テーマパーク化する地球 (ゲンロン叢書)

著者 :
  • 株式会社ゲンロン
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感想 : 17
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  • Amazon.co.jp ・本 (408ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784907188313

作品紹介・あらすじ

哲学し、対話し、経営する
悩める批評家の軌跡
ぼくたちは、
人間であり続けるために、
等価交換の外部を
いつも必要としている

批評家として、哲学者として、そして経営者として、独自の思索と実践を積み重ねてきた東浩紀。その震災以降の原稿から47のテクストを選び出し、「世界のテーマパーク化」「慰霊と記憶」「批評の役割」を軸に配列した評論集。世界がテーマパーク化する〈しかない〉時代に、人間が人間であることはいかにして可能か。平成を代表した批評家が投げかける、令和時代の新しい航海図。

感想・レビュー・書評

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  • ブクログさんの好意がなければ出会っていなかった本。東浩紀さんの本は『存在論的、郵便的』『動物化するポストモダン』で読んでいた。しかし、大学人でなく、在野の人間として活躍されていることに心動かされた。

    第五部は特に響いた。資本主義を越えるものとして、誤配という、おそらくデリダのアイデアを元にしているものだろうが、それが呈示されていた。資本主義は労働力を一つの価値として、一元的に等価交換されるものだった。それを偶然性によるサプライズという形で、置き換え可能でないものとして、チャレンジしている。

    私の記憶するに、茂木健一郎さんの『クオリアと人工意識』では、医者のスペシャリスト、数学のスペシャリスト、家事のスペシャリストを一つにしてしまえば、[大きな私たち]が出来上がり、素晴らしい知性が作られるということを引用していた。そして、それは全体主義の気配を感じる。

    スペシャリストは比較的に置き換え可能でないが、[大きな私たち]には置き換え可能だ。

    話がまとまらなくなったが、私にとって全体主義は悪であるのは認めるけれども、資本主義がいいかというと、悩ましい。そもそも自由だって限定的な自由の方が都合がいいし、そこそこ平和に暮らせて美味しいご飯が食べられて楽しみがあったら、十分ではないか?それに飽きたら観光旅行して勉強になったな、とか。ずいぶん落ちこぼれてしまったけど、そんなざまです。四十を前にして。

  • 東浩紀の震災以降の48の評論集。
    観光体験をもとに哲学的ヒントを見つける草稿的エッセイ、原発と慰霊、対談、ゼロ年代の批評、作品批評や他作家の文庫に寄せた解説、資本主義の中のゲンロンの立ち位置など、様々な条件と時期が一冊にまとめられた、まさに誤配集。特に宮崎裕助と東浩紀デリダ論と批評についてのインタビューが、東浩紀の本質に迫る感じがしていて面白い。
    第1章では、個々の観光体験から哲学的ヒントを得る。ソ連の原発や宇宙開発が無理をした人間の痕跡としての装置の宗教的崇高と、対照的なフロリダの豪華客船の虚構がテーマパークしたハイチ諸島旅行を挙げている。
    第2章では、テーマパーク化への抵抗、残余として、国内の問題を挙げている。福島第1原発について、日本では、復興は忘却と一つになっている。慰霊は忠魂の毒抜き、脱政治化である。
    第3章では、批評とは何か、哲学とは何かについての考察。大学やメディアから遠ざかり、ゲンロンを立てたことを引きこもりと自戒し、他方で、世の中には、ひきこもらないとできないことがあると述べる。
    批評とは何かを自分の立場の対比として二分化する。経営者と批評家、払う側と払われる側、資本家とプロレタリアート、制度を維持し商品を作る立場と売る立場、親と子。

    対談では東浩紀の著作や批評についての意図に迫る。社交性、公共性のないルソーやデリダに実存的に惹かれている。ニコニコ生放送の一般意志インターフェイスと、存在論的、郵便的のデッドストック空間とマジックメモの図の連関。
    以下は、発言で面白かったものの要旨。

    哲学に公共的な役割なんてない。大切なのはよりよく生きることだけです。
    人間全員有用性なんてない。固有性なんてない、だれだってできたことが有用性。
    みな友人が有用だから会うわけではない。好きだから会うのです。
    大事なのは知識への欲望。
    ぼくの存在は無根拠だが、娘にとっては必然。偶然と必然はインターフェイスでしか出てこないのです。
    『弱いつながり』のメッセージ。「偶然性に身を晒せ」全ての必然性はあとから発見されるものなのです。なにかが起こるのを期待したり、なにかを決定するときに必然性を探してはいけない。むしろ遡行的な必然性を受け入れること。責任を取るとはそういうことだと思います。
    批評の価値は、出会うはずがなかったひとや物が出会ったときに、すなわち誤配が行われたときに生まれます。
    ノルマの意識をもたずにいくつも未読を重ねているようでは、本なんていつまで経っても読みきれません。
    つながりを思いつくためには頭の中を散らかしておくことが必要で、整理整頓してしまってはだめなんです。哲学にできるのは、いままで存在しなかったつながりを作ることです。
    「これが好きな自分はちょっとおかしいのではないか」という疑いを自然にいだけるひとでないと、批評を書き続けることはむずかしい。
    危機の言葉としての批評は、あくまでも健康を取り戻すためにあるわけですから、回復してしまえばもう批評は必要とされません。
    大多数のひとは、どの時点をとってもその瞬間では健康な人々ですから、危機に陥ったときに読むものとしての哲学や批評が、リアルタイムの消費において大衆文化に負けてしまうのは当然のことです。

    批評についてのエッセイ。ゼロ年代の批評はゲームにすぎない。哲学はゲームにすぎなかった。無根拠で無意味だった。ただし、それはゲームであるがゆえに、観客を生み出すものだった。観客はルールを変えることや終えることを許さない。観客こそがゲームの同一性を作り出し支えるのだ。
    第4章では、誤配たちと名付けられた、他作家の文庫に寄せた解説や作品批評。知識や問題意識が多岐にわたり読者に誤配される。
    ゲンロンでのトラブルと会社の思想の摩擦が第5章で述べられる。
    ゲンロンは誤配を売る。等価交換の失敗によって運営=資本主義の思想を変形させる。
    人格的固有名の芸術や哲学の仕事が、誤配として滑り込む。
    ゲンロンとの関係を、親子の関係に例えて、子離れを示唆してあとがきを締めくくる。

  • 本書に収録されている「職業としての批評」の中で、「批評は、危機に陥った人の健康保険のようなもの」と東さんが述べていた。名言だと思う。確かに日常生活がうまく行っている場合は、人は深く物事を思考しないだろう。しかし、仕事や人間関係等の何らかの危機に直面した際は思考せざるおえず、その思考の助けとなるのが批評だったり哲学だったり、人によっては宗教だったりするのかもしれないと思った。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/729246

  • 2019.08―読了

  • アメリカは富裕層と貧困層の二極化がひどく、まさにそれは悪だと批判する人もいるが裏を返せば中間層にとっては開かれた公共性がある。命題に隠された逆の意味を読み取ることも大切。
     地球はフラット化している。それはどこでも同じようなことが経験できるということ。もし観光地や旅に出たときはその土地でしか経験できないことを試すべき。差別化されたものに価値がある。
     地球がフラット化した今、旅の役割は何であろうか。ネットで検索すれば情報は何でも一瞬で手に入る。しかし、私達は無知だ、知識が乏しい。欲望不足に悩まされている。旅に出ることによって新たな言葉、知見に発見がある。テーマパークに行くとしてもその場所に行くだけで新たな言葉との出会いがある。
     旅先で印象に残ったことは大体はあの場所が良かった、あの料理が美味しかったなど。それは誰にでも感じることができるもの。旅に行ったからこそ生まれた思考を持つことが大切。
     相反する2つの意見があるとき、属している他方の意見に目を向けてみる。何が正しいのかは人によって変わる。
     みんなで決める、今の幸せを守ることは本当の合理性ではない。現在自分に不利があったとしても多少妥協する事が有利なこともある。
     私たちは常に倫理を守る必要はない。守らないのであればその言い訳を精密に考えるのが人間の知性の使い方である。
     資本主義らしからぬ「誤配」が消費者の欲望を満たせるものとなる。期待を1%超えると感動になる。

  • 世界がテーマパーク化する〈しかない〉時代に、人間が人間であることはいかにして可能か。

  • 東浩紀ファンなので客観的にレビューできない。

  • 興味深い内容からそうでないものまで様々なものが詰まった感じ。
    批評とは、批評家とは…の部分は少し読んで飛ばした。

  • 2011年の東日本大震災以降の原稿から批評と社会の関係を考察したものを中心に集めた評論集。テーマは、世界のテーマパーク化、慰霊と記憶、批評の役割。批評や哲学という表現にとって、結論にたどりつくまでの過程を記録した雑多の文章は、ときに主著以上に重要だから。

    ゲンロンって、すごい活動をしているんだなって初めて知りました。コンテンツ作成者が経営者であって初めて提供できる経験…ほんとに、今だけ、ここだけ、ですねー

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著者プロフィール

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』など。

「2023年 『ゲンロン15』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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