いつも旅のなか

著者 :
  • 東京カレンダー
3.57
  • (20)
  • (53)
  • (72)
  • (7)
  • (0)
本棚登録 : 306
感想 : 44
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784901976220

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • たくさんの国を旅してきた角田さんのエッセイ。

    過去の記憶を振り返る、という感じで書かれていたと思う。マジックマッシュルームに手を出してみたり、ラ・スペーコラ博物館を訪れたり、刺激の強い描写が多かった。
    (ラ・スペーコラ博物館 https://ja.wikipedia.org/wiki/スペーコラ美術館 )

    旅はいつもとは違う場所へ出かける行為だから、日常ではなく非日常だ。けれど、角田さんは現地で友達を作り、予定も立てず思いつくままに行動する。生活感たっぷりの旅だ。
    うまくいえないけど、食事をするのもレストランじゃなくて、現地の人が利用する定食屋や食堂を好む感じ。

    非日常なのに、生活感がある。考えてみればそれは当たり前のことで、現地の人はそこで生活をしているわけだし、旅人だって家に帰ったらいつも通りの生活が待っている。
    毎日の生活はもちろん日常で、旅だって考えようによっては日常の延長なのかもしれないな。そんなことをぼんやりと考えながら楽しく読んだ。

  • ロシアで国境の居丈高な巨人職人に怒鳴られながら激しい尿意に耐え、キューバでは命そのもののように人々にしみこんだ音楽とリズムに驚く。

    五感と思考をフル活動させ、世界中を歩き回る旅を、臨場感たっぷりに描く。

    。・゜*・。 ・゜*・。 ・゜*・。・゜*・。

    H26.3.3 読了

    文章は淡々としているのに、背景が目に浮かぶ。
    自分の目でそれぞれの場所を見ているような感覚になれた。不思議。

    特に国境を越えてロシアへ入るとき。
    線引きなんてされていないのに、確実にロシアへと入った感覚。ぞくぞくした。

  • モロッコ、ロシア、ギリシャ、オーストラリア、スリランカ、ハワイ、バリ、ラオス、イタリア、マレーシア、ベトナム、モンゴル、ミャンマー、ベネチア、ネパール、プーケット、台湾、アイルランド、上海、韓国、スペイン、キューバと、ほぼ単独、ダウナー系の旅の記録。あぁ、旅したい。

  • 495

    エッセイは初めて読んだけど角田光代はやっぱり好きな作家だな。小説は心理描写系の人だよね角田光代は。ただ観察描写するだけで刺そうとしてこない感じが好き。描写力が見事すぎてただただ感動しちゃう角田光代は。

    Be Happy    モロッコ
    The Border    ロシア
    ロシアの幽霊    ロシア
    非リゾート    ギリシャ
    コノミ    オーストラリア
    祈り    スリランカ
    サイミン    ハワイ
    A DEAD DOG IS...   バリ
    旅と年齢    ラオス
    ほとほといやになるけれど    イタリア
    過剰博物館    イタリア
    かくも長き一日    マレーシア
    Rさんのこと    ベトナム
    なんにもない    モンゴル
    そういえばミャンマー    ミャンマー
    ビバ団体旅行    ベネチア
    ときに示唆する旅    ネパール
    はつ恋    プーケット
    明るい未来    台湾
    さまよう幽霊    アイルランド
    きらいきらい……好き?    上海
    熱く、辛い小旅行    韓国
    アッパーとダウナーの旅    スペイン
    いのちの光    キューバ


    そもそもバリにいくことになったのに理由も目的もなかった。飲み屋でそんな話になって、成り行きのままそれが実現してしまっただけだった。が、友達のNくんは、当時、なんていうかいわゆる薬系のものに目がなくて、合法の国を旅しちゃトリップして帰ってくることをくりかえしていた。バリ行きにたいして私にはまったく目的などなかったが、成り行きとはいえ、Nくんはひそかにそのあたりのことを期待していたようである。  タイにもマレーシアにもベトナムにもインドネシアにも、違法だが何かしらドラッグはある。質 云々 は知らないが、ガンジャならたいていどこでも安く手に入る(というかどこでも売りこみされる)、田舎のほうならマジックマッシュルームがあるし、LSDなどは仲よくなった旅行者が分けてくれることもある。ヘロイン、コカイン級になると、あるんだろうがふつうの旅行者にはちょっと目につかない。その気にならないと捜し当てられない。  もちろんバリにもいろいろある。マジックマッシュルームは有名らしい。きっとNくん、出発前にそのあたりのことをきちんと下調べして、私とKくんとはまったく違った心持ちでバリいきにのぞんだんだろう、今にして思える。

    のちのちわかってくることなのだが、ラオスの人々は、みな非常に物静かでシャイである。日本ととてもよく似た国民性だと私は思った。何か 訊けば親切に教えてくれるが、向こうから声をかけてくることはまったくなく、お隣タイの人々は、目が合うと決まってにいーっと笑うものだが、ラオスではみなぱっと目をそらす。

    原因不明の「つまんない」を解消するため、私はビエンチャンを抜け出して、古都ルアンプラバンへ移動した。ところがルアンプラバンはさらに輪を掛けて静かな、ちいさな町で、旅行者の姿ばかりか、町を歩く人の姿もあんまり見かけない。つまんないは少しずつ肥大していく。この旅がつまんないまま終わってなるものか、と焦った私は、とにかく町の隅々まで歩きまわった。地理を覚え、定期的に同じ店に通ってお茶を飲み、食事をして、店の人や常連客と会話し、 挨拶 や食べもの名などのラオ語を覚え、使い、目をそらすシャイなラオス人と無理矢理目を合わせて言葉を交わし、深夜近くまで宿のロビーでスタッフとテレビを見……、私のやったことはすべて、それまでの旅で会得した「町との親しくなりかた」であった。今までだったら、そのようにして過ごせば、最短三日でかならず町は近しく感じられ「つまんない」は消え去るはずだった。しかし、町は遠く、私を覆うつまんない気分はどうしてもぬぐい去れない。

    長年の夢であった博物館、またはイタリアにおけるその他のことはさておき、今さら言うまでもないが私は旅好きである。旅した場所を勘定すると二十六カ国である。そのうち、たとえばニューヨークとハワイはアメリカとして一個と数え、また同じ国に数度渡航していても一個と数えているので、単純に、旅をした回数はもっと多い。三十何回かになるだろうと思う。

    ホーチミンはパワフルで、エネルギーに満ちていて、その雰囲気に飲まれ私は夢中になって日を過ごした。北のハノイと南のホーチミンでは、雰囲気がまるきり違った。ハノイが陰ならホーチミンは 完璧 な陽だった。

    国にもこういうことがあると私は思っている。たとえばタイとかイタリア、オーストラリアなんかは一番人気の男子である。華々しい魅力がある。シンガポールやポルトガルや、アメリカやモルジブなどは、一番ではないがつねにだれかがその名を口にしている、いわば上位組常連である。最悪組は個人によってかなり違うだろうがやっぱり存在する。「あんなところ二度といく気はない」と言われつつどこか憎めない場所。それもまた強烈な個性を持った国である。ちなみに私が一番好きなのはタイで、できればもういきたくないと思うのは中国だ。  まったくと言っていいほど名前の出てこない国、没個性と思われてしまう国というのもまた、たしかにある。私にとってそれはミャンマーである。  ミャンマーはものすごくいい国である。すばらしいと思う。けれどなんていうか、記憶に残りにくいのだ。旅したなかでどこが好き? という問答の折り、タイだのアイルランドだのモロッコだのと私は夢中になって話すが、ミャンマーのミの字も思い出さない。どこの国がどうだったとひとしきり話したあとで、「ああそういえばミャンマー」と、うっすらと思い出す程度である。

    だいたい旅するときはひとりなのだが、これは、人と旅なんかできねえ、という積極的選択ではなくて、だってだれもいっしょにいってくれないんだもん、という消極的理由である。  物書きという仕事をしていて、旅はいつもひとりだと言うと、団体行動が苦手な、協調性なき人間だと思われがちであるが、実際のところ、私は団体旅行が好きである。得意だとも思う。

    今はどうだかわからないけれど、そのころのネパールはものすごく貧しかった。飛行場からカトマンズの町に入ったとき、アジアの町には慣れているはずの私もぎょっとするような有様だった。道はほとんど舗装されておらず、ところどころ掘り起こされて、半裸の子どもたちがネズミの 死骸 で遊んでいた。カトマンズはそれなりににぎやかだけれど、中心街を少し離れるといつの時代かわからなくなるような光景がよく見られた。女性たちは川で洗濯をしていた。男や子どもは川を 風呂 代わりにしていた。一番びっくりしたのは、おばあさんたちが立ち小便をすることだった。サロンふうの布を巻きつけたロングスカートの下で、足をばっと開き、しゃーっとする。だれも驚かない。ごくふつうの光景なのである。

    アイルランドには、至るところにパブがある。バス停ひとつしかないような村にも、バス停わきにパブがある。コークの町もパブだらけだった。アパートの一階にもパブがあった。

    上海を自分のなかのどのあたりに位置づけるか、人民公園を歩きながら私は思案していた。簡単にいえば、好きになるか、嫌いになるか、決めかねていた。数日過ごしただけで中国人の無愛想に少々 辟易 していた。中国語というのはそもそも怒気を含んで聞こえるが、それをさっぴいても幾人かの中国人は本当に怒っている。外灘地区の肉まんや豆乳の屋台では、私の注文がうまく伝わらないためか、 主 は怒ったり、ときとして無視したりする。なんとかがんばって目当てのものを買いお金を払うと、釣りを投げてよこしたりする。また老人や中年男女は本当によく痰を吐く。彼らはそれを斜め横に線を描くように飛ばすのだが、幾度か私のスニーカーに引っかかり、そうすると痰を吐きかけられているような後味の悪さが残る。何かを買っても、ありがとうという言葉を聞いたこともない。笑みさえ返されたことがないのだ。こんな国ってほかにある。

    韓国には、居酒屋がたくさんあるのもうれしかった。どこにいっても私はマッコリを注文したのだが、意外なことにマッコリを置く店はあんまりない。マッコリを韓国の人は飲まないのかとある店で 訊いたところ、あれは老人の酒だと笑われてしまった。そういえば、私のいった居酒屋は、若人向けの 洒落 た店ばかりだった。

     人が好んで旅する場所と、前世は関係があるのではないかと、彼女を見ていて思ったものだった。たとえば私はタイにはじめて足を踏み入れたとき、一瞬にして心を奪われた。その熱は十数年たった今でも冷めない。タイのごはんはなんでもおいしい。濁った水で食器を洗う屋台でも、世界一辛いと言われる緑の唐辛子も、ばくばく食べて元気である。私はきっと前世タイ人だったのだろう。そして日に日にエネルギッシュになっていくYちゃんは前世スペイン人だったのだ。そんな私たちが東京で出会い、ともに旅をしているんだから不思議なものである。

    いろんなところを旅していて思うことだが、「海があり、山があり、芸術家が多い」場所には、かならずヒッピーが集まっている。

    社会主義。私にはどうもぴんとこない言葉であるし、ぴんとこないシステムである。  今まで社会主義国を旅したことは幾度かある。その旅で私が知ったことは、  ◎二重値段である(外国人と、住民は、食事も列車も宿も値段が違う)。  ◎デパートが退屈(数少ない品物は 埃 まみれになってガラスケースにおさまっている)。  ということのみである。この、二重値段というものがたいへん厄介で、何が厄介って、その場所を知るのをとにかく邪魔するわけである。値段というものは、その国を知る手っ取り早い近道で、コーヒーがいくらするか、タクシーが、バスが、定食屋のごはんがいくらするか、だんだんわかるようになるのと比例して、その場所のこともなんとなく理解できる。人の生活も見えてくるし、大げさに言えばその場所の在りかたも、なんとなくだが、わかったりする。けれど、旅行者値段と地元値段があると、本当に見えてこないのだ。人も、場所も。

    この旅のあいだ、私はヘミングウェイを読んでいた。旅先で、その場所が書かれたもの、その場所で書かれたものを読む、というのはなかなか幸福な体験だと思っている。いつの時代に書かれたものであるにせよ、言葉で書かれた空気、肌触り、においを、ぴたりと感じることができたりする。それはなんていうか、奇跡にとても近いことだと思っている。  そうして私は文学ミーハーでもあるから、その短編集に頻出するバー「フロディーテ」にもいった。この店はカウンターの隅に、ヘミングウェイの金ぴかの像がある。実物大で、ものすごくでかい。何か 御利益 があるかもしれないと思い、べたべたと 撫でまわしておいた。  数十メートル先のホテルを常宿とし、午前中のうちに仕事を終え、はだしでぺたぺたとオビスポ通りを歩き、午後早いうちからダイキリを飲む暮らしって、たいへんうらやましい。ヘミングウェイの隣でダイキリを飲んだ。  どうせなら、と思い、ハバナから少し離れたところにある、現在は博物館になっているヘミングウェイの自宅にもいった。大邸宅である。窓がたくさんある光あふれる家で、トイレにも本棚があるのが印象的だった。住居の隣に、仕事場がある。三階建てになっており、一番上の部屋にタイプライターが置いてある。窓からは海が見える。こんな仕事場があったらいいなあ、とも思うが、こんなところでよく仕事なんかできたよなあ、と思う。あんまり居心地のいい空間で、小説なんか書けるはずがない、と思う私は貧乏性なんだろうと思う。

    旅は読書と同じくらい個人的なことで、同じ本を読んで感動する人もいればまったくなんにも感じない人がいるように、同じ場所を旅しても、印象は絶対的に違う。ときとして見える光景すら違う。さらに読書よりもっと 刹那 的だ。去年旅した同じ場所を、今年になって訪ねてみても、見えるものも印象も出会う人も、確実に違ってしまう。旅は一回こっきりだ。終わってしまったら、その旅はもう過去になる。二度とそれを味わうことはできない。

    読んでくださる方が、この本のなかでほんのいっときでも旅をしてくれたらとても幸福です。その旅のなかで、何も持たない旅行者同士としてすれ違えたら、本当に嬉しい。

  • 角田さんの旅エッセイ。色んな国に1人旅するの凄い!私は国内専門やから1人で何十ヵ国旅するの尊敬する。色んな国を知れて大変良い。色んな国でその国の人と仲良くなって一緒に過ごせるのは角田さんが壁のない人やからやろなぁ。旅先で人と仲良くなれる自信がない。

  • 角田光代がバックパッカーとは知らなかったが、若い女性のひとり旅でありながら、かなり自由奔放な旅をされていたようだ。
    これを見た、あれ食べたといった単なる旅行記とは違い、地元の人々とのやりとりや、筆者がそこで考えた事、旅に対しての心情などが、綴られていて、興味深い。
    これだけ旅をしているのに、旅は面倒だ、好きでは無いと言い切る矛盾。でもわかる気がする。
    文章は簡潔でテンポもよい。それに文章は上手い。

    普通、年齢や金銭的な余裕で、旅のスタイルも変わってくるが、筆者の今の旅はどうなっているのか気になるところである。

  • 私も旅をしてきた気分になりました。いつか外国に行ってみたいなぁ~   じゃなくて絶対行く!

  • 実は小説を読んだことがないのだが、角田さんってバックパッカーだったんですね。世界の色んな土地を旅したエッセー集で面白いし、まとめ方もうまい。今度小説も読んでみよう。

  •  ロシアとの境。その強烈さは、鉄道だからこそ感じるのだろう。ベトナム戦争。訪れると著者のような感覚が私にも起こるだろうか。バリ。私が経験したバリとなんと異なる風景。同じ街も泊まる場所が違うとこうも変化するのか。海外一人旅をした事が無い故、著者のような強烈な経験がない。誰かに相手して貰った事もない。旅の印象がまるで違う。

  • もともと旅行モノのエッセイが好きで、角田光代さんが旅エッセイを書いていたと知って図書館で借りた。
    旅エッセイを書く人の文章は読みにくいことも多いのだが、さすが本職は小説家だけあって、読み進めやすかった。
    旅好きの著者だけあって、訪れた国の数も多く、たくさんの国が時系列もバラバラに紹介されているのが個人的にはかえって残念。
    もっとひとつひとつの国を掘り下げて語ってくれるようなエッセイが好き。
    でも、紹介されるエピソードは細かくて面白かった。
    2016/05

全44件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。90年『幸福な遊戯』で「海燕新人文学賞」を受賞し、デビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で、「野間文芸新人賞」、2003年『空中庭園』で「婦人公論文芸賞」、05年『対岸の彼女』で「直木賞」、07年『八日目の蝉』で「中央公論文芸賞」、11年『ツリーハウス』で「伊藤整文学賞」、12年『かなたの子』で「泉鏡花文学賞」、『紙の月』で「柴田錬三郎賞」、14年『私のなかの彼女』で「河合隼雄物語賞」、21年『源氏物語』の完全新訳で「読売文学賞」を受賞する。他の著書に、『月と雷』『坂の途中の家』『銀の夜』『タラント』、エッセイ集『世界は終わりそうにない』『月夜の散歩』等がある。

角田光代の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×