文字通り「半日=約12時間」を費やして読み終えることができた。読んだ時間がわかるのは、クラッシックをYoutubeでBGMとして流していたからだ。今日聞いたものは聞きやすく、しかも読んでる箇所とたまに音楽がぴったりあって、なかなかの情趣を感じた。
考えてみたら、石牟礼道子さんのご本を読むのは初めてになるのかもしれない。前に読んだのは、伊藤比呂美さんとの対談形式になっているものだったので・・。
石牟礼さんは私にとって近寄りがたい郷土が生んだ大作家で、新聞に掲載されたものを読む機会はあったけど、ちゃんと理解できていたかわからない。苦手意識が強かった。
しかしながら、熊本ゆかりの詩人伊藤比呂美さんを通じて慣れ親しみ、坂口恭平さんのご本の中にもそのお名前を見つけ、少しずつ近づいていった感じだ。先年、亡くなられたことも、いつかは読まなくてはと思うきっかけになっている。
ただ、まさかその一冊目がこの本になるとは思ってもみなかった。今の私よりもずっとお若いころの石牟礼さんの文章に触れ、新鮮だった。
高群逸枝さんは、作家石牟礼道子さんの原点ともいえる方らしい。
偶然、地元の文庫で高群さんの存在を知った若き日の石牟礼さん。その著作に衝撃を受けて、ご本人に手紙をしたためるが、その後まもなく逸枝さんはお亡くなりになり、ご主人である橋本憲三さんとその妹さんが石牟礼さんのもとに突然現れる。しかも、妹さんは石牟礼さんのご近所にお住まいだった・・。やがて、高群・橋本ご夫妻の「森の家」に招かれた石牟礼さんは、逸枝さんのお話を聞きながら、『苦海浄土』のもとになる原稿をそこでしたためていったのだと・・。
地縁の不思議さを感じさせるけど、私が今回、高群さんのことを知るために手に取った本の一冊がこれというのも、これも地縁のなせる業だったりする。
高群逸枝さんが女性史研究を始めたのも、石牟礼さんが文筆の道に進まれたのも、偶然にも同じ40歳前だったのだとか。
その年齢からすると、私は10年以上も遅れを取ってしまったけれど・・。
ただ、今でないとこの本は読み果せなかったと思う。
私にとっては今がきっと好機だったんだろう。