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

中島岳志の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
劉 慈欣
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×