砂漠が街に入りこんだ日

  • リトル・モア
3.67
  • (12)
  • (19)
  • (20)
  • (2)
  • (2)
本棚登録 : 432
感想 : 20
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (164ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784898155257

作品紹介・あらすじ

フランス各誌が驚愕!
「大事件」とまで評された、鮮烈なデビュー作。

こ の 距 離 が、 私 を 自 由 に し た。
あらたな「越境」小説集。

出身地である韓国を離れ、渡仏した若き鋭才、グカ・ハン。
選びとったフランス語でこの小説を書くことが、自分のための、独立運動だった。

- - -
そこは幻想都市、ルオエス(LUOES)。人々は表情も言葉も失い、亡霊のように漂う。
「私」はそれらを遠巻きに眺め、流れに抗うように、移動している。
「逃亡」「反抗」「家出」、その先にある「出会い」と「発見」。
居場所も手がかりも与えてはくれない世界で、ルールを知らないゲームの中を歩く、8人の「私」の物語。
- - -


登場人物は誰もがみな移動している。
ある街から別の街に向かう者もいれば、ある国から別の国に向かう者も、あるいはただ川を渡り、向こう側に行くだけの者もいる。
彼らは現実の世界と夢や幻想の世界を、生と死の間を行き来する。
そもそもこれらの短編は、作者である私が二つの言語の間を絶えず往復した成果だった。
(邦訳版書き下ろし「作者あとがき」より)

◇ ◇ ◇

彼ら彼女らはちっぽけな個人では太刀打ちできない大きな力に直面し、しばしばそれに押しつぶされてしまっているように見える。
だが、グカ・ハンによれば、必ずしもそういうことではない。
登場人物たちは、しばしば世界から身を閉ざし、縮こまっているだけのように見えるが、それは理不尽な世界に対する反抗のひとつのあり方である。
(「訳者あとがき」より)


◆ 温又柔氏、斎藤真理子氏より推薦コメントが届いています! ◆

静かでありながら、とてつもなくけたたましい。
母語の檻の中でまどろんでいた意識が生き生きと粒立ってくる。
―― 温又柔

誰かの困惑の中に、すべての答がある。
後を追いかけていきたい、グカ・ハンの迷路。
―― 斎藤真理子

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 母語を離れたソウルの物語
    評 波田野節子(新潟県立大名誉教授)
    <書評>砂漠が街に入りこんだ日 :北海道新聞 どうしん電子版
    https://www.hokkaido-np.co.jp/article/469707?rct=s_books

    「砂漠が街に入り込んだ日」書評 母国語を離れて書く文学と社会|好書好日
    https://book.asahi.com/article/13803297

    グカ・ハン『砂漠が街に入りこんだ日』|リトルモア|note
    https://note.com/littlemore/m/md38a15e23228

    リトルモアブックス | 『砂漠が街に入りこんだ日』 グカ・ハン 著 / 原 正人 訳
    https://www.littlemore.co.jp/store/products/detail.php?product_id=1028

  • 『私は考えなしに写真を指でタップする。「…」点が三つ。テキストはそれだけ。十六人がこの写真にいいね!をして、十二人がコメントをつけている。私はあるコメントを読み、もうひとつ別のコメントを読んで、突然、彼女が死んだことを知る』―『雪』

    グカ・ハンの文章は散文詩のように曖昧で、思春期の子供のように手の内を見せまいとする。描かれる背景はすべてもやに包まれ輪郭がぼやけている。時にそれは砂塵であり、雪であり、驟雨であり、湿気でありはするけれど、何かが覆い隠されていることに違いはない。

    一切の熱を排したように淡々語る主人公(たち)は、余りに見慣れた世界との繋がりを拒絶するかのように、浮遊しながら生きている。名前を逆に綴るだけで、近しい街が見慣れぬ異郷に感じられてしまうのと同質の違和感が、語られずとも、その生に漂う。

    訳者あとがきの中で紹介される作家の言葉。そこにこれらの短篇の印象の核となるものがあるように思う。

    『私の語り手たちが表明する苦悩はまず、彼らが威嚇的な世界の中で奮闘している
    にもかかわらず、その世界は彼らにいかなる手がかりも与えてくれないという事実
    に由来しています。その世界には彼らのための居場所はないのです』―『訳者あとがき』

    母国を離れて母語ではない言葉でグカ・ハンが紡ぎ出す世界は、どこかしらシモン・ストーレンハーグの描き出す世界に繋がる。それは自分の居る場所に対する手応えの無さ。それは常に奇妙な既視感を惹起する空想の世界。頭の中で、フィリップ・グラスの音楽が静かに鳴り続ける。

  •  フランスに移住した韓国人作家のフランス語によるデビュー作。いわゆるジャケ買いしたのだけど内容も素晴らしかった。街も人も匿名性が高くて洗練されまくって研ぎ澄まされた文章。と同時に曖昧な話ともいえるので、読んでいて頭をさっと通り過ぎていくような、夢を見ている感覚に近い。いくつかの話は目が覚めたところから始まっていて夢と現実の境界の曖昧さを主張しているように感じた。
     前述した著者の背景を事前に知っていたので舞台はフランスで登場人物は韓国人だろうなと脳で補填して読んだけど、そのことを知らなければどの街、どの人にも通用する、変換可能な物語となっていた。短編に登場する人物が孤独であることも特徴的で、皆がその孤独とどのように折り合いをつけるのか、そこが読みどころだと思う。好きだったのは「家出」「真夏日」「聴覚」。「家出」と「真夏日」はどこかで見た記憶が喚起されて、ノスタルジーが著しく刺激される内容だった。「聴覚」は本著に収められている中でいろんな意味でラウドでパンクで最高だった。全音楽好きは少なからず経験しているだろう、音楽が自分1人のものになる、あのブチ上がる瞬間が描かれていた。それと同時に思わぬ形の沈黙が訪れてさらに物語が飛躍していくダイナミックさがかっこよい。
     著者および訳者によるあとがきが充実しておりこの物語が生まれた背景/考察も興味深かった。なによりも驚いたのは本著が韓国ではまだ出版されていないということ。(外側の視点というのを販売形態でもという徹底しているということなのか)別の言語で書くという制約があるからこそ生まれたソリッドな文章を堪能あれ。

  • アゴタクリストフや多和田葉子のように、母語ではない言語で執筆された著作で、この著者の場合は、韓国語を母語とする一方、この処女短編集は仏語で書かれたもの。

    四方を壁に取り囲まれたような閉塞感と、その外に出てもなおひろがる荒涼とした風景。

    息苦しさの先に晴れやかな景色はなく、そんな景色からでも越境者は何かを見出だしていく。

  • 今いる場所に居場所がなくはみ出てしまった人、または自らはみ出た人達がたどり着いた場所での自由と孤独が淡々とした文章で描かれている短編集。どれも経験したことはないのに知っているような感覚になる。特に『真夏日』がヒリヒリと良かった。

  • 短編集8編
    居場所のない人,社会からはみ出てどこかを求めて彷徨っているような,しかも救いのないそんな私.あるいはあなた.どこかに行けるのだろうか?

  • 渡仏した著者が母国語ではないフランス語にて創作したことが話題となっている。
    母国語では書き得なかったと言うが、その理由はよく分からないとも語る。
    しかし描かれる世界は生々しいほど韓国的で、特にセウォル号を想起させる短編など、あの事件が人々に遺した痛みの深さに触れる。
    私は日本語で受け取ることしかできないのだけど、原語で読むとどんな感じなのかな。
    当事者性の距離を意識したのか、因習的なものを捨てたかったのか、あるいは新たな時代の共通言語を求める過程なのか、などといろいろに想像する。

    閉塞感にもがく人々の声を救い上げる作品たちで、良いです。すごく好きです。
    これからも追い続けたい作家!

  • 特定のどこかであって、どこでもないような街に関する作品集、というかんじ。それぞれの場が、砂漠や水といったモチーフと結びついて語られる。そんな抽象性の高い場所が、最後の一編で具体性を獲得しているような気がした。

  • そっけなくツンとした印象の文章だが、どの話でも孤独をこっそり共有されているような、淡い温かさを感じた。

  • 砂漠、と聞いて何を思い浮かべるだろう。
    強い日差し、乾いた空気、砂が表皮にまとわりつき衣服に入り込む不快感、先の見えない孤独、そして死。
    身近にないものなのでフィクションから想像するしかなく、絶望感漂うイメージになってしまう。
    映画やドラマや小説では、ピンチの演出として砂漠に置き去りにされる等のシチュエーションが多いので。

    作者が渡仏し母国語ではなくフランス語で執筆した作品らしい。
    どこかあっさりとした平易な文体だが詩的でもある。

    国境を越えた作者の様に境界線を飛び越える事がテーマの短編が続くが、砂漠はその境界を侵食している。何気ない日々に突然死が入り込むように感じられるが、死は常にそばにあるものなので本来は日常なのだ。

    環境を変えても自分という存在は何も変わらず、その変わらない自分のまま日々を過ごす内ふとした瞬間境目を飛び越えてしまう。砂漠が入り込むというのはその比喩なのだろうか。
    飛び越えた先に何があるのか、その先もまた日常になるのか。死に近付き、その先の無になるだけなのかもしれない。

全20件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1987年韓国生まれ。ソウルで造形芸術を学んだ後、2014年、26歳でパリへ移住。
パリ第8大学で文芸創作の修士号を取得。現在は、フランス語で小説を執筆している。
翻訳家として、フランス文学作品の韓国語への翻訳も手掛ける。

「2020年 『砂漠が街に入りこんだ日』 で使われていた紹介文から引用しています。」

原正人の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ヴィクトール・E...
チョ・ナムジュ
テッド・チャン
マーガレット・ア...
ジョージ・ソーン...
カズオ・イシグロ
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×