- Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
- / ISBN・EAN: 9784904855409
作品紹介・あらすじ
1980 年5月18 日、韓国全羅南道の光州を中心として起きた民主化抗争、光州事件。戒厳軍の武力鎮圧によって5月27日に終息するまでに、夥しい数の活動家や学生や市民が犠牲になった。抗争で命を落とした者がその時何を想い、生存者や家族は事件後どんな生を余儀なくされたのか。その一人一人の生を深く見つめ描き出すことで、「韓国の地方で起きた過去の話」ではなく、時間や地域を越えた鎮魂の物語となっている。
感想・レビュー・書評
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韓国文学をひらく《チェッコリ》-神保町・神田/書店・韓国【前田エマの東京ぐるり】 | 前田エマの東京ぐるり | カルチャー & ライフ | FUDGE.jp
https://fudge.jp/culture_life/maedaemma/136967/
BTSが韓国文学の扉をあけた〜ハン・ガン著『少年が来る』を読んで〜/前田エマ|クオンの本のたね|note
https://note.com/cuon_cuon/n/n3d5e6e37e5b6
ブックレビュー:『少年が来る』 – K-BOOK振興会
https://k-book.org/yomeru/20200518/
少年が来る - CHEKCCORI BOOK HOUSE
https://m.chekccori-bookhouse.com/product/少年が来る/9285/category/44/display/1/
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韓国の作家ハン・ガンの小説。初めて読んだ。
韓国の友人がちょうど韓国語で読んでいて、話を聞いてたら読みたくなった。
本作は1980年に起きたいわゆる5.18、光州事件を題材にした小説だ。民主化を求める学生たちから始まった運動が光州市民たちの間にも広がっていくと、当時の軍事政権が送り込んだ軍隊は、誰彼構わず市民を虐殺した。
ハン・ガンの生まれはこの光州だ。私の友人も育ちは光州。ここには書けないが驚くようなエピソードや体験談を聞くにつけ、まだこの事件は終わっていないのだと実感。
じっさい、本書を読めば、真の悲劇というのは、当の出来事が終わってから始まるのだということがわかる。
過去というのはたいてい、現在によって塗り替えられていくものだが、本書に描かれる事件の当事者たちは、つまり家族を虐殺され生き残った者たちは、凍結した過去にたえず追いかけられ、それは日常の襞に細かく根を張り、蝕み、やがてその人を殺すのだ。
時が経つほどに傷は深くなっていく。
ほんとうに読んでいて苦しかった。この本の中には、生やさしい絶望もなければ、生やさしい希望もないから。
各章ごとに視点は変わる。しかしいずれにも救いはない。前に進む物語もない。ただ、生ける者、死んだ者の魂が、ページの中を彷徨っているだけ。
この作家の書く文章の純度が高いだけに、断片的に描かれる場面がガラスの破片のように胸に刺さる。 -
ある書によれば、「光州事件」を扱った日本で翻訳出版されている長編文学は、この本とあと一冊しかないらしい。ルポや資料集は幾つもあるのであるが、隣国の、しかもたった38年前のあれほどの出来事を描いた「文学」がほとんど出版されていない。これは日本の文学にとっても不幸だろう。なぜならば、これを読んでみたらある程度は納得するはずだ。人民戦線の体験が、ヨーロッパの文学を鍛えたように、この未曾有の人類史的な悲劇の内面を体験する機会を、隣国の日本人は持つことが出来ないからだ。
わたしは日本に入ってきた映画は全て観ている(「ペパーミントキャンデー」「光州5.18」「タクシー運転手」それでもたった3つ)。ところが、それだけではこの出来事の「ホントの姿」は見えていなかったのだと知った。
ありきたりのボールペンでした。モナミの黒のボールペン。それで指の間を縫うように挟み込みました。
そりゃあ左手ですよ。右手では調書を書かなくてはいけないから。
ええ、そんなふうにひねりました。こっち側もこんなふうに。
最初は何とか我慢できました。でも、取り調べのたびに指の同じ部分をそうするものだから、傷が深くなりました。血と粘液が混じって流れました。後になると、この部分に白い骨がのぞき見えました。骨が見えるようになると、アルコールに浸した脱脂綿をそこに挟むんですよ。(略)私もそう思いました。骨が見えるくらいになったのだから、そこはもうやめるだろうと。ところが、そうじゃありませんでした。さらに苦痛を与えると分かっていながら、脱脂綿を外してからもっと深くボールペンを挟んでひねったんです。(129p)
思い出してほしいとユンは言った。記憶と真っ直ぐに向き合って証言してほしいと言った。だけど、そんなことが果たして可能だろうか。
三十センチの木の物差しで、子宮の奥まで数十回もほじくられたと証言することができるだろうか?小銃の台尻で子宮の入口を破られ、こねくり回されたと証言することができるだろうか?出血が止まらずショック状態になったあなたを彼らが総合病院に連れていき、輸血を受けさせたと証言することができるだろうか?二年もの間その出血が続いたと、血栓が卵管をふさいで永久に子どもを持つことができなくなったと証言することができるだろうか?(204p)
15歳の同級生を探して、トンホは危ないと分かっていながら夜の尚武館に入る。その彼の視点。遺体さえ見つからない同級生チョンデの死んだ魂からの視点。冒頭の2人の視点からの描写は、全斗煥の軍隊が無辜の市民を虐殺し通した事を私たちに教える。舞台は県庁前広場や大通りだけではなかったのだ。やがて尚武館に居た3人の若者のその後の人生を見せる後半。光州民主化抗争の当時だけでなく、その後の何十年間も、彼らを苦しめるその内実を、しかし私は想像さえしていなかった。
わたしたちは知る必要がある。隣国のこの人類史的な悲劇を。 -
タクシー運転手の映画を観て、あの日についてさらに知りたいと探し、書評をみて手にとった。読まなければならない、と思った。
ひとりの少年を軸に、家族、友人、知人、その家族などが体験したあの日以降を、生存者死者を問わず語る。事件の総体としての歴史的経緯や背景を知ろうとするには少々的外れだ。この本は、国民が国家から暴力を振るわれることが、一人ひとりの国民にとってどういうことか、についての物語だと思う。その意味で、過去の話でも遠い未来の話でもない、今香港やミャンマーで起こっていること、ヘタをすれば近い将来日本でも起こりうる物語だということ。
先を急いで読んでしまった一読目を反省し二度目を読んでいる最中にもミャンマーで市民の犠牲がさらに増えていると報じられ嫌でも重なる。世界にこれ以上悲しみを重ねたくない。何故砲声は止まない?の問いを追求し続けるしかない。 -
1980年光州事件、ひとりの少年が生きた様子を、彼と関わった人を、地獄を経て生き延びてしまった感覚を、今も体を汚染しつづける記憶を、悪夢の方がましだとすら思える現在を、その現在を生きている実感を、複雑な文体を駆使してハンはどこまでも進んでいく。読み終えてしばらく泣いた。
光州事件、その後の人々を描いた小説であるものの、死生観や身体感覚、観念と身体のバランス、むせるほどの生の匂いは『菜食主義者』『ギリシャ語の時間』とも繋がる気がした。
この本の輪郭は名前を奪われた群衆からハンが引き上げた少年の存在感。君が生きていたこと、もう誰にも冒涜されないように。
人々が語る凄絶な経験に体は震えて動けなくなり、傷は一生もので、誰にも、何をもってしても回復せしめることはできない、それでも生きていくしかない絶望が混じった諦めに、けれど少年のことを思い出すときの、どこか煌めいた切なさに、涙でしか私には答えられなかった。答えられるものでもないのに。 -
映画『タクシー運転手』→BTS 『Ma City』→本書へと、光州事件を追ってこの作品にたどり着きました。たった40年前に隣国で起こったこと。そして、決して過去のことではなく、現在も香港で、ミャンマーで、同じことは起きている。
ハン・ガン作品はいつも(といってもまだ3作目)文体や視点の置き方も独特で、特別な読書体験を残す。凄いものを読んだ、と。作家のベースにある喪や鎮魂、不条理な暴力を描く背景はここにあったのだと悟る。 -
映画「タクシー運転手」を観て、
光州で起こった民主化弾圧事件のことを
初めて知った。
この作品で知る事件の細かい描写は、
とても酷いが、不快感がありすぎて
読む手が止まってしまうほどではない。
それは、「菜食主義者」を読んでいたおかげ
かもしれない。
著者の描く身体という人間の「殻」と
心は、極限状態では乖離して、心と呼ぶべき
魂は、しっかりと守られる。浮遊しながらも
魂はそこにある。だれにも傷つけられない。
この作品を書くことが、著者にとって
どれほど辛かったことか。
少しは気持ちを昇華させられたのだろうか。
セウォル号の事故と、光州事件は、韓国の多くの人々の心におりのように沈んでいるのではないだろうか。
そのほんの一片だけでも、この小説を通じて
知ることができたのは、とてもよかったように思う。
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36.
ようやくこの本を読めるだけの
知識が自分の中にはあると思えたので
ついに読む決心がついた
想像していたより何倍もキツイ内容と描写で
途中吐きそうになったり
歯ががたがたしたり
涙が止まらなくなったりした
読むだけでこうなるのに
書き上げるのにどれだけ苦労したんだろう
忘れられない本のひとつになった
主人公が僕・わたしでなく
君・あなたと書かれているのが印象的 -
光州事件を取り扱った作品、何だか難しそう...となかなか手に取れずにいた。読んでみたら、事件そのものというよりは、そこに生きる人たちの思い、苦しみ、かすかな希望、がまざまざと伝わってきて胸が苦しく、一気に読んだ。これが現実に起きた事(その一部)だなんて...私は何も知らなかった。
表紙のろうそくの灯がとてもあたたかい。
もっと知ろう、心に留めておこう。
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追記、タクシー運転手を観た。
力なき人々が訳も分からず、暴力を受けるむごさ。
事件の現場を取材し、命がけで真実を持ち帰り、報道したドイツ人の記者の方、ご本人が最後お話しされていて、そこも実話に基づいていたのかと気づき、当時が胸に迫るよう。 -
軍事政権国家だった韓国の民主化起爆点となった1980年の光州事件。本書は当時、光州に住んでいた市井の人びとを描いた作品だ。事件の起きる数ヶ月前にソウルに引っ越していた筆者は当時、9歳。大人になり、当時亡くなった若者たちへの鎮魂の思いを込めて取材し、この本を書き上げた。重い内容だったが、映画で知った光州事件のリアルに、少し触れられた気がする。こういう歴史は隠されてはいけないし、知っておく必要がある。