ズボンをはいた雲 (マヤコフスキー叢書)

制作 : 入沢 康夫 
  • 土曜社
4.35
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感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (96ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784907511012

感想・レビュー・書評

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  • 新しい会社で仲良くなった人は、
    新聞や雑誌を読むのも仕事のうち、と言う仕事をしていて、

    そして、そのお仕事をこなしつつ、
    変な記事やなんかを見つけると
    通りすがりに渡して来たり、
    メールに添付して送ってきたり、
    私の机にポッチリと置いておいたりする。

    そしてこの間、
    「いまだかつて見たこともない傲慢な発言をする人を
    見つけたので、あとはお任せします」
    と言って渡された、この本の紹介。

    「ぼくの精神には一筋の白髪もないし、
    年寄りにありがちな優しさもない!
    声の力で世界を完膚なきまで破壊して、
    ぼくは進む、美男子で
    二十二歳」

    …………、…………。

    となったのだけど、
    気になって、気になって、気になって…、

    そしていつの間にかBBの本屋さんでみつけ、
    家に連れて来ました(お会計済)

    「恋するぼくはもういちど博打を打ちに行こう、
    眉の曲線を炎で照らしながら。
    かまうもんか!
    焼けおちた家にだって
    時には宿なしの浮浪者が住むだろう!」

    「よくもあなたはみずから詩人と称し、
    鶉みたいに月並みに囀る!
    しなければならないのは
    棍棒による
    頭蓋の中の世界の裁断だ!」

    「どけ!  痛え!
    見ろ、婦人帽のピンが
    目に突き刺さってる!」

    とまあ、一事が万事こんな調子でございます。

    後書きその他で勉強したところによると、
    とにかく悲劇的で波乱万丈な人生だった、とのこと。

    確かにこの作風で、
    毎日美味しいものたくさん食べて、
    お風呂の後、ふかふかのお布団で寝ていたら、嫌だな。

    そして、それでも、ちゃんと理解出来ているかもなにもかも
    不明だけれど、

    折々に引っ張り出しては鑑賞している、と言う不思議。

  • 読了

    「きみらが考えること、
    ふやけた脳味噌でぼんやり考えること、
    、、、
    飽きるまで罵り蹴ってやる」
    「僕の精神には一筋の白髪もない」
    「おれはからだぜんたいが肉でできていて、
    からだぜんたいが人間なんだ」

    ビンビンやねぇ

  • マヤコフスキーの言葉は、社会とか神とか歴史とか、その他の概念に対して、対峙していく感覚だったり、見下すような瞬間もあった気がしていて、そういった感覚からは迫力を感じた。言葉のセンスも多様で良いなぁ・・・!

  • 若くて苦しい恥ずかしくなるくらい尖ってキラキラした感覚。この時代この場所に生きていたからこそ、この感覚を保てたのか。

    ぼくの精神には一筋の白髪もないし、年寄り臭い優しさもない!世界を声の力で撃ち砕き、僕は進む、美男子で、二十二歳。

    恥ずかしく、美しい。

  • ヴラジーミル・マヤコフスキーの詩を初体験。
    これはヤバい。そりゃかっこよかっただろう。
    腹から力任せに引き摺りだしてきた不遜な言葉達。
    4章から成る、若く、自信満々のマヤコフスキーの大声の啖呵(アジ)が聴こえる。尖っていて重く、軽々として翳があり、輝いて、突っ走っている。ニヒルに笑っている。擬人化表現が面白い。

    きみらの愛を「1章」
    きみらの芸術を「2章」
    きみらの機構を「3章」
    きみらの宗教を「4章」
    倒せ

    ペーパーバックサイズの簡素で美しい本。

  • 溢れ出る言葉とイマジネーション!

  • 戦乱の中を駆け巡った叫びを閉じ込めた長編詩。脳内に声を響かせて、想像できるめいっぱいの高らかな声で詩を味わってください。恐怖と不安と安寧が立ち代わり現れるこの詩にきっと引き込まれていきます。
    (LA学群卒:湯けむり山荘)

  • 小笠原豊樹訳。

  • 抜群のつかみ

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著者プロフィール

ロシア未来派の詩人。1893年、グルジアのバグダジ村に生まれる。1906年、父親が急死し、母親・姉2人とモスクワへ引っ越す。非合法のロシア社会民主労働党(RSDRP)に入党し逮捕3回、のべ11か月間の獄中で詩作を始める。10年釈放、モスクワの美術学校に入学。12年、上級生ダヴィド・ブルリュックらと未来派アンソロジー『社会の趣味を殴る』のマニフェストに参加。14年、第一次世界大戦が勃発し、義勇兵に志願するも、結局ペトログラード陸軍自動車学校の設計士として徴用。戦中に長篇詩『ズボンをはいた雲』『背骨のフルート』を完成させる。17年の十月革命を熱狂的に支持し、内戦の戦況を伝えるプラカードを多数制作する。24年、レーニン死去をうけ、長編哀歌『ヴラジーミル・イリイチ・レーニン』を捧ぐ。25年、世界一周の旅に出るも、パリのホテルで旅費を失い、北米を旅し帰国。スターリン政権に失望を深め、『南京虫』『風呂』で全体主義体制を風刺する。30年4月14日、モスクワ市内の仕事部屋で謎の死を遂げる。翌日プラウダ紙が「これでいわゆる《一巻の終り》/愛のボートは粉々だ、くらしと正面衝突して」との「遺書」を掲載した。

「2014年 『ズボンをはいた雲』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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