- Amazon.co.jp ・本 (656ページ)
- / ISBN・EAN: 9784892571060
作品紹介・あらすじ
彗星のごとく煌めいた作家の光跡。初期の傑作「悪意がいっぱい」ほか、初単行本化作品三篇収録。
感想・レビュー・書評
-
全29編からなる短編集。
久しぶりに1冊650頁の書物を読んだのだけれど、最初から最後まで夢中になって読み進めることが出来た。
発表順に掲載されており、彼女の作風の変遷などもわかる。
とはいっても、最初から最後まで彼女の作品は唯一無二の「彼女の作品」であり、その強烈な世界は好き嫌いがはっきりと分かれると思う。
それにしても、このテーマをこんな作風で表現するのかという驚きが、特に後半の作品に多く、例えば「なんと恋のサイケデリック!」という作品には本当に驚かされた。
隙だらけのようでいて、きっちりと繋がりのある作風は、やはり彼女独自の誰にも真似できない世界なのだろう。
テクニックや計算は最小限に抑え、あくまでも自分の感性だけで筆を進めた、という感じだろうか。
女性にしか書けないだろう、女性特有の匂いも感じられる。
いずれにしろ、彼女は僕にとってとてつもなく大きな存在になってしまった。
リアル・タイムで彼女の作品を読むことが出来なかったばかりか、もう二度と彼女の新作が読めないことが、本当に残念でならない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
60年代末期(作中に60年代のGSが登場するが、すでに古いものダサいものとして取り扱われている)から80年代初頭にかけてのサブカルの香りが強く漂う作品群。書かれた時代やその少し前の時代を映した女性や少女たちの物語。SFが空想科学小説とイコールだった頃の残滓もあり、サイケやポップといった当時の新しさに惹かれ前時代のものを軽蔑する若者の姿もあり、どの作品にも薬や音楽は必ずと言って良いほどつきまとう。中途半端な懐かしさを感じると共に、変わっていくものと変わらないもの、失われるものと失われないものなどごちゃごちゃ考えてしまいました。
鈴木いづみが今この時代を生きていたなら、どんな視線で世の中を見ただろう、何に興味関心を持っただろう、そしてそれをどのような物語に書いただろう。
狭義のSFではなく広義のSFに含まれる物語の数々はシニカルでペシミスティックでありつつも、それを突き抜けていて楽天的にすら感じました。物語はディックやティプトリーというよりもフレドリック・ブラウンっぽく感じるし、女性の心理描写や言動の描き方は、今で言うなら桜庭一樹や本谷有希子っぽいかな。
初期(1972年~75年頃)はSFっぽくしようと無理矢理型にはめている感が目に付くし、末期(1980年以降)は音楽への興味の強さを反映してかそれがメインとなりSFっぽさは味付けでしかなくなる。中期(1977年~79年頃)の作品が最も面白いと感じた。
<全29篇中でベスト5を選ぶなら>
「歩く人」(72年)
「魔女見習い」(75年)
「女と女の世の中」(77年)
「悪魔になれない」(78年)
「契約」(78年) -
鈴木いづみの全SF作品を収録。
ポップな文体でディストピア、或いは終末を予見するような世界を描いている作品が多い。
解説によると、鈴木いづみがSF作品を発表していたのは、結局、数年間だったようで、その間にこれだけ濃厚な短編を数多く残したのは純粋に凄い。長編も読んでみたいので、鈴木いづみコレクションを買ってみるか……。