- Amazon.co.jp ・本 (175ページ)
- / ISBN・EAN: 9784895286015
作品紹介・あらすじ
「対話による美術鑑賞」の重要性に、教育の立場からいちはやく注目し、学校教育への応用と普及に長年取り組んできた著者が、日本人の「陶酔型」、「知識偏重型」といった美術鑑賞の姿勢や、インターネット社会がもたらす視覚情報の氾濫に警鐘を鳴らし、子どもたちの豊かな想像力を通して、美術本来の自由な世界を紹介します。
感想・レビュー・書評
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アレナスさんの文章(翻訳)は美術史家から抜け出せていない表現を感じ,美術鑑賞にまだ高尚さを感じさせるキライがあるが,上野さんのこの本はそんなことはない。美術に対する思い込み(絵の意味には必ず正解があるとか)という強固な壁の存在に気づくには非常に良くできた本だと思います。
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美術鑑賞とは,要するに,視覚の冒険であり,頭の体操であり,心の遍歴である。(p.9)
ふとしたときに,大切な何かを失ってしまったことに気づく。美術作品を囲んで鑑賞している子どもたちの語らいに耳を傾けるとき,不意にそれは訪れる。
彼らの素直な目,しなやかな心,柔らかな頭,そして知識のひけらかしや常套句でごまかさない豊かな語り口は,どれも私たちがおとなになる過程で失ってきたものだ。
美術作品を観察して自分なりに考え,自分の解釈をつくり上げ,それを言葉に置き換える――子どもたちがいとも簡単にやってのけることを,私たちは大きな驚きと喪失感をもってただ眺め,聞き惚れてしまう。(p.64)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
探していた答えは見つからなかった。
けど、終章にはとても大切なことが書いてある。
テレビ、スクリーンとは、現実を映す鏡であると同時に現実を隠すマスクである。
私たちは現実をしっかり「見る」ことをしていないので、携帯の画面も含めそれを現実だとそのまま認識してしまうからね。
(語弊を恐れずに言うなら)「見る」力を美術を通して学べます、と教育畑出身の方が美術の使い方をとらえる、そんな良い本であったと思いました。
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「美術」教育をどう行っていけば良いか。大人以上の子どもの自由な解釈を上手に拾えるような授業をしていくべきだと思う。
「どうしてこのような表現をされているのか」を考え、ぽつぽつと言葉に出し合い、それをひとつのストーリーに仕上げていく学習とか、楽しそうだなあと勝手にイメージが膨らんでいってしまう。 -
2024.02.26 まだ、文章にするほど消化できていない。読者に考えることを要求する素敵な本だと感じた。まさにアートな本。ちょっとして冷静になったらもう一度。
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『教えない授業』から対話型鑑賞を知り、本書を手に取りました。美術鑑賞に知識は必須でない、私は今までこういった鑑賞の仕方を理解しているようで理解していませんでした。
美術の分野ながら、科学的にまとまめられていると思いますし、発行年から時間が経っていますが、抵抗なく読めました。
元々対話型鑑賞の本を手にするきっかけになったキャッチフレーズが、『MOMAで取り入れられた』という私自身のミーハーさがあるのですが…何故MOMAが対話型鑑賞を取り入れたのかも書かれていて、MOMAの柔軟さにも少なからず驚き、背後に長年かけた統計とデータがあったとは思っても見ませんでした。 -
対話型鑑賞の興味から。
対話型鑑賞だけを紹介してるわけではなく、もうちょっと広い。日本人の美術鑑賞の現状を述べ、陶酔型、よくわからない状態より、思索的、探究的に自由に鑑賞した方がよいと。
対話型鑑賞していても、人に比べて浅いことしか言えない、頭が働かないのが気になってた。見えるもののことしか言えない。そこから広げようとしても○○の感じがするくらいに終わる。ここに書いてたアプローチ法はすごく参考になりそう。
・セリフを言ってみる
・絵の中に入る(人物の関係を考える)
・何か、何を問われているか。見立てる、比喩、象徴、擬人化、自分の経験や日常と重ねる。 -
鑑賞の一番大事な見方の提案。
見ているのか見ていないのではを
子供のフィルター借りることで鋭さと確信にせまる。
人は体験で美術作品と対話する。
何歳からでも鑑賞はできる。
共感しかない。
これが美術鑑賞である。 -
物事の捉え方を改めるというより、思い出させてくれるような本であった。STEM教育からSTEAM教育へと、アート教育が求められる中で、どのように子供たちに学びの機会を提供できるのか考えるヒントとなった。