- Amazon.co.jp ・本 (396ページ)
- / ISBN・EAN: 9784907188269
作品紹介・あらすじ
震災から七年、復興は地域の衰退を加速しただけだった――。
希望を奪い、コミュニティを分断する公共投資。原発をめぐる空回りする議論。賛成と反対、敵と味方に引き裂かれた日本で、異なる価値観が交わる「潮目」をいかにして作り出すのか。福島県いわき市在住のアクティビストが辿り着いたのは、食、芸術、観光によって人と人をつなぐ、足下からの「地域づくり」だった。「課題先進地区・浜通り」から全国に問う、新たな復興のビジョン。
電子批評誌『ゲンロンβ』の好評長期連載を大幅加筆した、待望の単行本!
柳美里氏、後藤正文氏、志賀忠重氏推薦!
いままさに、転流時である。
本書を読んで、潮目を見定めてほしい。
――柳美里(作家)
僕らに必要なのは、ボーダーを行き来する思考の旅だ。
――後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)
原発事故があって真剣に未来を考えるようになった。
娘や息子たちに伝えたいことが満載だ。
――志賀忠重(いわき万本桜プロジェクト)
感想・レビュー・書評
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いわきは素晴らしい書き手を得た。
こうした本があちこちで書かれなければならないと思う。 -
読了。
福島県いわき市小名浜で育った筆者は、地元いわきで東日本大震災と福島第一原子力発電所事故を経験。震災後はいわき市のかまぼこ工場で勤務しながら、福島第一原発沖の海洋調査プロジェクトを行ったり、フリーランスとして地域の食や医療、福祉のイベント企画等に携わる中で、地域に暮らす者の目線から復興政策を、ひいては福島・いわきという地を見つめ直す。
いわきという地は東北から見ても東京から見ても「周縁」であり、関ヶ原、戊辰の2回の内戦でともに敗者として地域を分断された影響もあり、歴史的に中央に対する「もの言わぬ供給地」としての役割を担わされてきた。石炭、原子力といった国策によるエネルギー政策は、中央の論理に振り回されることで文化の自己決定力を奪われてきた地域の歴史・性質を象徴するものである。一方、そうした地域の負の歴史や「バックヤード」性を逆手に取ることで、地域の課題と魅力の双方を発信することができるのではないか、と筆者は論じる。その過程で挙げられるのが「ふまじめ」「アート」などのキーワードであり、型にはまった「復興」の形にも疑問符が投げかけられる。
地域に暮らす者の視点から、震災や原発事故、その後の復興がありのまま語られる。「復興」政策に対する評価は、行政に身を置く立場からすると耳が痛い内容である。「被災地を向く」とは言うが、それが本当に地域に向き合っているのか、「被災地域の行政」ばかりに向き合っていないか、大いに身につまされる。
311以降のありのままのリアルが描写される一方、本書で通底しているのは、そうした現実を想像や虚構によって読み替えていこうとする試みである。例えばキリンジ『エイリアンズ』は、郊外の国道沿いの風景を疎外された者(alien)の視点から描くことで、ありふれた風景を「新世界」のような詩的な想像力で塗り替えるものだった。私たちが現実を目の当たりにするとき、そこには必ず解釈のフィルターが介在する。そのフィルターに手を加えることで、目の前に映る景色は全く違ったストーリーを伴って浮かび上がってくる。そうして見えてくるストーリーは、ある意味では現実をも乗り越えるものになりうるのではないか、そして地域を新たな視点から見つめ直すという手法は、被災地に限らず普遍的な示唆となりうるのではないか。本書はそう感じさせるものだった。
ひとまず、どこかの週末、自分の足で浜通りを回ってみようと思う。 -
震災と原発事故で大きな傷を負った福島の「復興」について、フリー・アクティビストの著者が考える本。
震災で加速された地方の衰退の現実、東京都と地方の収奪関係「首都圏のバックヤード」などどこの地方にも共通することが語られている。 -
この書物は311からの復興について書かれた本である。が、僕は無計画旅人や酷道マニアにこそこの本をお薦めしたい。
5年ほど前に国道6・4・7・8号制覇ツアーをやった時この本が助手席にあればロッコクの旅はさらに面白くなっただろうなと思う。
思いもよらぬ所に誤配されんことを。 -
いわき、あるいは福島という土地のバックヤード性・周縁性に触れた後、当事者を限定せず「不真面目」に広く議論を求めたのが印象的。具体的な住民目線の意見が多く、報道では網羅しきれない現状に触れられていた。
復興に批評性が欠けていたとする説得力のある指摘は、今後答え合わせをする時期に入るだろう。 -
年跨ぎで読了。
平成の30年間、日本は災害との闘い。特に福島第一原発の問題は未だに終焉が見えない。
平行して、いつしか復興や絆と言った言葉が安売りのように蔓延するようになってしまった。
被災地の復興にあたって常に問題となるのが「不謹慎」と言う情念とのせめぎあい。
著者は生まれ育った福島で被災した当事者。震災後の福島で様々な理不尽と直面しながら未来を見据えた復興には「ふまじめ」さも必要だと主張する。
依然として福島が抱える問題に対して、真摯に、時に熱く語る姿勢に考えさせられるものは多い。視点が変わる一冊。 -
第2部「原発と復興」まで読了。わたしが福島に引っ越したのは、「当事者」を知りたかったんだったなぁ。今となって分かったのは、みんなそれぞれ自分自身の当事者にしかなり得ないこと。そういうことを思い出しながら読んでいる。第2部しんどかったな…
続き第3部へ。 -
東日本大震災後のいわきから書き綴った連載を書籍化。
連載の書籍化だが、本全体の流れがしっかりとできていて、とてもそんな風には見えない。
震災後の食や原発、復興について語られている。東電の役員と被害者の会の女性が愛人関係にあったニュースなど、全国のニュースでは決して語られることのない、地域の細かい風景や暗部が語られている。
この本の大きなテーマは復興とは何かだと思う。復興は元に戻ることでも発展を遂げることでもない。復興の本質とは震災という傷(障害という言葉でも語られる)を抱えながら暮らしていくことであり、そこには単なる回復に収まらない何かが必要である。その為には一見、復興とは直接の関係のなさそうな遊びや芸術、楽しむといった要素、つまり文化こそが重要なのだとこの本を読んで感じた。
この本は真・復興論ではないかと思う。 -
2018.9.15-