飛躍への挑戦 東海道新幹線から超電導リニアへ

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  • ワック
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  • Amazon.co.jp ・本 (381ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784898314548

作品紹介・あらすじ

東海道新幹線システムを完成域まで高めた半世紀の進歩と飛躍の歴史。そして超電導リニアへのドラスティックで壮大な挑戦へのドラマ。

感想・レビュー・書評

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  • ここのところ、リニア中央新幹線に関する本をいろいろと読んでいまして、その中の一つとして読んでみました。

    この本には、リニア中央新幹線に関する記述もありますが、著者である葛西氏の経歴を反映して、国鉄が民営化する過程について、また、葛西氏が在籍したJR東海から見た、JR各社の民営化後の動きについて、詳しく述べられています。

    この本を読むにあたっての目的ではなかったのですが、国鉄時代から現在までの、東海道新幹線の変遷を概観するには、なかなかよい本でした。
    また、JR東海が発足してから現在までの、JR東海の経営上の課題や、そのクリアの過程についても、よく理解できました。

    葛西氏は、国鉄に入社後、JR東海へと配属になるわけですが、国鉄時代は、ある意味、国家公務員のような視点で、新幹線や国鉄、鉄道、地域開発のあるべき姿を考えており、非常に広い視野を持っていたように思えますが、JR東海に配属になってからは、JR東海の利益が第一で、視野が狭くなったような印象を受けました。
    葛西氏が、国土全体、その中でのJR全体、さらにはその中でのJR東海、のそれぞれの視点をもっと意識していれば、JRは、今よりももっとよい会社になっていたかも、とも思いました。

    ただ、とっても我田引水な印象も受けたので、話半分とまでは言わないまでも、少し距離を置いて読むのが、この本の適切な読み方のような気もします。

  • 執筆当時JR東海会長であった筆者が、国鉄民営化から東海道新幹線の高収益化、リニア中央新幹線開発など、大きな企画運営に携わってきた歴史をまとめたもの。国家的見地に立った明確なビジョンをもってチャレンジングに取り組む姿勢がとても勉強になった。熱意がすごい。考え方が論理的で、なるほどと思わせる記述が多かった。こういう組織の上部構造内での意思決定など、経営陣に焦点を当てた内容は興味深い。素晴らしい一冊。

    「東海道新幹線沿線の面積は国土の約10%に過ぎないが、日本の人口の約60%がここに居住し、GDPの約60%がこの地域で生み出される。東京・横浜・静岡・浜松・名古屋・京都・大阪など日本の主要都市が連なる東海道回廊はまさに日本の背骨であり、東海道新幹線はその大動脈である。東海道新幹線は比類ない利便性と輸送力をもって回廊を統合し、一大メガロポリスに変容させ、人々のライフスタイルを形作るとともに、日本経済の発展に貢献してきた」p1
    「今では最繁忙時間帯には1時間に片道15列車、すなわち「のぞみ」10本、「ひかり」2本、「こだま」3本が運行されている。一列車はすべて二三座席を提供、一日平均45万人、年間1.6億人が利用する。そして平成27年度の一個列車平均遅延時分は0.2分だった。結果として航空輸送に対して東京〜名古屋間では100%、東京〜大阪間で85%、岡山、広島との間でも65%を超えるシェアを保持し、年々増加傾向にある」p3
    「(鉄道大事故)三河島事故(昭和37年):常磐線三河島駅構内で発生した列車脱線多重衝突事故、死者160名。 (昭和38年)東海道本線鶴見駅付近で貨物列車が脱線、そこへ上下両線の旅客列車が突っ込むという三重衝突、死者160名以上」p19
    「(船舶大事故)昭和29年9月に青函連絡船の洞爺丸が台風により遭難、1155名の死者・行方不明者。 昭和30年5月に国鉄宇高連絡船の紫雲丸が霧の中で同じ連絡船の第三宇高丸と衝突沈没、168名の死者。(長崎惣之助総裁が引責辞任)」p21
    「(新幹線建設は反対者が多数)国鉄内部の圧倒的多数は、東海道新幹線を新線建設として「鉄道建設審議会」にかけ葬り去る考えだった。これに対して新幹線は東海道本線の線路増設であり、新線建設ではないから国鉄総裁の責任で決めれば良い、という理屈で十河総裁が押し切った。時の中村三之丞運輸大臣は、国鉄内部の大勢が反対に傾く中で「やりましょう」と言い閣議決定をとってくれた。このことを十河総裁は深く感謝していたという」p23
    「十河総裁の夢である広軌の新幹線、前人未到の時速200キロ運転を実用化するため島技師長が構想したのは、高速旅客列車専用の広軌軌道の上を軽量の電車だけが走行する、という現在の東海道新幹線方式であった」p24
    「東海道新幹線は昭和34年度に予算化され、39年に完成した。その後に建設された新幹線に比べ驚くほど短期間の完工である。それは戦前の「弾丸列車計画」が下敷きにあったからであった。弾丸列車計画の企画と既着工部分が東海道新幹線に活用され工期が短縮されたのである」p25
    「新幹線の開業した昭和39年度から国鉄は赤字に転落、以後昭和62年の分割民営化まで国鉄経営は悪化の一途をたどった。この一事を見て、東海道新幹線の建設費が借金でまかなわれたことが国鉄赤字の引き金になったという者がいる。確かに東海道新幹線は自己資金と財政投融資で建設された。政府出資も利子補給も全くなかったが、初年度から東海道本線と併せて黒字を計上し、10年以内に投資額をすべて回収するという、この種の巨大プロジェクトとしては奇跡と言って良いほどの成功をおさめたのである。日本経済の高度成長期に、その背骨とも言える東海道で、旅行時間を7時間から3時間に短縮するということは、個人のライフスタイルから企業行動、さらには国の経済構造をも変えてしまう、ということを意味する。採算プロジェクトだったことに加えて東海道新幹線は膨大な外部経済効果、すなわち開発利益をもたらした。まさに変革をもたらしたのである」p26
    「シンボリックに言えば、国鉄の分割民営化は「東海道新幹線救出作戦」の一面を持っていたともいえる」p47
    「昭和56年当時の国鉄の要員は40万人を超えており、人件費は営業収入の85%にも達していた。私鉄は40%程度なので、要員数を少なくとも半減させる必要があった」p52
    「国労と動労が一致して向かってくれば分割民営化はできなかっただろう。(人員削減のための)採用停止が国労の利害と動労の利害を刺し違いの関係にした。それが要員合理化、余剰人員対策、労使共同宣言などすべての成立要因となった」p101
    「JR東海は、東海道新幹線の他に12線の在来線を持つが、創業当初でも鉄道事業収入の約85%が東海道新幹線、15%弱が在来線、関連事業による収入は営業収入の2%未満という実態であった。すなわちJR東海は「東海道新幹線会社」と言っても過言ではなかった」p144
    「昭和62年時点での東海道新幹線の対航空市場占有率は、東京〜名古屋間は100%、東京〜大阪間87%、東京〜岡山間97%、東京〜広島間73%、東京〜福岡間29%、名古屋〜福岡間52%となっており、東海道、山陽筋の主要都市間交通においては依然として圧倒的な優位を保っていた」p150
    「建設進行中の羽田空港の拡張、関西新空港、岡山空港、広島空港が完成し、航空便の大幅な増便が現実になった時、東海道新幹線が今のままであれば、このシェアは大幅に低下する可能性が高かった」p150
    「航空輸送の場合、運輸収入に対するエネルギーコストの比率は20%程度であるのに対し、東海道新幹線の場合は3%弱である。また空港の運営・維持、航空管制は国が行なっているため、すべて自前が基本の鉄道と正確な比較をするのは難しいが、直轄人件費だけ見ても航空の場合は営業収入の20%程度なので、総人件費では東海道新幹線は航空機に対して優位に立つと思われた。これらコスト優位を運賃値下げとして旅客に還元すれば、航空輸送が東京〜大阪間で新幹線と競争する余地はない。それがありのままの交通機関特性の反映である」p150
    「住田、松田氏らJR東日本の第一世代首脳陣は東海道新幹線の品川駅設置に合理性も大義も関係ないかのように反対を続けた。国鉄分割民営化の本来的意義は、日本の大動脈である東海道新幹線と首都圏、近畿圏の都市交通鉄道網が相互に機能補完し合って、日本の人口の約6割が生活し、GDPの約6割を生み出すこの回廊の鉄道輸送を、国鉄時を上回る効率をもって実現することだったはずである。また経済合理性という点で言えば、国鉄品川ヤードの一部を使って新幹線の品川駅を建設することは東海道新幹線の利便性向上、輸送力増強にとどまらず、地域住民にとって、またJR東日本にとっても巨大な開発利益をもたらすプロジェクトである。通常なら「この街にもぜひとも新幹線の新駅を作っていただきたい」と地元が請願し、用地と建設費は地元負担になるケースでもある(本州三社の上場が急がれており、機が熟すのを待てなかった)」p250
    「JR東海と競うことが分割民営化の本義だといったん思い込んだ「宮廷革命」グループの人々には、JR東日本の首都圏鉄道網と、進行中の羽田空港拡張と関西新空港建設により輸送力が大幅に増える東京〜大阪間の航空輸送を結びつけ、さらにはJR西日本の近畿圏鉄道網と結んで東海道新幹線と競争し、日本の大動脈輸送に一定の存在感を確保することこそが活性化の道だと思えたのだろうか」p254
    「(新入社員教育の立て直し)採用停止直前の各鉄道管理局の鉄道学園では当時の管理体制の弱体化を反映して、全ての基本である鉄道人としての心構え、礼節、規律などの躾すらままならない状態のところが多かった。そんなところでは、夜間になると労組が我が物顔で寮内に出入りし、学園は国労、動労の組織拡大の草刈り場と化していた。入社式では純真な顔をしていた新入社員が、1ヶ月半の初任教育を終える頃になると、目つきの険しい、尖った労組員の顔になるケースが多々見られたのである。空白の8年間を経た今こそ、すべてを白地に書き直す絶好の機会であった」p256
    「(労組の会社に対する反対運動)「のぞみは不安全である」とする会社攻撃の口実として、車両の部品落下事故も利用された。豊橋駅通過の際の砕石が飛ぶという事象では、新富士・三河安城・岐阜羽島の3駅を時速230キロに減速して運転する、という「減速闘争」を平成5年5月17日に会社側に通告してきた。なんとかして「のぞみ」を葬り、会社を追い込もうという意図が感じられた」p272
    「平成15年10月、全列車編成が時速270キロ走行が可能な300系と700系になり、「白紙ダイヤ改正」が行われる運びとなった。このように鉄道輸送の場合、地上設備は先行投資型、車両は時系列追従投資型で、列車運行は最後に一気に花開く、という「時間差特性」を持っている」p289
    「平成26年3月には、ほぼすべての時間帯で毎時最大10本の「のぞみ」運転が可能となった。新大阪駅のプラットフォーム増設と引上げ線の増設、加減速性能の高いN700系・N700Aの投入が進んだことの成果である」p294
    「(1日の運転本数)昭和62年231本から、平成27年には358本、平成28年には過去最高の432本の運行を記録した」p294
    「(新幹線インフラの耐久テスト)鉄筋コンクリート構造物はほとんど劣化していない。これは建設当時の工事が実に丁寧だったということから来るもので、非常に密度の高いコンクリートで酸化はほとんど進行していなかった。したがって、劣化が進んでいない時点で、コンクリートの表面を樹脂系材料で被覆すること、あるいは鋼板により表面を被覆することにより酸化を防止すれば鉄筋コンクリート構造物の劣化進行を止めることができる、ということが明らかになったのである」p296
    「「当分の間、すなわち20年程度は大規模な取り替えが発生することはない」とする結論は、その後の研究・実験を経て確立された大規模改修工事により、「半永久的に心配ない」というほどのレベルに高められた」p297
    「東海道新幹線は鍛え抜かれ、磨き上げられた日本刀のようなもので、遊びはなく、目的地に移動する手段としての機能性に徹している。安全、安定,正確、高速、高頻度、快適なサービスが単純・自明な形で提供されるのである。したがってアピールするのは目的地の魅力以外にない」p304
    「平成27年度の当社の営業収入は1.36兆円で、その95%が鉄道収入、そしてまた鉄道収入の92%が東海道新幹線であるから「東海道新幹線会社」というのが当社の実態である」p316
    「JR東海発足から今日までの30年を振り返るとき、大局俯瞰、長期展望に立った大戦略の展開、すなわち「新幹線保有機構」をすみやかに解体し自律的経営能力を確保したこと、東海道新幹線の時速270キロ運転化と品川駅建設を進めたこと、超電動磁気浮上リニア技術の完成に当社独自の資金で取り組み、東海道新幹線との一元経営を政府決定したこと、などすべてはJR東海が長期にわたって創業の使命を全うし、健全経営を確立するための唯一の道だったことを改めて実感する。それらは5.5兆円という膨大な国家継承債務のリスクの下では、社運を賭する覚悟なしには取り組めない、捨て身の選択でもあった。すべてが成功裏に終わった今振り返って見ても、数々の天佑、すなわち時の運に助けられつつ、会社が一体となって不動の意思を貫いた結果だと思う」p344
    「今や東海道新幹線は究極にまで磨き上げられ、その収益力は史上最高の水準にある。この状況に安住していても、今後20〜30年間の安定的な利益は約束されるだろう。しかし、この間を無為に過ごすことは次なる時代における停滞の種を蒔くことになる。国家百年の計に立ち、日本の大動脈機能を磨き続けることを創業の使命とする当社は、次なる飛躍を目指さなければならない」p347
    「分割民営化により「東海道新幹線会社」として発足したJR東海は、この大動脈機能を長期持続・発展的に機能させるという国家・公共の要請を創業の使命とし、それを民間企業の自律的・機動的経営により達成することを期待されてきた。そして発足後30年間の当社の歴史は、その期待に応えて国鉄時代には停滞、加齢気味だった東海道新幹線を再活性化させ、最新の技術で装備し、極限まで磨いた歴史であった」p348
    「新幹線は広軌、在来線は狭軌のため、ヨーロッパのような相互の直通運転は行われない。しかしだからこそ、20世紀の技術が19世紀の技術と混用され、足を引っ張られるという弊害もない」p352
    「日本の東海道新幹線システムは車両と軌道が「垂直統合」された上下一体の運行システムであり、ヨーロッパでは各国、各種の列車が相互乗り入れできるように上下が「水平分離」された仕組みを志向している」p353
    「台湾高速鉄道は日本型高速鉄道システムを成功させた実証例といえるが、海外展開の難しさを同時に教えてくれた教材でもある。何より大切なのは、基本設計の段階から整合性を保つことで、早い時期に発注側内部に十分な知見を持った人材を得ることが必要であることを痛感させられた案件であった」p355
    「(米国での成功)元米国国防省アジア太平洋担当国防次官補のリチャード・ローレス氏、元米大統領特別補佐官のトーケル・パターソン氏の2氏を得たことからプロジェクトが始まった」p358
    「高速道路や航空輸送は本来的に水平分割システムであり、原則として多様な運送事業者に対して開放的である(道路システム、空港・空路などの航空システム)」p365
    「(国鉄債務の多額の肩代わり)他JR各社が苦しむ赤字路線は、効率化や廃線により免れることができるが、借金の利払いは制御不能で、逃れる術はない。その意味で発足当初、JR東海は最も経営リスクが高く自由度の少ない国鉄債務返済会社と見られていた」p368
    「鉄道経営を便宜的に上部構造と下部構造に分けて見るとすれば、上部構造は経営戦略の選択、すなわち設備投資、技術開発、債務返済、配当などに対する経営資源の配分と執行であると言えよう。一方、下部構造は交通機関としての不易・普遍の課題、すなわち安全・安定的な輸送を守り続けることであり、会社組織の実に99%はそのために存在していると言っても過言ではない。そしてこの安全安定輸送なしには、いかなる経営戦略も無価値となる。しかし、1%の上部構造が進歩と飛躍をもたらすことも確かである。そのことを踏まえたうえで、本稿では上部構造すなわち経営戦略の展開に焦点を当てた。その結果再認識したのは、この間に取り組んだ一連の経営戦略に変わる選択肢はなかったということ、しかもあのタイミングで着手しなければ今日の成果を収められなかったということだった」p369
    「着想は自由でリラックスした意見交換の化合物として浮かび上がるものであり、「着想即着手」が最善の道であると信じてやってきた」p370

  • 国鉄改革の攻防は、JRになってからも続いていた。
    国鉄の破綻からJRの発足、そしてリニアの建設に至るまで、JR東海の社長となった著者からの視点で生々しく描かれています。

  • 国鉄改革でのし上がり今では安倍首相と定期的に会食をしているJR葛西氏の自伝。自分には不慣れな固い単語が多いが、おそらく当時のメモなどをしっかり整理して緻密に書いた文章はチャーチルの自伝みたいだなと感じてとても迫力がありました!

  • 「『すべての制度は変更可能』だという信念である」

    葛西敬之さんの「飛躍への挑戦 東海道新幹線から超電導リニアへ」という本からです。

    葛西さんは昭和15年生まれ。昭和38年に東大を卒業すると日本国有鉄道に入社。昭和62年の国鉄民営化の際にJR東海へ入り、平成7年に社長となり現在は名誉会長となっています。

    本書は国鉄時代、そして民営化からリニア建設までのエピソードを葛西さんの実体験に基づき書かれており、とても読み応えがありました。

    国鉄からJRが発足した裏には、政財界の重鎮を交えた駆け引きがあり、読んでいるだけで緊張感が漂います。

    冒頭の言葉は、国鉄からJRになった際に、JRは民間企業になったとはいうものの、国から様々な制度、制約に縛られ、本来の民間企業としての経営が難しい立場でした。それを葛西さんらが粘り強く国と交渉し、純然たる民営としての立場を得てさらなる飛躍を実現することができました。

    とかく制度、制約が足かせになることはしばしばです。でも絶対に変えられないものはありません。信念を持って事に当たれば変えられないものはない、ということを葛西さんは冒頭の言葉に込めています。

    会社の中の制度、制約も全く同じだと思います。もちろん勝手に変えることはできず、適正な手続きを経ることは言うまでもありません。

    JR発足して30年の生の歴史を知ることのできる本です。
    ぜひ読んでみてください。

    かなり偏見があるような気がしたが、JR東海を大きく育てたい功績は確かだ。

    数々の困難を根気よく乗り越えていくさまは、とても感銘を受けた。

    望み開業時の名古屋飛ばしに言及していなかったのは何故なのだろうか?

  • 国鉄改革3人組の一人、葛西氏の国鉄改革からJR東海の最新の経営に至る記録。
    常に原理・原則に立ち返り、大局的に物事を判断していくことが必要であると説く。

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著者プロフィール

1940年生まれ。63年、東京大学法学部卒業後日本国有鉄道入社。69年米国ウィスコンシン大学経済学修士号取得。国鉄職員局次長等を経て、87年東海旅客鉄道株式会社の発足とともに取締役総合企画本部長に就任。95年、代表取締役社長。2004年、代表取締役会長。14年、代表取締役名誉会長。18年、取締役名誉会長。20年、名誉会長となる。その他に宇宙政策委員会委員長、学校法人海陽学園理事長等を歴任。主著に『未完の「国鉄改革」 巨大組織の崩壊と再生』『国鉄改革の真実 「宮廷革命」と「啓蒙運動」』『明日のリーダーのために』『飛躍への挑戦 東海道新幹線から超電導リニアへ』。2022年5月25日逝去。

「2023年 『日本のリーダー達へ 私の履歴書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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