- Amazon.co.jp ・本 (474ページ)
- / ISBN・EAN: 9784906738076
作品紹介・あらすじ
日本資本主義論争をへて、小林秀雄、中村光夫、吉本隆明、柄谷行人らの文学史観をつらぬく「天皇制」の問題。
公共性/市民社会論、「新しい社会運動」、文学、映画、アート……
さまざまな「運動」は、なぜかくも資本主義に屈してしまうのか。
排外主義が跋扈する現在、これまでの思想・言説を根底から洗い直し、闘争のあらたな座標軸を描く。
日本文芸批評に伏在する「天皇制」をめぐる問題を剔出する表題作(新稿)、
市民社会派に内在する「暴力」の問題をあぶり出す論考(新稿)のほか、23篇のポレミックな論考を所収。
感想・レビュー・書評
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文芸評論家って何するんだろう、と思っていたけれど、やっと分かった感じがする。テクストの意味を紐解きながら、書かれた時代背景や、他の著述家の著作との関係性、当時の論壇での論戦も交えながら、一度焦点を広げたうえで再定義していく。オリジナルを書く著述家だけがえらいわけではなくて、それを発見し、価値を見いだすことも、大変な知的生産なのだと感じた。
共産系知識人の転向と、最後の「太陽の塔」論が心に残った。過去の著作も読みたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
よかった。
資本(主義)の御都合主義。
哲学=社会主義の回復と反復
社会主義とは利他的であり相互扶助的なもの、もっといえば汝の敵を愛せ、汝の隣人を愛せの回復と反復である。世界宗教的なものである。革命とはそういったものだろう。
哲学ある人は本質的に御都合主義にはなれない。べたにいうと倫理的な人である。
1968年の革命について理解するには世界を理解する必要がある。