なぜ日本は変われないのか 日本型民主主義の構造

著者 :
  • さくら舎
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784906732005

作品紹介・あらすじ

なぜ、日本は政権交代しても何も変えられないのか!改革の敵、日本の「官憲主義」を問う。

感想・レビュー・書評

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  • 【書評】
     政権交代が生じてもなぜ日本の政治は変わらないのか?本書は1975年に4度にわたって連載されたものを編集したものである。本書の指摘から35年以上経った今でも、その内容は今日の日本を考える際に極めて有効である。本書の価値は、「民主的か非民主的かを超えて」、民主主義に対峙するものとしてひと絡げにされて来た、官憲主義と全体主義という本来異なる二つの政体間の循環によって日本政治を捉える点だ。天皇機関説排撃運動や民法典論争、開戦時と終戦時の新聞の記事などを通して、この循環を明らかにする。その内容は、私たちの社会を包み込む「通常性」という規範こそが変化を拒むもである。しかしながら、その「通常性」に立脚しない思想、制度や組織は、外形的な形を整えても内部において全く異なる実質を備えた二重構造であり、しばしば全体主義化によって排撃される。このことを明らかにした上で、社会変革のための議論の土台を提供する。

    【感想】
     本書は鋭利な刃物である。よく切れ(視点のキレ)、扱い(「読み込む」こと)が難しい。しかし、この刃物を使って出来る日本料理(日本政治の研究)は、和の心(日本人の行動様式)をうまく捉えた一品となろう。軽くはよめない。筆者の言い回しや特有の言葉のチョイスには慣れないが非常に鋭い視点があった。
     それは日本の政治を13~15年のスパンにおける官憲主義をベースとした全体主義化のサイクルとみる視点である。1930年代~1945年終戦、終戦〜1960年安保闘争、安保闘争〜田中内閣(特に76年ロッキード事件)でピーク、だとするとその次のピークは冷戦崩壊による「無思想非政治化統治技術者集団」たる自民党の下野(93年8月の55年体制崩壊)になる。その次は小泉政権の郵政選挙(05年9月)か。だいたいにおいて、そういえなくもない点が恐い—ただ09年という時期の民主党政権誕生をどう解釈するかが残る…—不安定な自民党ではもうやりたいことが出来ないと官僚の多数が考えた、民主党支持の官僚が増えた結果+彼らのメディア誘導+国民の飽き嫌気、お灸…。
     また、田中角栄のロッキード事件(その他小沢一郎や鈴木宗男への「嫌疑」)は体制側の存在であった当人が、国民の総政治化=全体主義化からのバッシングを受ける際に、官憲主義側から差し出された生け贄—本書でいう美濃部達吉に当たる—と見ることも出来よう。
     この場合、官憲主義(体制側—B)が日本政治のベースであり、しばしば生じる全体主義化(T化)は体制内部の代理戦争、官憲主義内部の力学変化による追放といえる。B側から排除したいB’が提供されそれをT化の下で叩かせ追放、浄化。この憂さ晴らしによって、スカッと「民意」が適うのが日本の「民主主義」か。そして何も変わらないか、悪くなる…
     Bの提供する生け贄=B'が官僚か政治家か、はたまた政権党であるかによって日本型「民主主義」の形態は重層的で漠然としたものとなるけれど、空気のような「民意」が働いている限り、対外的に機能して(させられて)いることになる。これが「時代のケジメ」といわれるものの正体かな…

    【まとめ】 
     日本の政治体制は官憲主義と言ってよいもので、日常的には統治集団以外の国民はすべて非政治化された存在である。しかしながら、おおよそ15年周期で、そのような非政治化された存在は徐々に全体主義的に政治化され、あるピークを迎えると再び官憲主義だけを残して崩れ、非政治化される循環が見られる。このような循環は、日本人の「忘年•新年的回帰」という歴史観を用いて説明される。つまり自ら矛盾なく構築した過去に、現時点で絶対的帰依するあり方が日本人の「通常性」で、それは根底のところで官憲主義を支える。欧米のように矛盾を内包しつつも歴史的事(史)実に当時のまま“現在形”の自己で対面するあり方はそこにはない。
     天皇機関説排撃運動は言論弾圧運動というべきでない。それは官憲主義に対する全体主義的闘争であった。拙速な欧化主義のもと、時の体制側のイデオロギーであった機関説(及びそれが提供した法人という国家観、機関と化した天皇観)は、国民の国家•天皇観とは相容れないものとされた。国民はそこに、自らの「通常性」では捉えられぬ官憲主義による支配を見た。そのような国家は法人というよりも「宗教法人」であった。「宗教法人」は対外的に定款=憲法(その下の信教の自由)を持っていても、それは教祖(及びその信者)が何かをする権限を有するわけではなく、あくまで対外折衝の際の外形である。その内部では教主の「教え」(祖先教、それに基づく教育勅語)が優先されることから、「教え」に合わぬ機関説や信教の自由の論理は、総政治化の下で信者の攻撃対象になる—天皇機関説排撃や内村鑑三不敬事件の背景。これは、非政治的存在と認められる対象、行為であっても、それを政治化するために統制が用いられた事例であり、これを言論弾圧としては問題が見えなくなる。 
     日本社会は「組織的家族社会」であり、組織は存在せず、個の組織化である民主主義も現れてこない。ここで組織とはつねに目的を有し、目的に対応するため自己を正当化する存在であり、目的を果たせない=機能を失えば解体される。しかし、日本の「組織的家族」は調和によって、機能を失っても「血縁」を絶やせず、社会の負担の下に「生体」を維持されたいわば「植物状態」になる。その家族的組織が解体されるのは総政治化のピーク後の非政治化現象であり、官憲主義を残したままの崩壊である—家族的組織の代表たる官僚(軍隊)、及び選挙の度に非権威化、非政治化していく政権、国民の総政治化=全体主義化を支える議会と新聞…家族的組織が機能不全でも維持され、全体主義化を止められず高揚したままピークという開戦を迎える。そして敗戦でピークから暴落し過去を「忘却」し、原点すなわち官憲主義へ回帰。国民の非政治化によって戦後再びの官憲主義が日本を支配する(15年後安保闘争で再び全体主義化)。

  • 2021.26
    ・官憲主義と全体主義の行き来によって、日本の政治は変われない
    ・13年から15年周期で、変革の動きが起きては頓挫する。

  • ●非常に難解に感じる。日本の欠点である、「歴史的現在」という視点の欠如と「組織的家族」が及ぼす組織の機能不全が日本の変革を妨げる要因。

  • 「民主的か民主的でないか」といった対立軸では日本の政治状況を正確に把握できないとして、著者は「政治化」と「非政治化」という対立軸を持ち出す。

    「政治化」とは、生活の全てが政治にかかわってしまう状態を指す。これは文化大革命時の中国を考えれば良い。ベートーベンの交響曲やピカソの絵画までもが政治に組み込まれてしまう思想である。

    逆に、「非政治化」とは、生活の全てが政治と無縁の社会である。政治に関係ない限りにおいて、すべての自由は保障される。言論も表現も宗教も財産権も居住権もすべての諸権利は保障されるが、国民の全ては非政治的存在として絶対に政治に関わってはならないという思想である。

    そして、著者は言う。
    「日本は15年周期で政治化と非政治化を振り子のように行ったり来たりするのだ」と。

    実に興味深い論考。

    中でも特筆すべきは、日本人の強みと弱みを「組織的家族社会」に求めた点だろう。

    調和を求める日本的な組織は、上手く機能するときは強烈なチーム力を発揮して無類の強さを誇るが、一旦機能しなくなると植物人間化する。誰もとどめを刺す者は存在せず、無為の組織に成り果てても延命措置を施されて死ぬまで生き続けさせられるのだという著者の指摘は、現在の日本を的確にとらえている。

  • 著者は、「日本には組織(システム)という概念がない」「真の自由討論(フリートーキング)がない」と言ひます。「組織(システム)が家族(ファミリー)になってしまう」と。
    本書は分析であって、その変革の方法論、処方箋までは提示してゐない。
    難解な論考である。再読の価値あれど、他に読まねばならない本が山積みで近い将来再読としたい。

  • 読了。昭和50年辺りに書かれた文章ですが、最終章は現在読んでも全然違和感なしです。日本は重大なことが発生すると、過去を忘れる。戦前の教育がいい例とのことです。私が印象に残ったのは、組織的家族。組織が家族みたいになる。その代表は日本軍で、日本の組織は運命共同体に変化しやすい。今になって、これの弊害がかなり出始めているような気がします。合う物もあれば、合わない物もある。これを認識することが大切です。

  • 日本では総政治化と非政治化が13-15年周期で繰り返されてきた。日本の組織は家族集団である
    西欧と日本の異質さの再認識。今更ながら、永続するには、日本的な方法を探すしかないと?

  • まさに、今読むべき一冊。

  • 鈴木宗男や堀江貴文がなぜ捕まったのか?
    そして、日本ではなぜ改革が中途半端で終わって
    しまうのか?根底には同じもの、「官憲主義」が
    あった。30年前にこれを言い切った著者はやはり
    すごい。

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著者プロフィール

1921年、東京都に生まれる。1942年、青山学院高等商業学部を卒業。野砲少尉としてマニラで戦い、捕虜となる。戦後、山本書店を創設し、聖書学関係の出版に携わる。1970年、イザヤ・ベンダサン名で出版した『日本人とユダヤ人』が300万部のベストセラーに。
著書には『「空気」の研究』(文藝春秋)、『帝王学』(日本経済新聞社)、『論語の読み方』(祥伝社)、『なぜ日本は変われないのか』『日本人には何が欠けているのか』『日本はなぜ外交で負けるのか』『戦争責任と靖国問題』(以上、さくら舎)などがある。

「2020年 『日本型組織 存続の条件』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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