葭の渚 〔石牟礼道子自伝〕

著者 :
  • 藤原書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (391ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784894349407

作品紹介・あらすじ

自らの筆で描く自らの前半生の物語。
水俣水銀中毒事件をモチーフに『苦海浄土』という“世界文学”を書き上げた石牟礼道子とは何者か? 葭が茂り、その茎から貝たちがいっせいに海に飛び込むような美しい不知火海で生まれ育ち、今も不知火海の傍で生活する石牟礼道子。前史を含め、幼少期から戦争体験を経て、高度経済成長へと邁進する中で、『苦海浄土』を執筆。「近代とは何か」を、失われゆくものを見つめながら描き出す白眉の自伝。
『熊本日日新聞』大好評連載。

感想・レビュー・書評

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  • いかならむ世に相見し君ならむ 花ふぶき昏【く】るる中かなしその眸【まみ】
     石牟礼道子

    〈歌との別れ〉は、彼女に必然的にやってきたという。水俣病が、近代の世界史的な問題であると気付き始めたころ、「君」と歌われた青年が自死を選んだ。青年は復員兵で、旧ソ連の収容所を転々とした、過酷な近代の犠牲者の1人であった。

    「苦海浄土」の著者石牟礼道子は、いかにして「石牟礼道子」になったのか―自伝「葭【よし】の渚」は、江戸幕府直轄の「天領」天草出身である父の、独特な話し言葉も織り込みながら、語られてゆく。

     祖父が「道楽」で、天草の海岸道路工事を請け負った時、長女として生まれたのが、彼女。「道子」という名前は、その道路の完成を予祝して付けられたという。
    その後も祖父と父は、道路、築港工事に「石屋」として関わったが、その港こそ、チッソ製品の積み出し港であったという。

     何という運命だろう。のち、水俣病患者支援のため、東京のチッソ本社を往来した彼女の「道」は、チッソ=近代という巨大な道に並走する、細い、しかし確かにある、獣【けもの】道だったのか。

     敗戦後に結婚し、生まれた男児の名前も「道生」。いつしか短歌を作り始め、そこで冒頭の青年とも出会ったが、彼女の思想は、短歌という器をはるかに超えていた。

     日常的に文字に親しむ高学歴層の発想に違和感をおぼえ、文字を読めない母ら、労働に明け暮れる生活者の発想と「合わせ鏡」にしなければ、近代をとらえることができない、と確信。その「道」を貫いた作家・詩人であり、敬慕してやまない。

    (2016年1月31日掲載)

  •  五木寛之さんが、石牟礼道子さんから日本の爆心地は広島、長崎だけでなく水俣もそうと教えられたと語ってます。そう言えば、今日、8月9日は長崎に原爆が投下された日であり、またソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破棄して満州に、千島に侵攻した日でした。石牟礼道子「葭(よし)の渚」、石牟礼道子自伝、2014.1発行。

  • 女史は近代以前にひとと自然が共生していたそのあり様を今に蘇らせてくれる巫女のような存在であります。いっぽうで、水俣病に対して文学をもって痛烈に警鐘を鳴らし続ける正義の人であります。ほんとうに素晴らしい人だと思います。

  • 超名作『苦海浄土』に至るまでの石牟礼道子の自伝。既読の著作に比べるとあの稀有な神話的世界は幾分鳴りを潜め説明じみてはいる。が、不知火の海の豊穣、自然の恵み、触れ合う人々との交流の中で、成るべくして詩人の魂が熟成し、『苦海浄土』を記さずにはならなかったその土壌を知るのは実に感慨深い。市井の人々の営む生活の尊さをどれほど大切にしてきたか、それ故にあの恐るべき水俣病の襲来にどれほど心を痛めたか、そして立ち向かい行く決心を一人の主婦がどれほどの思いを持って攫んだか。知れば知るほど敬わずにいられない。

  • 汽車のなかで出会った餓死寸前の戦災孤児を背負って家に連れて帰り、そして名もなき庶民の声を残すために水俣病患者を訪ね歩く石牟礼道子。

    石牟礼の母・はるのは、娘が突然連れきた戦災孤児にたいしても献身的に支えた。また、殺人を犯した少年の家族にたいして同情を寄せる場面もある。盲目の祖母を10歳の頃から支えてきた、母からの影響も大きさがうかがえる。

    貧しさや差別といった影の部分と、自然とともに生きる心優しき人びとという光の部分が交錯する前半。
    そして後半、水俣の神話的世界が公害や開発によって失われていくなかで、石牟礼が名もなき人びとの声を拾い集めるながい旅が始まる。

  • 「毎日新聞」(2014年2月16日付朝刊)で、
    池澤夏樹さんが紹介しています。
    【石牟礼道子は戦後日本文学の一等星、
    もっと広く読まれるべき作家である。
    本書は彼女の世界への格好の案内・入門書となっている。】
    (2014年2月17日)

  • 必読の書。。。

    藤原書店のPR
    「石牟礼道子はいかにして石牟礼道子になったか?

    無限の生命を生む美しい不知火海と心優しい人々に育まれた幼年期から、農村の崩壊と近代化を目の当たりにする中で、高群逸枝と出会い、水俣病を世界史的事件ととらえ『苦海浄土』を執筆するころまでの記憶をたどる。『熊本日日新聞』大好評連載、待望の単行本化。
    失われゆくものを見つめながら「近代とは何か」を描き出す白眉の自伝! 」

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著者プロフィール

1927年、熊本県天草郡(現天草市)生まれ。
1969年、『苦海浄土―わが水俣病』(講談社)の刊行により注目される。
1973年、季刊誌「暗河」を渡辺京二、松浦豊敏らと創刊。マグサイサイ賞受賞。
1993年、『十六夜橋』(径書房)で紫式部賞受賞。
1996年、第一回水俣・東京展で、緒方正人が回航した打瀬船日月丸を舞台とした「出魂儀」が感動を呼んだ。
2001年、朝日賞受賞。2003年、『はにかみの国 石牟礼道子全詩集』(石風社)で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2014年、『石牟礼道子全集』全十七巻・別巻一(藤原書店)が完結。2018年二月、死去。

「2023年 『新装版 ヤポネシアの海辺から』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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