マルコーニ大通りにおけるイスラム式離婚狂想曲

  • 未知谷
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784896423822

作品紹介・あらすじ

スパイにならないか?アラビア語の能力と地中海風の風貌を買われ、スカウトされたシチリア生まれの男。潜入したムスリム・コミュニティに溢れるイスラーム的日常。友人にも美人にも出会う生活は順調だが…。俺は何を探ってるんだ?テロ・友情・恋愛・離婚に国家の思惑が絡み合う快作。

感想・レビュー・書評

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  • 「移民をめぐる文学」紹介本
    https://note.com/michitani/n/n66174486f103?magazine_key=me352ff536670
    アルジェ生まれでローマ在住の著者による移民として生きる人々の姿。
    ラストがよくわからんので★3つ…(-_-;)


    物語は二人の人物の独白で交互に進む。

    一人はイタリア人男性のクリスティアン。アラビア語が堪能で見かけも中近東風のことから、ローマに拠点を置いているらしいイスラム過激テロリストを探るスパイにスカウトされる。そこで名乗ったのは「チュニジアから来たイーサー」という名前。イーサーとはイエスのことだ。イスラムではイエスは神の子ではなくて、預言者(神の言葉を預かり人間に伝える者)の一人という扱いなんだが、あえてこの名前を選んでいるんですね。
    そして彼をスカウトし、アラブ人社会に入り込むイーサーの連絡役でもあるタッサロッティ大尉は「じゃあ俺の作戦名はジゥーダだ」という。こっちはイエスを裏切ったユダのアラブ語発音だということ。
    まず、イーサーはアラブ人(エジプト人?)のアクラムの経営するコールセンター「リトル・カイロ」に顔を繋ぎ、アクラムの紹介で寝床を確保する。
    この下宿先は、アパートの四階にムスリムだけの住居スペースがあるらしい。そこではアルジェリア、エジプト、アフガニスタン、パキスタン、イラク…などのムスリムがキッチン、トイレと、寝室を共有している。寝室には14人分の二段ベッドがある。えーっと住宅事情がよくわからないのですが合宿所の大部屋というかいわゆるタコ部屋みたいな感じか。
    イーサーは、このアパートとリトル・カイロでムスリムたちの動向を探るのだが、もともとアラブ好きチェニジア好きのイーサーのため、イタリアのムスリムの生活の厳しさや、ムスリム同士の信仰や考えの違いに直面したり、イタリア人からの差別に怒ったりする。
    このイーサーの語りはところどころ関西弁が交じる。「あほ言いなや!」みたいな感じ。私はてっきり普段のしゃべりがイタリア語、関西弁がうっかり出たアラブ語かとか思って、もしかしてアラブ社会に馴染むにつれて関西弁が増えるのか!?とか思ったんだが、どうやら小説の原語では彼の出身地であるシチリア方言が交じるらしくそれを関西弁にしたんだそうだ。
    この物語は「イタリアにいる多国籍のアラブ人」、「ローマにいるシチリア人」、「男と女」の壁のようなものを語っているってことの表現かな。


    さて。語り手のもう一人はエジプトから結婚によりローマに移住したソフィアだ。本名はサフィーヤだがイタリアでは「ソフィア」と聞き間違えられるので自らもそう名乗っている。
    <人があなたに投げかける最初の質問はいつもこれ。あなたの名前は?もしあなたが外国人の名前を持っていたら、途端に一枚のバリアが生まれる。それは「わたしたち」と「あなたたち」のあいだの乗り越える事の出来ない境界なの。P25>
    ソフィアはエジプトで両親の三女として生まれた。アラブでは男の子がウ案れることを望まれるが、三人目も女の子だったというわけ。ソフィアの場合はまだ女の割礼を免れた(物わかりの良い叔母さんの協力により)が、姉二人がそれにより地獄の苦しみを味わったことを見ている。
    ソフィアは求婚者のなかでもローマに移住したサイードを選んだ。だってこのアラブから逃げられる。すぐに結婚、そしてすぐに男の子を生まなければ恥扱いされるこの国から!
    しかしローマに住むっていうのにサイードはソフィア(サーフィア)に「ヴェールをかぶらなければいけない」と言ってきた。そのうえ建築学科卒業って聞いてたのピッツァ職人だったのぉ?
    なおサイードは同じく「幸福」という意味の「フェリーチェ」と名乗っている。これはどうやらイタリア人が移民たちに呼びやすい綽名をつけているからのようだ。(イーサーも「お前はクリスチャンかチェニジアかどっちで呼ばれたい?」と聞かれる)
    二人の間にはアーイダという娘がいる。フェリーチェはもちろん「すぐに二人目の男の子を」と望んでいるが、ソフィアが「今はマクトゥーブじゃないの」と交わしている。
    この「マクトゥーブ」というのは「すでに書かれている」という意味だ。
    <マクトゥーブはわたしたちに、すでに起こってしまった出来事を受け入れるための手助けをしてくれるのよ。たとえば大切な人を死によって失った時、発狂したり、深い絶望の暗闇に転げ落ちてしまわないように、この世には超越者の石が存在していて、わたしたちのことを治めている。P37>
    ソフィアはこのマクトゥーブを自分なりに使っている。気が進まないことをしないために「マクトゥーブがこなかったのよ」で逃れるなど。このあたりはずいぶんと柔軟性がある女性ですよね。<ものごとは偶然には起こらない、そこにはすべて理由がある。大切なのは、できることをすべてすること。自らの責務を全うすることなのよ。(中略)全力を尽くしたうえで、最後の結果を受け入れること。これってマクトゥーブの一つの例だと、わたしは思うんだ。P37~>
    ソフィアはヨーロッパで床屋として独立したいという希望がある。女友達の協力で、夫フェリーチェには内緒で店のようなものも始めることができた。ソフィアは夫に強要されたヴェールもカラフルにして「それならこれが私の個性」と考えの方向を変える事が出来る女性なのだ。

    このイーサーとソフィアが出会い、そしてイーサーはソフィアの夫フェリーチェから「俺の妻と結婚し、離婚してくれ」と言われる。
    …、…、…、なんでこんなけったいなことをするかというとですね、アラブ人夫婦は「離婚だ」という言葉は二度目までは取り返しがつく。だが三度目にこの言葉が出たら夫婦はもう離婚したことになる。もし元夫が元妻とやはりやり直したいと思ったら、元妻は別の男性と結婚し、性行為をして、その後その男とは離婚してからでないと、元夫と再婚できない。

    なんでそんなけったいなことをせにゃならんかというと、「元夫は、愛する元妻が別の男に抱かれていると想像するだけで苦痛を味わう。その苦痛を乗り越えないと、元妻を取り戻すことができない」んだそうだ。
    で、女側の気持ちは?
    まったく書かれていない。誰も気にしなかったのだ。

    私が読んだイスラム解説本では「言葉で離婚と言ったら離婚になるけど、それは『本気なの?間違えたなら善行を積めばやり直せるよ?』という落ち着くための教えだ」として紹介されていました。するとソフィアのいう「別の男と結婚してから」というのは、コーランには書かれていないけどそんな慣習が広まっちゃったってこと?

    そしてその慣習から外れている「女側の気持ちは?」というのはソフィアの語りでいくつか語られる。「敬虔なムスリムの男はあの世で処女たちが与えられる。それなら女が死んだらどうなるの?どこにも書いていない!誰も気にしていない!」
    ソフィアはむしろこれを夫から逃げてイタリアで自立するチャンスと捉えて、イーサーに結婚を同意してほしいと言う。

    だがイーサーは、ジゥーダから「ピッツァ職人のフェリーチェとその妻ソフィアがテロリストと判明したぞ!」と告げられる。
    そないなあほ言うなや!


    …、で、この後ある事実が明かされ、そこで物語は終わってしまうのである。
    えっえーーーー!納得いかないぞこの終わり方!
    イーサーとソフィアはどうした?ソフィアはローマで自立できるの?
    題名が「イスラム式離婚狂騒曲」として、ソフィアが「女の気持ちはどこにも書かれていない」と言っているのに、この物語が離婚のその後、ソフィアのその後が書かれないってどういうことよーーーー

    ということで。
    移民の多いヨーロッパにおける移民の生活や差別など、かなり困難で悲惨なことも軽妙な語りで書かれているんだが、それにしてもなんだか読みづらい感じなんだよなー、そしてこの終わり方は私には「そないあほ言うなや!」と言いたいところです…。

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